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噂の護衛がディーとレマ本人だったとしても、仕事中に面会できるかどうかはわからない。
だが、アレイたちはとりあえず、彼らが泊まっているという貴族御用達の宿まで行ってみるつもりだった。
吟遊詩人のいる通りを離れ、今度は白い鳩の看板や飾りものが目につく通りを選んで歩いていく。この道沿いに宿があると聞いていたからだ。
鳩通りに足を止めさせるような歌い手はいなかったが、かわりに食べ物の屋台が多く、焼き立ての棒付きパンや肉詰めパイのいい匂いが、通行人たちを誘っていた。
アレイは匂いにつられて思わずそちらに移動したが、財布を出す前にグリンナの声が耳に入った。誰かに話しかけているようだ。
「まあ、あんたたち、まだいたの? また捕まっちゃうわよ」
振り向いてみると、グリンナが話しかけているのは人ではなかった。
彼女の視線の先には、細長い薄羽をひらめかせたものが、ふわふわと浮かんでいる。
エルフだ。それも二人。
妖精たちの長い金髪と薄い衣が、そよ風を含んでやさしく揺れていた。
「へえ、なついてくれたのかな」
アレイがグリンナのそばに戻ると、めずらしそうに呟いた。
「それとも、何かお礼でもしてくれるとか」
「それはないでしょ。単にわたしのこと気に入ったのよ、美人だから」
「きみじゃなくて、ぼくを気に入ったんだろ。助けたのはぼくだ」
アレイは今朝早く、中年男に捕らえられていたエルフたちを偶然見かけて、救出したのだった。
小さくて動きのすばやいエルフは、普通なら人の手で捕まえるのは難しい。
ただ明け方だけは動作が鈍く、朝露を浴びてうっとりしている姿などを、草地などでたまに見かけることがある。
男は、そんな起き抜けの妖精に、網をかけて捕らえたのだろう。
そして、持ってきた鳥かごに押し込み、入り口の戸を針金でしっかり縛った。もちろん祭りの見せ物として利用するために。
彼は町民ではなく、服装からして曲芸団の一員のようだった。
エルフというのは、人間でも動物でもなく、かといって聖獣とも魔物ともつかない不思議な存在だ。
この世には人知を超えたものが多々あり、そういうもののひとつに数えられているのだが、そのわりには日常に馴染んでいるので、美しい蝶と同じだと思っている人も多い。
ただし、だからといってエルフに虫取り網をかけようとする者は、ほとんどいない。やはり、どこかに聖性を感じるからだろう。
そのエルフが二人も鳥かごに閉じ込められ、出たがってパタパタ動いている。さわやかな早朝には、まったくふさわしくない光景だ。
それゆえ、アレイは素早く行動に移った。
まず男に近づき、挨拶がてら鳥かごを奪い取った。それから、少し離れたところにいたグリンナのそばまで行き、彼女にかごを手渡した。
ついで、叫びはじめた男に向き直りざま、腰に下げていた剣の柄に手をかけてすごんで見せた。
男があっというまに逃げ出したため、エルフ救出活動もあっというまに終了した。
実際に剣を抜くつもりはなく、脅してみせただけだ。抜いたら、その剣が人間は斬れない剣であることがわかってしまう。
水晶のように透き通った剣身の中に、消えない炎の芯を宿す魔法剣。
一見いかにも甘そうな若者であっても、まだ第五座の下っ端であっても、アレイはステラ・フィデリスの使い手だった。
それはグリンナにしても同じで、どんなに軽い雰囲気であっても、チュニックにズボン、ブーツ、そして剣帯に剣をさげた姿がただの町娘であるわけはない。
場慣れしていない曲芸師など、本気で睨めばすぐに追い払うことができる。
彼らにとって、エルフたちを助けることは、とてもたやすい作業だった。
けれど、かごから出してもらったエルフたちは、意外にも多少の恩を感じたらしい。妖精にはめずらしく、しばらくの間、使い手たちのあとにくっついてふわふわ宙を舞っていた。
その後、見えなくなったので、もう飽きたのだろうと思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。
「ついてくるのはいいけど、ちょっとめんどくさいよな」
肩にとまろうとしたエルフを、軽く手を振って追い払いながら、アレイがぼやいた。
「そうよね」
同意したグリンナが、自分の腕に寄ってきたもうひとりのエルフを払いのけながら言ってきかせる。
「いい? あんたたち、わたしとアレイはちゃんと口で話すから、交信はしないでね。勝手に伝えたりしたら怒るわよ……あっ」
急に何かを思いついたらしく、グリンナの瞳が輝いた。
「そうだわ、いいこと思いついた。あのね、人を探してほしいの。ディークリート・ローデルク。彼をみつけてほしいのよ」
小首をかしげた妖精を、グリンナは掌にすくいあげた。それから、ディーの端正な顔立ち、胸にかかる程度の長髪、すらりと高い立ち姿を鮮明に思い浮かべた。
エルフがディーのところに行ってくれれば、彼と会話できるかもしれない。レマでもいいのだが、二人分を伝えると混乱するだろうから、そちらはやめておいた。
