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夕闇をまといつけたオークの木々の向こう側で、灯りがともりはじめるのが見えた。
ディークリートは身じろぎすると、次々に増えていくランタンの灯を目で追った。召喚の儀が終わったらしい。
となりに立っていたレマが、ひとり言のようにささやいた。
「フィーニス」
終了を意味する導の言葉だ。
少し離れた場所で、ディーたちと同じく警備を担当していた使い手が、こちらに軽く手をあげてから持ち場を離れていく。任務はこれで終了だった。
夕暮れにおこなわれるにもかかわらず、儀式の場では、できるだけランタンを使わないしきたりになっている。
大地から真の光を迎えるときに、人の手による光は不要という理由によるものだ。
もっとも警備の者たちは、式場から見えない場所に配置されているので、早い時間からそばに灯りを用意する。
炎の円環をはじめとして、召喚の儀にかかわるものはすべて円形が基本なのだが──円は星を、そして世界をあらわしている──式場を丸く取り巻く木々の外側で最後の円をつくっているのが、魔物封じの使い手たちだった。
ただ──小さく揺れる灯を見やりながら、ディーは醒めた気分で考えた。
灯りだの円だのに関することが、もともとは魔法炎に敬意を払ってのしきたりだとは知っている。でも、いまは多分そればかりではないのだろう。
厳粛な雰囲気を効果的につくり出し、ローデルク家の存在感を列席者に示すための演出、などと言ったら言い過ぎだろうか。
地の底をゆく魔法の炎は、本当はそんなことにはお構いなしのはずだ。炎自身は、円形だろうが方形だろうが興味がないにちがいない。
現にあいつは……ラキスは円環を使わず導の言葉もないままに、一人きりで炎を呼んだ。
誰の助けもない山裾の森で。まだたったの十二歳という幼さで。
そのラキスとともにドーミエで闘ってから、七日が過ぎようとしている。
沼から出てきたヴィーヴルたちを一網打尽にし、人の姿に戻れないドニーをやむなく浄化した、その後。少しはずれた場所に、まだ数体の魔物が居残っていることが判明したため、ディーや一部の兵たちはそちらの処理に追われることになった。
そして無事に完了したのだが、その間にラキスはベルターの手で領主館に連れ戻されてしまっていた。
というのも、討伐に力を尽くしたとはいえ、ラキスはまだ仮出獄中の罪人だった。
罪状は、エセルシータ姫の婚儀を妨害して姫を拉致したこと。その裁きは王家の管轄であり、功績を目の当たりにしたベルターであっても、彼を解放することはできなかったのだ。
少しは昔馴染みと話したいと思ったディーだが、機会を得るのは難しかった。
ディー自身がかわしていたマリスターク伯爵との契約も──もともとはエセル姫を警護するための雇用だった──大討伐をもって終了となっている。
結局、領主館を辞してきたベルターに同行するかたちで、ディーはそのままマリスタークを離れた。そしてキリシュまで……つまりローデルクの本家まで戻ってきたのだった。
なぜ本家かといえば、本家別棟に自分の部屋があったからだ。ここ半年ほどレマと旅に出ていたものの、彼の住所はいまだに別棟の一部屋だったのである。
王都にいたレマが、同僚たちと別れてこちらに戻ったのは二日後で、そこで久しぶりに彼らは再会した。
ドーミエでの大討伐と、コンラート・オルマンドの入れ替わり事件。どちらも驚愕するしかない内容で、かみ砕くのに苦労はしたが、ふたりともすでに事態を呑み込んでいる。
「今日召喚できたのは、一人だけだったみたいね」
魔法剣を鞘におさめながら、レマがディーに話しかけた。かつて儀式で召喚を成功させた使い手たちは、じかに見ていなくても、魔法炎の動向を感じ取ることができる。魔法の炎がお気に召した剣は、本日はたしかに一振りだけだった。
「お歴々もさぞうんざりしてるだろうな」
と、ディーが若干の皮肉交じりに応じた。
「わざわざ集まったのにご苦労なことだ」
「マドリーン様がお気の毒だわ。お身体が大変なときでしょうに」
「代行は立てないって自分で決めたんだから、大丈夫なんだろ。赤ん坊のことを考えれば休むべきだと、おれは思うけどね」
「自信がおありなのよ。炎を完全に制御できるっていう……」
レマは女性としてマドリーン寄りの言葉を返したが、ディーの気持ちもわからないでもなかった。
