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第十一話

 三択が告げてきた内容を理解した瞬間、俺の頭の中は真っ白になってしまった。

 しかし例によって時間の流れは停止し、俺の前には三択の内容が表示されたスクリーンが現実を受け止めろとでも言うかのように浮かび上がっている。


 俺はそこに書かれている内容を今一度良く見直してみた。

 脳内に響き渡った声と目の前の文字に一字一句違いはない。

 そこには目の前でお茶を運ぶ優しそうな神官と楽しげに笑う子供たちという現実を否定する衝撃の内容が記されていた。



〈神官に化けた王国の魔法使いが、子供たちに毒入りのお茶(微毒、継続摂取により人体変異性あり)を飲ませようとしています! どうする?〉



 どうするって……どうすりゃいいんだよ、こんなもん。

 王国の魔法使いが神官に化けている?

 継続摂取により人体変異性がある毒入りのお茶?


 あまりにも予想外すぎるその内容に、俺の思考はショート寸前であった。

 そもそも国が滅んだというのに、どうして王国の魔法使いとやらはこんな所で神官に化けているのだ。


 しかもここはスラムとはいえ、仮にも自国の街の中ではないか。

 この魔法使いとやらは自国民を相手に、神官に化けて正体を隠して毒を盛っているというのか?


 この三択の内容は本当に正しいのだろうか。

 今更疑いたくはないけれど、これは流石に意味不明過ぎる内容だった。


 そもそもどうして俺ではなくて子供たちの危機に反応したのだ。

 この奇跡に関しては、あの兜男のエルハルトが丁寧に解説してくれていたではないか。


『危機を察知すると、少しだけ周囲の動きが止まって三択が出る奇跡』なのだと。


 ……いや、待てよ?

 ひょっとすると俺は、あの兜男の解説を勘違いしていたのかもしれない。


 ここに書かれてある内容が本当ならば、子供たちは間違いなく危機に直面していることになる。

 俺はてっきり俺の危機にだけこの三択の奇跡は反応するのだと思っていたが、確かにエルハルトは『俺の危機』とは一言も言ってはいなかった。


 この三択の奇跡は、俺以外の危機にも反応するのか?

 ならどうして同じ毒入りの茶を飲んでいるはずの、向こうの女性や老人には反応しなかったんだ?


 俺は茶を飲んで旨そうな顔をしたまま停止している女性や老人たちに目を向けた。

 このお茶が本当に毒入りなのだとしたら、この神官は彼らにも毒を飲ませている可能性が高い。


 というか、そう考えなければ不自然だろう。

 なぜならこれだけの人数を相手に、狙った相手にだけ毒を飲ませるような真似は難しからだ。


 子供だけに飲ませようとしても上手くいかないだろうから、恐らく全員に同じ毒入り茶を振る舞っているはずなのである。


 女性や老人の危機には反応せず、子供たちの危機にだけ反応したというのか?

 一体何が違うんだ? 彼らと子供たちはそりゃ大人と子供なわけだから違いはあって当たり前だけど……待てよ、大人と子供?


