27
翌日の午前中、アルヴァン一行は予定通りルーシャから出立していった。
エセル姫を都に連れ帰るつもりだったため、アルヴァンは当初から馬車を用意していた。その馬車に彼と姫君が乗り込み、ラキスとディー、レマは馬で護衛の位置についている。
ほかに供の者が何人かいたが、きのうアルヴァンが支援部隊を引き連れて登場したときに較べれば、今日の人数はずいぶん少なかった。
その少人数を見送るために、村の出口には大勢の村人たちが集まっていた。
皆、口々にお礼を言ったり手を振ったりしながら、急な別れを惜しんでいる。姫君も次期王配も、村を助けに来てくれた救世主だったから、誰にとっても名残惜しかったのだ。
ただ次期王配はともかく姫のほうは、祭りが終わったらすぐ村に戻ってくると、当然のような口調で話していた。
だから、半数の村人たちはそれを信じていたのだが、あとの半数はかなり懐疑的だった。この村が姫君にふさわしい居場所だとは、あまり思えなかったのだ。
と、最前列で大きく手を振っていた村長が、急に素っ頓狂な声をあげた。
「はて? そういえばエセル様は……」
周囲の人々が怪訝そうに注目すると、高齢の村長はとまどったように続けた。
「いま思い出したんじゃが、エセル様はどこだかで結婚されたと聞いたような……」
老人の突拍子もない、そして今更な発言に村人たちが失笑する。
「そんなわけないだろ、村長」
「急に何を言い出すのさ」
「い、いやしかし、こないだの寄合でそんな話が出た気がして……聞き違いかねえ……」
結婚式は中断したので、実際のところ姫君は結婚していない。だが、辺鄙な村に情報が届くのは遅かったし不正確だったのだ。
「聞き違いに決まってるよ」
「結婚してたら、こんなとこまで来るのは無理でしょ」
「しっかりしとくれ。村を立て直すのはこれからが本番なんだからさ」
「頼りにしてるよ、村長」
首をひねっている村長をかこんで、村人たちは好き勝手にわいわいと言い合った。
ティノは、遠ざかっていく次期王配の一行を、皆とは少し離れたところから眺めていた。
熱はもうすっかり下がり、以前通りの体調を取り戻している。たくさん寝たおかげで、前よりも元気なくらいだ。
だが家族におとなしくしているよう釘を刺されたため、人ごみに加わるのは自粛している最中だった。
エセルとは今朝顔を合わせたが、彼女は元気そうなティノに満足したらしく、すぐに宿から出て行ってしまった。また村に戻ると言っていたから、長い挨拶は不要だと思ったのだろう。
ティノはお姫様の笑顔を思い返してから、その後やって来た訪問者の言葉に思いを馳せた。
訪問者はアルヴァン卿だった。といっても、ティノはそのときまで彼を見たことがなかったので、非常に素直な質問を口にした。
「おじさん、誰?」
貫禄があり、いかにもお金持ちそうな貴族の雰囲気をまとった男性。どう見ても年長だから、呼び方といえばこれだろう。
相手は若干長い間を取った。それから忍耐強くほほえんで答えた。
「おじさんはね、リデルライナ姫の婚約者だよ。知ってるかな、リデル姫。エセル姫のお姉さんなんだが」
エセルの姉……つまり第一王女様!
仰天したティノはすごい勢いであやまったが、婚約者は意に介さず、逆にティノに対して丁寧な礼を述べはじめた。
何かと思えば、エセル姫が丘に登ったとき、道案内をしてくれたことに対する礼だった。
話は全部聞いている。この村に来たら、案内役の少年にぜひとも会って礼が言いたかったのだという。
ティノはまたも驚いた。こんなにえらい人が、自分みたいな半魔の子どもに会いに来て、しかも感謝してくれるなんて……。
だが、驚きはそこで終わらなかった。
アルヴァンは、さらに意外なことを言いはじめたのだ。
「実はね、きみに会いたがっている方々が、わたしのほかにもいらっしゃるんだ。リデル様とセレナ様だよ」
「え……」
「お二人とも、きみに直接会ってお礼がしたいと仰っている。でも村に行くのは無理だから、きみのほうを都に招待したいと願っておいでなんだ」
もちろん村が魔物に襲われていたら、そんな悠長な願いがかなうはずはない。だから状況を見て、もしそれが許されるならという話だったのだが、いまの村の様子なら十分に可能だろう。
アルヴァン卿はそう説明すると、やさしくつけ足した。
「ただ、きみは病み上がりだから、今日はまだ動かないほうがいいね。きみだけを王城に送り届ける馬車を手配するから、あとから来るといい。虹祭りには寄れないけど、それはまあ仕方ないな」
あぜんとしたティノは、返事もできずにその話を聞いていた。
都に招待──そんな夢みたいなことが本当にあるだなんて信じられない。だからって、この人が冗談を言っているとも思えないけど。
都。お城。リデル様とセレナ様。じゃあもしかして女王様もいるのかな──あれ?
「エセルは?」
ふいに気づいて、ティノが声を上げた。
「エセル、村に戻ってくるって言ってたよ。エセルは都に行かないの?」
すると、アルヴァン卿の顔が急に深刻になった。そして声をひそめると、内緒話するように教えてくれた。
「ここだけの話だが……実は虹祭りのあと、エセル様にも都に戻っていただこうと思っている。とにかく虹祭りに行くのが先だが、向こうに着いてからなんとか説得するつもりなんだ」
ただね、と、アルヴァンは深いため息をついて続けた。
「正直に言うと難しい仕事だ。あのエセル様を説得するなんて、わたしごときにできるかどうか。支援部隊を動かすほうがはるかに楽……いやいや、そんなことを言ってはいけないんだが、しかし……」
「わかるよ」
頼りなげなアルヴァンの声に、突然ティノのしっかりした声が重なった。
「エセルを説得するのが大変なの、すごくわかるよ」
ティノの脳裏には、丘を登っている途中、お姫様に引き返してもらおうとしたときのことがよみがえっていた。
これ以上登るのは危険だからやめてほしいと、なんとか姫に伝えようとした。だが結局、無駄だったのだ。
「ティノも失敗したもん。心を決めたエセルを説得するのは、すごく大変だよ」
アルヴァンが感動したように目を見張る。
「おお、わかってくれるか少年!」
「おじさん、がんばって……!」
思いを分かち合った二人は、がっしりと手を取り合った。
その後、ティノがすんなり招待を受け入れたのは、自然な流れというものだった。
そんな経緯を経たあとで──。
どんどん小さくなっていく一行を、ティノは様々な気持ちを抱えながら見送っている。
ティノも馬車に乗るのかな。馬車って、荷台とは乗り心地が全然ちがうのかな。
とんがり耳が都に入っても、平気なのかなあ……。
一行の中に一人だけ黒翼の姿が混じっていて、騎乗している様子が目を引いた。半魔が馬に乗っていること自体がめずらしい光景だ。
だがそれも遠ざかり、やがて角を曲がって見えなくなった。
見送る少年だけでなく、むろん見送られている側も、それぞれの思いを抱えている。
一筋縄ではいかない気持ちを抱えながら、もう誰もそれを口にせず、淡々と進んでいく。
めざす目的の町へ。
タリッサへ──。