第三話
この世界には古来より魔物と呼ばれる人を襲う怪物が存在しており、人はその怪物との戦いに明け暮れ、活動範囲を広げることができずにいた。
しかし人は何代にも渡って技術を積み重ね、体を鍛えて魔法を生み出し、力をつけることで段々と活動範囲を広げていったのだという。
そうして今から数百年前、遂に人は大陸のほとんどを踏破し、幾つもの国を作る程に隆盛を極めることとなった。
だが時を同じくして、魔物の中から知性があり強大な力を持つ者たちが現れ始めたというのだ。
魔族と呼ばれた彼らもまた、魔物と同じように人と敵対した。
しかしどれだけ強大な力を持っていようとも、数で勝る人間が相手では分が悪い。
そこで彼らは人の真似をして魔族だけの国を作ったのだそうだ。
それから人間は魔族に押され始めた。
単独でも強力だった魔族が国を成したのである。
それはまさに脅威だった。
人はあっという間に存亡の危機に直面することとなったのである。
人の国に国王という名の支配者がいたのと同じ様に、魔族たちの国にも魔王と呼ばれる魔族の王がいた。
しかし人の国の国王が必ずしも強いわけではないのとは違い、魔王の力は魔族の中でも郡を抜いていたのだという。
なぜなら魔族の国とは完全なる弱肉強食の世界だったからだ。
一番強い魔族が魔王を名乗る、純粋な階級社会だったのである。
魔王に率いられた魔族の軍は、人の国家を相手に常に優位に戦いを繰り広げていた。
魔王と戦える人材が人にいなかったのが要因とされている。
それほどまでの魔王とは強大だったのだ。
「魔王一人が前線に出れば、それだけで勝負は決する」とまで言われていたという。
そんな感じで人類に絶望が忍び寄る中、新興の魔法国家が異世界から勇者を召喚する魔法を生み出し、召喚された勇者の活躍により、魔王は討たれて世界は平和を取り戻した。
しかし、しばらくすると、再び魔族の中から魔王が現れ、人は再び危機に瀕することとなってしまう。
魔王は勇者とは違い異世界から召喚されるわけではなく、強い魔族が魔王を名乗っていただけだった。
つまり魔王は即座の代替わりが可能だったのである。ただ魔王を倒しただけでは一時的な平和しか手に入らなかったのだ。
魔王の戦闘スタイルはその時々により異なっていたという。
勇者は召喚当時最も強い魔族、つまりは魔王を退治することだけを目標に戦闘スタイルを特化させることで魔王を倒すことができたのだ。
だから別の戦闘スタイルを使う次の魔王には太刀打ちできずに敗北した。
世界は再び魔族が活気づくこととなったのである。
しかし勇者が魔王に倒されてしばらくした後、再び召喚された別の勇者の手で新たな魔王は倒された。
以降、勇者と魔王の長きに渡る戦いの歴史は繰り返され、人と魔族は一進一退の攻防を繰り返すこととなる。
そして今から二百年前、遂に最後の勇者の手によって最後の魔王は倒されて、残った魔族は一人残らず皆殺しにされたのだという。
これにより、新たな魔王の出現は回避された。
そして魔族が現れる元となった魔物も各国が力を合わせて段々と駆逐していき、遂に今から百年前、地上から魔物を完全に消滅させることに成功したのだという。
そこから先は平和な時代になると思われていた。
しかし魔王や魔族、そして魔物といった人類共通の敵がいなくなった後、人は人同士で争いを始めてしまったのだ。
そこからは先は、まさに群雄割拠の乱世である。
幾つもの国が興っては滅び、かつては唯一勇者召喚ができるからという理由で重要視されていたこの国も、新興の皇国によって滅ぼされることとなった。
首都を落とされ、国王が拘束されたのは、つい今朝方のことなのだという。
しかし意気揚々と城を訪れた皇帝と四人の王子が見たものは、国を守るために二百年ぶりに行われていた勇者召喚の儀式であった。
勇者召喚によって隆盛を極め、その後の世界の流れに取り残されて滅びの道を歩んでいたこの国は、最後の最後まで異世界の勇者に国の行く末を預けようとしていたのだ。
一度始まってしまった召喚魔法の発動は止めることができなかったらしい。
事態を重く見た皇帝は、召喚魔法が発動している魔法陣の周囲に多数の兵士を配置し、召喚直後に勇者を拘束することを指示したという。
そして召喚されたその勇者は、召喚直後に拘束されて、こうして皇帝の前に連れてこられている。
皇帝の息子にして皇国の第一王位継承者、バルガスと名乗った剣を持った男は、俺にそう説明したのであった。
「え~っと……、ということはつまり、この爺さんはこの国の元国王で、人間同士の戦争を勝ち抜くために召喚魔法を使って異世界から勇者を召喚しようとしたと?」
「そういうことだ。そして召喚された勇者とはあなたのことだな」
「それでそちらのエルハルトさんは俺の奇跡があまりにもしょぼくて笑っていて、爺さんはなぜ俺が助けてくれないのかと喚き散らしていると」
「まったくその通りだ」
「……これって俺が悪いわけじゃないですよね?」
「そう思うな。あなたは今のところ巻き込まれただけの被害者でしかないからな」
「ふざけるなぁ! 貴様は我が国が召喚した勇者なのだぞ! 召喚した勇者が我が国に仕えるなど当然の話ではないかぁ!」
「そういえば召喚当初、俺はこちらの兵士長さんから『俺の身柄は国の管理下にある』とか『命果てるまで国に尽くせ』とか言われた覚えがあるのですが」
「それは王国側の論理だな。皇国を代表して謝罪しておこう。我が国はあなたが敵対しない限り、あなたを害するつもりなどないのだよ」
「そうですか、それは正直助かります」
召喚された世界は魔王も魔族も魔物もとっくの昔に滅ぼされている、人同士で争っているだけの世界でした。
そしてこの床に押さえ付けられて喚き散らしている爺さんは、滅びゆく国を守るために皇国と戦う戦力として勇者を召喚しようとしていたと。
……酷くね?
