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 想像もしていなかった次期王配の依頼に、エセルとラキスは思わず顔を見合わせた。

 ふたりとも、おたがいの顔を見ないよう注意を払っていたのだが、さすがにそんなこだわりは忘れていた。


「実は、村人たちから臣下の礼の話を聞きました」

 返事をしない姫君に向けて、アルヴァンが身を乗り出した。

「皆、口をそろえて感動したと語ってくれた。そして、まるで聖堂の絵画のように美しい光景だったとさえ言っていたのです」


 アルヴァンはおだやかな態度を崩していなかったが、内心までおだやかなわけではなかった。

 彼が聞いたのは臣下の礼のことだけではない。そこに至るまでの広場の様子も報告を受け、いままでに感じたことのない焦りを覚えていた。


 アデライーダ女王の告白を聞く前だったら、ゆゆしきことだと胸を痛めただけですんだかもしれない。だが、聞いたあとのいまはちがう。

 もしかすると、この国はいま、非常によくない方向に向かっているのではないか──そんな憂慮の念を押さえることができなかった。


 女王は、半魔と呼ばれる人たちのことを冷遇しているわけではない。むしろ口ではそうした風潮を諫めて、博愛の心を説いている。

 それでも、かくしきれない何かが民衆に伝わっているかもしれないのだ。

 

「絵画のよう……」

 ラキスが呟き、視線を落とすとかすかに笑った。

「エセル姫を見れば、誰だってそう思いますよ。おれのことを言ってるわけじゃない」

「そんなことはない。きみも十分、絵画に値するよ」

 アルヴァンが即座に言ったが、これはその場しのぎの世辞ではなく、本心から出た言葉だった。


 実は、アルヴァン・コールディングは以前にもラキスに会ったことがある。

 というのも、ラキスとエセルがインキュバスから解放されたあと、ふたりを保護して王城に送り届けたのが、このアルヴァンだったからだ。


 当時まだ勇者様と呼ばれていた若者は、解放直後、天馬の上で深い眠りに入ってしまった。そのため、エセル姫は天馬をカザルス領主館に着地させて、未来の義兄に助けを求めた。

 応じたアルヴァンは馬車を出し、王城まで二人に付き添ったのである。


 件の勇者様は道中まったく目覚めなかったので、アルヴァンは彼とは一度も話をしていない。

 ただ寝顔だけはじっくり眺める時間があり──会話のかわりにできる唯一のことがそれだった──なるほど、これならエセル姫と並んでも釣り合うにちがいない、などという感想を抱いた。

 そして、目をあけたところもぜひ見てみたいと思ったのだが、あいにく彼は王城に到着後も熟睡していて、アルヴァンの願いはかなわなかった。


 その願いがやっとかなったいま、アルヴァンは、人が目をひらいたときの威力というものをまざまざと感じている。

 聖劇の舞台に、この若者はさぞ映えることだろう。異形の黒翼とこの国ではめずらしい緑の瞳があってさえ、その評価は揺らぐものではなかった。


「きみが聖劇に登場すれば、誰もが釘付けになるよ。わたしが保証する。いきなり劇などと言われて驚いただろうが、台詞はないし、ごく簡単な動作をするだけだ。臣下の礼と同じように思ってくれれば」


 それから、エセル姫に向き直ると言葉を続けた。

「姫様、カザルスとタリッサは近いので、わたしは虹祭りに何度も招待されています。聖堂関係者たちとは懇意ですし、劇の制作過程を見学させてもらったこともある。わたしが主旨を話せば、彼らは協力してくれるでしょう」

