第八話
「や~太陽が眩しいなぁ。城の外に出たのなんて、どれくらいぶりだったっけ?」
「いや、そんなこと知るわけないだろ。地下牢で顔を合わせてからまだ二時間と経っていないんだぞ」
「くそっ! 臭い! 汚い! 埃っぽい! どうして私が地下道なんぞを這いずり回らねばならんのだ!」
「そりゃああんたがお尋ね者だからだろ~? それにしても王族といってもやっぱ臭うもんなんだなぁ~」
フロンはバルガス王子に顔を近づけ、スンスンと匂いを嗅いでいる。
まるで犬のようなその仕草に王子は嫌悪感を示し、犬を追い払うように腕を振りながらフロンを叱りつけた。
「止めろ、フロン! 貴様は王族を何だと思っているのだ!」
「ん~? 普段から高貴な香りを撒き散らしている天上人?」
「何故疑問系なのだ! だいたい一番臭いのは貴様ではないか! 特にその黒い布! 鼻が曲がるぞ、よくそんな物を体に巻いていられるな! いい加減その匂い立つ汚物は脱いだらどうなのだ!?」
「真っ昼間にこんな太陽の下でオイラに全裸になれって言うのかよ~。いや~ん。エッチ」
「えっ? お前、その中身って裸なの?」
「素で返さないでよ……ご想像にお任せしま~す」
俺たちはフロンという案内人の協力を得て、城からの脱出に成功していた。
牢から脱け出した俺たちは、地下牢の入り口で見張りをしていた兵士を気絶させた後、城の中庭へと移動し、庭の隅に存在していた枯井戸の中へと入り込んだのだ。
吊り下げられていたロープを伝って井戸の中に降り立てば、そこには横穴が存在していた。
フロンが言うには、この穴を通れば城から城下町まで抜けられるのだという。
いわゆる秘密の抜け穴という奴だ。
いざという時に王族が城から脱出出来るようにと、遥か昔に整備されたものらしい。
人一人通るのがやっとという大きさのその穴を歩き通したその先は、城下町の一角に繋がっていた。
フロンによればこの場所は、街の高級住宅街と中流区の間に整備された公園の一角であるのだという。
どうやらこの穴を整備した当時の王族は、逃げるにしても高級住宅街までと考えていたようだ。本気に逃げる気があったのかと問いただしたいところである。
「どうしてこんな抜け道を知っているのか?」という問いには結局フロンは答えなかった。
俺とバルガス王子は城から脱出するためにこの正体不明の怪人に従う他なかったため、過度な追求は避け、ひたすら狭く薄汚れた地下道を歩き続けたのである。
ゲームとかであれば、大抵こういった地下道には巨大ネズミやら大型のコウモリやらといったモンスターが巣食っており、戦闘が発生する場面なのだろう。
実際二百年前までは、世界各国のこういった地下には魔物が大量に蔓延っていたらしい。
しかし人類が地上から魔物を一掃して既に百年。
現在の地下道には地球とよく似たサイズのネズミやトカゲくらいしか見当たらず、戦いもないままに脱出を果たした俺たちは城下町の一角へと逃げ延びることに成功していた。
「それで~これからどうするんだい、王子様」
「まずはとにかく状況を知りたいところだな。いや、その前に身を隠すための隠れ家を探すのが先決か」
フロンとバルガス王子がこれからの方針について話をしている。
確かにこれからどう動いていくのかは重要な案件だ。
しかし俺は、それよりもなによりもまず、どうしても二人に聞いておきたい事があったので、手を上げて二人に話しかけた。
「あのさ、二人共。これからどうするのかを決めるのは大事な事だとは思うのだけど、その前に一つ質問をしても良いか?」
「どうしたのかね? 改まって」
「なんでも答えるぜ~。オイラとカイトの仲じゃないかよ~」
「いやだから、俺たちまだ出会ってから二時間も経ってないんだけど!?」
バルガス王子は小首を傾げて、フロンは謎の馴れ馴れしさを醸し出しながら俺に視線を向けてくる。
暗く汚い地下道を潜り抜けてきたせいか、俺たちは全体的に埃っぽくなっていた。
これでは確かに文句の一つも出ようというものだろう。
しかし俺の視線は、そんな二人の腰のあたりに集中していた。
何故かと言えば、二人は腰に小動物をぶら下げていたのである。
二人は地下道を移動する途中、何匹もの小動物を捕まえては腰の辺りに縛り付けていたのだ。
地下道を移動している間は逃亡優先だったので質問をすることははばかられた。
しかしとりあえず城からの脱出は成功したのだ。