いやこれ、だいぶ酷い話だと思うんだけど。
ファンタジー要素なんて皆無じゃん! 魔法はあるけど人同士が争っている殺伐とした世界なんて緊急避難といえども来たくはなかったのだが。
「こちらの説明はこれで終了したと思う。では次にこちらからあなたに質問を試みたい」
「はぁ、どうぞ」
「あなたは伝説に語られる勇者とは明らかに異なっている。押しなべて勇者とは若い男であるはずなのに、あなたはどう見ても若いとは言い難い」
「ええ、三十五歳ですからね」
「三十五!? それにしては随分と若く見えるが……まぁ良い。そしてその身に宿る奇跡も聞いたことのないハズレ奇跡である上に、召喚者に絶対服従と言われていた呪いにも掛かっていないし、こちらの世界に関する知識もない」
「絶対服従の呪い!?」
「そうだ。この国はこの世界で唯一の勇者召喚の技術を持つ国として重要視されていたが、長い年月の間にすっかり腐敗を極めてしまってな。いつしか召喚した勇者にも見放されるようになったこの国は、召喚魔法に絶対服従の呪いを組み込むようになったのだよ」
「それは酷い」
「そうだ、酷い。私も皇国の王族であるからして必ずしも正しいことばかりをしてきたわけではないが、王国の所業は常軌を逸している。しかしあなたにはその痕跡が全く見られない。失礼を承知で言わせてもらえれば、強いようにも見えない。これは一体どういうことなのだろうか?」
「あ~……それは多分、俺のこの召喚が正式なものではないからだと思いますよ」
事情を理解した俺は、自分の状況を正直に相手に伝えることにした。
どうせ奇跡のネタは割れている。俺が強くもなんともないことは、既に周知の事実となっているのだ。
ならば強がるメリットはないだろう。下手に隠して勇者扱いされたりしたら、場合によっては殺されてしまうかもしれないからな。
少し話をしただけだが、このバルガスという王子様には好感が持てる。
床でうごめいている爺さんよりかは大分まともそうだ。
右も左も分からない異世界で、召喚されてすぐに危険人物扱いを受けて殺されてしまってはたまらない。
俺は元の世界で死にかけて、この世界に緊急避難してきたという経緯を包み隠さず説明した。
「ふざけるなぁ! しょ、召喚魔法に干渉しただとぉ! 死にそうになったから緊急避難をしてきただけだとぉ! 私がどんな気持ちで! どれほどの覚悟を持って勇者召喚に望んだと思っているのだぁ!!」
「ぎゃはははははは! 強大な力を司る神様じゃなくて、年に一度だけ奇跡の力を使える爺さんにこっちに送られたってかぁ! それじゃあそのしょぼい奇跡も仕方ねぇよなぁ!」
「おまけに数時間で帰る? 帰る!? ふっ、ふざぁ、ふざけるなああぁぁ! 貴様は未来永劫私の奴隷となり、命果てるまで皇国の野蛮人を殺し続けるのだあぁぁ!!」
国王だったという爺さんは顔を真っ赤にして絶叫し、俺を射殺さんばかりに睨みつけていた。
そんな顔をされたって正直困る。あんたにも理由はあったんだろうが、俺も死にたくはなかったのだ。
そもそも勇者を奴隷扱いするような人間を助けたいなんて思うわけがないではないか。
人殺しなんて冗談ではない。むしろサンタの爺さんが干渉してくれたおかげで無意味な被害者が出なかったことを喜ぶべき案件だろう、これは。
「殺してやる! この偽勇者め! 貴様を殺して、もう一度正式な召喚を! 私のために皇国を滅ぼす最強の奴隷をおおおぉぉぉ!! ……お?」
元国王の爺さんは、血管が切れるのではないかと心配になるほどに顔を真っ赤にして絶叫していた。
それなのに突然バタリと倒れて動かなくなってしまう。
見れば額の血管が本当切れて出血している。どうやら怒りにあまり我を忘れ、気を失ってしまったらしい。
「おいおい、怒り過ぎて倒れちまったぜ、この爺。どうしますかね、父上。なんならこいつこの場で殺しちまいましょうか?」
