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海の向こうへ その四

「面目次第もござらん!」


 国王(あに)との会談を終え、薬屋にタラヨウを連れ戻ったコハクがいの一番に見たのはエンヨウのそれはそれは折り目正しい土下座であった。正装して、猫を被って、と気疲れする予定を終えて帰って来たばかりだというのに、これだけで面倒事が起きたのだと悟る。

 コクヨウには茶とコーヒーを淹れるよう指示し、タラヨウに椅子を勧める。兎にも角にもこれでは話が進まぬ、とエンヨウを立たせ、同じように座らせた。

 コクヨウの淹れてくれた濃い目のコーヒーを飲みつつ、コハクは聞いた話を整理した。


(ダーシー)が扉に挟まれた手紙をホレスに託して帰り、手紙を読んでみれば身代金の要求、お嬢様とは誰だと店内にいる人間に確認して回ればいつの間にかアリシアさんがいなくなっていた、と」

「ですです」


 メモをめくりながらホレスが肯く。

 アリシアの旅装は猟師の師匠が初孫を可愛がる祖父のように奮発して用意した一張羅に加え、子どもを着飾るのは久しぶりだ、と老人二人が気合を入れて手を加えたものらしく、単なる旅人というには見栄えの良すぎるものだったようだ。


「服装と護衛のせいでソケイ国の富裕層と間違われたか……」

「……こちらの不手際ですね、申し訳ありません」


 頭を下げようとするタラヨウをコハクは止める。


「私に謝罪は不要です。書類上、アリシアさんはすでにソケイの民ですし。責任と言えば、人通りの少ない場所に店を構えた自分にもあります。なにより一番悪いのは犯人ですから」

「しかし」

「それよりも、ですね」


 ちらと視線を移せば、タラヨウも理解したようで話を切り上げた。

 そうして、叱られた大型犬のように小さく縮こまっているエンヨウと、同じく申し訳なさそうにしているニッカに向き直る。


「アリシアさんがいないと知ったとたん、護衛の二人が止める間もなく出て行った、と」

「その通りです……」

「まったくもって申し訳もなく……!」

「誘拐ならば命の危険は低いはずだが……」


 しかし、それは絶対という訳ではない。過去にも人質を生かしている風に見せていただけで、すでに死んでいた例もある。目撃者は消した方が犯罪の足は付きにくいからだ。

 王宮に赴いて、正装して、客人の前で取り繕って、と正直、このまま店を休みにしてベッドにバタンキューといきたいところではあったが、コハクはなんとか机に頬杖をつくだけに留めた。


「コクヨウ、追えるか?」

「…………」


 聞かれたコクヨウはしばしの沈黙のあと、しっかりと肯いた。


「においが残っていますので」

「では、まずテン殿とガイ殿を確保してここへ連れてこい。その後、アリシア殿を保護せよ」

御意(はい)


