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 アデライーダ女王の私室の前で、エセルはいったん息をととのえた。

 侍女を下がらせ室内に入っていくと、楕円形のテーブル席についていた姉たちが、ぱっと晴れやかな笑みをうかべて妹を迎えた。

「エセル、よかったわね」

「ラキスはもう大丈夫よ」


 リデルライナ姫とセレスティーナ姫。ふたり並んだその向かい側には、ダズリー伯爵が腰をおろしている。どうやら姉たちは、エセルを待つ間に伯爵から恩赦のことを聞いていたらしい。

 エセルも笑顔になって姉たちのほうに走り寄った。


 にこりともせずにそれを見ていたダズリー伯爵が、淡々とした口調で告げた。

「女王陛下は綿花ギルドとの会談が長引き、少し遅れておいでです。先に説明をはじめるよう言付かってまいりました」


 ヴィアン・ダズリーは、およそ愛嬌というものに縁のない、きびしい雰囲気の廷臣だった。

 年齢は四十台半ば、女王陛下への忠誠心の強さは誰もが認めるところで、自身は独身のままずっと王家に仕え続けている。

 仕事ぶりはきわめて有能、もともとは王配であるエルランスの親しい友人だったらしい。女王の厚い信任を得て、もう長いこと側近中の側近というべき立場を保っていた。


「エセルも来たことだし、くわしい話を聞かせてくれるかしら」

 セレナ姫が、自分は笑顔のままで笑わない家臣をうながした。

 エセルがあわてて席につく。椅子の背もたれが白い両翼に埋もれて見えるという、不可思議な図ができあがったが、とりあえずそれはいまの問題ではない。


 軽く咳払いしたダズリーが、姫たちを見まわしながらこのように前置きした。

「実は話はふたつございます。最初にドーミエでの大討伐のことをお話しますが、よろしいでしょうか」

 姫たちが了承すると、彼は討伐について簡潔な言葉で語りはじめた。


 地面から出現した魔物の群れと、突然空に走った亀裂、そしてレヴィアタンの出現。

 状況は危機的だったが、ドーミエとマリスターク、王城からの討伐隊、そして炎の使い手たちが協力しあい、みごと魔物たちに勝利した。亀裂はふさがり、反転していた村人たちも、無事人間の姿に戻ることができた──。


 実のところ、こんな話しかたでは、事件の全容を半分ほどしか説明できていなかった。だがダズリー伯爵は、次にひかえた話のほうが姫たちにとって重大であると知っていた。だから、ひとつめに時間をさくつもりはなかったのだ。


 姫たちから質問が飛んでこないうちに、彼はすばやく話をすすめていった。

 ラキス・フォルトに恩赦が授けられ、無罪放免となったこと。聖堂に乱入した炭焼き頭領たちも、同様に罪を免除されたこと。

 しかし、村人たちの今後には大きな問題が残り、協議に手間がかかったこと。


 ドーミエの森に瘴気が巣食っているのは確実で、あの場所に住み続けるのはあまりにも危険だった。もう一度反転しなさいと言っているようなものだ。

 ドーミエ男爵をまじえた話し合いの結果、村人たちは集落を出て、もっと安全な地方に移住することが決まった。

 移住先はモードリッジ。馬で三日ほどかかるが、三十人以上いる半魔たちの集団をすぐに受け入れられる場所は、そこしか見当たらなかったのだ。


 ラキスは自由の身であり、別につきあうこともなかったのだが、村人たちにわれたことに加えて本人の希望も強く、現地まで同行することになった。

 旅を補助するためというより護衛のためといったほうがいいかもしれない。移動中、半魔に反感を持つ生粋たちがちょっかいをかけてくる恐れがあったからだ。

 いまごろはきっと、かの地に到着しているだろう──。


「モードリッジ……」

 エセルが呟いた。すぐに都に呼びたかったのに、そんなところに行ってしまったなんて。

 ジンクさんたちに必要とされたのなら、ついていきたい気持ちはわかる。頼まれて断るような人じゃないもの。でも──。

「ラキスの希望だったの……?」

「そのようですね」


 目に見えて失望している妹を、セレナがのぞきこんで気遣った。リデルは妹たちの様子をみつめていたが、声はかけず、ダズリーに視線を移した。

「ひとつめの話はこれで終わりね? では、もうひとつの話を」 

 ダズリーが口ごもる。

「それは女王陛下がいらしてから……」


 彼の声が終わらないうちに扉がひらき、アデライーダ女王の声がした。

「よい。話しなさい、ヴィアン」

 女王は会談の疲れも見せずに歩み寄ってきた。微妙な流れになっていた部屋の空気が、たちまち一新され、一同が居住まいを正して主を迎える。

「お母様」

 エセルが思わず立ち上がった。

「ありがとうございます、お母様。ラキスを許してくださって本当にうれしいわ」


 私室は公務とは切り離された空間であり、母と娘の会話がいつも約束されている。娘として、母に対する心からの感謝の言葉がこぼれ出た。

 ラキスの裁判はマリスタークではなく王家の管轄になっていたので、恩赦は当然、女王の権限で施行されなければならない。女王は彼の窮状を救ってくれたのだ。


「当然ですよ」

 アデライーダは末娘をちらりと見て応じると、空いていた自分の席に腰をおろした。

「結婚式に乱入したことを不問にしてくださったのね。それにわたしをさらったことも」

「もちろん不問に」

 いつになく早口で母が言った。

 それから、なぜか心が乱れたように黙り込んだが、ふいにひたいを押さえてうつむきながら、こう口走った。

「それ以外に何をすればいいでしょう。あの者が婚儀を中断させなければ、そなたはいまごろあの狂人と……あの狂人と……」


 となりの席のダズリー伯爵が、あわてた様子で声をかける。

「陛下、しっかり」

「大丈夫……。話の続きを早く」

「承知しました」

 三人姉妹は、このやりとりを意味がわからずに眺めていた。

 だが次に伯爵が言った台詞に、三人とも大きく目をみはることになった。

「結論から申し上げますと、ラキス・フォルトが大聖堂でおこなった告発は正当なものでした」




 その後、姫君たちは真相についてくわしく教えられたが、それは本当に信じがたいとしか言いようのない話だった。

 告発とは、マリスタークの次期伯爵が村娘カーヤを斬り殺したことを指している。事件の残酷さはもちろん、それをおこなったのが次期伯爵──の成り代わり──だったという事実が、姫君たちを打ちのめした。