 俺はこの三択ロースという奇跡が発動する条件を垣間見たような気がした。

 しかし長々と考察している時間はない。

 見れば既に残り時間は一桁に突入していたのだ。

 タイムアップになった時にどうなるのかは分からないが、わざわざリスクを犯す必要もないだろう。


 俺は頭に浮かんだこの奇跡の発動条件を半ば確信し、選択肢の②を選んだ。

 停止していた世界は次の瞬間には元へと戻り、俺は神官に化けた魔法使いの暴挙を止めるため、大声を上げて子供たちの動きを止める。



「そのお茶を口にしては駄目だ! 毒が混じっていて、継続摂取をすると人体が変異する可能性があるぞ!」

「な!?」

「え?」

「ヒイィ!?」


 神殿の中にいた全ての人間の視線が俺に集中する。

 スラムの住人たちは呆気にとられたような顔をしていたが、一拍置くと『なんて失礼な男だ!』とでも言うかのような憤怒に満ちた表情に変わってしまった。


 突然現れた俺のような得体の知れない男が、優しい神官様を犯罪者呼ばわりしたのだ。

 彼らのこの反応も当然と言える。


 唯一俺の言葉にまともに反応してくれたのは、バルガス王子とフロンだけだった。

 この二人は街を逃亡している間、俺が出す突然の指示が正しかったことを知っているため、俺の言ったことを真面目に受け止めてくれたのだ。


 それにしてもフロンの反応が過剰すぎる。

 フロンは明らかに狼狽し、せわしなく体を動かしながら、キョロキョロと視線をさまよわせていた。

 それでいて神官に化けた魔法使いからは決して視線を外していないのだ。

 俺の言葉を信じ、偽神官の動きを見逃さないようにしているのは明白だった。


 しかしスラムの住人たちはそうはいかない。

 彼らからすれば、俺の忠告など光る肉片を呼び出した得体のしれない男の妄言でしかないのだ。

 この忠告を口に出したら彼らから白い目で見られることは分かっていた。

 それでも俺に子供たちの危機を見捨てるという選択肢はなかったのだ。


 なにしろ俺の持つ奇跡の名前は三択ロース。

 その元ネタと考えて間違いないサンタクロースは良い子の味方なのである。


 恐らくこの奇跡は、俺と俺の近くにいる子供の危機に反応するのだ。

 子供の危機を見捨てたりしたら、俺は元の世界に帰った時に、あの爺さんに合わせる顔がない。

 そもそもここで流れを切っておかないと、俺たちも毒入り茶を飲む羽目になるかもしれなかったのだ。選択の余地など最初からなかったのである。


 状況が動いたのは三人が動いたからだった。

 バルガス王子とグレンと偽神官が、同時に俺に向かって動き出したのだ。


 バルガス王子は疑惑に満ちた目をしていた。

 しかしそれでも、これまでのことがあるために無視はできなかったのだろう。

 詳しい話を聞くために、俺に向かって一歩を踏み出そうとしていた。


 一方グレンは目に見えて怒っているのが丸分かりだ。

 彼は表情を真っ赤に染め上げ、その拳は固く握りしめられている。

 俺が起こした突然の暴挙に文句を言おうというのだろう。

 彼は大股で俺に近付こうとしていた。


 そして偽神官は。

 神官に化けていた王国の魔法使いは運んでいたお茶をお盆ごと投げ捨てると、俺に右手を向けて予想外の言葉を投げ掛けて来たのである。


「あべしっ!」

〈三択です!〉


 いつもの声が脳裏に響き渡ったが、俺はそれ以前に自分の耳がおかしくなったのではないかという疑いで一杯だった。

 三択が出る寸前、偽神官は俺に手を向けて確かに「あべしっ!」と叫んでいたのだ。


 いや「あべしっ!」って、「あべしっ!」って!


 何だよ「あべしっ!」って!

 いや「あべしっ!」と言えば、あの七つの傷を持つ男が主人公の作品に出てくる雑魚キャラの断末魔だってことくらいは理解している。


 だがこれは、いくらなんでも聞き間違いであるはずだ。

 この世界にアニメや漫画があるとは思えない。

 そもそもそれを偽神官が叫ぶ理由がないではないか。


 先程の三択と合わせ、正直自分の奇跡の正常さを疑いかけていた俺であったが、現実に止めを刺すかのごとく、俺の脳裏に新たなる三択が告げられたのだった。



〈正体を見破られたと勘違いした王国の魔法使いが、肉魔法「あべしっ!」を放とうとしています! どうする?〉


 ①こんな訳の分からない世界にはもう付き合っていられない。大人しく魔法に当たってあの世に行く。

 ②この状況下では避けるのは困難! すぐ近くにいるバルガス王子とグレンを盾にして脱兎のごとく逃走を図れ!

⇒③ロース



 おいぃ!?

 何だよ肉魔法って!

 しかもあの世行き? 即死級の魔法なのか、肉魔法「あべしっ!」は!


 何だよこれ! 一体何をどうしたら良いんだよ、俺は!

 魔法を喰らったらあの世行きってことは、バルガス王子とグレンを盾にしたら二人が死ぬってことじゃないか!


 駄目だ、流石に状況が意味不明すぎる。

 即死級の魔法を受けるわけにはいかないし、かと言って二人を盾にするわけにもいかない。


 バルガス王子は俺の生命線で、グレンはスラムの住人たちのリーダーだ。

 つまりこの二人を盾になんかしたら、この謎の肉魔法とやらから逃れたところで俺の死は確定してしまうのである。


 それじゃあ再びロースなのか?

 選択肢の①と②は選べない。つまりここでも俺はまたロースを選ぶしか手がないのか?


 おかしいだろう! どれだけロース頼りなんだよ、俺の人生!

 こんな馬鹿な話があってたまるか。というか、即死級の魔法を相手に肉片一枚でどうしろと……いや、待てよ?