「よさんかエルハルト。もはや状況も理解できぬ老害と化しているとはいえ、その者は仮にもこの国の国王だったのだ。利用価値がある限りは殺してはならぬ。医務室に運んで治療を受けさせてやれ。逃げられぬように監視をつけてな」
「へいへい。じゃあとっとと連れて行きますよ」
そうして爺さんはエルハルトにぞんざいに担がれて部屋から連れ出されてしまった。
爺さんとエルハルトというやかましかった二人がいなくなったことで、室内は途端に静寂に支配されてしまう。
俺はそんな中、これからどうなるのだろうと自分の身を案じていた。
正式な勇者ではないのだし、敵対する意志も力もないのだから滅多な扱いは受けないと思う。
しかし、実際問題、彼らがどう出るのかなんて、俺にはさっぱり判断がつかないのだ。
「念のために殺しておこうか」とか言われたら、正直打つ手なしなのである。
『お願いだから助けてくれよ』と、俺は唯一話の通じそうなバルガス王子に向かって念を送っていた。
「それでどうしますか、父上。念の為この者は殺しておきますか?」
予想通りの言葉を放ったのは、先程から黙っていた紅一点の盾女だ。
バルガス王子と似た顔をしているこの女性は、まず間違いなくバルガス王子の姉か妹と見て間違いあるまい。
登場時からずっと黙ったままだったというのに、エルハルトがいなくなったらすぐに俺の殺害を提案してくるとか勘弁してもらいたいものである。いやマジで。
「ふむ。バルガス、貴様はどう思う?」
「そうですね。殺すことはない、いえ、私はこの男は殺してはいけないと考えております」
「クリスとは違う意見というわけか。理由を言ってみるといい」
「はっ。手にした奇跡の無意味さ、そしてこの男自身の無害さを考慮して、私は当初から殺す必要はないと考えておりました。しかし話を聞いて殺してはいけないのだと考えを改めた次第であります」
「ふむ。それはどうしてか?」
「先程エルハルトはこの者をこちらに送った者のことを、『年に一度だけ奇跡の力を使える爺さん』と称しておりました。しかし召喚魔法に干渉できるほどの力があるのは事実です。その影響下にある者を害するのは危険が大きいと判断せざるを得ません」
「この男を殺すことで何らかの問題が発生する可能性があると?」
「その通りです。しかも彼はそう遠くない内に元の世界へ帰るというのですから、尚更殺す必要性などないと思われます」
「では貴様はどうするべきと考える?」
「これと言って何かをする必要はないかと。城内に部屋を用意して、帰るまで監視をするだけで良いのではないでしょうか」
「こちらからは何のアクションも起こさず、帰るまで様子を見るというわけか」
「そうです。異世界とこちらの世界で時間の流れに違いがあり、何日も帰る気配がないというのであれば、それはその時に再び扱いを考えれば良いかと思います」
「しばらくは様子見か。まぁ確かにそれが無難な対応かもしれんな」
話がまとまったのだろう。皇帝が俺に話しかけてきた。
「では貴様はしばらくバルガスの預かりとなる。おとなしくしていれば我らは貴様に何もせん。寝る場所も食事も提供し、望めば本の差し入れくらいはしてやろう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「だがそれはあくまでも、貴様がおとなしくしていた場合の話だ。もしも貴様の語った話がホラで、貴様が勇者として我らに牙をむこうというのであれば、我は皇国皇帝の名の下に貴様を容赦なく処罰する」
「大丈夫です! そんなことをするつもりはこれっぽっちもありませんから!」
「……まぁ良い。ではバルガスよ、こやつは貴様が責任を持って管理せよ」
「はっ! ありがとうございます、皇帝陛下!」
こうして俺は王国を滅ぼした皇国の王子、バルガスの庇護下に置かれることとなった。
俺はこれから皇国の兵士に監視されながら、元いた世界に帰るまで城で食っちゃ寝の生活をするのだろう。
そんな風に考えていたのだが、現実はそれを許さなかった。
俺がこちらの世界に召喚された翌朝、
皇帝の死体が城の中で発見されたのである。