海の向こうへ その三
薬屋カラリではタラヨウの予測通り、騒ぎになっていた。
「坊っちゃま、いくら副官の二人が気の利く働き者だからって頼りっぱなしなのはいかがなものかと!」
「そうですよ、坊っちゃまが出奔なさってからのここひと月あまり、どれだけ坊っちゃまの仕事をあの二人がしてくれたとお思いで? それなのに置き手紙一枚残しただけで出奔なさるとは!」
「成人も結婚もして、子どもも持ったのだから、いい加減坊っちゃまはやめろと言っているだろう!」
「テン、ガイ、ここは薬屋だし、お父様を叱るにしても、もうちょっと静かにしてほしいなーなんて ……」
「ヒノハナ様も! 大皇様のお許しがあったとはいえ、置き手紙もなしに外つ国に旅立ってしまわれるなんて!」
「我らはもちろん、お妃様方もどれだけ驚き、嘆かれたことか!」
「お母様たちのことだから嘆くはないと思うな~……」
「じいにも!」
「ばあにも!」
「「一言もなく!」」
「それは……ごめんなさい……」
「御身ひとつで外つ国へ行かれるだけで腸が煮えくり返る思いでしたのに!」
「心配してると思いきや、めちゃめちゃ怒ってる」
「未来の婿を迎えに行かれるのでしたなら、じいばあにお声がけをしていただかねば!」
「将来、ソケイ国を統べるヒノハナ様に相応しいお方でなければ我らは承服いたしかねます!」
「姫様の度重なるあぷろぅちにも靡かぬ朴念仁はどこにいるのです?!」
「テンもガイも落ち着かぬか!」
「そうだよ、落ち着いて!」
「いやはや、大変そうですねぇ、ニッカさんたち」
母国語で詰め寄られているニッカとエンヨウを遠巻きに眺めながら、小説家のホルス・ピーボディがいつものようにメモをとる。もちろん、小説のネタストックである。
森に遊びに行った主人を迎えに行くまでの暇つぶしとして、たまたま立ち寄ったダーシー・イングラムも興味深そうにソケイ国の四人を見ていた。
「あのニッカ殿とエンヨウ殿がああも圧倒されている姿は初めて見るな。テッサリンド語ではないようだが、もしやニッカ殿たちの故郷の言葉か?」
「ええ、ソケイ語です。どうやらエンヨウさんをお迎えに来たみたいですね」
メモをとりながらさらりと会話の内容まで答えたホルスにダーシーは驚きの視線を向けた。
「貴殿は外つ国の言葉も分かるのか」
「ソケイ語は少しだけ」
ダーシーに向けられる尊敬の眼差しを誤魔化すように、ホルスは出されていた紅茶を飲む。コハクに付きそうコクヨウについて行きたかった、とやや不満げだった留守番のニッカが淹れた紅茶はいつもより大味だった。しかし、薬屋で出されるものとしては及第点だろう。薬湯は変わらず美味いのだから、問題あるまい。
こちらも美味さの変わらないお茶請けをつまんでいると、ニッカ達に詰め寄っている老人二人と眼が合った。
老いてはいるが、気迫のある視線に気圧されつつもホルスが愛想笑いを返すと、瞬きの間に距離を詰めてきた。
「ヒェッ」
『まさか痩せた驢馬のような貴殿ではありますまいな?』
予想だにしない展開に茶菓子が喉に詰まり、誤解を咄嗟に解くことができない。ホルスは紅茶をがぶ飲みして、なんとか口の中身を胃袋に流し込んだ。
『ご、ごかいですぅ!』
『ではこちらの凛々しい貴殿か?』
「む? 私に用だろうか。あいにく、私はソケイ語が分からず……」
すまなさそうに謝るダーシーをニッカが背に庇う。
『だから! 違うってば! コクヨウはコハクの用事で今はいないって言ってるでしょー!』
『二人とも、落ち着けと言っているだろう。そのように心配せずとも、コクヨウ殿はすばらしい武士であるからして――』
『なんと、姫様だけではなく、坊ちゃままでも虜に?!』
『くうぅ、なんたることか、口惜しや! 我らテン、ガイ、なんとしてでもコクヨウとやらを見極めますぞ!』
『だから、今はいないんだってばー!』
『落ち着かんか、テン! ガイ!』
ちっとも収まらない四人が中心となった騒ぎに圧倒ついていけず、薬屋の隅にぽつねんと座っている人物がいた。
名をアリシア・イェンソン。ソケイの装束に身を包んではいるが、生まれも育ちもテッサリンドである。
生まれつき眼がよく見えず、それ故に仕事先でも失敗を繰り返してきた末に、国外に売り飛ばされたかと思いきや、その売られた先の外国で猟師に弟子入りが叶い、移住をすることになった。
言葉の分からない外つ国に売られると聞いてたいへん不安だったのだが、アリシアを買い取った商人は親切であったし、ソケイ国への道中でソケイ語を丁寧に教えてくれた。おかげで現在は片言であるものの、会話ができるようになっている。
着いた先のソケイ国の人々も眼の不自由なアリシアを疎むことなく接してくれ、眼の見えない理由も分かり易く教えてくれた。仕事先も斡旋してくれ、猟師に弟子入りが決まり、移住が決まったときも大いに喜んでくれて、今もテッサリンド国での手続きのためにわざわざ三人も護衛をつけてくれた。
「家出して戻らない困った中年を迎えに行くついでですよ」とタラヨウが言ってくれたのもありがたかった。
ここまでの道程を思いだしながらアリシアは出された紅茶をちびちびと味わう。ソケイで出される茶はテッサリンドの紅茶と違い、匂いがあまりないものばかりで次はいつ紅茶を飲めるかわからない。けれど、テッサリンドでにいたときだってろくに飲んだことのない紅茶の味はあまり馴染みのないもので、アリシアはそれにがっかりして、肩を落とした。
騒ぎは一向に収まる気配がない。それどころか、どんどんと賑やかになっている。
ぼんやりとしか見えないが、どうやらテンとガイが道中、立派な主だと事あるごとに言っていた主人をもみくちゃにしているようだ。
――これなら少しくらい席を外しても気付かれないだろう。
アリシアは静かに薬屋の外に出た。 扉を背にして、息を吐く。
実を言えば、大人数のいる場所に居続けるのは少し息苦しいのだ。
森の中の、茂みの中でじっと得物を待つ、そんな静かで、張り詰めた空気にまた浸りたい。
頭を振って、意識を街の中に戻す。今のうちに、世話になっていたご近所さんに挨拶してしまおうか、と一歩を踏み出したアリシアに影が落ちた。
「あ、すみません。薬屋にご用の方ですか? 今どきますね」
アリシアには人の顔が判別できない。もしもできたのなら、すぐに薬屋に駆け込んでいただろう。
子どもが見れば泣き出し、街行く人々があれば回り右をし出すほどの強面の男はそんなアリシアに驚いたようだが、すぐ後ろにいた人間に視線を投げた。
「こいつですかい?」
「ああ、さっさと連れて行け」
「へい」
そうしてアリシアは連れ去られた。
薬屋の扉に「お嬢様を返して欲しければ百万エル持って来い」と書き置きを挟み残して。
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