13(王城)
すみません、地名変更させてください。
スーザ→ルーシャ(全然ちがう……)
王城に着くまでの間、エセルはずっと自分の言葉に思いをめぐらせていた。
レマたちに言ったことは、実はあの瞬間まで思ってもみなかったことだった。それがモードリッジ行きの提案を聞いたとたん、なぜか勝手に口からこぼれ出てしまったのだ。
エセル自身は気づいていなかったが、彼女にそのような気分を抱かせた一番の原因は、安心感だった。
ドーミエで強制的にラキスと引き離されてからというもの、彼女は彼の身を心配し続けてきた。無事でいるだろうか、無事だとしても罪人になってしまうのではないかと、気をもんできたのである。
討伐成功と恩赦の知らせは、そんな彼女を一気に緊張から解放した。だが、肝心の相手が自発的にモードリッジに向かったという情報も手伝って、どうやら急激に反動が来てしまったらしい。
恋ってなんて面倒なものなのかしら──と、移りゆく車窓の景色を眺めながら姫はぼんやり考えた。
自分でもわけがわからないほど心が乱れたり、振り回されたり迷ったり。恋愛上手な人たちは、どうやってそれを乗り切っているのかしら。
いえ、どんなに上手であっても、やっぱり動揺せずにはいられないのかもしれない。
そうよ、お母様も仰っていたじゃないの。恋とは面倒なものだって……。
そう思ったあと、エセルはふいに赤面した。わたしったら。お母様は面倒だなんて仰っていない。恐ろしいものだと仰ったんだわ。
静かだが、どこか底知れない響きを帯びた声がよみがえる。
その余韻をいまさらのように味わっているうちに、馬車はいつのまにか王城に到着していた。
護衛を終えたディーとレマは、今日は敷地内にある兵舎に泊まっていく予定だという。モードリッジ行きの件はともかく、せっかく会えた彼らともう少し話がしたかったので、エセルは明朝ふたたび会うことを約束した。
シンセリ聖堂までの日帰りの旅は、何事もなくこれで終了だ。
だが、今日という日がまだ終わってはいないことを、彼女はすぐに知ることになった。
ディーたちと別れて城内に入っていくと、夕陽を先取りしたような灯りがともる玄関ホールの一角に、姉姫たちの姿があった。
少しふくよかな体型の貴族的な青年と、何やら話し込んでいる。
エセルは思わず目をみはった。いかにも誠実で温厚そうな顔立ちの青年は、リデル姫の婚約者であるアルヴァン卿だった。
アルヴァン・コールディングは、いまはまだ父カザルス侯爵の補佐をしつつ研鑽を積んでいる身の上だ。王城の定期訪問日が明日だと聞いていたが、予定が早まったらしい。
「アルヴァン様! もういらしてたのね」
エセルが小走りに寄っていくと、振り向いたアルヴァンは顔いっぱいに笑みをひろげて挨拶した。
「お久しぶりです、エセル様。少しでも早く皆様にお目にかかりたかったので、乗り込む船を早めてしまいました」
かたわらにいたセレナが、いたずらっぽく口をはさむ。
「皆様にじゃなくてお姉様に、でしょう?」
するとアルヴァンは目を細めてうなずいた。
「もちろんです。しかし一応は皆様と言っておかなければね」
わずかに頬を染めたリデルをはじめ、一同は親しみをこめて笑いあった。
エセルもセレナも、この未来の兄のことが大好きだった。明るくあたたかい人柄の彼は、やがて女王という重責を担う姉のことを、いつもおおらかに包み込んでくれている。
仲睦まじい様子でいるふたりを見るのは、妹たちにとっても大きな喜びだ。
エセルは彼に会えたうれしさに、その場でシンセリ聖堂のことを話しはじめようとした。けれど話す前にふと、自分が三人の間に割り込んだかたちだったことに気がついた。
先ほどの三人は談笑しているようには見えなかった。何か厄介な情報でも入ったのだろうか。
エセルが話を向けてみると、アルヴァンはにわかに顔を曇らせた。
「それが、あまりよくない話題なのです。実は、東部の村が魔物の大群に襲われたという知らせがありまして」
