宇宙ペンギン
Twitterのトレンドを見て、深夜テンションの勢いで書きました。
「ねえゆきちゃん、知ってる? ペンギンって宇宙から来たんだって」
「おばさんほんと? どこから来たの? 」
ペンギンの水槽の手前で、おばさんがすごいことを教えてくれました。わたしはそれがとても気になったので、「教えて教えて! 」とつないでいたおばさんの手をぐいぐい引っ張りました。
今日は、二人で水族館に来ています。昨日、おばさんが、「どこかに出かけようか」と言ってくれたので、水族館に行きたいとおねだりしました。初めてのお出かけです。
「ごめんね、それは嘘。さっき誰かが言ってたのを聞いて、ついからかいたくなっちゃった」
なんだ。嘘だったのか。残念です。
「あ、でも」
おばさんは、少し申し訳なさそうな顔をした後、パンと手をたたきました。
「その人はペンギンはもともと金星から来たって言ってたわよ。ゆきちゃん、金星ってわかる? 」
そんなことを言われても、七歳のわたしにはわかりません。
「金星っていうのは、地球の隣にある大きなお星さまのこと。でも、隣っていっても、光の速さで8年かかるらしいから、もしペンギンさんが本当にそこから来たのなら、とっても長い距離を泳いできたんだね」
「??? 飛ぶんじゃないの? 」
私は首をかしげました。ペンギンも鳥さんの仲間のはずです。それに、宇宙は飛ぶものだと思います。
「だってペンギンは飛べないもの。宇宙遊泳なんて言葉もあるくらいだし、やっぱり宇宙は泳ぐものよ」
「でも、ほら、ペンギンは飛んでるよ? 」
わたしは水槽を指さします。私たちの頭より上の場所で、ペンギン達がものすごい速さで飛び交っています。
「ロケットみたいでしょ? 」
「そうね。確かに。私が間違っていたのかも」
分厚いガラスの向こうで、ペンギンロケットは上下左右に乱高下、急回転と宙返りを繰り返します。水の中でこれだけ動けるのだから、空が飛べてもおかしくありません。ましてや宇宙をです。人間だって月には行けたらしいから、このロケットは金星ぐらいへっちゃらでしょう。
「宇宙まで飛んでいけたらいいんだけどね」
おばさんはボソッとそう言いました。よくわかりませんでしたが、私はとりあえず、「たのしそうだね」と返しておきます。せっかく連れてきてくれたのだから、楽しまないと失礼です。それに、わたしはおばさんと二人ならどこへ行ったっていいのです。
宇宙は、どんな場所なのでしょうか。熱いのでしょうか、寒いのでしょうか、苦しいのでしょうか、ここちいいのでしょうか。
わからないけど、ペンギンロケットに乗って宇宙を飛び回る自分を想像すると、なんだかとても楽しそうでした。
階段を上って、上の方からペンギンたちを見ることにしました。岩場を見ると、二羽のペンギンが仲良く毛づくろいをしていました。
「ねえねえ、あの二匹、カップルなのかな」
おばさんはふふと笑うと、そうねえ、と言いました。
「知ってる? ペンギンの夫婦はとても仲が良くてね、めったに離婚しないそうよ」
「それはほんと? 」
さっき騙されたばかりなので、今度は慎重に。
「ほんとよ」
「どれくらい仲がいいの? 」
「離婚率が3%、と言ってもわからないわよね。えーとね、人間の十分の一以下よ」
よくわかりませんでしたが、なんとなくわかったこともありました。
「ママたちとは違うんだね」
わたしの手を握る力が少し強くなりました。ちょっと痛かったけど、我慢します。これくらい平気なのです。
「……そうね」
パパとママは毎日けんかしていました。二人がけんかしているときは、わたしはいじめられないように、押し入れの隅で体操座りをしていました。
「まあ、水族館のペンギンは子供を守る意味とかもないから、不倫も浮気もなんでもありのどろどろの恋愛をしているらしいけどね。……あなたを守ろうとしていたら、二人の仲もよかったかもしれないけど」
?? おばさんは時々難しい言葉を使います。パパもママもいないとき、わたしはこっそりテレビをつけていたので、小学生にしては言葉を知っている方だとは思うのですが、やはりまだまだです。おばさんはすごいです。
「卵を孵化するまで守り通すような甲斐性もないし。どちらかというと、卵を割ろうとしてたしね」
