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海の向こうから

潮風を帆に受け進む帆船は順調に目的地へと近づいていた。魚を捕る漁船や、商品を運ぶ商船と華美の度合いが違う装飾から客船であると知れる。しかも頭に豪華と付く客船だ。その後ろに付き従う船の数からして船団だと伺える。

 その船団の先頭を行く船の甲板で長い髪を風に遊ばせている少女は陽の光を反射する水面のようにその大きな瞳を輝かせていた。

 自信に満ちた笑みと共に、やはり自信とそれから嬉しさのにじみ出した声音で彼方に見えてきた港を睨み付けるように見据えた。


「待ってなさい、コクヨウ!」


***


 その日の王都は普段よりいっそう賑わっていた。

 主だった道は花で飾り付けられ、歩く人々も浮かれた様子で出店の軒先に人だかりを作っている。威勢の良い呼び掛けが響き、あちらこちらで笑い合う人日の姿が見られた。

 例に漏れずコハクも焼き鳥の串を片手に食べ歩きを満喫していた。数ある商店には濡れ手で粟の稼ぎ時だが、薬屋(コハク)に取ってはそうではなく、のんびりできて美味しいものに溢れる良い休日なのである。もちろん薬屋(カラリ)には閉店の札が掛かっている。


 コハクの後方にはコクヨウが沈痛とも言える無表情で付き従っていた。いつも知らない人間からは無表情を怖がられるコクヨウだったが、今日は輪をかけて人に避けられている。食べ歩きにはもってこいなのでコハクは特に気にしない。

 一口食べてはコクヨウに渡し、次の美味を買い求めては一口かじって、を繰り返す。これが俗に言う贅沢食いである、潤沢な資金と胃袋の巨大なコクヨウがいてこそできる(ワザ)であった。

 太っ腹なことに振る舞い酒を無償で配っている店もあったが眺めるだけに留めた。

 真っ昼間からの飲酒はコクヨウがいい顔をしないからだ。酒盛り相手がザクロであればなんの咎めも非難の視線もないのだが、酔っ払いの相手をしたくないらしいコクヨウはコハクひとりが薬屋の外で酒を呑もうとすれば言葉少なに注意を促してくる。滅多によらない皺を眉間に出現させ、目は暗く淀み、注意する側が死にそうな顔をしているのを見ると我を通そうという気が著しく萎える。

 ザクロがいればそうはならない所になんらかの意図を感じるが、その内容は突き詰めないことにしている。

 さて次はどの美味を食そうか、と出店を物色するコハクの耳に涼やかな鈴の音が届いた。だんだんと近付いてくるその音はこの国では珍しいもので、()つ国の物だ。賑やかだった大通りはその鈴の音に洗われるよう静けさで満ちていき、さざ波が引くように人々は道を開けてひそひそ喜びの混じる声を交わしあった。

 大通りに集まった人々がまず目にしたのはソケイ国の紋章旗を掲げた(かち)の者たちだった。徒が歩みを進めるたび旗につけられた鈴が異国の響きを見物人に広げていく。次に現れたのは輿を担いだ者たちで、輿の上にはテッサリンド王への贈答品が鎮座している。もちろん前後左右は兵士に守られており、一分の隙も見られない。

 その後ろに続くのはテッサリンド国王が今日のために貸し出した王族の使う馬車で、希少な天馬がしっかりとした足取りで牽引している。輿を守っている兵士よりも数はもちろん多い。ソケイ国の王女が乗っているのだからそれも当然だ。