「まあ……東部のどのあたり?」
「レントール川の支流にある村ですよ」
「え……」
大きく息を呑んだ妹に、リデルがあわてて言い添える。
「大丈夫よ、エセル。モードリッジじゃないわ」
「そ、そうなの? それじゃ、どの村が」
ルーシャです、とアルヴァンが答えた。そして、今朝早くペルーダの大群が村を襲い、相当な被害が出ているらしいことを姫君に伝えた。
ルーシャはアルヴァンの住むカザルス領のさらに向こう側にある村だ。そんな遠方での災害が当日中に都まで届いたのは、船という連絡方法があるからだった。
モードリッジ、ルーシャ、カザルスといったレントール川の支流周辺は、本流沿いにある都と船でつながっている。
船便は少ないし高額なので、限られた人々しか利用できない。運航の具合で遅くなることもあるのだが、今日アルヴァンが乗った船の航行は順調だった。
それにたまたま乗り合わせていたのが、ルーシャの状況を見聞きしたあと早朝の船に乗ったという商人である。信憑性がある話に驚いたアルヴァンは、港に着くなり早馬で王城に乗りつけ、つい先ほど状況を報告したとのことだった。
「ダズリー伯爵にはお伝えしましたが、陛下にはまだお会いできていないので、いまから参ろうかと」
アルヴァンはそこまで言ったあと、あわててエセルをのぞきこんだ。
「エセル様、どうされました?」
エセルは答えなかった。青ざめながら口元を両手でおおい、うめくように呟いた。
「ティノ……!」
エセルにとってルーシャはただの遠い田舎ではない。なぜなら、そこはインキュバスと遭遇した丘がある村だからだ。
夢魔はもういなくなったが、あの子は──勇敢でやさしい案内人の少年は、いまも変わらずルーシャで暮らしているにちがいない。
エセルは動揺のあまり「すぐに助けに行かなきゃ」などと言いはじめたが、年長の三人に総出でなだめられた。
いきなりルーシャに行くなどできるわけないし、できたところでなんの助けにもならない。とりあえずいまは、部屋で日帰り旅行の疲れをとりながら続報を待つのが一番だ。
たしかにその通りだったので、エセルはなんとか気を落ち着けて歩きはじめた。二階の私室に行くために、三人に付き添われながら中央階段をのぼっていく。
そして踊り場を曲がり、ふと上を見上げたとき、二階通路で動く人影に気がついた。
アデライーダ女王が、ちょうど部屋から外に出てきたところだった。
すぐに母と話したかったため、エセルは思わず下から声をかけようとした。
だが直前に別の声がかかり、女王の注意を引き寄せた。
「失礼します、陛下。急ぎご報告が」
中央階段と反対側の通路から、ダズリー伯爵が足早にやってくる。
大切な報告の邪魔をしないようにと、エセルはその場で足を止めた。
災禍を知らせる伯爵の声が聞き取れる。続いて、緊迫したアデライーダ女王の声が響いた。
「また魔物……。先日ドーミエでヴィーヴルの大群が出たばかりだというのに、なんということでしょう。それで被害を受けた村の名は」
「ルーシャと聞いております」
「ルーシャ……。ではソラやラフタも?」
隣接した村の名をあげた女王に、ダズリー伯爵が首を振る。
「いいえ、そちらの報告は受けていません。ルーシャだけです」
「そう……」
女王が大きく吐息をついた。
それから安堵のにじむ声で、ひとりごとのようにこう口走った。
「よかったこと、ルーシャで……」
その後押し黙ったのは、女王自身が自分の言葉に気づいたためか、それとも聞いている者の存在に気づいたためか──。
沈黙ののち、アデライーダ女王はゆっくり首をめぐらせて、階段側に視線を向けた。
段をのぼり切ったところに、顔をこわばらせたエセル姫が立っていた。
アルヴァンの少年時代はこちらです。
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