第六話
「くそっ! 一体何の冗談だこれは!? どうして私が地下牢なんぞに!」
それは俺のセリフでもあるのだが。
バルガス王子の皇帝暗殺に協力した共犯者と認定された俺は、彼と共に城の地下に存在していた牢屋へと連行されていた。
城の地下に牢屋があるというのは物語の定番ではある。
しかし、実際にそこに入ることになるだなんて考えてもみないことだった。
石造りの随分と広い地下牢である。
天井に薄く隙間が開いており、そこから明かりを取り込めるようになってはいるものの、全体的に薄暗く内部はジメジメとしていた。
唯一の救いは、地下牢の中でも一際広い牢屋をあてがわれたということか。
広い牢屋に入ることになった理由は単純だ。他の牢の中に人影が見当たらなかったからである。
どうやら今現在、この城の地下牢に閉じ込められているのは俺と王子様だけのようなのだ。
目の前の牢の中には黒い大きなボロ布が放置されていたが、他の牢の中にはゴミの一つすら見当たらない。
恐らく俺たちを連行した兵士のせめてもの配慮なのだろう。
狭い牢屋よりも、広い牢屋の方が僅かではあるが快適に過ごせるだろうからな。
どちらにしても牢屋であることに変わりはないのだが。
俺は絶え間なく続く王子の愚痴を耳にしながら、状況の推移を見守っていた。
まぁ実際は、流されるままに牢屋に入れられただけなので偉そうなことは言えないのだが。
そもそも抵抗できるだけの武力がないのである。
あの状況では連行される以外に選択肢はなかったのだ。
弱い奴は死に場所も選べないとはよく言ったものだよ、ちくしょうめ。
「私以外に犯人が見当たらないだと!? 確かにあの剣を使えるのは私だけだが、それで即犯人扱いとは幾ら何でも短絡すぎるではないか!」
「え? それってどういうことですか?」
「そもそも私には動機がない! 理由のない犯罪など、この私が犯すものか!! どこの誰の仕業だか知らないが今に見ていろ! 偉大なる皇帝陛下を、我が父を殺した罪を骨の髄まで味あわせてくれるからな!」
「あれ? えっと……無視ですか? というよりも聞こえてないのかな? おーい、バルガス王子! おーい!」
牢屋の中で収まり切らぬ怒りを発散し続けていたバルガス王子は、ようやく俺の呼びかけに気付いたのか顔を向けてきた。
その表情は驚愕に染まっている。
おい、ひょっとしてあんた。怒りのあまり俺の存在を忘れていたとか、そういうオチなのではあるまいな。
「……あなたにはすまないことをしてしまった、肉屋殿。このような身内のゴタゴタに巻き込んでしまうとは。このバルガス、一生の不覚」
「いえいえ、大丈夫ですよ。……いや、牢屋に入れられているのだから全然大丈夫ではないのですが、あなたが昨夜部屋から出ていないことは俺が確かに知っていますから」
「うむ。私は昨夜、あなたの部屋に入って以降、一度たりとも部屋の外には出ていない。それなのに私は皇帝陛下殺害の容疑をかけられている。これは由々しき事態なのだ」
「それですよ。一応確認したいのですが、俺の部屋に来る前の時点で、確かに皇帝陛下は生きていたのですよね?」
先程の兄弟間の話し合いでも話題に登っていたが、これを確認しておかないと前提条件が崩れてしまう。
バルガス王子は一晩中俺と共に俺の部屋の中にいた。
これは間違いのない事実なのだ。
そしてその間に皇帝が殺されていたとするならば、彼の無実は間違いないことになる。アリバイが成立するからだ。
しかし、それを証明することができたはずの見張りは殺されてしまっており、アリバイを証明できる人物は現状俺しかいない。
その俺が共犯者として扱われているため、彼の容疑は晴れないのだ。
もっとも弟たちの懸念も分からないではない。
俺のような昨日この世界に召喚されてきたばかりの異世界人の証言を信じろと言われても、出来ないというのが本音だろうからな。
「ああ、それは間違いない。謁見の間の奥にある扉は王族の居住区画に繋がっていてな。そこで家族揃って夕食を食べたあと、私は宛てがわれた部屋で着替え、そこに剣を置いてから肉屋殿の部屋を訪れたのだ」
「ちょっと待ってください、『部屋を宛てがわれた』ってどういう意味ですか?」
「忘れたのか? この城は昨日の朝、占拠したばかりだったのだぞ。だから私たちもこの城で過ごすのは昨夜が初めてだったのだ」
「ああそうか。あなたのために一室宛てがったって意味なのですね」
「そういうことだ。ちなみにその部屋は、謁見の間に最も近い場所にあるのだよ」