 王女の乗った馬車のあとにはソケイ国の民族衣裳を身に纏った者たちがしずしずと続く。

 齧った果物串を手渡しながらコハクは傍らのコクヨウにわかりきったことを尋ねた。


「いるか?」


 珍しく渋面だと分かる表情(かお)をコクヨウは横に振る。そうだろうと思っていたコハクはそうだろうな、とひとつ頷いてソケイ国の隊列に背を向けた。


薬屋(カラリ)に戻るぞ」


 ソケイ国の王女は馬車の窓から民衆に向けて手を振る人となりをしている。サービス精神が旺盛なのだ。それがないなら馬車にはいない。

 そんなことは露知らず、歓声をあげる国民に申し訳なさを感じつつ、帰りはちゃんと馬車に乗せるからな、と民衆から隠れるようにその場をあとにした。


***


 薬屋(カラリ)の防御は王城の次に固い、とコハクは勝手に思っている。

 城は歴代の国家魔術師達が工夫と魔力を凝らした魔術と魔術具に守られている。

 薬屋はいちからコハクが術式を構築した魔術とコクヨウの内蔵魔力を貰い受けて作り上げたものだ。住居部分に許可のない者は決して入れないようになっているし、店舗部分にも閉店の看板をかけている間は人避けの魔術が発動する仕組みになっている。

 そんな自慢の隠れ家(カラリ)の扉を開ければ案の定ニッカがいた。

「やっほ~、二人とも久しぶり!」

「……久しぶりだな、ニッカ」

「お久しぶりですニッカ様」


 我が物顔で茶を飲んでいるニッカをとりあえずはそのままに、コハクとコクヨウは手荒いうがいをする。なにせここは薬屋なので。

 外出からの習慣を終えたコハクはそのまま定位置に座り、コクヨウは湯を沸かし茶を淹れる用意をし始めた。


「で、兄さんには会わないのか? 一応賓客だろおう、日華(ヒノハナ)姫」

「明日には会いに行くから大丈夫。今日は長旅の疲れがあるから、って伝えておいてもらうから」

「疲れが出てるなら寄り道せずに迎賓館へ行ったらどうだ」

「もう、コハクったら。わたくしの本命はこっちよ? 迎賓館のほうが寄り道だわ」

他国(ひとんち)の迎賓館を寄り道扱いするんじゃない。いちおう贅を尽くして作られてるんだぞ」


 作ったのは二代前の国王だから時代遅れかもしれないが、とコハクはいつものように頬杖をつこうして、玩具(オモチャ)を見つけた猫のように眼を光らせたニッカに気付いてやめた。


「姫が馬車の中にいなくて今ごろ警備の人間は慌ててるだろうなー」

「あら、わたくしはちゃんと許可を取っているもの」

「こっちだってちゃんと許可を取ってるぞ。事後承諾の誰かさんと違って」

「失礼しちゃうなあ。まるでわたくしが不良娘みたいな言い方をするのだから」

「そこまでは言ってないぞ。おてんばが過ぎると常々思ってはいるが」


 仲の良いことだなあ、と笑顔で言い合う二人に茶を出し、少しばかり距離を取ってコクヨウはせっせとやらなくてもいい掃除に精を出す。好き嫌いに頓着のないコクヨウだが珍しくニッカのことは苦手だと自覚していた。

 出会ってから十年以上経つが、どう扱えばいいのか未だに分からない。何かを期待されているのはうっすらと理解しているが、それがなんなのかコクヨウにはとんと分からない。

 ニッカが望むものを差し出せないのにそれでも構わないと近寄ってくるものだからコクヨウは困ってしまうのだ。

 コハクはいつか覚める夢のようなものだ、放っておけ、と言われたが、それがいつになるのかもコクヨウには分からなかった。


「それでね、最近はありがたいことにテッサリンドでもソケイの化粧水とか、化粧品の需要が伸びているじゃない」

「ああ、上流階級で人気が出てそれを真似た平民の間でも流行り始めてるらしい。(ちまた)の流行を追っかけてる小説家(やつ)が言ってたな」

「薬草以外の特産品ができて嬉しいのだけど、偽物も出回っているって聞いて。人気がある証拠だって言われたけど、ソケイ(うち)のイメージが下がるのは避けたいの」


 にっこり、とそれはそれはかわいらしくニッカが笑う。満開の花が数多咲き誇る花畑のように華やかで見た者の心を奪うような笑顔だった。

 が、コクヨウはこの人畜無害そうに見えるニッカの笑みが苦手中の苦手だった。なぜならこの笑みを見せたニッカは無茶を言うからだ。

 コハクも嫌な顔をする。おそらくニッカが何を言うのか、したいのか、検討がついてしまったのだろう。


「嫌だ。面倒すぎる」

「さっすがコハク! 話がはやい!」


 さっそく行きましょ! とニッカに腕を取られコハクは机に懐いて幼子のようにイヤイヤと拒否を示した。なんとかしろ! とアイコンタクトをコクヨウに送るがコクヨウはわずかに眉根をよせたままどうすればいいのかわからずに立ち尽くすしかない。

