23
タリッサというのは、ルーシャから馬車で一日半ほど移動したところにある、こじんまりした町だ。
小さくても町としての歴史は古く、地方の祝祭のひとつである虹祭りの開催地として知られている。
その虹祭りの初日が、ちょうど今日に当たっていた。
創星の神をことほぎ、日々の暮らしに感謝をささげて皆で祝う、虹祭り。各地から人々が集まり、小さな町はその期間だけ、都のようにはなやかな場所に変わる。
ルーシャが災難に見舞われているさなかであっても、タリッサは例年通りのにぎわいを見せていることだろう。
そんなところで、いったい何を──。
エセルが問い返そうとしたが、アルヴァンはその場で説明することはしなかった。施療院の院長がふたりに近づいてきたし、立ち話ですむことでもなかったからだ。
それに、姫以外の者たちにも聞いてもらわなければいけない。説明するには、あらたな場所と時間が必要だった。
その日の午後。
アルヴァン・コールディングのもとには、彼の求めに応じた四人が集まっていた。
エセルとラキス、そしてディーとレマだ。
適当な場所もなかったため、休業中の宿の食堂が、人払いしたうえで使われている。
長方形のテーブル席で顔を合わせた彼らは、次期王配が何を言い出すのかと、みな緊張した面持ちだった。
もっとも、緊張の理由はそればかりではない。臣下の礼以来、目も合わせずに過ごしていたエセルとラキスは、真向かいの席という近距離でそれぞれ身体を固くしていた。
エセル姫の翼は、いまはもちろん引っ込められている。一方ラキスの翼はあいにく引っ込まなかったため、ひとりだけ背もたれのない丸椅子だ。
ふたりとも、ほかならぬ次期王配の依頼でこの席についているのだが、一刻も早く用件を終わらせてほしい心境だった。
一方、ディーとレマはそこまで緊張していなかったが、なぜ自分たちが同席を求められたのかさっぱりわからなかったので、落ち着かない気分だった。
まさか、この場の雰囲気をやわらげる役目を期待されているとか? そんなお役目は辞退したいところだが……。
と、このように気が散っていた四人だが、次期王配が短い挨拶と雑談のあとに本題を切り出したときは、全員が集中して同じことを考えた。
明日タリッサの町に向かうから、四人とも自分についてきてほしい──そんなことを急に言われて、すぐに承諾できるはずがない。
「アルヴァン様、わたしタリッサになんて行けないわ」
事前に多少知らされていたエセルが、正直な気持ちを口にした。都に帰ることを断ったときほどではないものの、やはり言わずにはいられなかったのだ。
「ルーシャが大変なときに、お祭りに行くなんてできないわ。支援部隊のおかげで復興は進んでいるけど、魔物だっていつまた戻ってくるかわからないんだし……」
「それについては」
と、アルヴァンがおだやかな声音を返した。
「どうやら心配しなくてもいいようです。討伐隊と炎の使い手たち双方が、ペルーダの群れは戻らないだろうと言っていますので……きみたち、そうだね?」
急に視線を向けられて、使い手たちが背筋を伸ばす。ディーがうなずいて答えた。
「はい。今回の件はペルーダの分封によるもので、ルーシャは運悪くその通り道に当たったと思っています」
姫君が聞きなれない言葉に首をかしげたので、補足する。
「ある種の魔物たちには、群れで棲み処を変える時期があるんです。今回のペルーダもそうだったのではないかと。分封という言葉が適切かどうかわかりませんが、似たようなものなのでそう呼ばれていますね」
エセルがさらに首をかしげると、それまで黙っていたラキスがふっと口をひらいた。
「ミツバチの分封は知っている?」
「ミツバチ……いいえ」
「ひとつの巣の中で新しい女王バチが誕生すると、いままでの女王が働きバチの一部を連れて移動するんだ。すごい数のハチたちが、新しい巣をさがして一斉に飛び回る。時期もちょうど今頃かな」
自分から話しかけてしまったことに気づいたらしく、彼は急に口をつぐんだ。ディーが再び話を引き取り、説明を続けた。
ペルーダに女王バチのような存在がいるかどうかはわからない。だが、ルーシャでの様子を考えてみると、人を襲うためではなく単に移動途中だったと思うほうが理解しやすい。
ミツバチの場合、大移動の前にいくらかの雄バチたちが、先触れのように飛ぶそうだ。
ルーシャでも、今回の騒動前に何体かのペルーダがあらわれたという話だが、それが先触れだったのではないか。
そして、その先触れ役がたまたま羊か何かを襲ってしまったため、おかしな道筋ができてしまったのではないか。
一昨日、村にあらわれたのは、その道筋に入ってしまった数体だったのだ。
ペルーダの大移動は本来、地下深くでおこなわれる。したがって、今回地上で数体が走り回っているとき、実は地下でも大群が移動していたはずだ。
移動先はおそらく、大群を受け入れてなおありあまる場所──はるか北方にひろがる大森林だろう。
地上の数体も、最後には全部が北に頭を向けて地にもぐっていってしまった。誰も追いかけてこないよう、置き土産の炎を残して──。
「そうなの……」
エセルが呟き、安堵のために深く息を吐き出した。
魔法剣を操る三人と、博識な次期王配。彼らがみな同じ意見で、ルーシャは大丈夫だと考えているなら、きっと本当に大丈夫なのだ。
よかった。本当によかった……!
でも……。
「それでも、だからといってお祭りに行きたいとは思わないわ、アルヴァン様」
ようやく最初の話題に戻った姫君が、真剣なまなざしを次期王配に向けた。
「それならなおのこと、ここにいてお手伝いをしたいと思うの。タリッサなんて……」
そこで急に思い当たる。
「あ、もしかして募金の呼びかけをしてもらいたいということ? そういうことなら」
「ちがいますよ」
勤労意欲に満ちたお姫様に、アルヴァンが苦笑した。それからふいに、いままでの魔物の話とは正反対の、聖性に属する話を持ち出した。
「ところで姫様は、虹祭りの由来をご存じですか?」
「もちろんよ」
と、エセルがうなずく。
ペルーダのこともミツバチの分封のことも門外漢だが、レントリア各地でひらかれている祝祭のことなら守備範囲だ。
「方舟伝説でしょう。聖書にくわしく載っているし、聖劇でも人気の演目ね」
「そうですよね」
アルヴァンがうなずき、意味ありげにほほえんだ。