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第十三話

「なっ!?」

「ひっ!」

「何だぁ!?」

「わあぁ! 止めて! 見ないでぇ!!」


 黒い包帯の向こうには剛毛が広がっていた。

 いや、これは毛むくじゃらと表現するべきだろう。剛毛と言ってしまっては、このフサフサ感が伝わるとは思えない。

 包帯が解けた結果見えたフロンの真の姿は、全身が毛に覆われていたのだ。


 上から下まで全身毛だらけである。

 体毛のほとんどは布と同じ黒で、少し白が混じっていた。

 というか、恐らくこれは体毛に合わせて黒い布を全身に巻いていたと考えられる。多少ずれても気付かれないだろうからな。


 布は足首のあたりまでずり落ちてしまったため、ほぼ全身を確認することができた。

「布を取ったら全裸になる」とか言っていたが、腰にはボロ布が巻かれている。

 大事なところはきちんと隠してあるようだ。

 そしてそのボロ布の後ろからは、同じく毛むくじゃらの尻尾が垂れ下がっていた。


 そして何よりも顔である。

 包帯に隠されていたフロンの顔は、まさに犬そのものであったのだ。

 真っ赤な両目と高い鼻。

 そして頬まで裂けた口とピンと伸びた二つの犬耳を持つその顔は、どこからどう見ても犬そのものだったのである。


 あえて言えばシベリアンハスキーに近い顔立ちだろうか。

 二足歩行をするシベリアンハスキーが俺の目の前に佇んでいる。


 そう、黒い布で全身を覆っていた怪人フロンの正体とは、何と黒を基調とした毛が全身を覆っている犬の獣人だったのだ。


 布がずり落ちてフロンの正体が顕になった瞬間、神殿内にいた全ての人間がフロンから一歩距離をとった。

 そして彼らは同時に口を開き始める。

 俺もまったく同じタイミングで、フロンの姿を目にした驚きを口にしていた。


「ば……」

「ば……」

「化け……「バリかっこ良か!!」えぇっ!?」


 おっと、思わず博多弁が口から飛び出してしまったようだ。

 周りから聞こえてきた「ば」の合唱に釣られたということもあるが、この感動を標準語で表せるとは思えない。思わず故郷でもない方言が飛び出ても仕方ないではないか。


 なにしろこんな格好良い獣人が突然目の前に現れたのだ。

 我慢することなど出来るわけがない。俺はそれほど我慢強い人間ではないのだから。


 俺はダッシュでフロンの下へと近づき、遠慮なく手を伸ばして顔や腕や尻尾の感触を確かめ始めた。


「なぁ!? ちょっ! ふあぁ!? やめぇ! なっ、何するとねぇ! ちょっ、本当に止めて……」

「肉屋殿? 肉屋殿!」

「ふおおおぉ! もふもふ! 真のもふもふが俺の手の中にぃ!」

「ふにゃあ!? おふぅ! ちょっ……カイト! やっ、止めぇ……ヒィン!」

「ふふふ……ここか? ここが良いのんか?」

「にっ、肉屋殿? ちょっと、落ち着いてくれないかな、肉屋殿!」

「ここか? ここか? それともここか?」

「ほうっ!? うほぉぅ! はひふへほぅ!」

「ほう、ほう、ほほぅ? ここだな? ここで決まりなんだな? ファイナルアンサー?」

