第五話
〈三択です!〉
その声は先程と同じく、唐突に俺の脳裏に響き渡った。
しかし俺は首を傾げてしまう。
奇跡が発動した理由が分からなかったからだ。
俺の周囲の世界はいつものように停止していた。
クリスティが何かアクションを起こしたのかと思って凝視してみても、彼女はピクリとも動いていなかったのだ。
しかしこの点、俺の奇跡『三択ロース』は優秀である。
なにしろ奇跡が発動するたびに、その理由まで教えてくれる仕様になっているのだから。
〈クリスティが勇者の盾を投げつけて攻撃しようとしています。このままでは真っ二つにされてしまうでしょう。どうする?〉
①しゃがみこめば回避は可能だ! 床に伏せて攻撃を回避する。
②上半身と下半身が泣き別れて死ぬだなんて中々出来ない死に方ではないか。無防備に直撃を食らい、あっさりと命を手放す。
⇒③ロースor肩ロース
ぎゃあああぁぁぁ! 何だよこれは!
この選択肢の文章、本当にいい加減にしてもらいたいものである。
上半身と下半身が泣き別れって!
そりゃ確かに中々出来ない死に方だろうけれど、死に方になんて興味はないのだ。俺は生きたいのだから。
どうやら俺はこのままだと真っ二つにされてあの世行きになってしまうらしい。
相も変わらず綱渡りにも程がある人生だ。
世界は俺に厳しすぎるのではないだろうか、こんちくしょうめ。
やはりクリスティ王子は本気のようである。
冗談抜きに俺を殺害しようとしているらしい。
攻撃方法、いや殺害方法はどうやら勇者の盾を使った投擲攻撃のようだ。
上半身と下半身が泣き別れということは、恐らく横回転の攻撃なのだろう。
三択の文章が間違っていたことは一度もない。
どうやら勇者の盾とはいっても、某有名作品の盾とは違い、攻撃不可というわけではないらしい。
防御は完璧で攻撃も可能だなんて反則にも程があるではないか。どうしろというのだ。
どうするもこうするも、このままでは死んでしまうのだから対処しなければならない。
そして、こんな時こそ、俺の奇跡『三択ロース』は頼りになるのだ。
なにしろ選択肢の中には高確率で回避手段が用意されているのだから。
攻撃手段が縦か横か分かるだけでも十分だというのに、しゃがめば避けられると解説までしてくれてあるのは本当に助かる。
俺は選択肢の①を選び、全力でその場にしゃがみこんだ。
クリスティ王子が勇者の盾を振りかぶり、俺に向かって勢いよく投擲してきたのは時間停止が切れるのとほぼ同じタイミングだっただろうか。
それはまるでフリスビーを投げるような動きであった。
もっとも一般的なフリスビーは盾のような歪な形はしておらず、側面から光り輝く刃も飛び出していないのだが。
そしてそれが高速回転しながら突き進んでくることもないし、俺の頭上を通り抜けたそれが、ベッドの天蓋を支えていた柱の一本をまるでバターのように安々と切り裂くようなこともないはずなのである。
って、ちょっと待てよ。なんなんだよこの威力!?
盾の分際でこの攻撃力って! いくらなんでもおかしいだろうが!
「驚きました。断光投盾を初見で避けるとは。偽物とはいえ勇者召喚を利用してこの世界にやってきただけはありますね」
「技名はまんまフリスビーなのかよ!」
側面から光の刃を生やした状態で高速回転しながら部屋を一周した勇者の盾は、クリスティ王子の手元に戻る直前には元の形へと戻っていた。
光の刃が消えた盾は、何事もなかったかのように彼女の右腕に収まってしまう。
いつも思うのだが、ああいった勢いのある投擲武器を回収する際に、持ち主に衝撃とかこないものなのだろうか?
