11(シンセリ)
──小さな皆さんは聞いてください。そして大きな皆さんも、もう一度聞いてくださいね。
今日は、皆さんを守っている大気の加護と大地の守護についてお話しします。
はるかな古の大昔、いまよりずっとたくさんの魔物がこの星を支配していた時代がありました。
魔物たちは最初のうちは、大半が星の隅に巣食っておりました。けれど、瘴気とともにそこからあふれ出たあとは、人を喰らうことでどんどん力をつけていき、数もどんどん増えました。
ついには、人の世を滅ぼす寸前まで増えてしまったのです。
そんな地上の様子を、心を痛めながらみつめていたものがありました。それは、その時代よりさらに昔に亡くなった人々の魂たちでした。
太古の出来事ではありますが、この魂たちはもちろん、もとをたどれば皆さんの祖先に当たります。
祖先たちは、みずからが天に還ったそのあとも、残された子孫たちをずっと見守り続けていました。そして、大切な子孫が生きて幸せに暮らしていくことを、心の底から願っていました。
だから、その願いがかなわないかもしれないと知ったとき、彼らは星の神様に懇願したのです。
どうかお助けください。子どもたちがここで生きていくことを、どうかお赦しくださいと。
この星をお創りになった神様は、もとより人が滅びることをお望みだったわけではありません。神様が望まれていたのは、人間が人間の力によって繁栄していくことでした。
そこで神様は、亡くなっているとはいえ人だったにはちがいない魂たちの切なる声を、聞き届けることになさいました。
そして、星の中心近くで魔法炎を守っていた守護聖獣たちに、こう命じられたのです。
魔法の炎を解き放ち、星の上を聖なる光で満たしなさい。
守護聖獣たちは魔法炎を地上に向けて解放し、白銀の炎が穢れた地上を包み込みました。炎はみるみるうちに邪な魔物の群れを浄化し、星を清めていきました。
すべての魔物が消え去ることはありませんでしたが、その後、人の世は無事に再生されることになります。
魔法炎は星の核として燃え続けていたので、解放するとき持ち場を動いた守護聖獣たちのいくらかは、もとの場所に戻っていきました。ですが別のいくらかは地上に出て、しばらくの間巡回しました。
そうするうち、自分が気に入った人間と心をかわすようになり、さらにその人間に国造りを任せるようになりました。
聖獣たちはやがて真下の大地にもぐり、それぞれの国の守護としていまもとどまっています。
一方、祖先の魂たちも星を包む蒼穹にとどまり、ずっと子孫を見守っています。
生まれた赤子を病から守ってくれる大気の加護の光が、その何よりの証です。
このように、皆さんひとりひとりの貴い命は、いくつもの大きな力によって守られ受け継がれてきたものなのです──
聖なる魔法の書 第七章
「小さき者たちへの言葉」より
ルーシャの村がペルーダの群れに襲われ、甚大な被害を受けたその当日。
エセル姫は、王都近郊のシンセリにある、こじんまりした聖堂を訪れていた。
ここ数日の間、彼女は王城内に引きこもり、庭園にさえ出ずに自粛生活を送っていた。外出する気分にはなれなかったし、人目につきたくもなかったからだ。
けれどシンセリでの参拝はできれば実行したかった。そこは幼い天つ御使いの絵や聖母子像の逸品で知られていて、エセルが好きな画家の作品もいくつか飾られている。
少し迷ったが、お忍びで出かけることを女王に了承してもらい、馬車で出向いてきたのだった。
といっても、まだ聖堂内には入っていない。中ではちょうど加護の儀が開催されているところだが、それには加わらず、建物裏手の敷地に置かれたベンチに腰をおろしている。
それから、ため息をつくと切なげな口調で呟いた。
「カーヤもドニーも赤ん坊も、一緒に天に還ったのね」
「はい。それがせめてもの救いかと」
「そうよね。でも……ラキスはつらかったでしょうね。直接手にかけたなんて」
彼女の言葉に、隣にすわっていたディークリートがうなずく。彼は王家側の依頼を受けて、姫のお忍び道中の護衛をしている最中だった。
「たしかにつらそうでしたね。でもまあ、わたしとしては多少ほっとしました。つらいと思うのは、とても人間らしい感情なので」
エセルは軽く眉を寄せると、間近にあるディーの端正な顔を見上げた。
