第四話
「ハァハァ、ハァハァ」
「しっかりしたまえ、肉屋殿! 後少しでスラム街だ。そこまで行けば、どうにか追っ手を巻くことができる!」
「そんなこと言ったって……〈三択です!〉くそっ!?」
〈右前方にある宿屋の屋上から矢を射かけられようとしています。黙ってハリネズミにされますか?〉
①もう、逃げるのは疲れたよ。おとなしく射殺される。
②こんな所で死んでたまるか! 死角となる路地へと進路変更。
⇒③ロース
三択の指摘に従い上に目を向ければ、立派な建物の屋上から俺たちに狙いを定めている何人もの弓兵の姿を見ることができた。
俺たちが走っているのはこの街の大通りだ。
先程までは狭い路地を慎重に移動していた。
だが、偶然にも大通りに出ることが出来たためにショートカットを試みたのだ。
どうやらそれが裏目に出てしまったらしい。上手くいかないものである。
追っ手が待ち構えていた建物の看板にはベッドの絵がデカデカと描かれていた。
どうやらあれは宿屋を意味する意匠のようだ。
ここまで逃げてくる間にも幾つもの看板が目に止まっている。
どうやらこちらの世界では、どのような店なのか一目で分かるように、店先に意匠付きの看板を掲げておくことが主流らしい。
っと、そんなことはともかく、俺は停止した周囲の光景に素早く目を凝らした。
俺たちが走っているのは大通りの右側だ。
弓を引き絞っている兵士たちもまた右側の宿屋の屋上にいるため、手前の路地に入り込めば死角になることは間違いない。
逆に左側に行くのはリスクが高いだろう。
向こう側にも同じ様な路地があるが、大通りを渡っている間に矢を射掛けられるのは明らかだ。
つまり選択肢は②一択である。
俺は進路変更をする心の準備をしてから選択肢を選んだ。
そして周囲の景色が動き始めると同時に、城から逃げてきた同行者たちへと大声で指示を飛ばす。
「バル! フロン! 右前方の宿屋の屋上から弓で狙われている! 右折して路地に逃げ込めぇ!」
「ふへぇ!?」
「くそっ! 動きが読まれていたのか!?」
二人は俺の指示に従い、進路を変更して路地の中へとその身を滑り込ませた。
ホコリまみれの上等な衣服に身を包んだバルガス王子に続き、真っ黒な布を体中に巻きつけた怪人としか言いようのない見た目のフロンが路地の奥へと消えていく。
その姿を見ていた俺は今更ながらに気が付いた。
ひょっとするとこの二人があまりにも目立つ格好をしているために、追っ手に居場所を把握されたのではないのかと。
しかしそんなことを悠長に考えている時間などなかった。
俺たちが進路を変更したことに気付いた弓兵が、慌てて残った俺に矢を射掛けてきたのだ。
兵士が放った矢が高速で俺に向かってくるが、俺が路地に身体を滑り込ませる方が僅かに早かった。
路地に入り込んだ瞬間、背後で矢が地面に突き刺さるゾッとする音を耳にし、思わず背筋を凍らせてしまう。
俺は断続的に続く音から逃げるように、二人の後を追って路地の先へと駆け抜けていく。
この街は広く入り組んでいるために、逃亡には最適で、追跡は困難を極めるのだ。
路地も抜け道も多いのが幸いし、俺たちは無事に逃げ続けることができていた。
当面の目的地であるスラム街までは後少しだ。
俺は召喚されたばかりの異世界で、皇国の王子と謎の怪人と共に逃避行をする羽目になった経緯を思い返していた。
「ほうほう! それではあなたのいた世界には百を超える国があり、世界を股にかけて外交が行われていたと!」
「そうみたいですね。俺もたまにニュースで流れてくる外務省の活動だとか世界の動きだとかを見聞きしているだけで詳しく知らないですけれど、最近では日本を訪れる外国人の数が増加しているって話でしたよ」
「あなたのような一般人でさえ、それほどの情報に接することができたのか! それに外務省? ニュースとは何だ? 外国人とは他国の民を指す言葉と考えて良いのかね?」
「ちょっ、近い近い! 喰い付き過ぎです、バルガス王子! ちゃんと解説しますから少し離れてくださいよ!」
サンタの爺さんの力で異世界に緊急避難してきたその日の夜、俺は皇国の第一王子バルガスから質問攻めにあっていた。
俺はあの謁見の間(後にバルガス王子に説明してもらった)で唯一俺の味方となってくれたこの王子様の管理下に置かれ、城の中に部屋を用意してもらい、そこに帰還まで留まるようにと命令されたのだ。
俺はバルガス王子に連れられて謁見の間から退出すると、その足で城の医務室へと連行された。
皇国は異世界人の相手など初めてだということで、まずは健康診断から行うことにしたのだという。