「はう! はお! ひっく……。ば、バル……助け……」

「落ち着き給え、肉屋殿! フロンが泣いているではないか!」

「…………はっ! 俺は今、一体何を?」


 バルガス王子の手で強制的にフロンから引き離された俺は、ようやく正気を取り戻した。

 俺の前ではフロンが床に倒れ込み、四つん這いで荒い息を吐いている。


 毛むくじゃらの姿で四足で地面に倒れ込み、舌を出して荒い息を吐いているその姿はまさに犬そのものだ。

 ファンタジー要素なんぞ欠片もなかったところに、突如目の前にガチの獣人さんが現れたため、理性が飛んでしまったらしい。


 反省だ。反省をしなければ。

 Yesロリータ、Noタッチ。Yesビースト、Noタッチである。


 野生動物との過度な接触は生態系の乱れに繋がるのだ。

 お触りは禁物である。無闇矢鱈に手を出してはいけないのだ。


 愛でなければ。愛でるのだ。目で見て視界に福を授けるのだ。眼福というやつだ。本当か? 知るか。

 兎にも角にも格好良い獣人がいるからといって、相手の了承もなしに触りまくるなど真のケモナーとは言えない。俺はケモナーだったのか。


 一方的では愛は成立しない。双方の了承があって初めて愛は育まれるのだ。一方だけの愛は惨劇に繋がる。「愛をとりもどせ!」と叫んでいいのは、真の愛を知っている者だけなのだ。俺の愛はどこにあるのか。


 今俺がすべき事は何だ? フロンに触ることだ。違う。フロンと仲良くなることだ。

 あれ? 結構前からだいぶ仲良くなっていたような気がするな。これ以上仲良くなるにはどうすれば良いんだ?


 やはり衣食住だろうか。

 ……服は買えないし、住処もないな。

 では食か。食べる物……食べ物といえば……


「はい、フロン。あ~ん」

「え?」

「肉屋殿?」

「ほれほれ、あ~ん。旨いロースだぞ。あ~ん」

「いや、旨いって……カイトはその肉を食べたことがあるのかよ」

「ないぞ」

「ないのかよ!」

「ないけれど、まず間違いなく大丈夫だ! なにしろこれはあの焼き肉好きのサンタの爺さんのおかげで手にした奇跡から生まれた肉だからな!」

「オイラにゃそのサンタの意味も分かんねぇんだけど!?」

「気にするな! 旨い肉であることに疑いの余地はない!」

「本当だろうな……ていっ!」


 そう言ってフロンは俺が掲げたロースを口に咥えた。

 手を使わずに直接口でロースを食べるその姿はまさに犬そのものである。

 顔の目の前にロースがあったからかもしれないが、俺はその姿を見てフロンが犬の獣人であることにいよいよ確信を深めた。生肉だし。


 もぐもぐと口を動かしたフロンは、あっという間にロースを食べ尽くしてしまった。

 そしてその両目はすぐに驚きに見開かれる。

 どうやら俺の考えは、間違っていなかったようだ。


 サンタ肉万歳! いや、これだとサンタの爺さんから採取した肉みたいではないか。

 『クリスマスハント! サンタクロースを食してみた!』とか?

 流石にあの爺さんを狩って食べたいとは思えない。サイコスリラーか。

 