「そんなに魔物みたいだったの?」
ディーは軽く肩をすくめた。
「やけに強かったから、正直人間離れして見えました。でも飛んでいる間だけですよ」
けろりと肯定されて、エセルの口から再びため息がもれる。
少しは否定してくれればいいのに……ただラキスと兄弟のように育ったディーの台詞だと思うと、カシムの意見よりは素直に受け取れる気がした。
実はエセルが外出したかった理由は、参拝以外にもうひとつあった。ディーに会いたかったのだ。
彼が大討伐の当事者だったという情報を耳にしたので、直接会って話を聞いてみたかった。
ダズリー伯爵の話だけでは簡単すぎてよくわからないし、カシム副長が相手ではうれしくないことをいろいろ言われてしまいそうだ。
でもディーなら正確なことを──正確なラキスの様子を教えてくれるにちがいない。
エセルは最初、彼を王城に招くつもりだった。キリシュにあるローデルク家に戻ったとのことだったが、馬で半日あれば都に来られる距離なので、招待してもてなそうと思ったのだ。
ところが意外なことに、ローデルク家のほうから、第五座をわざわざもてなすお気遣いはご無用に願いますという返答が来た。
討伐の礼のためなら、ベルター・ローデルクも一緒に。それならステラ・フィデリスとして喜んで伺いたいなどと言う。
ベルターは伺わなくて結構なのだ。主座の夫という立場、しかも大討伐の立役者の一人だが、エセルは彼を気に入っていなかった。
婚礼に乱入してきたテグに向けて、容赦なく魔法炎を放った男がベルターだ。当時は誰だか知らなかったが、それがわかって好きになれるはずがない。
それにエセルの中でディーは「お友達」として認定されていたため、所属組織はまったく関係ないのだ。
普段のエセルなら、自分からキリシュまで会いに行ってしまっただろう。しかし、さすがにいまはできそうもない。それで考えて、シンセリまでの護衛にディーを指名することにした。
姫は馬車、護衛は馬だったため、なかなか長い会話ができなかったが、このベンチにすわってようやくすべての事情を知ることができたのである。
事情の切なさは予想を上回るものだったが、とにかくドニーが浄化されたことだけでもよかったと思うしかない。
たとえ人の姿に戻れなくても、その魂は深淵ではなく天に還ることができたのだから──。
「姫様、そろそろ加護の儀が終わりますわ」
ふいに声をかけられて、エセルはそちらを振り向いた。
少し癖のある黒髪を肩先で切りそろえた女性が近づいてくる。聖堂内の様子を見に行っていたレマだった。
鎧をつけるような護衛ではなかったので、彼女はかなり身軽な服装をしていた。ディーと同じようなチュニックとズボン、編み上げたブーツ。腰の剣帯には長剣を吊るしている。
つまり男装の剣士といっていい恰好なのだが、よく見るとチュニックの一部に刺繍がほどこされていたりするので、完全な男物ではないのかもしれない。
今回教えてもらったのだが、ステラ・フィデリスの使い手は、基本的に二人一組で動くことになっているそうだ。呪力の強い魔物たちを相手にするとき、両側から同時に炎を放つと浄化が何倍も早まるからだという。
エセルとしても、ディーに加えてレマと再会できたのはうれしいことだった。彼女と仲間たちが連行してきた黒魔術師の自供が、ラキスの冤罪を晴らす根拠になったのだから。
直接礼を言いたいと思っていたが、今朝出発するとき、十分にそれを果たすことができた。
エセルが立ち上がったとき、レマの後ろからあたふたと走ってきた年配の男性が、息を切らしながらしゃべりはじめた。
「姫様、大変お待たせして申し訳ありませんでした。さあ、中へ中へ」
加護の儀を終えたばかりの司祭だ。儀式用の黒いローブ姿のまま、うれしげに話しかけてくる。
「ここにエセル様が来てくださるとは望外の喜びです。ごゆっくりされてください。護衛のかたもぜひ」
エセルが来訪の挨拶を返すと、司祭はそれだけで感動したように笑顔を深めた。
「今日の加護の儀は、人数がいつもより多くて長引いてしまいました。姫様がいらしてくだされば、皆どんなにか喜んだことでしょうが」
「しかたありませんわ、お忍びですもの。また改めて伺いますね」
それから四人は和やかな様子で聖堂に入っていった。