第十四話
「起きろ! おい、いい加減に起きろ!」
「ふふふ……今日は奮発して肩ロースを注文しちゃおうかなぁ~。それともこっちの特選ロースセットにチャレンジするべきかなぁ」
「起きろ! おい、肉片男! 何を言っているのかさっぱり分からないが、美味そうな夢を見ていることくらいは分かるのだぞ! いい年こいて何だそのよだれは!」
「おお、爺さん。良い食いっぷりだなぁ。さぁもっとガンガン注文して、俺たちの血肉をロースそのものに……」
「仕方がない。喰らえぇ!」
「ふんがごぎゃごあがはぁ!」
突如猛烈な悪臭に襲われた俺は、飛び起きて床に叩きつけられたかと思うと、そのままゴロゴロと硬い床を七転八倒する羽目に陥った。
内容は忘れたが、腹を満たす幸せな夢を見ていたことは間違いなかったのだ。
それなのに突然、悪臭を伴って夢の世界から現実に引き戻されるとはどういうことなのか。
「カイト! おい、カイト! 大丈夫か?」
「ふっ……フロンか? 大丈夫と言って良いのかこれは? 鼻が……曲がる……」
「おい、グレン! あんたの靴はどんだけ臭いんだよ!」
「ふっ、伊達にここ数週間、まともに水浴びすらしていないわけではないぞ」
「威張ることかぁ! だからあんたら揃って臭うんだよ!」
「似たような臭いを放つ貴様に言われる筋合いはない!」
フロンとグレンの怒声が耳に入り顔を上げて見れば、狭い室内には幾人もの人の姿を確認することができた。
誰も彼もが薄汚れた格好をしており、不安そうな顔つきをしている。
誰だこいつら。俺たちがこの神殿を訪れた時にはこんな連中はいなかったはずだけれど……。
「バルガス王子殿下。申し訳ございませんが、お目覚めいただけますか?」
「扱いが全然違う! バルにもあんたの靴を嗅がせろよ!」
「ふざけたことをぬかすんじゃない! 皇国の王子殿下にそんなマネが出来るかぁ!」
「バルの奴、目覚めないじゃん! さっきから大分騒がしいのに一向に目覚めないじゃん! カイトと同じく!」
「こんな常識も持っていないような肉片男と王子殿下を一緒にするな! バルガス王子殿下にとって睡眠は重要なものなのだ! 多分!」
「多分なのかよ! 睡眠が重要だってんなら、どうして今頃眠気に襲われてんだよ! 真っ昼間だぞ!」
「決まっているだろう! 王子殿下は我々の暮らしを良くするために、昨夜は徹夜でこの国をどう統治していくか考えてくださっていたのだ!」
「いや、それは違う。バルは昨夜、夜通し俺の部屋で語り明かしていただけだから」
「え?」
「ほれ見たことか! 貸せ!」
「あぁ! 止めろぉ!」
フロンはグレンが持っていた靴を奪うと、それをバルガス王子の顔へと問答無用で押し付けた。
「がはごほぼへどはぁ!」
途端、王族が上げてはいけないであろう声が室内に響き渡る。
バルガス王子は鼻を押さえながらベッドから転げ落ち、俺と同じように床に叩きつけられて悶絶していた。
そう、俺たちはいつの間にかベッドのある部屋へと移動していたのだ。
恐らく寝ている間に運んでくれたのだろう。
粗末なベッドではあったが、睡眠不足にも程があった俺にとっては十分な代物だった。
どれだけ時間が経ったのかは分からないが、フロンの様子を見る限りそれほど経過してはいないようにも思える。
それでも大分体調は回復していた。頭もしっかりと働いている。
短時間の睡眠であっても、高い効果を得ることは出来るのだ。
先進的な企業では昼休みに従業員に昼寝を推奨していると聞くが、確かにこれは導入する価値がある。
そんなことを考えている間にバルガス王子はようやく立ち上がり、フラフラになりながら周囲に目を凝らしていた。
「ううう……最悪の目覚めだ。いまだかつて私の人生において、これほど酷い目覚めを経験したことなど一度としてない……」
「うおぉぉ! 流石は筆頭騎士グレンの一撃! 皇国の王子様にもその効果は抜群だぁ!」
「止めろ! 本当に止めてくれ! 誤解を招くような言い方をするんじゃない!」
「……グレン? 貴様が私に不快な目覚めを与えたというのか……?」
