神性機 ヨツンヴァイン
「おら、このバリカンで自分の髪の毛全部剃るんだよ。あくしろよ」
――時刻は午後3時過ぎ。
放課後のチャイムが鳴り響く中、体育館裏に呼び出された少年にそう言ったのは教師の間でも素行が悪いと有名な先輩だった。
そして少年の後ろには彼の取り巻きが二人おり、決して少年を逃がすつもりがないということが分かる。
「は?」
意味がわからない。
何故自分が自分の髪の毛を剃らなければならないのか?
「お前、今日俺がセンコーに怒鳴り散らされたの知ってるだろ?」
確かに、今日彼は先生に怒られていた。
そしてそれを少年は教室の窓から覗いており彼と一瞬目が合ったような記憶がある。
だがそれが自分の髪の毛とどう関係するのか?
「その時お前、俺の頭チラチラ見てたよな? そんなに面白かったか? 俺のこの頭がよぅ」
そう言って自分の頭を指差す先輩。
「ファッ!?」
少年は驚きの声をあげた。
なぜなら見に覚えが全くないから。
先輩は生まれつき毛髪が薄いらしく、日頃の素行の一端もそこにあるのではないかと教師が話しているのを聞いたことがある。
だが少年にそんな彼の頭を見て馬鹿にした記憶はない。
言いがかりにもほどがある。
「いや、見てないですよ。なんで見る必要なんかあるんですか?」
少し苛立ちを覚えながら言い返す。
「嘘つけ絶対見てたぞ」
だが先輩は全く聞く耳を持たなかった。
「そうだよ」
そして取り巻きもそれに便乗する。
「ほら、あくしろよ」
そして目の前に差し出されるバリカン。
――理不尽。
圧倒的理不尽。
「冗談はよしてくれ」
反抗的だと思われても構わない。
先輩だろうがこんな理不尽なことをしていいわけがない。
少年は差し出された先輩の手を振り払って逃げ出した。
「あっ、オイ待てぃ」
だが決死の逃走むなしく取り巻き二人に取り押さえつけられてしまう。
「おとなしくしろ!バラ撒くぞこの野郎!」
なすすべなく地面に頭を擦り付けながらも抵抗する少年に先輩がそう怒鳴り付けた。
ちくしょう、三人に勝てるわけないだろ!
クソッ気持ちで負けちゃダメだ!
馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!
「あったまきた……」
尚も暴れる少年についにキレたのか先輩の声が急に落ちついて何かが振動する音が鳴り響いた。
間違いない、これはバリカンの振動音だ。
「先輩!何してんすか!やめてくださいよ本当に!」
少年は必死に体をくねらせるも全く身動きがとれない。
「覚悟決めろ」
だんだん近付いてくるバイブにも似た振動音。
このままでは間違いなく剃られてしまう。
「すいません許してください! なんでもしますから!」
まさに絶対絶命、少年に残された手段はそんな情けない命乞いだけだった。
するとどうしたことだろう、あんなに鳴っていた振動音が急に止む。
……おっ大丈夫か大丈夫か?
少年は不安げに頭をあげる。
「ん? 今なんでもするって言ったよね?」
そしてそんな台詞に思わず首を縦に振ってしまう少年。
助かるかもしれない。
だが次の台詞でそんな希望は絶望へと変わる。
「じゃあ全裸で叫びながら校庭を10周してこい。ハイ、ヨロシクゥ!」
「っ!?」
何だって!?
そんな事が出来るわけ……!
少年はすぐに拒否をしようと口を開く。
「なんだお前根性なしだな、イヤなら髪の毛剃るぞ?」
再びバリカンのスイッチがはいりけたたましいバイブ音が鳴る。
「……」
少年には他人に自分の裸体を見せつけて喜ぶような趣味はない。
しかしそれでも、剃られればしばらく元には戻らない髪の毛。
犯罪ではあるが終わってしまえば後には何も残らない校庭を全裸で10周。
一体どちらがマシなのか。
――もう少年に選択肢は残されていなかった。
◇
「はい、よーいスタート」
棒読みの合図が鳴る。
「ンアアアアアッ!」
少年は叫んだ。
羞恥心を誤魔化すように。
現実を見ないように。
大丈夫だ。
俺は大丈夫。
そう自分に言い聞かせひたすらに校庭を走り回る。
そしてようやく7周を走り終え、残り3周――。
いつもはそこまで大きく感じない校庭がとても大きく感じた。
体を嫌な汗がジットリと濡らしとても気持ちが悪い。
早く帰りたい、ただそれだけを願った。
残り2周――。
「ンアアアアアッ! ゴホッ……ハァ……ハァ……」
叫びすぎて喉が痛い。
唾液を飲み込むと微かに血の味がした。
背中から流れる汗は尻の割れ目へと吸い込まれていく。
それでもやめるわけにはいかない。
ただひたすらにがむしゃらに手足を動かす。
残り1周――。
もうすぐだ……!
