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 まず黒翼が生えて、それから瞳の色がはしばみから完全な緑に変わった。それだけでも十分すぎると思ったが、あいにくまだ足りなかったらしい。

 左脇腹だけだった銀鱗の範囲が、徐々に広がってきている。左半身の背中から肩甲骨の上、そして肩へ、肩先へと──。


「あんたたちが使い手でよかったよ」

 と、ラキスが苦笑した。

「逃げ出さずに聞いてくれるもんな。証拠、見る? 背中って自分じゃ見えないんだけど、間違いないと思う」


 炎の使い手たちは、ふたりとも絶句していた。

 相手が嘘をついていないことは、見るまでもなくわかる。剣の中の炎が、反転という言葉の真実味を持ち主たちに教えていた。


「いつから……」

 ようやくディーが問いかけると、大討伐の日の夜からだとラキスが答えた。

「レヴィアタンの呼気をさんざん浴びたから、魔性が我慢できなくなったのかな。おれにもよくわからないよ。だが何にしても──」

 緑色の双眸が、まっすぐレマのほうに向けられた。

「こんな状態でエセルのそばにいることはできない。これで納得しただろ」


「は……反転しているのはいまだけよ。きっと途中で止まるわ」

 動揺したレマが早口で言うと、ラキスは否定せずにうなずいた。

「そうだな。もしかすると」

 続いてディーが呟いた。

「もとに戻るかもしれない。ドーミエのジンクたちは一斉にもとに戻った」

「そうだな。もしかすると」

 ラキスはこれにもうなずいたが、すぐにきびしい目つきになった。

「だが、たとえそうだとしても。いつ魔物に変わるかもしれない男が、姫とともに生きることはできない。反転の可能性がわずかでもある時点で、失格だ」


 レマは気圧されたように黙り込んだ。しかし肯定したくなかったため、別の質問をすることで反論しようとした。

「エセル様には話したの?」

「……いや」

「話すべきよ。ディーから教えてもらったけど、あなたがインキュバスに同化していたとき、エセル様は自分から内部に入ってきてくれたんでしょ?」

「……」

「そこまで強くあなたを思っているんだもの。話せば必ず受け入れてくれる。逃げ出したりなんかしないわ」


「だからだよ!」

 ふいにラキスが、我慢しかねたように声を荒げた。

「だから余計、駄目なんだ。逃げてくれるならいい。でも逃げずに飛び込んでくる姫だから、おれのほうから離れなきゃいけないんだ。じゃないと、また──」

 気持ちの高ぶりに揺さぶられて、声がふるえた。


 反転を自覚してからというものの、ラキスは何度も考えたのだった。インキュバスの中にエセル姫が呑み込まれた、その瞬間のことを。

 だが、どれだけ考えても思い出せなかった。

 魔物に同化していたとき少しでも正常な意識があれば、呑み込むのを阻止しようとしたはずだ。けれど自分は、身も心も青灰色の闇に取り込まれてしまい、何ひとつ制御できなかった。

 だから。


「おれはまた彼女を呑み込んでしまうかもしれない。あのときは奇跡的に助かったが、奇跡なんて二度と起きない。こわいんだ。今度こそ取り返しのつかないことになると思うと。だから、そうなる前に」

「そうなる前に離れるの? ともに生きることを……エセル様が望んでも?」

 レマの問いかけに、ラキスはためらわず答えを返した。

「望んでも」


 けれどそのあと、確固とした彼の口調がふっと緩んだ。少し目を伏せ、苦い笑みを浮かべて呟く。

「でも……望まないんじゃないかな」

「え?」

「彼女、昨日から全然おれを見ないんだ。ずっと避けてる。さすがに嫌になったんじゃないかと。自分の背には純白の翼、こっちは真っ黒なうえ目の色まで変わってるんだから、嫌われても文句は言えないよ」

「そんなこと……」


 本当はエセルにも全部打ち明け、そのうえで別れを言うつもりだったのだとラキスは続けた。だが、いまはもう、打ち明ける必要はないと思っている。わざわざ話して、彼女の心をかき乱すことはない──。


「……たしかに」

 無言で昔馴染みの話を聞いていたディーが、低い声で口をはさんだ。

「その話を聞いて、それでも第三王女のそばにいろとは、おれには言えない」

「ちょっとディー」

 レマの抗議にかまわず、先を続ける。

「おまえの言うとおり、可能性があるだけでも危険だ。離れるというのはまともな判断だと思う」

 言ってから、軽くため息をついてたずねた。

「別れたあとはどうする?」


 ラキスはしゃがみこむと、散らばった樹皮や植物を手早く拾い集めた。

 籠をぶらさげ立ち上がりながら、この国を出て隣国にでも行くつもりだと告げた。

「とりあえず、ここから行きやすいのはエシアかな。ただルーシャがこんな状態だから、もう少し手伝おうとは思っている。支援部隊でも来てくれればいいんだが……」

 