 しかし主人(あるじ)危機(ピンチ)である、と理解は及んでいるので意を決して口を開いた。


「ニッカ様……」

「なあに?」

「……コハク様は嫌がっておいでです、ので……」

「ちょっとした運動がてらに詐欺師を捕まえに行くだけだよ? 大丈夫大丈夫!」


 どのあたりが大丈夫なのだろう、とコクヨウは思った。


「ニッカ様は国賓であらせられるので、その様な、……些末事を気にせずともよろしい、かと」

「我が国のイメージと利益を著しく損なう案件が些末事であるわけないでしょう? みんなが端正込めて育てた薬草を手間暇かけて加工して、海路の安全を祈ってようやくこの国に着くのよ? その労力にあった扱いを受けて欲しいし、この国の人達にも良い物を買って欲しいの。粗悪な紛い物なんて言語道断! そんな物を作る人たちも売る人たちもたっぷりこらしめてあげなくちゃ!」

「それは、そうかも、しれませんが……、一国の王女のやることでは……」

「王女だからこそよ! 自国の利益を守らなくてどうするの」


 胸を張って自信満々に言い切られてしまうと二の句が継げなかった。そもそも説得などコクヨウは不得手でしかない。弁舌ならコハクの特異分野なのだが、コハクは押しに弱く流され易い。そしてコハクはニッカに勝てたためしがなかった。

 結果は最初から決まっていたようなものだった。


※※※


 ソケイ国の行列が通りすぎたあとの大通りはそれでもお祭りの空気そのままに賑わっていた。

 ぺらぺらとソケイの化粧品類を真似た模倣品に関する情報を喋っていた小説家と、記憶力の良すぎる自分の頭脳を恨めしく思いながら、コハクはニッカに手を引かれていた。

 ニッカは瞳を輝かせながらあちこちの屋台へ顔を出す。串焼きを買い、ソケイ風の柄が入った着物を見回り、甘味を楽しむ。詐欺師を懲らしめに、というのは建前で観光を楽しみたかったのか、とコハクも甘味を一口齧った。

 しかしそうであってくれというコハクの願いも虚しく、ニッカは一通り屋台を楽しむと気合いの入った風にコハクとコクヨウに向き直った。


「さて、うちの商品の偽物で大儲けしてる詐欺師たちはどこにいるのかしら」


 とさも当然のように言われても、コハクは肩を落とすしかできない。


「詐欺集団のアジトがどこにあるかなんて知るわけないだろう」

「えぇ~~。 コハクなら知ってそうなのに」

「知らん知らん」


 足がつくのを恐れて神出鬼没な輩がどこに潜伏するのか予想がつかないでもないが、面倒はごめんだ。今日よ、このまま何事もなく過ぎ去ってくれ。

 しかし、人の夢と書いて儚いとはよく言ったもので、ニッカの幸運が働いたのかそれともコハクたちが不運に見舞われたのか、コハク達はついうっかり詐欺師を見つけてしまった。


「安いよ安いよ、ソケイの姫様ご来訪セール中だよ! ソケイ国王家御用達の品がなんと今回限りの五割引だ! さあ買った買った、早い者勝ちだよ!」


 威勢のいい売り文句が聞こえて来たかと思えば、売られていたのはソケイ国と銘打っているだけのお粗末な物だった。絵に描いたような粗悪品にコハクは天を仰ぎ、ニッカは無言で拳を震わせ、コクヨウは淡々と確認作業を進めた。

 常人より何倍も良い鼻を試供品に引くつかせ、コクヨウは反応を待っていた二人に首を振る。ソケイ国で作られているものとはまるで匂いの違う、ほとんど水に近い化粧品もどきだった。これをソケイ国王家御用達と謳うのは完全に詐欺だろう。