「誤解です、王子殿下! 犯人は私ではなく、この犬顔の化物でして……」
「おい、猫派! いくら犬嫌いだからって、俺の仲間を化物呼ばわりするんじゃない!」
「誰が猫派だぁ! そんな話はしていないと言っているだろう、肉片男! それと私は生粋の馬好きだ!」
「何だと!? まさかの馬派だったのか! それは新しい! だが、だからといって犬を嫌うのは……」
「嫌っているからこんな態度をとっているわけではない! お前はおかしいと思わないのか、肉片男! 犬なのだぞ? 二足歩行をしていて、全身毛むくじゃらで、尻尾まであるのだぞ?」
「獣人なんだから当たり前だろうが!」
「落ち着け、グレン。肉屋殿、一つお尋ねしたい。フロンの姿を見てあなたは何を思う?」
「愚問ですね、バル。格好良い! モフモフしたい! これぞ異世界! ってところでしょうか」
「最初の二つに関しては個人の趣向が多々感じられるが……まず始めに言っておこう。この世界にはフロンのような存在はどこにもいないのだよ」
「そりゃあ、人は世界に一人だけでしょうからね」
「いや、違う。そうではない。そういう意味ではないのだ、肉屋殿。私が言っているのは、フロンのように獣の姿をした人間など、この世界には他にいないということだ」
「は? えっ、でも現に目の前にいるじゃないですか」
「だから驚いているのだ。だからこそ問題なのだ。確かに獣人族は二百年前までは存在していたとされているが……」
「二百年前? あれ? それってつまり……」
「ああ、獣人族を含めた亜人と呼ばれていた人に近い姿を持っていた者たちは、皆魔族と一括りにされて、二百年前に根絶やしにされているのだよ」
「えっ? じゃあ、エルフやドワーフなんかも?」
「何故そのことを知っているのかは知らないが同様だ。彼らは揃って魔物から派生した存在であったから、一様に魔族として扱われ、最終的には滅ぼされた。今この世界に存在する知能を持った人種は、人間以外に存在しないのだ」
「いやいや。でも、だって……」
「そう、それなのにフロンのような存在が目の前に現れたから私たちは驚いているのだよ。これは私たちの常識を覆す出来事なのだ」
俺は改めてフロンの姿を見つめる。
フロンは不安そうな顔をしながらも、俺の隣で黙って話を聞いていた。
その顔は犬であり、体は全身毛むくじゃらだ。
誰がどう見たって獣人そのものの姿である。ファンタジー世界にはお約束の、どこにでもいる犬の獣人だ。
しかしこの世界の獣人たちは過去の世界で魔族として扱われ、二百年前には既に滅ぼされているのだという。
じゃあここにいるフロンは一体何者なんだ?
ひょっとして俺と同じく異世界から召喚されて来たのか?
もしくは過去の世界から時を越えてやってきたという可能性もある。
「どっちも違うよ。オイラはこの国で生まれてこの国で育ったこの国の国民なんだ」
俺の疑問にフロンはそう答えた。
しかしそれだと理屈に合わない。
獣人たちは二百年前には既に滅ぼされているのだから、獣人のフロンがこの国で生まれるのはおかしいではないか。
まさか生き残っていた獣人たちがいたのか?
国は秘密裏に彼らを匿っていた?
隠れ里みたいな場所があって、フロンはそこからやってきたとか?
「それも違う。オイラの両親は普通の人間で、オイラもこの街に来るまでは普通の人間の姿をしていたんだ」
フロンは獣人ではなく普通の人間だった?
じゃあ何故フロンは今現在、ガチの獣人になっているのだろう?
一体誰がこんな素敵な真似をしたのか。
いや待て。当の本人は見たところあまりこの状況を喜んでいるようには見えない。
俺が、俺だけが獣人に会えたことで喜びを爆発させている状況ではないか。
フロンが自らの獣人化を喜んでいないのならば、俺は自重をするべきだろう。
尻尾に触りたいとか、喉を鳴らしたいとか、背中を擦ってモフモフを堪能したいとかは思っても行動に移してはいけないのだ。既にやってしまった後だが。
それはフロンに対する礼儀だ。
俺たちを城から脱出させてくれた恩人に礼を欠くわけにはいかない。
だから収まるんだ俺の衝動よ!