 そこでディーは、支援部隊が来ることを昔馴染みに教えた。それから、人家の集まる方角に歩き出しつつ、自分たちがなぜこの村に来たのかをざっと説明した。

 昨日エセル姫に同行したあと、ディーとレマは王城内にある兵舎に泊まった。キリシュに帰るには遅い時刻だったし、姫君が別れを惜しみ、明日また話がしたいと言ってくれたからだ。


 それで言葉に甘えたのだが、今日の早朝、突然使いの者が来て、新たな契約を結びたいと言ってきた。

 雇用主は女王陛下ではなく、意外にもアルヴァン卿だった。これから魔物討伐のためルーシャに向かうから、炎の使い手たちにもぜひついてきてもらいたいという。

 急な仕事にとまどったディーたちだが、ルーシャにはすでにエセル姫が行っているはずだと聞いた以上、依頼を断る理由はなかった。

 

「援軍が来てくれるのか。よかった、見捨てられたわけじゃないんだ」

 ラキスの表情が、安堵のために明るくなった。

「誰も来てくれないんじゃないかと心配したよ。すごくいい村だから、廃村にでもなったらどうしようかと思った」

 使い手ふたりは、人の心配をしている場合かと言いたかったが、なんとかこらえた。


 柳の木々が並んだ低い場所から、傾斜のついた草むらを上がって田舎道に出ると、遠くにいくつかの民家の屋根が見えた。火災の被害は受けていない家々だ。 

 一歩先を歩いていたラキスが、ふと思いついたようにレマを振り返った。

「そうだ。マリスタークで聞いたけど、クリセダの黒魔術師を捕まえてくれたんだってな。ありがとう。礼を言うよ」


 めずらしく真正面から感謝されて、レマがまたも動揺する。

「わたしは別に……。アレイとグリンナもいたし、ディーに言われたとおりにやっただけよ。お礼ならディーに言って」

 するとラキスはディーに目を向け、その顔をじっとみつめた。それから口をひらいた。

「おまえ、なんでレマと結婚しないの?」


 礼はどうしたとディーが唸り、レマが無言で赤面した。

「もうとっくにしてると思ってたのに、まだみたいだよな。求婚してないのか」

「もちろん、している」

 真顔になってディーが答えた。

「ところが、この女が承諾しない。何がそんなに不満なんだか知らないが」

 ラキスが目を丸くしてレマを見る。

「ディーを待たせてるのか。さすがの余裕だな」


「何が余裕よ!」

 レマの声が急激に高くなった。次の言葉をさがしあぐねて、ひと呼吸おいたのち、強い口調で言いはじめた。

「いいこと思いついたわ。ラキス、あなたディーと組みなさいよ。ふたりで組んでメイデンシャイムに行けばいいんだわ」

「なんでメイデンシャイム?」

「この人、メイデンシャイムのステラに誘われてるのよ」


「へえ、引き抜きか」

 と、ラキスが再び目を丸くする。ディーがうんざりしたような声をあげた。

「何を言い出すんだ。あれは断ったって言っただろ?」

「いいえ、断ることないわ。ふたりで行けばいい。あなたたちが組めばきっと、一支部分くらい稼げるわよ。わたしは降りるわ」

 言うなり、男たちにくるりと背を向ける。小走りで進みはじめた彼女のあとを、ラキスが急いで追いかけた。

「待てよ、レマ。別に怒らなくてもいいだろ」

 レマの返事はつれなかった。

「わたしに近寄らないで! あんたを見てると切なくなるわ。こっちに来ないで」

「なんだよ、それ」

「視界に入るのもお断りよ!」

「普通そこまで言うか?」


 出遅れたディーは、恋人──彼の認識では──と黒翼の昔馴染みの後ろ姿を、突っ立ったまま眺めていた。

 それから、自分が遅れをとっていることにやっと気がつき、あわててあとを追いはじめた。

 

汐の音さまより、いただきました。ラキスです。


挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
一気読みしていたら、追いつきましたー! 心情を吐露するラキス……切ないなぁ(´;ω;`) 気持ちは分かる気がします。しますけど……ああぁぁあぁ切ない(語彙なし エセルもお母さんの心情を聞いてしまっ…
反転の可能性を思って、ラキスが身を引こうとする、その心情が切ないです。 エセルが飛び込んでくる姫だからこそ、離れなきゃならないと考えるの、やはり彼女を思っているからですよね。 レヴィアタンの呼気だとす…
ラキスの言い分は至極尤もな事だと思います。 相手の事を想えばこそ身を引く……。 ただ、レマの言い分も至極真っ当なものなのです。 ラキスの言い分は飽くまでも彼自身の見解です。 そこにエセルの気持ちは含ま…
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