主座でありディーの異母姉でもあるマドリーン・ローデルクは、現在三人目の子どもを身ごもっている最中だ。
そんな身体なので自ら討伐に出ないのはもちろんなのだが、主座として一番重要な仕事は、実は闘うことではなく、炎を召喚することだった。
魔法剣の使い手が増えれば、魔物退治は自然にはかどる。使い手を増やすことが、そもそもギルドが発生した意義なのだ。
だから召喚の儀が最重要視されるのはわかるのだが、鎧をつけられない時期に入ってまで自分で立ち会おうとするのは、成立数を上げたいという焦りから来ているのかもしれない。
何にしても、第五座という下位の使い手たちには関係のない話だが、どうしてもひとこと付け加えたくなるのは、いたしかたないことだった。
「それほど使い手がほしいなら、ラキスを登録すればいいのにね……」
暮れなずむ道を、肩を並べて歩き出しながら、レマが実に納得できない様子で呟いた。
「ディー、ベルター様に言ってみた?」
「言ったぜ。こっちに帰ってくる途中で」
「それで?」
「もちろん却下。半魔を登録するなんてもってのほかだと」
取り付く島もなかった義兄の顔を思い浮かべて、ディーが苦笑する。半魔のあの活躍ぶりを見てさえそう言うのだから、筋金入りだ。
レマがあきれたようにため息をついた。
「もったいないわよね。三人分くらい働けると思うのに」
「まあな。ただ、いまのところあいつは咎人なわけだし……それに実際登録されたとして、ほかの使い手や討伐隊がやつを受け入れるかどうか……」
レマが細い眉をひそめてディーを見上げた。歯切れのいい物言いをするディーにしてはめずらしく、逡巡の気配を感じたのだ。
「外見のこと? 黒い翼が生えたって言ったわね。やっぱり相当目立つの?」
「目立つ。……いや、目立つのも問題だがそれよりも」
ディーの脳裏には、ヴィーヴルに乗りレヴィアタンに立ち向かうラキスの姿が焼き付いていた。
あの怪物を相手にして一歩も引かず、空を飛びまわる様子に、人間離れしたものを感じた兵士たちは多かっただろう。
もちろん本人は必死にやっていただけだと思うのだが、何よりも亀裂が閉じていくときに見せた態度が気にかかる。そのまま亀裂に飛び込みかねない雰囲気があったのだ。
そしてそのあと、彼が地面に降り立ち、はっきり顔が見えるくらい近づいたとき。
「──瞳の色が変わっていた」
「瞳の色?」
「ああ。緑だった。はしばみ色じゃなく」
だが──と、ディーはもうひとつの姿も思い起こした。
木に引っかかってしまったドニーを浄化したときの様子は、上空にいたときとはちがっていた。痛ましげに魔物をみつめる表情はひどく人間的で、自分自身まで傷ついたかのようだった。
だから、それほど気にしなくてもいいのかもしれないが……。
「ラキス、どうしているかしら」
レマが不安そうな声で呟くと、わずかにディーに身体を寄せた。
「平気だよ。悪運だけは強いやつだから」
「でも」
ディーは、自分の肩先にある彼女の黒髪を見下ろした。
つややかな髪を切りそろえ、皮鎧を身に着けていても、レマの持ち合わせている女らしさは損なわれていない。むしろ、なおさら引き立っているようだ。
彼女の顔をのぞきこむと、ディーはにっこりしながらこう言った。
「緑色の目もいいけど、おれはすみれ色の目が好きだな」
彼の手を軽く払いながら、レマがにっこり言葉を返した。
「藍色の目もいいけど、わたしは緑色のほうが好きかも」
藍色の瞳の彼とすみれ色の瞳の彼女は、その後、夕食は何だろうかという話題に移行した。ふたりは仕事上の相棒どうしだったが、まだ結婚しているわけではない。
レマの両親が住み込んでいる別棟の一室では、いまごろ母親が張り切って料理の支度をしているはずだ。そんな話をしながら、とりあえず両人とも食事めざして足を速めたのだった。
ええと(汗)
レマはローデルク家の使用人の娘で、家族で別棟に住み込みです。ディーとレマが出会ったのはディーが10歳のときで、そのあたりの前日譚を、本当は第三部の前に持ってくるはずでした。
が、あまりに間があいたため、先に本編を出してしまったという……。
あと数話書いたら、そっちの前日譚も書きたい(全然書いてない)という遠大な構想が……あったり……(途切れがちな声)
そして次かその次で『エシアの姫の物語』が関係してくる予定です。未読の方は先に読んでいただけると、非常に助かります……(こちらもいろいろ自信がないので小声です……)
こんな作品ですが、いつもおつきあいありがとうございます。