俺はフロンにさらなる質問をするつもりであった。
しかし俺が口を開く前に、扉が激しく叩かれて、部屋の中に人が入ってきたのである。
「グレン! 駄目だ! もう限界だ!」
「もうしばらくどうにかならないか? こちらは何一つ話が進んでいないのだぞ」
「無茶を言うな! スラムに加えて下町の神殿で働いていた神官全員が国王派の魔法使いだったんだぞ! どうにか不意打ちで全員仕留めたとはいえ、騙された上に毒を飲まされていたと知らされた住人たちは暴走寸前だ!」
「どういうことだ、グレン。まさかここ以外にも王国の魔法使いがいたのか?」
「おっしゃる通りです、バルガス王子殿下。王子殿下と肉片男が寝入った後で、私は街のあちこちに散らばっている歓迎軍の幹部を集めようとしました。しかしその時私は気付いたのです。私たちは各地区の神殿を拠点としていましたが、そこの神官たちもひょっとすると、ここと同じように王国の魔法使いが化けているのではないかと」
なるほど、確かにそう考えても不思議ではないのかもしれない。
この神殿だけたまたま魔法使いがいたと考えるよりも、他の神殿にも同様に派遣されていたと考えるのが自然だからな。
しかしそんなことよりも、グレンの俺の呼び名が肉片男であることに一言もの申したい。
そりゃ確かに俺はロースという肉片を召喚しているさ。
だからといって、肉片男はないだろう。
バルガス王子も肉屋呼ばわりだし、まともに名前を呼んでくれているのは、この世界ではフロンだけではないか。こんちくしょうめ。
「そこで私は近場の神殿を訪ねて、神官を不意打ちで昏倒させました。そして調べてみたら、証拠が出るわ出るわ。こちらで暴れた偽神官とまったく同じことをしていた数々の証拠が出てきたために、私は全ての神殿の神官を疑わざるを得なくなったのです」
「なるほどな。それで結局、他の神殿の神官全員を襲うことにしたというわけか」
「そうです。一つの神殿には基本的に一人の神官しかいないため、襲撃自体は割りと簡単でした。しかし神官を信じ切っていたスラムや下町の住民たちにとってはショックが大きかったようで……」
「まぁその反応も致し方あるまい。彼らは信頼していた相手から、知らない間に毒を盛られていたわけだからな」
「兎にも角にも私はスラム及び下町の神殿全てを回り、偽神官を全て倒しました。結果は全滅。全員が王国の魔法使いだったという最悪の状況でして。結果として各地区に散らばっていた住民全てがこの神殿に押しかけてきているのです」
「そうなのか? それにしては物音がまったく聞こえないのだが」
「王子殿下、神殿には神への祈りを邪魔しないようにという理由で、外部の音が聞こえないように遮音の魔法が掛けられているのですよ。この神殿を一歩でも出れば、そこは今や灰色の人だかりなのです」
「灰色?」
「全員薄汚れていますからね。遠くから見ると灰色の巨大な生き物のようにも見えるのです」
その時、再び扉の向こうから人が慌てて駆け込んできた。
今度は女性だ。そしてその女性は顔を真っ青にして現状を室内にいる人間に告げたのだった。
「一部の暴徒化した民衆が、神殿の扉を破壊しようとしています! これ以上は持ちません!」
「なにぃ! くそっ、一体どうすれば良いんだ!」
「行くぞ、肉屋殿」
「バル?」
「バルガス王子殿下。一体何を?」
見ればバルガス王子はいつの間にやら身なりを整え、扉を潜って部屋の外へ向かおうとしていた。
「ここで民衆が暴動を起こしても、城にいるあの老害が得をするだけだ。私と肉屋殿でこのパニックを沈静化する。ついてきてくれ、肉屋殿」
「いや、俺が行っても大したことは出来ないと思いますが……」
「大丈夫だ。あなたにはあなたにしか出来ないことがある」
「俺にしか出来ないこと」
「そうだ。そしてあなたがいることで、私の言葉は彼らに届くのだよ」
暴徒化した民衆が神殿になだれ込んできたら無事に済むとは思えない。
俺はバルガス王子の腹案に期待して、彼の後を追って神殿の入口へと向かうことにした。
ドンドン! ガンガン!
ドンガン! ドンガン!