 ニッカの堪忍袋の緒は切れる寸前だった。コハクは浅はかな詐欺師を呆れ半分、同情半分で見やる。この御姫さんは怒ってなくても怖いが、怒るとさらに怖いんだぞ、と。


「あー……もし。聞きたいことがあるんだが」

「はいっ! お買い上げですか?」

「違う。ソケイ王家御用達とのことだが、本当か?」

「ええもちろん! こちらの化粧水はソケイの姫様が日常的に使っている品で、大変ご好評をいただいておりまして……」


 コハクの言葉を受けた店員が揉み手でここぞとばかりに商品を誉めちぎる。ニッカの不穏さを欠片も察知できない店員にコハクは話しかけたのは自分だが、頼むから黙っていてくれと思わざるを得ない。

 今でこそ薬草、化粧品の国としてのイメージが強いソケイ国だが、ひと昔前までは内戦が繰り返されていた修羅の国だったのだ。現王が若かりし頃は護衛もつけずに場外を出歩いては破落戸(ゴロツキ)を叩きのめすのが日常茶飯事だったと聞く。

 武力王と名高い人物の娘であるニッカももちろん強い。コクヨウに殺さないよう負かすのが難しい、と言わせるほどの使い手だった。

 魔術ありの手合わせだったとはいえ、大抵の人間相手に難なく手加減できるコクヨウにそうまで言わせるとは本当に王族かとニッカの出自を疑ったものだ。コハクにとって王族とは物理的には守られる側であるので。

 閑話休題。

 店員は偽物と知っているのかいないのか、卸業者がいるのか、黒幕がいるのか、など考えること、調べなくてはならないことは山ほどある。しかしそれには時間が足りなかった。隣のニッカが今にも爆発しそうだからだ。どうやって説得したものか。


「ニッカ。コクヨウと一緒に出店を回ってきたらどうだ? 美味しい屋台あったぞ」

「えっ、いいの?」

「ああ。なっ、コクヨウ」


 話を振られたコクヨウはなんとも形容し難い表情を顕にしたが、首を横に振ることはなかった。それを肯定と受け取ったニッカがコクヨウの腕に抱きつく。

 まるで雨に降られた捨て猫のような悲壮さを漂わせたコクヨウに構わず、ニッカは喜び勇んでコクヨウを引きずっていった。

 元気いっぱいに手を振りながら人混みに消えていくニッカに手を振り返しつつコハクは小さく笑った。


「はー。相変わらず姫さんに弱いねえ、コクヨウのやつは」

「まるで借りてきた猫みたいでかわいいだろう?」

「猫というより虎でしょう、アレは」


 コクヨウと護衛役を代わったエナスが関心したように言った。

 どこからともなく現れたエナスに店員は面食らっていたが、すぐ気を取り直して商品の売り込みを始めた。こういった場面に耐性があるようだ。立て板に水のごとく流れる言葉の数々を半ば感心しながらコハクは尋ねる。


「あんたが自信を持って商品を売っているのは分かった。しっかり伝わってきたよ。王家御用達の認証印は掲示しないのか? 御用達の品を扱うなら掲げたほうが得だろう?」

「に、認証印、ですか……」


 暑苦しいほどの笑顔だった店員が初めて曇った。うろうろと視線をさ迷わせ、威勢の良かった声はどこへやら、蚊の鳴くような声で「確認してきます……」と逃げるように他の店員の元へ小走りで去っていく。

 上役が黒かな、とコハクは頭を掻いた。真面目に店番をしているだけの店員の職を奪うのは申し訳ない。人手を探している職場はあったかな、と脳内メモを探しているといかにも、といった強面店員がやってきた。

 黒だなあ、いやしかし外見で判断するのはよくないぞとひとり会議を開いていると強面がくしゃりとその顔面を歪ませた。おそらく笑っているのだろなあ、と剥き出しにされた犬歯を見ながらコハクはどうも、と会釈をした。強面は今まで散々怖がられてきたのだろう、面食らった様子で目をぱちくりとさせ、挨拶を返してくる。素直だなあ、もしかしたら被害者なのかもしれない、とコハクは大男を見上げた。