俺は二人の謎の行動をどうしても無視することが出来ず、手を上げて質問したのである。
「二人共どうして腰にネズミやらトカゲやらをぶら下げているんだ? 臭いとか汚いとかって話なら、真っ先に排除してしかるべきだと思うんだが」
「はえ? 何言ってんだよ、カイト。頭は大丈夫か?」
「……ん、ああそうか。肉屋殿は知らないのだな。そちらの世界では正当伝承者にしか使えないという話だったしな」
「は? 正当……何ですって?」
「王子様よ、そちらの世界って何の話なのさ。それじゃあカイトがまるで別の世界からやってきた勇者みたいな扱いじゃないのさ~」
「うむ。こう見えて実は肉屋殿はな……」
「ん!? ちょっと待った! 城の方から何か変な音が聞こえてくるぜ!?」
話がいきなり脱線し、バルガス王子が俺の正体をフロンに説明しようとした時だった。
フロンが突然耳をそばだてる格好をしたと思ったら、城の方から確かに小さな音が聞こえてきたのである。
どうやら聞こえてきたのは笛の音であるようだった。
バルガス王子はその音に心当たりがあったらしい。
舌打ちを一つしたかと思うと、踵を返して城から遠ざかるように街に向かって歩き出したのである。
「ちっ、流石は我らが皇国軍か。思っていたよりも対応が早い」
「突然どうしたのですか、バルガス王子。この笛の音に何か心当たりでも?」
聞いておいてなんだが、俺はこの音の正体になんとなく見当がついていた。
城から聞こえてくる笛の音。そして俺たちという脱走者。
これを関連付けて考えられないほど、馬鹿ではないつもりである。
バルガス王子は早足で道を進みながら、キョロキョロと周囲を警戒していた。
そして彼は周囲に人影がないことを確認すると、音の正体を告げてきたのである。
「この笛の音は、兵士たちに緊急事態を告げるものだ」
「あ~つまり、オイラたちの脱走がバレたってことね」
「やっぱりそうですか……。ん? じゃあなんで笛の音? もっと大きな音を出して大々的に騒いだほうが良くないですか?」
「誰が黒幕なのかは知らないが、恐らく秘密裏に事を運びたいのだろうな。私の子飼いの軍もいるのだ。合流されたら厄介と考えているのだろう」
「え? 子飼いの軍なんてのがいるのですか? だったらその人たちと合流すれば……」
「そうしたいのは山々だが、少数の連絡要員を残し、後は皆街の外へと出払ってしまっている」
「なんで!?」
「忘れたのか? 我が皇国がこの街を落としたのはつい昨日のことだったのだぞ。城で捕らえた王国の者たちを移送するために、我が第一軍は現在外回りの任務についているのだよ」
「そこを狙われたと」
「……おお、そうか。そういうタイミングだったのか」
「いや、そこは気づいておいてくださいよ、バルガス王子」
俺のツッコミにバルガス王子が何か文句を言おうとしたが、すぐ側を子どもたちが駆け抜けていく姿を目撃したことで流石に自重する結果となった。
どうやら王子様には目立つつもりはないらしい。逃亡中なのだから当然の話ではあるのだが。
しかしこれは困ったことになった。
いや、冤罪を掛けられて牢屋に入れられた時点で十分困っていたのだが、牢屋の中にいれば暗殺者を差し向けられ、逃げたら逃げたで兵士に追われてはおちおち休むことも出来やしない。
バルガス王子が先程、身を隠すための隠れ家を探すのが先決と言っていた理由が良く理解できる。
まずは拠点を構築しなければこの事態には対処できまい。
なにしろ国のトップを暗殺した容疑をかけられて、その子供たちに追われているのだ。
しかもこの街は現在皇国の占領下にあるのだから、どこにも逃げ場は無いように思える。
そのことを指摘すると、王子様から「そうでもない」という返答が返ってきた。
「何度も説明するようだが、我々がこの街を占領したのはつい昨日のことなのだ。当然のことながら、街全体を掌握しているわけではない。我々は真っ先に城を制圧し、それからすぐに勇者召喚の魔法陣に最大の注意を払っていたからな。街の端に行けば行くほど皇国軍の目は届きにくくなるのだよ」
「なるほど。つまり俺たちは街の端のごちゃごちゃしたところに身を潜めるのがベストというわけですね」
「そういうことだ。ちなみにそのごちゃごちゃした場所というのは、スラム街と呼ばれている」
「おい、ちょっと待てよ。二人共一体何の話をしているんだ? 勇者召喚って何? 街を占領したってどういうことだよ!?」
