3(王城)
ろうそくの灯に照らし出された王城の回廊を、エセル姫は緊張した面持ちで歩いていた。
薄暮の時間帯だが、等間隔におかれた枝付き燭台では、すでに橙色の炎が揺れている。あたたかみのある明るさの中、気持ちを集中させながら、姫はゆっくりと歩をすすめていった。
彼女はいま、白鳥にも似た背中の翼を、意識的に消す練習をしているのだった。
はからずも守護聖獣から授かってしまった両翼は、見えてはいてもさわることはできない。だから何かにぶつかるとか、つっかえて邪魔になるというわけではないのだが、彼女としてはやはり内側に引っ込めておきたかった。
城内を歩くだけで注目の的になってしまうので、どうにも居心地が悪いのだ。
次の逢瀬の刻には必ずお母様についていって、リンディ様にこれを取っていただかないと。でも一時的になら、もしかして精神力でどうにかなるかもしれない……。
思い立ったエセルは、今日は一日部屋にこもり、念じることに専念してみた。
その結果、翼の先端から徐々に色を薄れさせ、最後には付け根まですべて消すという作業に成功。それで今度は部屋を出て、外でも同じようにできるかどうか、やってみている。
いい感じだわ、とエセルは思った。二階の部屋から一階のここまで、翼はずっと消えたままだ。この調子、この調子……。
用心しながら正面ホールまでたどりついたとき、ちょうどホールを横切っていく男の姿が目に入った。
はっとして、反射的に声をかける。
「カシムさん」
とたんに集中が途切れ、ポンっと音をたてる勢いで背中に翼が出現した。
王城付き討伐隊のカシム副長は、振り向くなり大きく目を見開いた。
ただでさえ日頃から憧れていた姫様が、純白の翼をつけたお姿で立っているのだから無理もない。
「これはエセル様。なんと……なんとお美しい……!」
感極まった彼は、挨拶も忘れて大股で近づきながら賛美した。
「噂には聞いておりましたが、なんというみごとな翼でしょう。まさに天つ御使い様。このカシム、女王陛下をはじめとする王家の皆様の麗しさには常に心打たれておりますが、いまほど感動したことは……!」
「ありがとう、それはそうとカシムさん」
姫君は若干身体を引きながら、果敢にも話題を変えようとした。
「ドーミエの討伐に行ったと聞いていました。帰ってきたのね」
「はっ、討伐を無事に終え、後処理もつつがなく終了して本日帰還いたしました。いま、お城のかたがたにもご報告したところです」
「お役目、お疲れ様でした」
「いえ、疲れはすべて吹き飛びました!」
「そ、それはよかったわ……ところで教えてほしいの。ドーミエの村人たちはどうなったの? まさか討伐されてしまったんじゃないわよね? ラキスは……ラキスは無事なの? 捕まってひどい目に合ってるんじゃないかと思うと、わたし心配で」
問いかけはじめると止まらなくなった。エセルは今日まで、ドーミエで起きた大騒動の顛末を、何ひとつ聞いていなかったのだ。
村に押しかけてきた警備隊と、反転して魔物になってしまった村人たち。地下から上がってきたヴィーヴルの群れ。
あの日、乱闘のさなかにエセルだけが、守護聖獣の力によってマリスターク領主館まで連れ戻された。
その後すぐ、女王が都に引き上げることを決断。王族全員で帰城したあとは、マリスターク側から王城当ての報告が上がるのを待つ以外、どうすることもできなかったのである。
ところが、よほどあちらが混乱しているのか、使者はなかなかやってこない。片道二日はかかるから仕方ないかもしれないが、何も得られない状態で、もう五日目も終わりかけている。
エセルのほうは、疲労のあまりしばらく寝込んでしまい、起きてからも翼のおかげで人に会う気にはなれなかった。
それでますます情報が入らなかったのだが、カシム隊がドーミエに加勢にまわったという話だけは伝え聞いていたので、いま思わず呼び止めたのだった。
一方のカシムは、姫の質問に当惑していた。カシムにしてみれば、マリスタークで結婚するはずだった姫が、なぜいまさら半魔を気にするのか、さっぱりわからない。
「ラキス……ですか?」
「ええ、ラキスよ。捕縛されたのを見たのが最後なの」
「ああ……ええと、たしかに捕縛されました。そして投獄されて独房に」
エセル姫が両手で口元をおおってうめく。
「投獄……!」
「あ、いやしかし、その後仮出獄して討伐に」
「討伐……!」
「あ、いやしかし、もう釈放されています。恩赦があったとのことで」
「恩赦!」
エセルの声が高くなる。なぜ恩赦なのと詰め寄られ、討伐で功績をあげたからだとカシムが答えた。エセルが大きくうなずいた。
「活躍したのね。あの人、強いもの。当然だわ」
カシムは困惑しきって姫君をみつめた。
アーモンド形の茶色い瞳が、喜びできらきら輝いている。聖なる白い両翼までが、こころなしか光を増して、本当に聖堂にある御使い様の絵姿のようだ。
そんな姿を見ていると、どうしても感想を呟かずにはいられなかった。
「両極にあるとはこのことですな……」
「え?」
「ラキス・フォルトと姫様ですよ。彼は……仰るとおり実に強かったですが」
「ですが?」
「正直申し上げて、あれが人間だとは……」
ヴィーヴルの背に乗り、上空で自在に闘っていた半魔。最初はまたがって剣を振っていたが、最後には仁王立ちしていた。
黒翼があるから落ちても平気なのだろうが、地上で見上げる側にとっては、ありえないとしか言いようがない。二対の翼を持つ新種の魔物に思えてしまうほどだった。
「そんなこと」
抗議しようとしたエセルの声は、通路から小走りに寄ってきた侍女によってさえぎられた。
「エセル様、こちらにいらしたんですね」
侍女は、城内をうろうろしている姫君をさがしていたらしい。
「女王陛下からお話があるそうです。リデル様たちとご一緒にお集まりくださいとのことでした」
カシム副長はエセル姫に怒られる事態をまぬがれた。姫君は侍女とともに、急ぎ足でその場を離れていった。