 恐縮した風に巨大な体躯を縮こませ、店員に一時閉店を伝えた大男は平身低頭コハク達を路地裏に連れて行った。


「すみません、こんなところにお呼びしてしまって。なにしろ事務所がなくて……」

「いや構わんが、何を聞きたいんだ?」

「はあ、あの、認証印についてなんですが……」


 大男の話はこうだ。

 大男も店員も毎日をカツカツで生きていて、浮浪者に近い生活をしていた。(ガク)(カネ)人脈(コネ)もない人間はほとんどの場合冒険者になるのだが、腕に覚えのない二人はそれもできずに王都近辺の森で採集したり、日雇いで日銭を稼いだりで日々をしのいでいたそうだ。そこへ金儲けの話が転がり込んできた。近々来訪するソケイ国王女に便乗してソケイ国印の化粧品を売ってくれと頼まれた。商品も売場も用意する。売り上げがそのまま懐に入ると言われ、怪しいと思いつつホイホイ引き受けてしまったらしい。


「オレらは学がねえもんで、認証印? とやらのことなんざまったく知らなくて……。商品を受け取ったあとは連絡の付け方もわからねえし、ああそういや、あの人達がどこの誰かも知らねえや……」

「あ、兄ィ……。オレら、騙されちまったのかなァ……。犯罪の片棒を担いじまったのかなァ……。捕まっちまうのかなァ……」


 震えて泣き出した店員の背を大男が叩く。存外軽い音がした。


「メソメソすんな、トニ。お前ェはオレの言う通りにしただけだ、気にすんじゃねぇ」

「でも、でもよゥ……。兄ィに話を持ってきちまったのはオレだよゥ……」


 鼻を垂らすトニにコハクは手拭いを差し出してやる。


「あんたらは本物だと言われたんだろう? それが偽物だったんならあんたらも被害者だ。知らずに売り捌いた罪はあるだろうが、反省もしてるし、自首すれば罪も軽く済むだろ」

「ほ、本当か?」

「本当だ」

「よし、騎士団に行くぞトニ!」

「はい兄ィ!」

「待て待て、あんたらに偽物を売り捌くよう言った奴らの特徴を教えてってくれ。騎士団に行きがてらでいいから」



 騎士団に出頭した二人は感心なことに買ってしまった人に全額返却して欲しい、と売り上げもすべて差し出した。刑期が終わったら就職先を世話してやろう、とコハクは決めた。


***


「ねえコクヨウ! あれ美味しそうね!」

「買って、きますか……?」


 自分と腕を組んで歩くニッカの楽しそうな様子にコクヨウは困惑がわずかにのぞく無表情で応えた。


「ええ、一緒に行きましょ!」

「……はい」


 それぞれ違うタレで漬け込んだ焼き肉串をひとつずつ注文して財布を取り出そうとするニッカより早く支払いを済ませる。たったそれだけのことなのに嬉しそうにするニッカがやはりわからなくてコクヨウは小遣いが減らなかったからだろう、とそうではない気はしたがそう了解することにした。

 健啖家のニッカに付き合ってコクヨウも同じように買い食いをする。最初から最後まで丸々自分のものを食べるのも、これはこれで良いものだった。


「美味しいわね、コクヨウ!」

「はい、とても」


 コクヨウの目に映るニッカはいつでも嬉しそうに笑っている。陽の光の似合うひとだ、とコクヨウは包み紙を圧縮した。

 ひと通り食べ物屋を巡ったあとは雑貨や装飾品の店を引かして回る。ソケイにないものが珍しいのか、深緑色の瞳を輝かせて品物の数々に見入るニッカにコハクもまた目を細めた。


「うーん、どれもきれいでかわいいな~」

「お嬢ちゃんお目が高いね、どれも良い品ばかりだよ! どうだいひとつ恋人に買ってもらったら」

「もー、恋人だなんて! わたくしとコクヨウはまだそんなのじゃないったら!」

「ぐっはぁ?!」


 ほんのりと頬を染めてかわいらしい顔をしていても、力は人一倍あるニッカである。そんなニッカにばしばしと背中や肩を叩かれ瀕死になりかけた小間物屋の店主に手厚い謝罪をし、コクヨウはニッカを連れてその場を離れた。