俺たちと並走しているフロンが驚きに目を見開いて、俺たちの姿を交互に見つめる。
そうか、良く考えればフロンは地下牢にいたのだから、外で何が起こっていたのか知らなくて当然だよな。
バルガス王子が移動しながら、掻い摘んだ状況をフロンに説明した。
「国が滅んだ!? 皇帝が殺された!? 勇者召喚に干渉したぁ!? 何だよそれ! あんたら一体何やってんの!?」
「いや、召喚魔法に干渉したのは俺じゃなくてサンタクロースっていう名の爺さんでな……」
「陛下を殺したのは私ではない。これは陰謀だ。私は皇帝殺しの汚名を着せられ、恥を忍んで逃亡しているのだ」
「なんつー事態にオイラを巻き込んでんだよ、あんたら! うわぁ、あのまま寝てりゃ良かった! するってぇーと何か? これからこの国を占領したっていう皇国の兵士が大挙してあんたらを追いかけてくるってことかい!?」
「そうなるだろうな。っと、そうだ。肉屋殿、これから私を呼ぶ時は王子とは呼ばないようにしてくれないか」
「はっ? そりゃまたどうし……いや、そうか。王族だとバレないためですね」
「そうだ。これからはバルガスと呼び捨てにしてもらいたい。いや、それでも名前でバレるか。バルガ、ルガス、ガス、ルス……やはりシンプルにバルが良いか。これからは私のことをバルと呼んでくれ。フロンも頼むぞ」
「了解しました、バル」
「そこは了解したで良い」
「了解したよ、バル」
「了解してねぇよ! 何しれっと当たり前のようにオイラまで巻き込んでんだよ!」
早足で歩いていた王子に文句を言うために、フロンが回り込もうとした瞬間だった。
〈三択です!〉
牢屋の時とは違い、それは唐突に発動した。
思えばこれの発動条件も正確に理解しているとは言えないのだ。
状況に流されるままこうして王子様と謎の怪人と共に逃亡する羽目になっているが、いい加減腹をくくらなければ、いずれ命を失うことにもなりかねない。しっかりしなければ。
〈このまま進むと二つ先の路地で兵士と鉢合わせしてしまいます。どうする?〉
①三人がかりで襲いかかれば恐れるに足らず! このまま進んで、出合い頭にぶっ飛ばす。
②今は出来るだけ接触は慎むべきだ。手前の路地に入ってやり過ごす。
⇒③ロース
暗殺者に襲われた時は攻撃が当たる直前に出た三択が、今度は兵士に出会う前だというのに発動していた。
俺たちが今いる位置からは二つ先の路地の向こうの景色など見ることはできない。
しかしこの三択はこれまでも正しい状況を俺に教えてくれている。
サンタの爺さんが勇者召喚に干渉した結果手に入れた奇跡であることは間違いなさそうだし、疑う要素は微塵もない。
一応時間いっぱいまで周囲の状況を確認をしたあとで、俺は選択肢の②を選んだ。
こちらは三人もいるのだから、戦って勝つことも不可能ではないのだろう。
しかしここで兵士を相手に悶着を起こせば、俺たちの現在地がバレるのは確実だ。
それでは逃亡に支障が出る。
三人もいるのではない。俺たちは三人しかいないのだ。
おまけに皇帝暗殺の容疑をかけられている第一級の犯罪者なのである。
騒動は極力慎むスタイルで行くべきだ。
いい加減眠気も限界だから、余計な体力を使えないという理由もあるのだが。
時間の流れが戻った直後、俺は二人の手を取って、すぐ目の前の路地へと体を滑り込ませた。
二人は俺の突然の行動に驚いた様子だ。
しかし俺たちが体を滑り込ませた路地の横を兵士が歩いていったことで状況を理解した二人は、さらなる驚きを持って俺の顔をマジマジと見つめてきた。
理由を聞きたい様子の二人に向けて、俺は何となく危機を察知できるのだと嘘とも本当とも言えない説明をしておく。
この訳の分からない奇跡を詳細に説明するには圧倒的に時間が足りない。
街の中では兵士が巡回しているのだ。無駄話をしている暇はないのである。
これからは更に注意深く進む必要があるだろう。とは言っても、結局は奇跡任せであるので、偉そうなことは言えないのだが。
俺たちは兵士に見つからないよう慎重に、スラム街を目指して移動を開始した。
城からの追っ手を振り切り、巡回の兵士たちと出会わないように注意を払いながら、少しずつ少しずつ目的地へと近づいていく。
しかし、後少しで到着という所で欲を出したのがいけなかったのだろう。
所在を掴まれて襲われる結果となったのである。