「それはまた……犯人だと疑われる要素がまた一つ増えましたね」
「口惜しいことだがな」
皇国軍がこの城を落としたのは、昨日の明け方近くであったという。
夜が明けると同時に攻め込んだ皇国軍は王国の守備隊を圧倒して城下町へとなだれ込み、その勢いのままに城を占拠したと思ったら、召喚の間では勇者召喚の儀式が行われていたらしいのだ。
そんなわけだから、彼らがこの城で寝泊まりするのは昨夜が初めての事だったのである。
決着は朝方に着いていたから、俺が召喚された頃には城全体の占拠も終わり、城に残っていた王国側の兵士などの抵抗勢力は、既に街の外に連れ出してあったのだという。
だからこの城には既に皇国軍しかいない状態だった。
唯一の例外は勇者召喚を行っていた王国の術者たちだけだったそうだ。
彼らには勇者召喚を邪魔されないように、召喚魔法を発動中は決して手を出すことができないという結界が施されていて、発動してしまった勇者召喚の儀式は止めることはできなかったらしい。
ただそれは術者の命を削る類のものだったらしく、彼らは召喚が終わった直後に血を吐いて倒れ、半数は未だに意識が戻らない状態なのだという。
彼らが血まみれだったのは、皇国の兵士の暴力が原因ではなかったのだ。
血を吐くほどのリスクを負ってまで召喚の儀式を行ったのに、やって来たのが俺なんかでは彼らの苦労も報われなかっただろう。
「つまりあなたが犯人だとするならば、俺の部屋から一度外に出て部屋から剣を回収する必要があった。もしくは部屋に剣を置いてきたというのは嘘で部屋に剣を持ってきていた、ということになりますね」
「剣を持っていなかったことは肉屋殿がよくご存知だろうがな」
「ええ。あなたは確かに剣を持ってはいませんでした。しかもあなたは一晩中俺の部屋にいたのだから間違いなく犯人ではありえません」
「その通りだ。私は犯人ではない。犯人ではないことは私自身と肉屋殿が理解している。しかし、私たちの共犯を疑われている現状、私のアリバイは証明出来ないのだよ」
「それですよ。どうして弟さんたちは、頭からあなたを犯人だと決めつけているのですか?」
「ああ、それは……待て、誰か来るぞ」
バルガス王子に言われて耳をすませば、地下牢の入り口の方から確かに足音が近づいてきていた。
コツーン、コツーンという静かな靴音が薄暗い地下牢に木霊する。
それは随分と小さな足音だった。
ひょっとしたら容疑が晴れて兵士が牢屋から出しに来てくれたのかもしれない。
それとも使用人が朝食を差し入れに来てくれたのかも……などとのんきに考えていた俺であったが、緊張した顔のバルガス王子が床に座り込み、その手に落ちていた石を握り込んだのを見て淡い期待は弾け飛んでしまう。
「どうかしましたか、バルガス王子。どうして今、石を拾ったのですか?」
「……肉屋殿。この牢屋に入る際、地下牢に足音が響いたことを覚えているか?」
「え? ええ、それはもちろん。地下牢って随分と足音が響くのだなぁと驚きましたけれど……」
「あれはな、脱走者が出た際にすぐに看守が気が付くように、地下牢はわざと足音が響くように作られているのだよ」
「そうなのですか?」
「ああ、そしてここに近づいてくる相手は、そんな地下牢で足音を可能な限り殺している。……正直嫌な予感しかしない。肉屋殿は私の後ろにいてくれ。決して前には出ないように」
「あっ、はい。分かりました」
俺は事ここに至っても、未だに危機が迫っているという認識を持っていなかった。
どうせいつかは元の世界に戻れるのだからと、牢屋に入れられたといっても、すぐに殺されるわけではないはずだという根拠のない楽観論を抱いていたことは否定できない。
むしろバルガス王子に対して、いい加減肉屋殿と呼ぶのは止めてくれと文句を言おうと思っていたくらいだったのだ。これは正当な主張だとは思うが。
しかしそんな甘い考えは、牢屋の前で立ち止まった男の姿を見た瞬間に吹き飛んでしまった。
なにしろその男は、抜き身の剣をぶら下げた状態で俺たちの前に姿を現したのだから。
「止まれ! ……見かけない顔だな、貴様一体どこの部隊の者だ? 私が皇国の第一王位継承者と知っての狼藉か!」
バルガス王子はさすがは王族と言うべきか、毅然とした態度で目の前の暗殺者を睨みつけている。
……暗殺者、そう暗殺者なんだよなこいつ。
俺と王子しかいない地下牢の前に抜き身の剣をぶら下げてやってきた男。
これが暗殺者でなくて何だというのだ。むしろそうでなかったら驚きの展開である。
……いや待て、なんでこんな所に暗殺者が!?