おばさんがぼそぼそ呟いているのは気にせずに、岩場を見回すと、隅の方によちよち歩いているペンギンがいました。そのペンギンは子供なのでしょうか。少し小さくて、足の付け根に痣のような黒が白の上に浮かんでいました。私と同じだ、そう思いましたが、なんとなくそれを口に出すのはだめな気がして、そっと、そのペンギンが水に飛び込むのを見守りました。
***
「楽しかった? 」
「うん‼ 」
大きく頷きます。
わたしたちは、イルカショーの場所にいました。周りには誰もいません。空は紫になっていて、ちろちろと白い粒々が浮かんでいます。
おばさんは膝の上のわたしを後ろから優しく抱きしめます。
「どこがおもしろかった? 」
「ペンギンのところ‼ 」
そっか、と呟くと、おばさんは笑っているのか泣いているのかよくわからない顔をしました。
「……子供を亡くしたペンギンの母親ってね、ほかのペンギンの子供を誘拐して育てることがあるんだって。……まるで私たちみたいだね」
「違うよ」
誘拐って悪いことのはずです。おばさんは悪いことなど何一つしていません。おばさんは私をあそこから助け出してくれたのです。
パパは私を殴りました。ママは私を叩きました。
おばさんは私を抱きしめてくれます。おばさんは私のヒーローなのです。
「……どこまでも逃げられたらいいのになあ」
「……」
「いっそ宇宙まで、なんてね」
「でも、おばさんがペンギンなのなら、わたしもペンギンだよね。なら、大丈夫。ペンギンは宇宙を飛べるんだ。ロケットみたいに、ほら、あの星まで飛べるよ」
わたしは目の前のひときわ明るい星を指さしました。すると、おばさんは目をまんまるくした後、わたしをぎゅっと強く抱きしめました。痛くはありませんでした。
「あれがね、金星なんだよ。ペンギンたちがやってきた星」
すごいね、奇跡みたいだ、とおばさんは笑います。
おばさんは腕をほどくと、鞄から何かを取り出して、わたしの首にそれをかけました。
それはロケットでした。
「たぶん、これで最後だから。こんなものしかあげられなくてごめんね」
おばさんはそれっきり、黙ってしまいました。すうすうという息がして、寝てしまったのだと思いました。私を助けてから、叔母さんはずっと忙しそうでした。疲れていたんでしょう。
さっきおばさんが言ったことはわかりません。わかりたくありません。覚えていません。
胸元のロケットを開きました。そこにはペンギンがいました。
なんとなく、わたしはそれを持ち上げて、目の前にかざしました。
ペンギンは飛んでいました。紫の空を真っすぐ、宇宙をかきわけて、もといた星へ、金星へ。
水から飛びあがったペンギンロケットは、輝きながら、金星へと飛んでいきます。
それを見たわたしはなんだか安心して眠ってしまいました。おばさんに体重を預けて、優しいぬくもりに包まれながら。
ペンギンになったわたしは宇宙にいました。宇宙はとても自由で、痛い思いも、苦しい思いもする必要がありません。わたしは、ほかのペンギンと一緒に金星を目指します。誰よりも早く、金星の大気の中に飛び込みます。金星にいるおばさんに、会いに行くのです。
***
あのあと、たくさんの大人がやってきて、わたしとおばさんは、離れ離れになりました。わたしはじどうそうだんじょというところに連れていかれたあと、また別の場所に連れていかれて、そこで暮らすことになりました。そこには、わたしのようなお父さんお母さんにいじめられた子や、親がいない子が預けられるところでした。新しい毎日はやることが多くて、大変です。外で鬼ごっこをしたり、ブランコに乗ったり、ご本を読んだり、もちろん学校にも行かなくちゃダメなのです。いそがしいけど、叩かれないし、怒鳴られないし、ご飯もちゃんと食べられます。先生は怒るとちょっと怖いけど。
おばさんとは、しばらく会えないそうです。いつ会えるでしょうか。
でも、きっと会えます。おばさんから来てくれなくても、わたしから会いに行こうと思います。
ありがとう、って言えてないのです。わたしをあそこから連れ出してくれてありがとう、って。
ブランコをきこきこ揺らしながら、首にかけたペンギンをそっと握りしめました。
こうして風を感じながら、空に近づいたり離れたりしていると、なんだか飛んでいるみたいです。
このまま手を離せば、目の前の紫の海に浮かぶ金星まで飛んでいけるでしょうか。
そうだ、おばさんにあえたらもう一つ伝えたいことがあるのです。
ブランコが一番上までいったところで、私はそっと呟きます。
「ペンギンは宇宙を飛んでいたよ」