「ニッカ様。一般人を相手にする時はお気をつけください。持たされている治療用魔術陣がなければ先程の方は医者に見せねばなりませんでした」

「うぅ、ごめんなさい……」

「……」


 気をつけてくれさえすればいいので、コクヨウはそれ以上何も言わなかった。聡明なニッカに長々とした説教は必要ない。

 けれどひどく打ち沈んだ様子のままのニッカにコクヨウは居心地の悪さを覚える。言い方が悪かったのだろうか、それともよく怖いと言われる無表情が悪かったのだろうか。


「ニッカ様、その、ように、お気を落とさず、ともよい、かと」

「ごめんね、コクヨウ。ちょっと浮かれすぎちゃった」

「はあ」


 浮かれる要素がどこにあったのだろう。小首を傾げたコクヨウに花開く笑みを返して、ニッカは再びコクヨウと腕を組んで歩き出した。

 あらかたの出店を堪能したころ、コクヨウの耳にエナスの笛の音が届いた。コクヨウの他には蝙蝠にしか聞くことのできない音だ。了解の意を込めた風魔術を音源に飛ばして’、コクヨウはニッカに声をかけた、その時だった。


「ニッカ様、そろそろコハク様と合流、しましょう」

「安いよ安いよ! ソケイ国印の化粧品だよ! なんと王族御用達の一級品を王女様ご来訪に合わせて出血大サービスでご奉仕だあ!」


 とても元気の良い声だった。大声を張ることなどそうそうないコクヨウからすれば羨ましい、と思えるほど元気の良い声だった。

 けれど、なぜ今、とコクヨウは内心で頭を抱えた。


「ニッカ様、コハク様のもとへ戻、りましょう」

「ねえ、あなたたち。それは本当にソケイ国のものなの?」

「いらっしゃいお嬢さん。もちろん正真正銘ソケイ国王家御用達の品だよ! 匂いを嗅いでごらん、これこそがソケイ国独自の薬草の匂いだよ!」


 ニッカが無言でコクヨウに試供品の瓶を差し出してくる。仕方なくひと嗅ぎしたコクヨウは首を横に振り、すぐさまニッカから小瓶を取り上げて呼び込みに戻す。ニッカが怒りのはずみで瓶が割れたらコトだ。ニッカの肌が傷つく恐れがある。


「ニッカ様、戻りましょう」

「認証印はあるの?」

「ニッカ様、戻りましょう……」

「あぁ? 認証印だあ?」


 喧嘩腰で凄む呼び込みに周囲にいた客は蜘蛛の子を散らすように屋台から離れていく。それに悪態を付きながら呼び込みは愛想を引っ込め、ドスのきいた低い声でニッカを睨み付ける。


「オレらの商売にケチつけようってのか? ギョームボーガイだ、ギョームボーガイ! イシャリョウ払えんのか? えぇ?」

「慰謝料を払ってほしいのはこちらなのですけど? こんな粗悪品をソケイ国王家御用達として売られたらソケイ国のイメージが崩れるじゃない。それともそれが狙いなの?」


 一歩も退かずに言い返され、呼び込みが逆にたじろぐ。騒ぎを起こしたくないコクヨウはひたらすらに落ち着くようニッカを促していたが、暖簾に腕押しであった。今のコクヨウにできるのは騒ぎが起きそうだ、と風魔術で連絡することだけだ。