「アルヴァン様。でも……」

「協力してもらえるように話すのが、わたしの務めだと思っています。劇を成功させることも、無論。賛同していただけないでしょうか」


 エセル姫は、大きく瞳を見開いてアルヴァンの顔をみつめていた。未来の義兄が言っている真の意味を理解したからだ。

 ラキスにも、黙って聞いているディーやレマにもわからないだろう。

 けれどエセルだけは知っている。大聖堂で採用されている説をくつがえすような試みを、女王がけして喜ばないことを。

 これはアデライーダ女王に対する、いわば反旗なのだ。


「……賛同するわ」

 エセル姫が、こわばった表情のままうなずいた。

「もともとのお話を、生粋の人たちが捻じ曲げて伝えたということでしょう。それなら、もとの正しいかたちに戻したいわ。それがせめてもの誠意だと思うの。でも」

 姫君の声に、ためらいの響きが混じる。

「もちろんラキスが……引き受けてくれればの話だけど……」


 実行すれば、否応なく大勢の人々の目にさらされることになる。

 たとえ聖劇であっても、結局のところ見世物だ。好意的な反応ばかりではないにちがいない。

 そして反感が上がったとき矢面に立つのは、エセルではなく、まちがいなくラキスなのだ。


 アルヴァンは息を吸い込んだ。断られても文句は言えない、むしろ断って当然だ。そう思っていたが、それでもどうにかして説得するつもりで、腹に力を入れて語り出そうとした。

 だが、口をひらこうとした瞬間にラキスが言った。

「わかりました。お引き受けします」


 アルヴァンは思わずぽかんとしたし、ほかの三人も同様だった。

「ただし虹祭りの一回だけです。それ以外はお受けできません」

「も、もちろんだ。どのみち、タリッサまで移動して打ち合わせ後に実行するとなれば、最終日の一回くらいしか間に合わない」

「では、それで」

 驚くほど淡々とした口調で、ラキスが応じた。それから次期王配をじっとみつめると、軽く頭を下げた。

「半魔のことを思ってくださっているんですね。感謝します」


 予想外の謝辞を受けた次期王配は、柄にもなく狼狽したためすぐに返事をしなかった。その間にラキスはエセル姫のほうを向き、これも予想外の言葉を投げかけた。

「ひとつ聞いておきたいんだけど。エデ様の翼……っていうんだっけ。それは何かの加護がある?」

「え?」

「あるよな? たとえばエセルが危険なめにあったとき守ってくれるとか、怪我をしたら治してくれるとか」


 エセルとアルヴァンの真意をラキスが知らなかったように、エセルたちもラキスの真意をつかむことができなかった。

 それで、反感を持った観客たちのことを心配しているのかと思ったのだが、彼の懸念はそういうものとはちがっていた。


 ラキスが言った危険とは、彼自身のことだった。

 タリッサまで移動して催し物に出るとなれば、かなりの時間エセルと接近していなければならない。

 その間に、万が一にも自分の身に変化があったら。とんでもないところで反転して、エセルを傷つけることになってしまったら。

 

 いまの自分の体感では、大きな変化はまだ来ないと、確信とは言えないにせよ感じることができている。

 だからこそ引き受ける気になったのだが、やはり問いかけずにはいられない。そこまで心配しなくても、エデ様の力があるなら大丈夫なのだろうが──。


 ところが、エセル姫の答えは意表をついたものだった。

「まあ、そんな加護は特にないわ」

「ない?」

「ええ」

「全然?」

「もちろん全然」


 部屋にはしばし、奇妙な沈黙が落ちた。それを破り、いきなりレマの声が響いた。

「全然ですか?」

 思わず乗り出してしまってから、あわてて片手で口を押える。

「すみません、つい。当然あると思っていたので……」


 レマはゆうべ、軟膏づくりを終えたお姫様から翼を見せてもらっていた。そしてその神々しさに打たれ、何かのまもりがあるだろうとごく自然に考えていたのだ。

 そう考えたのは彼女だけではなく、アルヴァンまでが目を見張り、とまどった声で問いかけた。

「エデ様の翼というのは、つまりその……リンドドレイク様からの授かりものなのでしょう? なのに全然加護がないなんて、どうして。少しはあってもいいと思うのですが……」