医務室に入った俺は、室内で待機していたローブ姿の集団の前に立たされると、彼らから問答無用で幾つかの魔法を掛けられた。
突然謎の光線を浴びせられたので驚いたが、バルガス王子曰く何も心配する必要はないらしい。
なんでも俺に掛けられた魔法は、元の世界で言うところのX線とかMRIに相当する魔法らしく、僅かな時間で俺の体内を正確に把握し、怪我や病気の有無を調べることができるらしいのだ。異世界って凄い。
無許可で俺の体内を調べたことに関しては特に不満を持つことはなかった。
なにしろ俺は皇国側からすれば、敵の切り札として召喚された勇者かもしれない人間なのだ。
警戒するなんて当たり前。むしろサクッと殺されないことに感謝しなければいけない立場なのである。残念なことに。
俺は検査の後に皇帝のお付きだという主治医から幾つかの質問を受け、それに正直に答えていった。
もっとも質問の内容は病気や怪我の来歴といったものであり、特に隠す必要がない代物であったが。
どうやら彼らは俺が異世界から未知の病を持ってきてはいないかと心配していたようである。
魔法を使った検査では何も出ず、面と向かっての診断でも健康体と診断された俺は、問題なしと判断されて医務室を後にすることとなった。
ちなみにバルガス王子とはここで別れている。
彼は彼でやることが山積みらしいのだ。
王族であるのだから当たり前といえば当たり前の話である。
わざわざ医務室まで同行してくれただけでも十分感謝するべきだろう。
続いて連れて行かれたのは、城の中にある大きな浴室だった。
思っていた以上に立派な風呂だ。
なんでも歴代の勇者たちが皆揃って風呂を求めたため、この世界には風呂文化が定着しているらしい。ありがたい話である。
日帰り入浴施設のような広い湯船にはたっぷりと湯が張られていた。
俺はそこで念入りに身体の隅々まで洗われることとなったのだ。
なんでも俺は召喚当初から、だいぶ臭っていたらしい。
原因に心当たりがありすぎる。なにしろ焼肉の帰りにこちらの世界に避難してきたのだ。さぞかし煙臭かったことだろう。
ちなみに俺の身体を洗ってくれたのは屈強な体格をした男の兵士たちであった。
よくある異世界召喚ものの小説や漫画における城の中での入浴シーンといえば、召喚された勇者とお近づきになりたい若い女性が中で待機しているというのが定番なのだが、俺は絶賛監視対象の身。
いざという時に対処できるよう、兵士の中でも徒手空拳の技能に優れた者が選ばれたということで、鍛え上げられた筋肉に囲まれての入浴となったのだ。勘弁してもらいたい。
臭いと汚れは落ちたものの、風呂に入る前より疲れてしまった俺は、用意されていた衣服に袖を通した。
先程まで着ていた衣服は、臭いが染み付いているからという理由で取り上げられてしまったのだ。グウの音も出ない正論である。
兵士たちに支給されている衣服と全く同じだという少し茶色がかった上下を着た俺は、次に食堂へと連れて行かれた。
食事付きとは言われたものの、贅沢な料理を出してくれるわけではないらしい。
俺は風呂に入った兵士たちと共に、彼らと同じ食事を食べることとなったのだ。
イブの夜に焼肉を食べた後で召喚された俺であったが、こちらの世界にやって来た時は、まだ明るい時刻だったのである。
皇帝との謁見、医務室での検査、そしてその後の入浴と結構な時間を過ごした俺の腹は再び物を受け付ける態勢へと変化していたのだ。
要するに腹が減っていたのである。あれだけ食った肉はどこへ行ったのだ。
食堂はバイキング形式となっており、好きなものを好きなだけ食べることができるシステムとなっていた。
俺は監視役の兵士たちと共に列に並び、幾つかの食べ物を選択して食事を開始する。
正体不明の魚の素揚げや青色のスープ、動いている煮物などは華麗にスルーし、とりあえずは食べても大丈夫そうな物だけをチョイスして食べてみたのだが、想像していたよりもずっと旨かったので、どうにかひと心地つくことができた。
世界が違っても同じ人間が食べている食べ物なのだ。
口から入って体内に吸収され、血肉となって身体を作るという働きは同じなのだから食べても問題ない代物だったのである。
そして食事が終われば、俺は部屋に連行され、外から鍵を掛けられてしまった。
扉の向こうでは兵士が見張りをするのだという。
どうやら俺はこの城にいる間は二四時間態勢で監視されることになるらしい。
しかしそれに対して文句を言える立場でもない。
なにしろ俺は、滅ぼされた王国が最後の切り札として召喚しようとした勇者に代わってやって来た男。
こうして部屋を用意してくれるだけでも十分な計らいなのである。むしろ牢屋でないことに驚いたくらいだ。