もうすぐ終わる……!
目の前には10周目を示す白線。
少年にはそれがはっきりと見え、自分を応援しているかのような錯覚におちいった。
そしてついに――。
――少年の右足が白線を越えた。
「ハァ……ハァ……終わったぁ……ぬわああああん疲れたもおおおおん」
とてつもない達成感と虚脱感。
だがこれで全てが終わったわけではない。
……戻らないと……。
少年はフラフラと、股間はブラブラとしながらも体育館裏にいる彼らの元へ戻る。
「……これでいいんでしょう?」
少年はそう言って先ほど脱いだ服を着ようと手を伸ばした。
だがその服が持ち上がることはなかった。
何故なら服の上に何者かの足が乗せられたからだ。
そして犯人は言わずもがな。
「俺は言われたことをやりました。帰らせてください」
少年は服を踏みつけている先輩にそう懇願する。
しかし彼は嘲笑って取り巻き達にこう言った。
「なんか足んねぇよなぁ?」
「おっ、そうだな」
「当たり前だよなぁ?」
そしてそれに同調する取り巻きの声。
その瞬間少年は理解する。
コイツらは自分をからかっただけなのだと――。
全裸で校庭を駆け回る自分を見て楽しんでいただけなのだと――。
「……人間の屑がこの野郎……」
思い切り噛んだ唇から血が滴る。
するとそんな少年を見下ろしながら彼は鼻を摘まむ。
「あーあ汗まみれでくっせぇなお前……あ、そうだ。暑そうだから涼しくしてやるよ」
ブイーンという音。
振り上げられた手。
「っ!? やめ……」
それは一瞬だった。
「お前に……髪なんか必要ねぇんだよ!」
秋の紅葉のようにパラパラと舞い散るそれが自分の髪だと気がつくのにそう時間はかからなかった。
「うあああああああっ!」
叫びすぎて痛かったはずの喉、だがそんなものは関係ないとばかりに飛び出す己の悲鳴。
「見ろよコレぇ……この無残な姿をよぉ!」
「やったぜ」
「やべぇよ……やべぇよ……」
醜悪な笑い声が周りから響く。
どうして……どうして自分がこんな目に! ふざけるな!
しかしそんな心とは裏腹に少年はどうする事も出来ず、何も言えないままただ四つん這いで涙を流すことしかできなかった。
◇
その後、どうやって家に帰ったかは分からない。
気がつけば少年は自分のアパートの前に立っていた。
【アーイキ荘】と書かれた札が取り付けてあるブロック塀を抜け、アパートの階段を上る。
少年の家は一番奥だ。
……気が重い。
外はもう夕暮れできっとパートに行っていた母もすでに家に帰宅しているはずだ。
そして少年の頭を見て何事かと心配するだろう。
それがとてつもなく嫌だった。
だがいつまでもこうしているわけにはいかない。
「ただいま」
そう言って扉を開く。
「おかえり」と言う母の声。
少年は脇目もふらずに一目散に自室へと向かった。
幸いにも母にこの頭は見られなかったようだ。
だが安心は出来ない。
きっと明日にはバレてしまう。
どうしたら……。
俺はどうしたらいい……!
少年は気を紛らわすため部屋にストックしてあるアイスティーをごくごくと飲む。
どうでもいいことだが少年はアイスティーが大好きであった。
「クソッ……」
布団にくるまり悪態をつく。
そんな自分のあまりの情けなさに再び涙が出てきた。
もういっそ死んでしまおうか……?
ふいにそんな考えが頭をよぎる。
――その時だった。
ズガーン!!!
いきなり部屋を揺らすほどの衝撃が少年を襲った。
「な、なんだっ! 地震かっ!?」
少年は事態が理解できずにあたふたと布団から飛び起きる。
何が起こった!?
ふと窓を見れば何か巨大な影のような物が見えた。
少年は窓に近付きおそるおそる外を眺める。
「っ!?」
その瞬間、少年は言葉を失った。
――ありえない
出てきたのはそんな陳腐な感想。
「イ゛……ギ……ズ……ギ……ィ゛……」
野獣のようなうなり声をあげるソイツは全長30メートルはあろうかという巨体をしていた。
その肉体は妙に生々しく人間と大差ないような気もする。
服のような物は一切纏っておらず男性器のようなものが腰からはぶら下がっていた。
「な、なんなんだよこれ……」
少年はへなへなと床に倒れこんだ。
夢でも幻でもない。
"巨大な全裸の男"が確かにそこに存在していた。
――これは出会いの物語。
少年「遠野」と……全裸の巨人「ヨツンヴァイン」との絆の物語である――。