俺たちが神殿の入口に辿り着いた時、扉は外部からの破壊にさらされ、壊される時を待つばかりとなっていた。
絶え間なく扉は叩かれ続け、段々とその形が歪んでいくのが良く分かる。
遮音の魔法がかけられているのに、どうして音が聞こえるのだろうと思ったが、どうやら歪んだ扉に隙間ができ、そこから外部の音が入り込んでいるようだ。
俺たちは窓に近づき、そこから外の様子を伺った。
神殿の外はグレンが言ったとおり、灰色の人だかりで埋まっている。
どれだけの人数が詰めかけているのか見当もつかない。
道幅いっぱいに広がったこの街の住民が、押し合いへし合いこの神殿の中に入り込もうとしているのだ。
「今から私がこの窓を開けて、外の民衆に呼びかける。あなたは肉を呼び出して、彼らの注意を引いてもらいたい」
「肉!? ってロースですか? なんでこの状況でロースなんです?」
「言っておくが肉を食べたいわけではないぞ。あなたが肉を召喚する際、凄まじい光が発生するだろう? 彼らにそれを見せれば、一時的に注意を引くことが出来るはずだ。その間隙を付けば、興奮した彼らにも私の言葉が届くかもしれない」
「しかし俺が危機に陥らなければ、ロースの召喚は出来ないのですよ?」
「それも問題ない。この窓を開ければそれだけで、あなたは危機に瀕するのだからな」
そう言ってバルガス王子は窓を開け放ち、神殿の外へと顔をのぞかせた。
その途端、外に集っていた民衆が一斉にこちらに顔を向ける。
それは正しく恐怖映像だった。千を超える人の顔が一斉にこちらを向いているのだ。
集団が放つ視線の圧力というやつを俺は初めて経験した。
彼らは俺たちの存在を認識すると、まるで獲物を見つけた野生動物のように、一斉に俺たちに向かって殺到してくる。
〈三択です!〉
それを認識した直後、俺の脳裏にはバルガス王子が予言した通り、三択を告げる声が響き渡っていた。
どうやら俺の奇跡は、この状況を危機だと判断したようだ。
狙ってこの危機を演出したとすれば、王子も中々の策士なのだろう。付き合わされる方はたまったものではないのだが、
〈興奮した民衆が一斉に押しかけようとしています。このままでは押し潰されてしまうでしょう! どうする?〉
①彼らに必要なのは落ち着くことだ。王子の指示に従いロースを呼び出す。
②パニックに陥った群衆が説得に耳を貸すとは思えない! 何もしないで裏口から脱出!
⇒③ロース
これは珍しい。選択肢の①と③が同じ結果になるではないか。
①を選んでもロース、③を選んでもロースが呼び出されるようである。
それとも①と③では結果が違ったりするのだろうか?
選択肢の①を選んだ場合は、光の演出はなしにロースだけが出現するとか?
選んでみなければ結果は分からない。
そしてこの状況で一か八かの賭けをするなど流石に出来はしないのである。
俺は無難に③を選び、光り輝くロースが神殿の前の降臨した。
押しかけようとしていた民衆は王子の予言どおりに動きを止める。
俺からすれば一枚のロースを召喚しただけに過ぎないが、彼らにとって見れば神殿の前に突然眩い光が現れたように見えるはずなのだ。
ほとんどの民衆は呆然とした表情で動きを止めている。
中には跪いて祈りを捧げている者もいるようだ。
ロースに祈りを捧げてどうするのだろう?
知らぬが仏とはこのことか。いや、仏ではなくてロースであるのだけれども。
「傾聴せよ! 我が名はバルガス=ウェールリア! ウェールリア皇国の第一王位継承者である!」
バルガス王子の言葉を耳にした瞬間、俺は冷や汗をかくことを止められなかった。
あんたそれはほんの少し前にグレンに言って失敗したばかりの説得じゃないですか!
と突っ込みたいところではあったのだが、そんなことが出来る場面ではないことくらいは俺にだって分かるのである。
「我々は現在、グレンと共に王国残党の処理を進めるべく話し合いの場を設けている! 王国の魔法使いの暗躍に心乱される気持ちは良く分かる! しかし落ち着いて考えてもらいたい! 魔法使いたちは既にグレンたちの手によって倒されている上に、この国は昨日我が皇国の手に落ちているのだ! 今は残党刈りをしている段階なのである! あなたたちに危害を加える者たちを我が皇国は決して無視したりはしない! だから安心して日々の暮らしを続けてもらいたい!」
城を取り戻した国王が放つ刺客との戦いを残党刈りと言い切ってしまうとは。
確かに王国を滅ぼした皇国側の視点では、そういうことになるのかもしれない。
実態は皇帝が殺されており、城に入った兵士たちが敵の手中に落ちていたとしてもだ。
まぁこの場に集まった人たちは状況をまったく分かっていないだろうから、これで良いのかもしれないが。
「私たちはこれから神殿内部で詰めの協議に入る! 結果は折を見て順次報告する予定だ! 一人でも多くの外道を捕らえるために、どうか邪魔をしないでいただきたい!」
バルガス王子のこの説得は予想以上の効果をもたらした。
新しい支配者である皇国の王子の機嫌を損ねることを恐れたのか、結果を教えてくれるという王子の約束が効いたのか。
あれだけ詰めかけていた民衆は潮を引くように消えてしまったのだ。
「不安に陥った民衆には、指針を示すことが必要なのだよ」
というバルガス王子の言葉には、こういった状況が初めてではないという経験者の余裕が感じられた。
こうして俺たちが寝ている間に勃発していた危機は無事に収束したのである。
そうしてようやく俺たちは、状況の共有を行うことが出来たのだった。