 俺は心を落ち着かせて、もう一度三択が表示されたスクリーンを見直した。

 そこにはこの状況を打破できる、一つの希望が記されていたのである。


「ロース!」

「うおぁ!?」

「何だ!? また先程の光る肉片か?」

「先程とは段違いの光量だ! くそっ、目が! 目がぁ~!」


 選択肢の③、ロースを選んだ俺は、周囲の光景が動き始めると同時に、大きな声で「ロース!」と叫んだ。

 ロボットアニメや特撮ヒーローではあるまいし、声に出さなくてもロースを出すことはできる。

 俺がわざわざ声を上げたのは、バルガス王子とフロンに光り輝くロースを生み出すことを声に出して伝えるためだ。

 実はここに来るまでの間に、二人から「あの光を出す時は予め教えておいてもらいたい」とお願いされていたのである。

 とはいえ、三択は突然現れるのだから、事前に教えることなど出来るわけがない。

 代替案として、ロースを選んだ場合には時間停止が解けた瞬間に声を出すこととなったのである。まるで必殺技の宣言のように。


 俺がロースを選んだのには訳があった。

 もちろん選択肢の①と②を選べなかったというのが大きな理由だ。

 しかしこのロースを出現させることで、相手の狙いを逸らすという狙いもあったのである。


 三択にはこう記されていた、

〈正体を見破られたと勘違いした王国の魔法使いが、肉魔法「あべしっ!」を放とうとしています! どうする?〉と。


 そう、相手はまだ魔法を放ってはおらず、放とうとしている段階だったのだ。

 声を限りに「あべしっ!」と叫んではいたものの、どうやら発声と発動にはタイムラグがあるらしい。


 だから俺はロース出現の光で、偽神官の目を眩ませて狙いを逸らそうと考えた。

 スラム街でグレンたちに囲まれた際にはそれほど効果を出せなかったロースの光だが、あれは十分な光が差し込む屋外だったからというのが大きい。


 この建物の内部は古いからなのか元からなのかは知らないが、全般的に薄暗いのである。

 あの地下牢ほどではないとしても、屋外と比べたらその光量は微々たるものだ。


 現に俺が生み出したロースの効果は抜群だった。

 神殿の中にいたスラムの住人たちは、皆一時的に視力を失ってしまったのである。


 それは偽神官も同様だった。

 俺に向けられていた彼の腕は、見当違いの方向へと向けられている。

 そこから放たれた一条の光は、誰に当たることもなく石造りの壁に当たって霧散していた。


 そして光が着弾した時には既に、バルガス王子とフロンが二人がかりで偽神官を押さえつけていたのだ。

 二人の行動は迅速だった。俺が叫んだロース出現の声を耳にし、二人は目をつぶるか細めるかして視力を失わないようにしたのだろう。


 二人はとにかく偽神官の両の手の平の向きに注意を払っているようだった。

 恐らくあの肉魔法とやらは、手の平が向いている方向へ発射されるものなのだろう。追尾性とかなくてよかったよ、ホント。


「うおおぉぉ……なっ、何だ? 一体何が……」


 混乱からいち早く立ち直ったのは、流石というかリーダーのグレンであった。

 彼は突然の神官の暴走とロースの光に目を白黒させていたが、当の神官がバルガス王子とフロンに押さえつけられている姿を見るやいなや、二人に向かってナイフを構える。


「なっ!? 貴様たち一体何のつもりだ!? 神官様から手を離せ! さもなければその首かっさばいて……」

「馬鹿者! 貴様の目は節穴か!? こいつは上級肉魔法「あべしっ!」を肉屋殿に向かって放とうとしたのだぞ! あれを使える者がただの神官の訳があるまい!」

「なっ!? ではやはり、先程のあれは俺の幻聴では……」

「おい、とにかくこいつを気絶させるか殺すかしようぜ! オイラ怖くてたまんねーよ!」

「止めて! 神官様を殺さないで!」

「止めてよー! 神官様は僕たちをずっと助けてくれたんだよー!」

「み……皆さん。これはなにかの間違いです! 助けてください! このままでは私はこの偽勇者と皇国の王子の手によって殺されてしまいます!」

「お前ら聞いたか! 神官様を助け出せぇ!」

「お優しい神官様を出会うなり人質にするとは!」

「許すまじ! 者共! スラムに生きる我らの矜持を示すのじゃ!」



 ロースの光から回復したスラムの住人たちが、手に手に獲物をぶら下げて、俺たちをぐるりと包囲してしまった。

 こんな時に限って三択はうんともすんとも言ってこない。

 どう見てもこれはピンチ以外の何物でもないのだが、一体これはどういうことなのだろうか。