「どうしてって」

 不思議そうに繰り返した姫君が、彼女にとっては当然の事実を皆に教える。

「命はみんな平等だからよ。リンディ様は公平でいらっしゃるの。王女であっても特別扱いなさったりしないわ」


 姫君の返答を前にして、一同はまたもや黙り込んだ。

 いま、ひどく神聖なことを聞いた気がする。するのだが、しかし釈然としない気もするような。あの美しい両翼が、まさかの飾りだとは……。


「わかった……注意する」

 と、気を呑まれたような声でラキスが言った。アルヴァンも大きくうなずいた。

「警備は厳重にしよう」

 それからレマのほうを向くと、体勢を立て直して話しかけた。


「ということで、きみたちに来てもらったのはほかでもない、エセル様の警護を頼みたいのだ。特に聖劇の最中や終わったあと、乱暴者が出てこないとも限らないから、そこをぜひお願いしたい。それに」

 いったん言葉を切ると、少し言いにくそうに続ける。

「こういう状況なので侍女がいなくてね。女性がついていてくれると、大変助かる。ステラ・フィデリスの使い手にこんなことを頼むのは、実に申し訳ないが……」


 自分のことは自分でできるわ、とお姫様が言ったが、顔にはほっとした笑みが浮かんでいる。侍女はともかく、気に入っている女剣士が来てくれることがうれしかったのだ。

 お受けします、とレマもすぐに答えた。

「エセル様のお世話でしたら、喜んで。それに、タリッサの虹祭りには行ったことがないので興味がありますわ」

 そして相棒のほうを向くと、軽い口調で同意を求めた。

「そうよね、ディー?」


 どこかぼんやりとテーブルを見ていたディークリートが、はっとして顔を上げた。

 だが返事をしなかったので、一同の視線が彼に注がれることになった。

「もしかして反対かい?」

 と、アルヴァンが若干不安そうにたずねる。

「聖劇に賛成できないなら、もう少し説明を」

「いいえ、賛成です」

 これは即座にディーが答えた。そのあと再びが空いたが、次に出てきた声はしっかりしたものだった。

「失礼しました。護衛の件は承知です」

 

 今度はアルヴァンがほっとしたようにほほえんだ。

 エセル姫に気に入られ、かつラキスとも親しい間柄である使い手ふたりの存在は、アルヴァンにとっても心強いものだったのだ。


 こうして、ようやく態勢がととのい、食堂での話し合いは終わりを迎えた。   

 出発は明日の午前中に。それに向けて、それぞれが準備に入らなければならなかった。




アルヴァンが二人を馬車で王城に運んだ件は、第一部「8」に書かれています(投稿日は2017年2月です……汗)


アルヴァンですが、エセルとコンラートの結婚式には出席していない設定でした。出席してたら、そこでラキスを見てたんだけど。

カザルスとマリスタークは都をはさんで真逆の位置、結婚式も急だったので、わざわざ来るのも大変だから招待しなかった……と、書いた当時は思ったんですが(アルヴァンは第三部ではじめて出てくるイメージだったせいもあり)、いま考えるとどうなんでしょう。出席してないとおかしいかな。

といってもいまは直せないので、完結してから考えます……。


いつもありがとうございます!


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― 新着の感想 ―
ここまで読ませていただきました。方舟伝説から聖劇、半魔のことへと、展開から目が離せません。タリッサへ向かうことは、この世界にとっても意義あることになりそうですね。アルヴァンの第一部の場面も、改めて読ま…
更新ありがとうございます! >もしかすると、この国はいま、非常によくない方向に向かっているのではないか さすが次期王配ですね。アルヴァン様が支えてくれれば、リデル姫の治世は安泰だな~という気がしま…
わーい! ラキスが承諾してくれたー! それにしてもアルヴァンの堅実感がすごく素敵です。 次期王配としての状況を見据えた視野の広さと、それを踏まえたうえでの次の一手を繰り出す頭の回転の速さといった賢明さ…
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