***


 ドブ板長屋と呼ばれるそこにはそう呼ばれる通り、排水溝の落ちた様な汚さの板で作られた長屋が立ち並んでいた。

 その一角、まともな板が一枚もないほど荒れた小屋にアリシアはいた。

 すぐ側にはアリシアを担いでここまで連れて来た男が座っている。この男に指示を出していた男はいずこかにでかけたきり戻ってきていない。


「あのう、私はなぜ攫われたのでしょうか……」

「…………」

「ええと、ここ、寒くないですか? 隙間風って妙に冷えますよね」

「…………」

「……その、……お名前は……いえ、甘いものはお好きですか? たくさん買っていただいたのでよかったら食べまえせん……よね……」

「…………ヴェッセルだ。別に無理して喋らなくてもいいぞ」

「あっ、え、すみません、人といるのに無言って、気まずくて……うるさかったですよね……」


 しゅん、と肩を落としてさらに小さくなるアリシアにヴェッセルは観念したよう息を吐いた。ずいぶんと長いそれにアリシアは不思議そうに小首を傾げさせた。


「小腹が減った。菓子をくれ」

「は、はいっ、どうぞ!」


 懐から取り出された巾着にはなるほど、たくさんの焼き菓子が入っていた。それを男が食べ始めると、嬉しそうにアリシアも食べ始める。


「美味しいですよね。私は知らなかったんですが、王都で評判のお菓子らしいんです」


 ひとつひとつの焼き菓子を食べては買った店の説明をするアリシアをヴェッセルは摩訶不思議な生き物を見るような心持で見ていた。

 ヴェッセルは物心ついたころから顔が怖いと周囲に遠巻きにされてきた。体が成長してからはよりいっそう人は近づかなかった。

 野生の熊と対峙したことのあるヴェッセル自身としても、自分より横にも縦にも大きくて、力の強いと分かる生き物に近付きたくないのは自然だろう、とも思う。

 だからヴェッセルの顔を見ても怖がるでもなく、ふつうに接してくるアリシアが不思議だった。


「あんた、俺の顔が怖くないのか?」

「あ、ええと、すみません、私、眼があまりよく見えてなくて……」


 なるほど、目線が妙にずれているのはそのせいだったのか、とヴェッセルは納得した。


「人の顔とかぜんぜん分からないんです。ぼんやりとした輪郭しか。だからどこへ働きに出てもドジばっかりで……」

「……働きに? あんたは働きに出る必要なんかないだろ、ソケイとかいう国の金持ちなお嬢さんなんだろ?」

「いいえ、そんなめっそうもないです! 生まれも育ちもテッサリンドの、ボロ長屋ですよお!」


 ヴェッセルの発言にアリシアは慌てて手も首も振る。


「この間、良い給金の仕事に就けたかと思ったら、ドジばっかりでやっぱりクビになってしまって……飾ってあった壺とかお皿とかを割りまくった私が悪いんですけど、弁償金のために外つ国に売られてソケイ国に行くことになりまして……」

「……」


 予想外のアリシアの過去にヴェッセルは言葉を失った。アリシアは朗らかに話しているが、とてもじゃないが笑える内容ではない。


「ソケイ国ではとてもよくしていただきました。私のこの眼は魔眼で、とても役に立つって。職場も紹介していただいて……。その上に、移住届を出すためにわざわざテッサリンドにまでついてきてくださって……」

「大事にされてるんだな」

「ええ、本当にありがたいことです。このお菓子も護衛の方々が買ってくれて。子どもに払わせる金はない! と仰って、一エルも受け取ってくれませんでした……」


 少しは恩返しさせてほしい、と肩を落とすアリシアだったが、ヴェッセルはしみじと感嘆した。


「大事にされてるんだな……」

「ええ……本当に……ありがたいことです……」


 その後も指示役が戻ってこないのをいいことに、ヴェッセルとアリシアはいろんな話をした。


「それで、テンさんがガイさんを止めようとして……あら」

「なくなっちまったな」


 気付けばあんなにたくさんあった焼き菓子がなくなっている。評判になるだけの美味さと、弾んだ話の楽しさに食べる手が止まらなかった。

 焼き菓子が無くなって気が付いたが、喉が渇いている。


「喉が渇いたから水を汲んでくる」

「はい、いってらっしゃい」


 危機感のかけらもなく、ひらひらと手を振るアリシアに呆れながらヴェッセルはあばら小屋を出た。

 どうせなら茶でも出してやりたかったが、ただの仮拠点にそんな上等なものなどない。それでも井戸の水を汲み上げて、欠けた茶碗に注いだだけでも気を悪くしたりはしないのだろう。アリシアは金持ちのお嬢様などではないのだから。

 ソケイの金持ち令嬢を攫って身代金を得ようとした指示役の目論見は大いに外れていた訳だ。たかだか移住届を出すための旅なのだから、大金を持っているはずもなし。

 分け前も期待できそうにないのだから、もしも指示役がアリシアを無事に解放しなければ一発お見舞いしてやろう。それからアリシアを元いた場所に返してやろう。

 水をたっぷりと張った(かめ)を持ち上げた時だった。


「もし。失礼ですが」


 まるで影から浮かび上がってきたかのように、静かな声と気配だった。

 ヴェッセルは震えそうになる体を叱咤しながら、ゆっくりと甕を地面に置いた。止まっていた呼吸をなんとか再開させる。


「アリシア様が、こちらにい、ますね?」


 殺意はない。敵意もない。だが、脂汗が噴き出すほど、体が恐怖を感じている。死に首根っこを掴まれているのだ、と直感で理解した。


「己はコクヨウと言、います」

「……ヴェッセル」


 喘ぐように名前だけを返す。コクヨウと名乗った影の如き男は、わずかに肯いたようだった。


「ヴェッセル様。アリシア様を保護させていただきます。抵抗しなければ貴方の身の安全は確約致します」

「ま、待ってくれ……」


 ヴェッセルはからからに渇いた喉で、それでも声を絞り出した。


「あ、あんたは……ソケイの人間なのか……? あ、アリシアは、ソケイから来たんだ、あんたは迎えの人間なのか……?」


 見て分かるほどに眉を寄せたコクヨウが思案する様子を見せた。


「アリシア様とご一緒に、案内致します」

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