「誰に言われてこんなことをしているの? 品物を偽って売るのは犯罪よ? わかっているの?」


 ニッカに返す言葉がないのか、呼び込みが拳を振り上げる。その腕をコクヨウが素早く捻り上げれば簡単に悲鳴を上げた。見ていた店員達が総出で二人を取り囲む。

 やってしまった……、とコクヨウは人知れず落ち込んだ。


「こんな小男になにやられてんだ、情けねえ!」

「兄貴、やっちまってください!」

「おうとも、オレらの邪魔をするなんざタダじゃ置かねえ!」

「コクヨウに挑むなんて百万年早いわよ、詐欺集団! ねっ、コクヨウ」

「ニッカ様戻りましょう…………」


 コクヨウが犬であったなら耳も尻尾も垂れ下がっていただろう。今にも死にそうな声を出すコクヨウを男達は指を差して笑った。


「ギャハハハハ! なるほどこいつは強そうな護衛だなあ、お嬢ちゃん!」

「怖いから戻りましょ~ってか~?」


 ゲラゲラと下品に笑いを響かせる男達をニッカは睨み付けた。コクヨウが喧嘩を好まないのは知っているが、それを知らない者に嘲笑されるのは気に食わない。


「今謝れば許してやるぜ、腰抜け野郎。それともそっちのお嬢ちゃんが謝ってくれるのか?」

「そりゃあいい、顔もいいし体も──」


 言って男の一人が無造作に懐へ手を入れナイフを取り出そうとした。

 けれど男達の記憶はそこで途切れる。コクヨウが目にも止まらぬ早さで男達を気絶させたのだ。

 自分達が気絶したことさえ知らぬまま、地面に転がることになった男達に構うことなくコクヨウは再三の言葉をニッカに告げる。


「ニッカ様戻りましょう」

「うん!」


 陽光の用な微笑みと共にニッカはようやく頷いたのだった。

 機嫌の良くなったニッカに胸を撫で下ろし、コクヨウは取り出そうとしていた懐のものをそのまましまっておくことにした。


***


 風魔術で届いた言伝てと、機嫌よく笑っているニッカと、そんなニッカとは反対に海のそこのような暗さを漂わせるコクヨウの表情を見て大体のところを察したコハクは眉を下げて小さく笑った。


「善良な協力者のお陰で黒幕がわかったぞ。恥ずかしながら王都に本店を構えるモワノ商会だ。ソケイ国の品質と人気に押されて売り上げが落ち込んでいるのが今回の動機だろうな。確かなことは本人に聞いてみなければ分からんが……」

「そう。じゃあさっそく乗り込んで……」

「乗り込むな乗り込むな」

「どうして? 黒幕が分かったのなら乗り込んでやめさせなきゃ!」

「普通に国際問題に発展しかねんからだな。我が国の恥を(ソケイ)国の姫に知られてるだけでも割りと大事(おおごと)なんだぞ」

「そ、それは……そうかもしれないけど……」

「あとはうちの騎士団(もん)に任せてくれないか。ニッカはゆっくり観光でもしててくれ。あとで報告はきっちりするから」

「うぅ……でも……」


 反論したくてもできない、という風にニッカが口をモゴモゴさせる。これで諦めてくれるだろ、とコハクは息を吐いた。


「でも今のわたくしはただのソケイ国出身の旅人だから!」


 だから大丈夫! と両拳を握るニッカにさっすが元修羅の国出身は不屈だわー……とコハクは遠い目をした。コクヨウはどの辺りが大丈夫なのだろう、となぜだか頭の痛む思いがした。

 なにがなんでも直接乗り込んで文句を言う、ぶっ飛ばす、と物騒極まりないニッカをなんとかなだめ、太陽が沈みきる前に城へ送り届け、ようやく薬屋(カラリ)に戻ってきたコハクは帰宅後のルーティンを終えてソファに突っ伏した。長い長いため息を吐く。そんなコハクを珍しく疲労を滲ませるコクヨウが仮眠室のベッドへ運んだ。