「これは……ちょっと驚いたぜ、確かに美味い。オイラこんな旨い肉を食ったのなんて始めてだよ」

「それは良かった。まだまだ……は、ないけれど、次の機会があれば必ず食わせてやるよ」

「おう! 楽しみにしてるぜ!」

「楽しみにしてるぜ、じゃあない!」


 俺とフロンの心温まるふれあいはグレンの空気を読まない怒声で中断を余儀なくされた。

 見ればグレンはナイフを抜いて、真剣な目で俺たちを睨んでいる。

 いや、その目は俺など見てはいなかった。グレンの目にはフロンの姿だけが写っていたのである。


「ああすまないグレン。ほったらかしにして悪かった。えっと……それで何だったっけ? どうして王国の筆頭騎士とやらであったあんたがスラムなんかにいるんだい?」

「いつ誰がそんな話をしていた!」

「ん? ああ、そうか。この肉を食わせるって話だったっけな。すまない、グレン。俺のロース……じゃなくて、俺が生み出したロースを食べるのはまた次の機会にってことで」

「そうじゃない! いや、確かにお前はそう言っていたけれど、そうじゃないだろう!」

「じゃあ何だよ? ああ、そういえばあの偽神官はどうして吹き飛んだんだ?」

「「ひでぶっ!」を自分に打ち込んだからに決まっているだろう! まさか知らないとでも言うつもりか?」

「知らないんだ」

「どこの田舎者だ、お前はぁ! お前のような変な男がどうしてそんな化物と共にバルガス王子殿下に同行しているんだぁ!」

「おいおい、化物とは失敬だな。あんたの好みに口出しをするつもりはないが、そこまで嫌うことはないだろう。ひょっとしてガチの猫派なのか?」

「話が通じない! この危機的状況をまるで理解していないぞ、この男!」

「危機的状況なんてどこにもないぞ? 俺の奇跡が発動していないのだから間違いないはずだ」

「助けてください、王子殿下! 私ではこの状況に対処できません!」


 グレンは何故か涙目でバルガス王子に縋り付いていた。

 ボリボリと頭を掻きながら嘆息したバルガス王子は、俺とフロンを真っ直ぐに見つめ、何かを言おうと口を開きかける。


 ぐ~


 丁度そのタイミングだったのだ。俺の腹の虫が鳴ったのは。

 思えば昨日兵士たちと食堂で夕食を食べて以来、水すらも口にしていないではないか。

 俺は思わず腹に手をやり、もう少し待ってくれと俺の腹に呼びかけた。


 ぐ~


 と、同じような音がしたので目を向ければ、バルガス王子もまた、俺と同じように腹に手を当てて困った顔を作っているではないか。

 バルガス王子は咳払いをして、ゆっくりとグレンに目を向けた。


 それでグレンも理解したのだろう。

 大きくため息を付いたグレンは神殿の奥へと俺たちを連れていき、そこで俺たちに朝食を振る舞ってくれたのだ。


 カチカチの黒パンと、ほとんど味のしないスープであった。

 俺たちを襲ってパンを手に入れようとしていたくらいなのだ。グレンたちに金がないのは明白である。


 多分これが精一杯のもてなしなのだ。

 俺たちは文句も言わずにスープでカチカチの黒パンをふやけさせて柔らかくしてから口に放り込み、とりあえず空腹から開放された。

 同時にスープを飲んだことで喉の渇きからも開放される。

 思えば一晩中話し詰めで、地下牢に入れられてからはずっと逃げ続けていたのだ。

 アラフォーにはキツイ。いやアラフォーでなくてもキツイだろう、こんな状況は。


 ほとんど味のしないスープであっても、空腹と渇きという極上のスパイスさえあれば、あっという間にごちそうに早変わりしてしまう。

 ようやくひと心地付くことが出来た俺は、直後物凄い眠気に襲われた。

 当たり前である。一体どれだけ連続で起き続けていると思っているのだ。もう若くはない。いや、若くても流石にこれだけの長時間起床は体に毒だ。


 三時間、いや一時間半でも構わない。寝ないと死ぬ。というか、もはやどうやっても眠気に勝てそうにないぞこれは。この世界には眠気覚ましの栄養ドリンクなんてないだろうしな。仕方がない、寝るか。


「悪い……少し……眠る……」

「はぁ!? ちょっ、おま! このタイミングでぇ!?」

「確かに。腹に物を入れたら……抗えない眠気が……」

「え? ちょっ! 嘘でしょう? 嘘だと言ってよ、バルガス王子ぃ!」

「すまない、グレン。ほんの少し……ほんの少しだけだから……」

「そんな若い男女の逢瀬みたいなやり取りをされたって困りますよ!」

「すー」

「もう寝ているだとぉ! 何なんだよ、この人たち!」

「ははは……正体がバレることを心配していたのが馬鹿らしくなってくるなぁ、オイラ」

「……なんか、大変だな。お前も」

「う~ん……どうなんかねぇ?」

「は~、分かった。少しだけ寝ててくれ。俺はその間に歓迎軍の他の連中を呼び集めてくる」

「他の連中を呼ぶのか? そりゃまたどうして?」

「この訳の分からない状況に俺だけでは対処できそうにないからだよ!」

「そりゃそうだろうなぁ」

「言っておくが、お前も問題の一つなんだからな!」

「分か……るさぁ」

「だったら…………いろ」

「…………」

「…………」


 眠気に負けた俺が覚えていたのは、ここまでである。

 これ以降の会話はまったく記憶していない。寝ていたのだから当然ではあるのだが。


 目を覚ました時には、状況が良くなっているようにと願い、俺はあっという間に意識を失った。


 しかし目を覚ました俺たちの前にはさらなる問題が押し寄せていたのである。

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