 討伐の話のときも、亀裂やレヴィアタンといった言葉が出るたびに青ざめたが、姫たちが直接それを見たわけではなかったし、きちんと想像できたわけでもない。

 それに比べて次期伯爵は、彼女たちが実際に会い、言葉をかわした人物だ。その人物がまさか黒魔術による偽者だったとは。


 リデルとセレナが、うわずった声で口々に喘いだ。

「なんてこと……! エセルはコンラート殿ではなく、シャズとかいう殺人犯と結婚するところだったのね」

「でもわたくしたち、お城の夜会で何度も話をしたけれど、まったく気づかなかったわ。不審な様子なんて何ひとつ見えなかったのに」


 アデライーダ女王が深いため息を吐き出す。

「わたくしにもわからなかったのですから、そなたたちにわかるはずがない。まさか実の親の横にいる息子が……完璧にだまされてしまいました」


 実の親ですらだまされたのですよ、と苦々しい面持ちでダズリーが言った。それから裁判長のような調子で続けた。

「とにかく従者に対する仕打ちを見ても、ドーミエのカーヤを斬った犯人がシャズだったのは間違いありません。本人が星の神に裁かれたので、もはや自供は不可能ですがね」


 エセルは声も出なかった。

 ここにいる誰よりも、エセルはあの人物と長く接していた。婚礼前にも誓いの言葉を捧げられたし、捧げ返しさえしたのだ。

 そんな相手が実は別人で、しかも殺人鬼──。

 衝撃のため乾ききった唇から、やっと小さな呟きがもれた。

「ラキスを……」

 両手を握りしめ、テーブルに身を乗り出して母をみつめる。

「ラキスをお城に呼んでください、お母様。すべて彼が正しかったんだわ。それなのにわたし、彼の言葉を全然信じていなかった。それどころか殺人鬼なんかを生涯の相手に選んでしまって」

「エセル」

「お願い、ラキスに会いたいの。呼べないならわたしがモードリッジに……そうだわ、そのほうがずっと早いじゃないの。今日のうちに準備して、夜が明けたらさっそく出発し──」


「恋というのは恐ろしいものですね」

 娘の声にかぶせるようにアデライーダが言った。断ち切るように、と言ったほうがいいかもしれない。

 たじろいだエセルが思わず母の顔を見直すと、底知れないと形容できるほどに青い双眸が、じっと娘をみつめ返してきた。


 その眼差しは、しばらくの間そこにとどまっていた。やがてアデライーダはついと視線をそらし、少し口調を変えて呟いた。

「シャズという男は、そのために道を踏み外したのかもしれませんね。恋によって……というより恋を失ったことによって」

「え……」

「彼はレントリアの出身ですが、かつてはエシアにいたそうですよ。シャズ・マーセイン。あちらではセインと名乗っていたようですが」

「………」

「すぐれたリュートの弾き手だったそうです。もしかするとそのころは、狂った殺人鬼ではなかったかもしれない。姫を守りたいと願う、ひとりの従者に過ぎなかったのかもしれません」


 室内は静まり返った。三人の姫君たちは、なんと応えていいかわからないまま女王の話に聴き入るのみだった。







『エシアの姫の物語』を既読の皆さまへ




 そういうわけで、あのお話はシャズの前日譚でした。

 ありがたいことに『エシア』には好意的なご感想がたくさんつきまして、近年ではレビューを三つもいただいています。

 そうやって『エシア』を気に入って下さった方にとって、この真相はどうなんだろう。がっかりするにちがいない。せっかくの美しい前日譚が、これで台無しになってしまうんじゃないかしら。

 ──などと、実は第一部の連載当初からずっと悩んでいたのですが、とうとうここまでたどり着いてしまったので、ドキドキしながら投稿した次第です。


 作者としては『エシア』の物語がとても気に入っていて、あの中で描かれているセインのことがとても好きです。できれば幸せにしてあげたかったですが、すごく残念なことにこの展開は決定事項で、変更できませんでした。

 レントリアシリーズにはときどき残酷な要素が出てきますが、一応作者の中では意味がありまして、無駄に残酷にしているわけではありません。

 でも、これがお好みでない方にはお詫びを申し上げたいと思います。

 また、予測した方がいらっしゃいましたらさすがです。意外とわかってしまったでしょうか? よかったら感想欄で教えてくださいね。


 長々と書きましたが作者からの本音でした。お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まさかジャズがセインだったとは驚きました。 全く分からなかったです。 しかし、ジャズがただの殺人魔ではなくて良かったというのが、1番の感想でした。 きっとこの物語のことだから、彼にも何か闇…
[一言] 私の『エシア』になんてことしてくれんの!? もうもうもうっ!なんてことしてくれちゃうの!? と、思う気持ちより 「ああ、あの哀しいお話から、狂気とも思える魔物への憎しみに繋がっていたん…
[良い点] そうだったんだ!この人に繋がるなんて! そうだったのね。そうだったんだね~! ただの狂人殺人鬼じゃなかった! ものすごくものすごく哀れが深くて、すごく泣けました! あのセインが壊れてし…
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