なんでも何も俺たちを殺しに来たに決まっているじゃないか。
えっ!? こんなにすぐに暗殺者って来るものなのか?
いくらなんでも展開早すぎない?
ついさっき牢屋に入れられたばかりなんだけど!
それともこれは既定路線だったのか?
初めからバルガス王子に罪を押し付けて、殺して口封じをするつもりだったと?
「クリスか? ダスティンか? それともまさかエルハルトか? 一体誰の命令で動いている!」
血の繋がった兄弟たちの名前を次々と上げていくバルガス王子。
ちらりと覗いたその横顔は見るからに苦しげに歪んでいた。
昨夜の話し合いの最中に、俺は彼から三人の兄弟の話を散々聞かされていたのである。
多少性格に難はあるが、三人が三人共自慢の兄弟なのだと王子は笑いながら語っていたのだ。
そんな彼らに父親殺しの犯人だと断定され、牢屋に入れられて暗殺者まで送られている。
彼の受けた衝撃たるや相当なものだろう。その心は推して知るべしだ。
剣をぶら下げた暗殺者は王子の質問に答えることはなかった。
彼は一言も発しないまま懐から鍵束を取り出すと、次々に鍵穴に差し込み始める。
そして暗殺者はまたたく間に牢の鍵を開け、中に入り込んできてしまったのだ。
「止まれ! くっ、分かった! 私は大人しく殺されよう! そのかわり、肉屋殿だけは助けてくれ。彼が無関係であることくらい、貴様にだって分かっていよう。……聞いているのか? おい! なんとか言ったらどうなんだ!」
バルガス王子が俺を庇ってくれたことに感激する間もなく、牢屋に入り込んできた暗殺者はゆっくりと間合いを詰めてきた。
武器も持たない俺たちに抵抗する術などない。じわじわと壁際へと追い詰められてしまう。
バルガス王子の手には石が握られている。
しかし相手は抜き身の剣を所持しているのだ。流石に石ころで剣の攻撃を受け止められるとは思えない。
このままでは俺たちは、なすすべもなく暗殺者の手に掛かって殺されてしまうのだろう。そんな馬鹿な話があってたまるものか。
「ひっ!?」
「ぬっ? くそっ!」
そんなことを考えている時だったのだ。不意に背中に衝撃が走ったのは。
驚いた俺は思わず悲鳴を上げてしまったのだが、何のことはない。牢屋の端まで追い詰められて背中が壁に当たっただけだったのである。
しかしそれは致命的なスキを晒すことと同義であった。
俺の悲鳴に反応したバルガス王子が一瞬俺に目を向けた直後、暗殺者が剣を振りかぶり、俺たちに向かって突進してきたのである。
バルガス王子の反応は素晴らしいものだった。
王子は間髪入れずに、持っていた石を暗殺者に向かって投げつけたのだ。
王子の手から放たれた石は、勢いよく暗殺者の顔へと向かっていく。
しかし暗殺者は手に持った剣で難なくその石を弾き飛ばしてしまった。
唯一の武器であった石は投げ終えてしまっている。
俺たちにはもう打つ手などなかった。
暗殺者が振りかぶった剣を、俺は呆然と眺めている。
次の瞬間には、俺は暗殺者の手によって殺されてしまうのだろう。
ひょっとしたらバルガス王子の方が早く殺されるかもしれないが、大した違いはあるまい。
本来ならここで終わっていたはずだったのだ。
俺に、三択ロースという名のふざけた奇跡がなかったならば。