まぁそんなことはどうでもいい。
それよりも問題なのは勇者の盾を装備したクリスティ王子が思ったよりもずっと強力だという現状だ。
自動防御の存在だけでも厄介だというのに、近接格闘の心得に加えて、強力な遠距離攻撃の手段まであるというのだからお手上げと言う他ない。どうやって勝てと。
と、ここまで考えた俺は、単独で彼女を倒す算段を付けていることに気付いて愕然としてしまった。
いつの間にやらこの世界に毒されていたようである。
戦闘訓練も受けていない中年のおっさんが何を粋がっているのだ、目を覚ますんだ、俺よ。
とはいえ、誰一人として味方がいない敵地で、洗脳されている強者に見つかってしまったのだから、敵を倒す以外に生き延びる道がないことも事実なのである。
腹をくくって戦うしかない。俺の事情など相手は考慮してくれないのだから。
問題は抵抗する術が何一つとして思い浮かばないということである。
そもそも彼女は俺ごときが立ち向かって良い相手ではない。
せめて誰か仲間でもいてくれたなら。
一人で出来ることなどたかが知れているということを、俺は今更ながらに痛感していた。
「出会わなければ良かった。俺たちは出会った瞬間からこうなる運命だったんだよ」
「……はい?」
ちっ、クリスティ王子の趣味であろう恋愛要素満載のセリフを口走ってみたものの反応はいま一つだ。
まともにやりあっても勝てそうにないので、ふと思いついた搦手を使ってみたのだが、そう安々と上手くはいかないか。
相手は強大であるというのに、時間を掛けることができないという制約まで付いている。
ここは敵地。いつ何時増援が来るかも知れないという状況なのだ。
逃げも隠れも出来はしない。
じゃあ一体何をどうすればこの事態を打開できるというのだろうか。
〈三択です!〉
そして一番の問題はこれである。
俺の敵は俺の葛藤など知ったことではないというのが最大の問題点と言えるだろう。
ターン制のゲームであれば考える時間は無限にある。
しかしこれは実戦なのだ。相手はこちらの次の一手を待ってくれはしないのである。
せめて仲間が一人でもいたのなら、対応策を練る時間を稼いでくれたかもしれないのに。
〈クリスティが勇者の盾を投げつけると同時に、接近して致命傷を負わせようとしています。どうする?〉
①真っ二つになるよりは遥かにマシだ! クリスティ王子の一撃を食らって、無様に倒れ込んでのたうち回る。
②彼女の攻撃を食らえば結局次の攻撃で殺されてしまうだろう。ここは苦しみを引き伸ばすことなく、勇者の盾に真っ二つにされて潔く死のう。
⇒③ロースor肩ロース
ほれ見たことか!
どうあがいても絶望である。
選択肢なんてあってないようなものではないか。
①も②もどちらも致命的である。
②を選べば即死。①を選んでも次の一撃でアウトとなってしまう。
なんてことだ。今回は選択肢の中に回避手段が記されていないではないか。
そうなるともう選ぶ選択肢が③以外にないということになる。
しかし勇者の盾を使った攻撃に対し、俺のロースがどれだけ効果を上げられるというのだろう。
これが肉魔法相手ならば話は変わってくる。
目の前の肉に反応する肉魔法が相手であれば、優位に戦えることは既に証明されているからだ。
普通に考えれば肉片を出したところで、高速回転をしながら襲い来る勇者の盾に真っ二つにされて終わりである。
ロースの閃光をもってすればクリスティ王子の目を眩ませることは可能かもしれないが、無機物である勇者の盾を相手にするには、たった一枚の光る肉片ではいかにも頼りになりそうにない。
となればここはもう賭けに出るしかないのではなかろうか。
つまり選ぶのは選択肢の③。それもロースではなく、新たに加わった肩ロースに望みを託す以外に生き延びる道が見い出せないのである。
……マジかよ。とても正気とは思えないのだが。
こんな絶体絶命のピンチにロースではなく肩ロースを選ぼうかとか考えているだなんて、俺の人生はどこで間違ったというのだろうか。
しかし今は人生を省みている余裕はない。
スクリーン右上にあるタイマーは刻一刻と時を刻んでいるのだ。
のんびりと悩むことが出来た時間は二度と戻らない。青春時代のあの無駄と思える程の無所属な時間はもう二度と返ってはこないのだ。
何を言っているのだ。落ち着け落ち着くんだ。素数を数えるんだ。違う。兎にも角にも正気に戻るんだ、俺。
一か八か、九死に一生を得られるか否か。
俺は覚悟を決めて選択肢の③を選び、ロースではなく肩ロースを選択した。
ちなみに目で見て念じるだけで、ロースではなく肩ロースを選ぶことが出来た。こんなところで親切にされたって。
仲間がいるわけではないので、選択した瞬間に叫ぶような真似はしない。
俺は念の為、時間の流れが元に戻った瞬間に急いで斜め後方に転がっていた。
盾の投擲から身を守り、王子の攻撃からも距離を取ることができる絶好の位置取りだと考えたからだ。
しかし結果としてその行動は不要だった。
なぜなら床をゴロゴロと転がっていた俺の耳に、王子の悲鳴が聞こえてきたからである。
「熱っ! 何? あっつい!」
見れば王子は盾を投げつけることなく、その場にうずくまっていた。
何が起きたのかと周囲に目を凝らせば、うずくまる彼女の傍らに一枚の肉片が落ちているではないか。
ホカホカと湯気を立てているその肉片は、間違いようもない程にロース肉であった。
それもただのロース肉ではない。上ロースと肩を並べるほどのエースクラス。希少部位であるが故にお値段高めのため、気軽に注文することは憚られる高額部位たる肉厚の肩ロース肉が程良く焼けた状態で床に落ちていたのである。
(待て。程良く焼けている……だと?)