「みんな静まれ! この人たちを傷つけては駄目だ!」


 俺が状況の変化に恐れ慄いていた時、まさかのグレンが彼らの前に立ちはだかった。

 リーダーが止めに入ったことでスラムの住人たちの動きは止まり、同時に困惑が広がっていく。

 しかしグレンは彼らの動揺を無視し、バルガス王子とフロンの手で取り押さえられている偽神官の下へと歩み寄った。


「神官様、二~三お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「こんな時に!? いっ、いえ何でしょう? まずはとにかく助けてくれるとありがたいのですが」

「神官様は今確かに上級肉魔法の一つ「あべしっ!」をお使いになられました。これは一体どういうことなのですか?」

「そっ、それは……。えっと、実は私は高等教育を受けた元エリートだったのですよ! しかし上層部のやり方についていけずに、こうしてスラムの神殿でひっそりと神官の業務を行っていたという訳で……」

「なるほど、実は神官様は実力者だったのですね。驚きました」

「いやいや、それほどでも。能ある鷹は爪を隠すと言うではありませんか」

「はっはっはっ。……自分で言う人に会ったのは初めてですよ」

「はっはっはっ」

「はっはっはっ」



 グレンは笑っていたが、その目はどんどん鋭くなり、今や偽神官を見る目つきは敵を見るそれへと変化していた。


 っていうか何だよ、上級肉魔法の一つ「あべしっ!」って!

 上級ってことは、他にもランクがあるってことなのか?

 しかも一つってことはつまり、他の上級肉魔法もあるってことなのかよ!

 できれば聞き間違いの類であって欲しかったんだけどなぁ……。肉魔法とは一体何なのだろうか?


 俺の抱いた疑問は、どうやらこの世界の住人にとっては誰もが知っている基本知識でしかないようだ。

 彼らは誰ひとりとして解説などしてくれず、状況はどんどん動いていく。


「それでは次の質問です。どうしてあなたはこの人物を皇国の王子だと知っていたのですか?」

「え? いや、それは……」

「確かに私は先程彼から、皇国の第一王位継承者だと紹介を受けました。しかしあまりにもバカバカしい話だと判断したために、この建物に入れる許可を得る際に、そのことは一言も喋らなかったはずです」

「えっと、いや、だから、それは……」

「なのにあなたは知っていた。私が紹介する前からあなたはこの男性を、そしてこの肉屋と呼ばれている肉片男の正体すらも知っているようでした」

「……」

「一体どうして知っているのですか? あなたは一体何者なのですか?」

「………………」

「この点だけを考えても、私はあなたを信用することができません。申し訳ない、お客人方。もうしばらく神官様を拘束しておいていただけますか?」

「もちろん構わないが、どうするのかね?」

「この人の持ち物を検査します。無実ならば謝りますが、もしも肉片男の言ったとおりなら……」

「やっ、止めろ! 人の持ち物を勝手に漁るなど!」



 偽神官はジタバタと暴れるが、二人がかりで押さえつけられているためにまったく身動きが取れずにいるようだ。

 それにしても昨日からやたらと押さえつけられている人を見る機会があるな。

 これは異世界の治安の悪さを表しているのだろうか。


 バルガス王子とフロンは、暴れる偽神官を懸命に押さえつけていた。

 スラムの住人たちはそれを遠巻きに眺めている。

 リーダーであるグレンが手を出すなと命令したために、助けたくても助けられないようだ。


 俺は参戦していない。仮にスラムの住人が偽神官の助けに入った場合、二人を助けることが出来るのは俺しかいないからだ。ロース頼みになるのだとしても。


 それからしばらくしてグレンが奥から戻ってきた。

 その顔を見れば結果は明らかだ。

 彼は憤怒に顔を歪め、憎しみで人が殺せたらと言わんばかりの鋭い視線で偽神官を睨みつけている。


 グレンの手には偽神官の持ち物から出てきたという城からの手紙と、毒を盛ったスラムの住人の経過観察ノートが握られていた。


 正体を知られた偽神官は最後の抵抗を試みたが、グレンの一撃で見事に昏倒。

 そしてバルガス王子が本物の王子だと確信したグレンは、彼に向かってひざまずいたのである。

思っていた以上に長くなりそうなので、プロローグにあった注意書きを外しました。

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