17
村人たちはみな、目の前の光景に魅入られたように立ち尽くしていた。
なんの前置きもなく女王を礼賛されたら、あるいは反発の声が出たかもしれない。諸手をあげて賛成できる者たちばかりではなかったからだ。
けれど、いまこの場で反感を覚える者は誰一人としていなかった。
直前のエセルシータ姫の言葉に、感銘を受けていたせいもある。けれど人々の心をつかんだのは、ただそのことばかりではない。
片膝ついて姫を見上げる半魔の若者には、純粋な敬慕の情が満ちていた。彼を見下ろす姫君の顔にも、まごうことなき慈愛があった──少なくとも村人たちの目に、ふたりの姿はそのように映り、感動せずにはいられなかったのだ。
幾人かが若者の言葉をなぞったのは、その気持ちのあらわれだったにちがいない。
「……光あれ」
期せずして同時にもれた呟きは、最初はごく小さいものだった。だがそれらは波紋のように重なりながら急速に大きくなり、老若男女を問わずひろがっていった。
「光あれ」
「アデライーダ女王の御代に」
「アデライーダ女王の御代に、光あれ!」
いつしか広場全体に唱和が響く。早朝から魔物と炎に追われ、憔悴していた人々の顔に、ようやく活気が戻りはじめていた。
その後、エセルシータ姫はにわかに忙しくなった。まずおこなったのは、騒ぎを聞いてよろけながら駆けつけた村長との対面だ。
「姫様よくぞ……よくぞこんな村に来てくださいました。しかし困ったことに、何ひとつおもてなしできず……」
高齢の村長が途中で気絶しかけたので、エセルはあわてて挨拶を中断させた。
それから、村長だけでなくこの場にいる全員に向けて、こんこんと説明しなければならなかった。
白い翼はエデ様の翼と呼ばれるもので、守護聖獣リンドドレイクの単なる気まぐれによる預かりものであること。天つ御使いに似ているがなんの関係もなく、これをつけているから立派だとか尊いとかいうことは、けしてないこと。
自分はたしかに王族だが、ここではなんの力もないのだから、普通の娘と同じように扱ってほしいこと。
もちろん敬語など使う必要はないこと──これはおもに、後ろに控えている黒翼の半魔に対して言われたものだった。
言われたほうはみな納得できない顔つきをしていたが、しぶしぶうなずいたところを見ると、どうやらわかってくれたらしい。
ありがたいことに仕事の依頼もすぐに舞い込み、エセルはほっとしながらそちらに移動していった。
移動先は広場前に建っている宿屋で、依頼人は昼からそこに詰めているという薬師だった。
宿屋はいま臨時の診療所として開放されており、怪我人たちが集まっている。ぜひ慰問して勇気づけていただけないだろうかというのだ。
村の広範囲で被害があったにもかかわらず、死者や命にかかわるほどの重傷者は幸い出ていなかった。
だが火傷した者や煙を吸って気管を痛めた者、またペルーダの群れは結果的に人を襲いはしなかったのだが、興奮した魔物にぶつかられて負傷した者もいる。
もとからある施療院だけではとても足りなかったため、宿屋一階の食堂が治療の場に当てられていた。
テーブルを片づけ椅子を並べ替えた場所で、患者たちは痛みに耐えつつ今日一日の不幸を嘆いていた。
だが、医師と村長に続いてエセルシータ姫の輝く姿があらわれると、全員が不幸を忘れてあんぐりと口をあけた。
天つ御使いのお迎えが来たのだろうか──いや、お迎えではない。目の前にいるおかたは、我々が元気になってもっともっと長生きするよう、一生懸命励ましてくださっている──。
エセルのほうは、最初は慰問など役立つだろうかと緊張していた。
包帯でぐるぐる巻きになった患者たちの姿は痛ましいの一言だったし、その包帯さえ品切れで、清潔でもなさそうな布をあてがわれている者たちもいる。薬だって全然足りていないだろう。
そんな彼らに対して自分ができることといえば、エデ様の翼という外見の力で励ますことだけなのだ。
だが実際にやってみると、その外見は、エセル自身の励ましの声と合わせて劇的な効果を発揮した。患者たちの感動は予想外の大きさで、どの顔もみるみる活力を取り戻していく。ついてきた村長や薬師も満足そうだ。
エセルは本腰を入れて慰問にあたり、ひとりひとりの患者に声をかけてまわりはじめた。
安静が必要な患者たちが二階の個室に寝かされていると聞き、そちらにもすすんで足を向ける。
各部屋を訪問して、相手が起きていれば話しかけ、寝ているなら回復を祈り……そして。
そうしている間、彼女はほとんどラキスと口をきかなかった。
口をきかなかったばかりではない。視線を合わせることさえしなかった。
どうしても、できなかったのだ。
慰問に打ち込んでいる最中にもかかわらず、エセルの心の隅では、ラキスの言葉がずっと響き続けていた。
──アデライーダ女王の御代に、光あれ。
その言葉を聴けば聴くほど、ひとつの思いが彼女の中で強くなっていく。
「申し訳ない」という思いがそれだった。
もちろんそう思うのはラキスに対してだけではなく、村人たち全員に対するものでもあった。
みんな、あんなに唱和してくれたのに。あんなに女王のことを信じてくれているのに。それなのに女王が……母が言ったことはなんだっただろう。
ルーシャでよかった。魔物に襲われて好都合だ──そう言ったのだ。
だからこそ、翼の説明にも慰問にもことさら力が入ったのはたしかである。自分にできることは絶対しなければならないと。
だが、ラキスへの思いは村人たちをはるかに上回っていたため、彼の視線を受けるのがつらいほどの心境だったのだ。
なぜなら、自分も以前、彼に対して母の言動と同じことをしたから。
真冬の天幕で彼の素肌を見たとき、ためらいもなくあとずさったから。闘いに赴く彼を、振り向くことさえしなかったから──。
そのラキスは、いまはそばにいない。しばらくは慰問を見守っていたのだが、そのうち村人たちから、剣士様の手を借りたいという要望が入った。
実際、村はどれだけ働き手がいても足りないような現状だったので、エセルは護衛をせず外に行くよう指示を出した。彼はそれに従い、帰ってこないまま日暮れを迎えている。
「……様。姫様」
遠慮がちな声が耳に入ってきて、エセルははっと顔を上げた。慰問すべき部屋をまわり終え、一息ついた廊下の端で、もの思いにふけってしまったらしい。
声をかけてきたのは宿屋の主人の妻で、慰問をするエセルを何かと気遣ってくれていた。イリという名の彼女は、恐縮した口調のままで言いはじめた。
「お疲れのところ、すみません。あの、最後にもうひとりだけ……会ってやってほしい子がいるんですが……」
「子ども?」
「はい。うちの子なんです」
自分の子を最後にまわしていたらしい。エセルは言われるままにうなずくと、彼女について一番隅の部屋に入っていった。
そして入ったとたん、一気に目が覚める思いを味わった。
暗くなった部屋、小さなランプに照らされたベッドで、とんがり耳の少年が眠っていた。