違和感を感じた俺は、床に落ちている肩ロース肉を凝視した。
ホカホカと湯気を立てている肩ロース肉は確かに焼けているように見える。
生肉特有の赤い色はどこにも見当たらない。どうやらしっかりと焼かれているようだ。
今、目の前で床に落ちている肩ロース肉は食欲をそそる良い焼き色をしていたのである。
正直今すぐ拾って口に放り込みたいくらいの焼き加減なのだ。三秒ルールはこの世界でも有効なのだろうか?
これは確かにロースとは別物である。
ロースを選んだ時に出現していたのは、牛と豚と羊の、まだ焼いていない正真正銘の生肉だったからだ。
しかしこれは出現した時点で焼けていた。
目の前に落ちている肩ロースは、どう見ても間違いがないほどに見事な焼き具合になっていたのである。
恐らくクリスティ王子は、目の前に出現した肉片を思わず手にとってしまったのではないだろうか。
しかしそれが思いの外熱かったがために、ああして攻撃を中断し、七転八倒して身悶えているのだろう。
ひょっとするとこれはチャンスなのではないか?
相対していた絶対に勝てないであろう相手が、あからさまなスキを見せているのだ。
俺はこの千載一遇のチャンスを逃すまいと、一気に間合いを詰めて彼女の下へ近づいて行った。
どうせ見つかった時点で逃げ場はなくなっているのだ。
ならば彼女をこの場で正気に戻す以外、活路はないと腹をくくったのである。
クリスティ王子から盾を奪うため、俺は駆け足で彼女に近づいていく。
しかし敵もさるものであった。
俺が千載一遇のチャンスと考え、不用意に間合いを詰めたその瞬間。
それは相手にとっても距離を取っていた俺を捉える千載一遇のチャンスだったのである。
〈三択です!〉
今回の奇跡が発動した理由を、俺は十二分に理解していた。
なにしろ俺の眼下では、床に倒れていたはずのクリスティ王子が血走った目をしながら俺に向かって下からアッパー気味の攻撃を仕掛けていたのだから。
って、マジかよ! この無理な態勢から、盾と拳の二段構えだとぉ!?
〈クリスティが床に膝をついた体勢から、襲いかかってこようとしています。どうする?〉
①せめて盾の一撃は回避しければ! 吹き飛ばされるのは覚悟で左側に跳躍する。
②盾を避けても、拳を食らってしまってはどのみち詰みだ。この場で棒立ちになり、盾の攻撃で真っ二つになる。
⇒③ロースor肩ロース
クリスティ王子は、右腕からは高速回転する盾を、そして左腕からは固く握りしめた拳を俺に向かって放っていた。
右腕側に避ければ盾に殺される。しかし左腕側に避けても今度こそまともに拳を食らい、俺は行動不能にされてしまうだろう。
不用意に間合いを詰めたのが仇となった。
この態勢では完璧に躱すことは出来ない。どちらかの直撃は受けるというのであれば、即死をしない拳以外の選択肢がないではないか。
今回も前回と同じ理由で選択肢の①も②も選べない。
単純な目眩ましでは、相手の攻撃を避けることは不可能だろう。
ならばまたしても運を天に任せるしかない。
俺はクリスティ王子がもう一度肉片に手を伸ばしてくれることを願い、選択肢の③から肩ロースを選択した。
ジュウウウウウウ!