部屋は一般的なアパートよりも少し狭い程度の広さであり、窓はあるが小さい上に鉄格子がはめられた代物であった。
部屋の中には机どころか椅子すらない。ベッドが一つポツンとあるだけで、後は窓際に水差しとコップと火の灯ったろうそくが置かれているだけだった。
トイレは外の見張りに声をかけて外の共同トイレに行くらしい。
悲しいくらいに何もない部屋だ。これはもう寝るしかないなと考えた俺は、ろうそくの火を消すために窓際へ向かおうとした。
そのタイミングで扉の向こうに動きがあったのだ。
どうやら見張りが慌てているらしい。
なにやら問答が聞こえてきたと思っていたら、ガチャリと扉が開けられて、俺の管理を任されたバルガス王子が俺の部屋に入ってきたのである。俺の許可もなしに。
「やぁ、肉屋殿。我が兵士たちのもてなしはどうかね?」
もてなしも何もまずはとにかく無断で部屋に入ってきたことを詫びろよ、と思ったものだが、相手はどう考えても偉い人物なのだから俺ごときでは文句も言えない。
ひょっとしたらこの世界にはノックの習慣がないことだって考えられる。
そもそも彼は皇帝の息子、つまりは王子様なのだ。
他人の部屋に問答無用で入り込むなんて当たり前のことなのかもしれない。
それにしたって肉屋殿はないだろう。
それはあのエルハルトとかいう兜男が勝手に名付けた呼び名ではないか。
「問題はありません、バルガス王子。風呂も服も食事も部屋までも用意していただき、大変感謝しております」
「それは良かった。我が国の食事は口に合ったかね?」
「はい。正直、予想以上に美味しくて驚きました。もっとも見慣れない食材も多く、それらにはまだ手を出してはいませんが」
「懸命な判断だな。ではこの部屋はどうかね? 肉屋殿」
「寝るためだけなら十分です。それと肉屋呼ばわりは止めてください。私には戒斗という名前がありますので」
「カイト? ニクヤ=カイトという名前なのかね?」
「違います。戸成戒斗、名前を先に言うのでしたらカイト=トナリというのが俺の名前なのです。肉屋というのはあの兜を被っていたエルハルトという人が呼んでいただけのあだ名ではないですか」
「ん? ああ、そうだったか。失敬失敬。肉屋という印象が強すぎて、てっきりそれが名前なのかと思っていたよ」
なんというとんでもない勘違いをしてくれているのだ、この王子様は。
見た目二十代中盤くらいのこの王子様には感謝をしてもし足りないくらいなのだが、いかんせん肉屋呼ばわりだけは勘弁してもらいたいのである。
いや、別に肉屋さんに対して何か含むところがあるわけではない。
しかし肉を扱う職についているわけでもないのに、肉屋呼ばわりをされるのはやはりおかしい気がするのである。奇跡のせいだということは分かっていても。
「分かってもらえたのなら問題ありません。それで、ええと……王子様がわざわざお越しとは、何か用事でもあるのでしょうか」
「うむ? 用事がなければ来てはいけないのかね? おっとそういえばまだきちんと名乗ってはいなかったね。ウェールリア皇国第一王子、バルガス=ウェールリアだ。よろしく頼むよ、カイト=トナリ殿」
俺はここで始めて皇国の正式な名称を知ることとなった。
「よろしくお願いします。バルガス王子。それともバルガス様と呼ぶべきでしょうか?」
「あなたは我が国の国民ではないからな。年上でもあるようだし、できれば様付けは止めてもらいたい」
「ではバルガス王子と呼ばせていただきます」
「そうしてくれ。それと用事だがね、私はあなたの世界のことを聞きたいと思ってやって来たのだよ」
「俺の世界をこと……ですか?」
「そう。異世界の文化、風習、政治形態や戦いの方法など。知っていることを全て教えてもらいたい。異世界の勇者からもたらされる断片的な知識だけでもこの世界にとっては破格の価値があるのでな。あなたを保護する対価だと思って持てる限りの知識を教えてくれたまえ」
そう言ってバルガス王子は俺の部屋にある唯一の家具、つまりはベッドに座り込んで話を聞く態勢になってしまった。
どうやらこの王子様は異世界人に対する情けを持っているだけではなく、旺盛な好奇心も持ち合わせているらしい。
俺は王子に請われるままに、知っている限りの地球の話を出来るだけ正確に彼に語った。
しかしこれが間違いだったのだ。彼の食いつきは思いの外強く、結局熱意に押される形で夜を徹して語り続ける羽目になってしまったのである。
しかし俺たちがそんなことをしている間に城の中ではとんでもない事件が発生していた。
眠気も限界に近づいてきた明け方近く、俺たちの運命は激動を始めることとなる。