心に思った声を相手に伝えるというエルフの能力を、グリンナもアレイもよく知っていた。子どものころ、カザルスの果樹園で交信をして遊んだ経験があったからだ。
うまくいくかどうかは疑問だったが、妖精たちの態度を見るに、意図はわかってくれたようだ。飛んでいったのは一人だけ、もう一人はこちらにちゃんと残ってくれている。
ディーをみつけたときは、残っているほうの妖精がそれを教えてくれるだろう。
そういうわけで、ディークリートの宿屋まで行くという手間を省いた使い手たちは、あまった時間で散策を楽しむことにした。
あちこちの屋台を比較し、塩辛い食べ物がいいか、甘いお菓子がいいか言い合いながら進んでいく。
だが、いくつかの角を曲がったところで、頭上を飛んでいたエルフが、いきなりグリンナの長い髪を引っ張った。
交信の合図かと思ったが、どうやら違うようだ。ぐいぐい引っ張り、さらに奥まった細い路地の方向へと彼女を連れていく。
屋台が並ぶには狭すぎる、日陰の裏道だ。
わけがわからないながらも、グリンナは逆らわなかった。何か見せたいものでもあるんだろうと思ったからだ。
そしてそれは、ほどなく視界の先にあらわれた。
祭りの喧騒から切り離されたような道の端で、つながれた犬が悲しげにキャンキャン鳴いていた。
「あいつ……」
後ろからついてきたアレイが、顔をしかめて剣呑な声を出した。
犬が鳴いていた理由は、そばに立つ酔っ払いに棒で叩かれていたからだ。そしてその酔っ払いが誰かといえば、今朝がたエルフたちを鳥かごに閉じ込めていた、曲芸師の中年男だったのである。
「やめなさいよ。なんで叩いたりするの」
驚いたグリンナが、走り寄ると男の振り上げた棒をつかんだ。赤ら顔をさらに赤くして、男がわめき返す。
「また、おまえらか。おまえらがエルフを逃がしたせいで、おれの今日の出番はなしだ」
「だから?」
と、こちらは静かな怒りを放出させながら、アレイが彼をにらみつけた。
「それと犬をいじめるのと、なんの関係がある。八つ当たりはやめろよ」
朝であれば、この眼力だけで男は態度を変えただろう。だがいまは、大量の酒が男の判断力を奪っている。足元には、空になった安酒の瓶がころがっていた。
虹祭りは聖なる祭り、神に感謝し、日々の喜びを人々が確かめあう祝祭だ。
しかし、どんな祝祭でもそうであるように、集まる人々のすべてが同じ目的を持っているわけではない。
特に、各地からやってくる商売人たちの一部には、残念ながら不埒な輩が混じっていることもあるのだ。
「その犬は、曲芸団の荷馬車にずっと紛れ込んでやがったんだよ」
と、呂律のあやしい口調で男が犬を指さした。
首にひもを巻かれ、近くの杭につながれた犬は、濡れそぼるような灰色の毛並みをふるわせ丸くなっている。
「ただで旅して、荷馬車の中の食糧まで食ってたんだ。おれがみつけて引きずり出した。だから、いまはお仕置き中……こら、何をする」
説明を聞く気をなくしたグリンナが、杭に結ばれた紐をさっさとはずした。
犬は自由を取り戻し、はじかれたように走り出す。
ところが、はじかれたのは男も同じだった。
さすが曲芸師というべきか。浴びるほど酒を呑んでも、芸の腕だけは損なわれていなかったらしい。
「待ちやがれ!」
男は落ちていた酒瓶をつかむと、犬めがけてそれを投げつけた。
振りまわされて遠心力のついた瓶が、走っていく犬の頭を直撃する。
犬の身体がもんどり打って跳ね上がり、直後、地面に落ちた──落ちたのだが、しかし倒れたわけではなかった。
脳天が割れているのに立っている。しかも、ふたつに割れたわけではない。
曲芸師が自分の腕前を誇る余裕は、まったくなかった。
アレイとグリンナも、あまりに予想外な光景に声を忘れた。
犬の頭は三つに割れていた。というより分岐していた。
ひとつの首から三つの頭部。三つの顔、三つの口、三対の輝く瞳。
それが、先ほどの怯えた様子をすべて捨て去り、獰猛な表情もあらわにこちらをねめつけている。
直後、今度は胴体が分岐した。粘土でできた身体が裂けていくように、三つの頭は三体の魔物へと、またたくまに変化を遂げた。
お読みいただき、ありがとうございます。
でもメインキャラが今回も全然出てこないし……しかもこの展開……皆さま大丈夫でしょうか。ついてきてくださってますか……?(震え)
エセルたちをお待ちくださってた方々、すみません。次回は出てきます。
ええと、次回は短くて(だから早く書けるはず)、その次の回ががっつり長文の予定です。
アレイとグリンナはディーの友達枠で、少年時代の前日譚で出てくるんですが、それを書いていないため、読み手にとってはよく知らない人たちがなんかやってるってことに……。
ああ、すみません。でもストーリーには影響ないので、このまま進めさせていただきます……。
がんばって書いてますので、今後もよろしくお願いいたします。
あっ、エルフの能力については、前日譚のこちらをどうぞです。
『妖精交信』
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