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もしも、アレイたちが貴族御用達の宿に行くことができたとしても、彼らはディーには会えなかっただろう。
なぜならディーは、アルヴァンとエセル姫、そしてラキスが別の建物に移るのに合わせて移動していたからだ。
昨日タリッサに着いたアルヴァン一行は、当日中に聖堂関係者たちと面談して、話し合いをすませていた。
その席で、聖劇改変について無事に理解を得たのだが、さすがにぶっつけ本番で劇にのぞむわけにはいかない。
そこで上演前の午前中に、予行演習の時間をとることになった。
聖劇がおこなわれるのは、中央広場前の聖堂の礼拝室だ。
だが祭りの間も礼拝はおこなわれているし、そもそも練習できるような場所ではないため、代わりとして聖堂に隣接した集会所の広間が選ばれた。
広間の壁には、礼拝室を模したように数々の壁画が描かれていて、練習するにはおあつらえ向きの場所だった。
聖堂付きの楽師たちや聖歌隊も、そこに集まる手はずだったのだが、一行はその時刻よりかなり早めに部屋に到着した。
早いうちに移動したほうが人目につかないからだ。
ただ、それを提案したアルヴァン自身は、やるべき仕事を片付けるため、自分だけ再び出掛けていた。
練習に付き添いたいのはやまやまだったが、町長や虹祭りの運営関係者たちとも、懇談しておく必要がある。
もしかすると、聖劇のあとに──あるいは最中に問題が起こってしまうかもしれない。万が一のことに備えて、話を通しておくべきだろう。
そういうわけで、広間には主演二人と護衛二人が残されたのだが、ここで主演の片割れが、ふと思いついたようにこんな発言をした。
「ディー、ちょっと祭りを見てこいよ。レマと一緒に」
広間には通りに面した窓があり、祭りのにぎわいがそよ風とともに流れ込んでくる。
祭りでしか味わえない浮き立った雰囲気が、若者たちを誘い出すように魅力的だったが、言われたディーは怪訝そうな顔をした。
「何を言い出すんだ、急に」
「思い出のある町なんだろ。滅多に来ないんだから、行ってきていいぜ」
「思い出なんて……」
不意をつかれた気分で、ディーが言い淀んだ。
「そんなものは別にない。仕事中だ。おまえたちから離れるなんてできないよ」
「少しだけなら平気だろ。おれも一応は護衛だしさ、いまは」
ラキスは、腰にさげた剣の柄にさわってみせた。
本番ではもちろん剣ははずすし、黒いローブのような衣装も用意されているらしいのだが、着替えは聖堂のほうでおこなうことになっている。
だから彼は、まだ普段通りのチュニック姿であり、剣も持ったままだった。
ディーはうなずこうとしなかった。すると、そばで会話を聞いていたエセル姫が、突然乗り出すように声をかけてきた。
「ディー、レマにお祭りを見せてあげて。せっかくここに来たのに、ずっと仕事だなんて気の毒よ」
かたわらにいたレマが、ぎょっとしたようにエセルを見る。
「姫様、気の毒なんかじゃありません。わたしは別に」
姫君は、祭りとは無関係の男装をした女剣士の言葉を無視して続けた。
「レマ、ゆうべお祭りに行ってみたいって言ってたの。危ないのは劇のあとなんだから、いまならまだ平気よ」
「姫様ったら」
レマがあわてて否定しようとしたが、エセルは取り合わなかった。
エセルとレマは、ゆうべ同じ部屋に泊まり──護衛としての同室だが──そこではじめて女同士のおしゃべりというものをしていたのだった。
立場も身分も違うとはいえ、エセル姫は十八歳、そしてレマは二十歳である。
年齢的に近い娘どうし、意外にも話がはずみ、親交を深める時間となった。
そのときにレマが、たまにはお祭りに行ってみたいですね、などと何気なく口にしたのだ。
それを聞いたディーは、少しの間、考え込んだ。
エセルの言葉に心が動いたのも確かだが、それ以外にも理由がある。実は彼は、アルヴァン卿から言われていたのだ。
姫君とラキスが話し合う時間を、できれば設けてもらえないかと。
次期王配は、主演二人の仲についてことのほか心配していた。というのも、二人の様子が聖劇をするほど親密なようには、とても見えなかったからだ。
劇を承諾してタリッサに来てくれたのはうれしいが、二人ともいまだに全然目を合わせない。
おたがい、申し合わせたように視線をそらしている。
ラキスのそらしかたはさりげなかったので、わざとかどうかわかりにくかったが、エセル姫は思い切りそっぽを向くという大胆さだったため、アルヴァンの憂慮は深まった。
リデル姫とセレナ姫の話によれば、この二人はまごうかたなき恋仲のはずだ。
臣下の礼が、あれほどルーシャの人々の心を打ったのは、それが恋心を秘めた二人によっておこなわれたからなのだ。
このたびの聖劇も同じである。喧嘩中の男女がやったところで、大衆の心を打つとは思えない──。
ディーとレマは、喧嘩ではないことを次期王配に保証したが、だからといって熱々だとも言い難かった。
確かに、劇の前にふたりが話しておくことは必要な気がする。ラキスの提案は、ちょうどいい機会ではないだろうか。
ディーは心を決めると、エセル姫に向かってうなずいた。
「承知しました。では、お言葉に甘えて少しだけ」
「よかったわ。いってらっしゃい」
レマが驚いたように、ディーを引き留めようとした。
「ディー、わたしは行かなくても平気……」
「いや、おれが行きたいんだ、レマと」
「………」
「好きな子と一緒に歩けば、嫌な思い出もいい思い出に変わるだろ?」
ディーはにっこりするとレマの腕を取った。
そして姫君に一礼し、真っ赤になったレマを引っ張りながら扉に向かった。
エセル姫が、びっくりしたように茶色い瞳を大きく見張る。
目のやり場をなくしたラキスが、うつむきながら唸った。
「劇がはじまるまでに戻れよ」
「どうかな。遅刻するかもしれない」
意味ありげな微笑を残して、コルカムの昔馴染みが広間から出て行く。
あとには姫君と半魔だけが、ぽつねんと部屋に残された。