「あああぁぁぁ! 熱い! 肩あっつい!」
結果としてクリスティ王子はまたしても肉に焼かれることとなったのである。
ほど良く焼けた肩ロース肉が突然彼女の肩に現れたからだ。
焼けた肉が身体に触れる痛みとは筆舌に尽くし難いものがある。
彼女のこの体たらくも致し方なしと言ったところか。
……っておい、いい加減に認めるんだ。現実から目を背けるな。
今回は前回とは違う。転がって避ける暇がなかったがために、肩ロースが現れる瞬間をバッチリ目撃しているのだぞ。
肩ロースは確かに俺の目の前に現れていた。
そいつは確かに先程床に落ちていた、肩ロースと同一であろうと思われる肉だったのである。
そいつはまたしても焼けていた。
焼けた肉が突然現れたのだ。それが剥き出しの肩の上に乗ったのだから王子が悲鳴を上げるのも無理からぬと言えるだろう。
そう、俺が再召喚されたタイミングで奇跡に追加されていた新機能『肩ロース』とは。
焼けた肩ロース肉を対象の肩に召喚することが出来る奇跡だったのである。
「アホかい!!」
俺は力の限り叫んでいた。叫ばざるを得なかったのである。
肩に召喚されるから肩ロースって!
どこまでふざけるつもりなんだ俺の奇跡は! オヤジギャクにも程があるだろう!
こんな能力が何の役に……いや、現在進行系で相手の始動を潰すという中々の戦果を上げてはいるのだけれど、もっとこう使い勝手の良い別の能力とかなかったのだろうか。
呆れ果てていた俺の目の前では、クリスティ王子が再び立ち上がろうとしていた。
彼女はすかさず俺に攻撃を加えようとしてきたのだが、例によって三択の奇跡が発動し、俺が肩ロースを選ぶ度に、彼女の両肩のどちらかに焼けた肩ロースが召喚されて、彼女の攻撃は始動する前に潰されてしまうのである。
「があああぁぁぁ! くそぉ! この役立たずがぁ!」
そしてそんなことが何度が続いた後のことだったのだ。
クリスティ王子が突然叫んだかと思ったら、右腕に取り付けていた勇者の盾を留め具ごと放り出して、なんと文字通り身一つだけで肉弾戦を挑んできたのである。
単純な体術勝負に持ち込んだ方が勝機があると考えたのかもしれない。
もしくは勇者の盾の能力である『絶対防御』と『自動防御』が肩ロースの前では無力だったことが影響しているのか。
そう、あらゆる攻撃を全自動で防ぐはずの勇者の盾の『自動防御』と『絶対防御』は肩ロースの攻撃を防ぐことが出来なかったのである。
肩ロースは対象の肩に直接召喚される。
どれだけ強固な防御力を持っていようとも、体の表面に直接肉が召喚されては防ぎようがなかったのだ。
盾を捨てたクリスティ王子は血走った目をしながら俺に向かって突進してきた。
俺はその様子を冷静に伺っている。彼女が盾を捨てた瞬間にすぐに距離をとっていたので、観察する時間を得ることが出来たのだ。
もちろんこうなる可能性も戦いの最中に検討済みであった。
俺に向かって近づいてくる途中、彼女の表情からは一歩ごとに険が取れていった。
代わりに別の感情が彼女の顔には浮かんでいる。
恐らくあれは困惑しているのではないだろうか。
結局、俺のすぐ近くに到達する頃には、彼女は完全に正気を取り戻していた。
剥き出しの両肩に刻まれた肩ロースが原因のやけど跡が、彼女にこれは現実なのだと教えているようであった。
俺の当初の目的はこうして達成されたのだった。
ラグビーワールドカップ、日本VSスコットランドが面白すぎて危うく更新を忘れるところでした。