「いやあ、今日は疲れたな」

「………………はい」

 控えめなコクヨウの演じにコハクは小さく肩を震わせた。

「いつもはもっと冷静だがやはり自国のこととなると熱くなってしまうんだろうな」

「…………」


 コクヨウは黙々とコハクの手足を揉む。全身に香油を塗り終わると早々に掛布をかけられた。


「今日はもうお休みください」

「わかったわかった。それで? お前はどうするんだ?」


 一日歩き回ったおかげで心地よい疲労感が睡魔を連れてくる。とろりと目蓋を閉じながらコハクは笑んだ。少しばかり意地の悪い笑みだ。


「……少しばかり、外出をしよう、かと」

「外出ねえ」


 くつくつと喉を震わせたコハクは寝返りを打つ。


「外に出るなら気を付けるんだぞ。かすり傷のひとつでも姫さんは許さんだろうさ」

「……はい。お休みなさいませ」


 深々と腰を折って礼をしたコクヨウはそのまま暗闇の中に溶けて消えた。


***


 翌日、国王への挨拶もそこそこにニッカは薬屋を訪れていた。


「おはよう!」

「おはようさん。ほれ、報告書」

「え? 報告書?」

「どっかの誰かさんが夜通し頑張ってくれてな。今朝方モワノ商会に家宅捜査が入って偽のソケイ国商品は見事一網打尽だそうだ」

「そんな……。直接ぶん殴……お説教したかったのに……」


 ソケイ国に行ったことはないがそんなに修羅修羅しい国なのだろうか、とコハクは眠気覚ましのコーヒーを啜った。


「まあ粗悪品は売られなくなったし、料金の返金もあるそうだからソケイ国のイメージは落ちずに済むんだ、素直に喜んでおけ」

「うん……」


 報告書に目を通したニッカが嬉しそうに瞳を細めた。


「ねえ、コクヨウ」

「……なんでしょうか」


 にこにことニッカから嬉しそうな視線を向けられたコクヨウはぐりんと不自然に顔ごと首を逸らして、それを見えなかったことにした。


「ありがとう」

「…………は」


 わずかに首肯して、コクヨウは思い出したように懐から手拭いに包まれたものを取り出した。


「ニッカ様。よろしければこちらを差し上げたいのですが、ご迷惑でなかれば受け取っていただければ、幸い、かと」

「……」


 手拭いに包んだまま手渡され、そっと包みを開くニッカはずっと無言のままだ。息遣いしか聞こえず、コクヨウはやはり送るべきではなかったか、と顔を曇らせた。


「……髪飾り?」

王都(オル=ピスマ)で広く普及しているものです。ソケイ国では珍しい、かと」


 だから見ていたのではないか、とコクヨウは万一にも髪飾りを壊さぬよう慎重にそれを手に取った。


「ニッカ様の、ご興味を引いたものは他にもありましたが、……ニッカ様の髪色に映えるのはこちら、かと」


 暖かな陽光を思わせる髪に挿せば期待通りニッカによく似合っているよう思えた。ただ、人間の美醜が判らないように、万人が美しいと判ずるかコクヨウには分からなかった。


「気に入らなければお捨てください。ザクロ様に見立ててもらって──」

「気に入ったわ!」


 買い直します、続くはずだったコクヨウの言葉は力一杯ニッカに遮られた。


「コクヨウが選んでくれたのだもの、気に入ったに決まっているじゃない! 大事にするわね!」

「はあ。おきに召された、のならば、光栄です」

「うん!」


 その日のコハクは珍しく自分でコーヒーを淹れた。濃い目に淹れて、砂糖もミルクもいれずに飲む。苦いはずのそれは妙に甘ったるく感じた。


「それで今回はどれくらい滞在するんだ? ひと月か?」


 舌は苦いと認識しているのに精神が甘いと感じているコーヒーを飲みながらコハクは鏡を覗いては飽きずに髪飾りを眺めるニッカに訪ねる。ニッカは得意気に胸を逸らした。


「ふっふっふー! 今回はなんと! 結婚相手が見つかるまでの無期限遊学です! ちゃーんとお父様にもお母様達にも許可をもらって来たんだから!」


 じゃーんと掲げられた書状には間違いなくソケイ国国王の御璽が捺印されていた。


「だからコクヨウわたくしといっしょに──」


 ニッカが振り向いた先にはコクヨウと色味の似た獣のぬいぐるみがぽつねんと佇んでいるだけだった。


「……コクヨウー―――――!!」


 上手く逃げたなあ、とコクヨウに似たぬいぐるみを羽交い締めにするニッカを生温く見守りながらコハクは苦すぎるコーヒーを飲み干した。

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