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二話

「もたもたするな新入り。こっちだ」

 館に入るなり、ひげを生やしたいかつい男に呼ばれた俺は、大人しくその後を付いていった。

「お前、いくつだ?」

「二十七です」

「俺より三つ下か……新入りにしては老けてると思った。どうやってここに来た」

「酒場で喧嘩をしていたら、勧誘されました」

 そう言うと、いかつい男はぷっと笑った。

「そうか。それで?」

「俺も仕事を探していたから、二つ返事で」

「喧嘩相手はどうなった」

「さあ……話しかけても寝たままでしたから、その後も寝ていたんじゃないですか?」

 男は愉快そうに笑った。

「ははっ、度胸があって強い男は、まさにボスが求める人材だ。見込まれればたとえ新入りでも、護衛や側近に抜擢されるかもしれねえ。そうすりゃ給料も倍の倍だ」

「ボスは実力主義なんですか?」

「ああ。気に入られれば歳なんか関係なく取り上げてくれる公平な方だよ。でも気分屋なところがあってなあ、その時々で言動がころころ変わったりするんだ。それが厄介で――っと、今のは聞かなかったことにしろよ」

 男は周囲をきょろきょろ見回し、誰もいないのを確認すると続きを話す。

「……とにかく、そんなボスでも二つのことを守ってれば問題はない」

「二つのことですか?」

「そうだ。まず一つ目は、ボスの女には近付くな。これは言うまでもないことだ。少しでも色目を使えば命はないと思え。それが誤解だとしてもボスは絶対に許さない。そうなりたくなきゃ女は避けて歩け」

 あんなに女をはべらせながら嫉妬深いのか。本当に厄介そうな男だ。

「二つ目は、ボスの言うことには逆らうな。これは普段の指示はもちろんだが、前と言ってることが違っても、酒に酔ってる状態でも、言われたことは全部受け入れ、従え。これがここで上手くやってく方法だ」

「なるほど……」

 俺は深くうなずいて見せた。酒場で勧誘されるまで、結構な時間を使った。ゼルバスは度胸のある男を評価すると聞いて、俺は毎晩酒場に入っては柄の悪そうなやからに近付き、わざとふてぶてしく振る舞っては喧嘩を起こしてきた。何の恨みもない相手を殴り倒すこと十三回。俺も無傷では済まなかったが、苦労した甲斐あって、酒場に現れる喧嘩の男の噂は広がり、ゼルバスの部下の耳にも届いた。そして酒場に通うこと二ヶ月、ようやく声をかけられ、ここに来ることができたのだ。そんな時間を無駄にしないためにも、まずは新入りらしく従順に行動しなければ。

 話しながら歩いていると、男は立ち止まり、こっちに振り向いた。

「新入りの仕事は掃除からと決まってる。とりあえず一階と二階の廊下と、そこの階段をぴかぴかにしておけ。道具は向こうの物置にある」

 親指を立てて、男は場所を示した。

「掃除の他には何をすればいいですか」

「今は掃除だけでいい」

「さっき、向こうで荷物を運ぶのを見かけましたけど、人手がいるなら俺も手伝いますよ?」

「ああ、荷運びは新入りにはまだ任せられない。もう少しここのやり方を覚えたら、嫌でもやってもらうがな」

「そうなんですか……」

 俺は新入りの顔を装い続けた。その運ばれている荷物が密造酒関係のものだというのはすでにわかっているのだが、それを最終的にどこへ運び込むのか、手伝えれば探れると思ったが、まだ信用のない新入りにはさすがにやらせてもらえないようだ。焦ればぼろが出る。ここはじっくりと行くか。

「それじゃあ、しっかりと――」

「ねえ」

 男の声に重なって女の呼ぶ声が聞こえ、俺は背後の廊下に目を向けた。するとその先から足早に歩いてくる一人の女の姿があった。

「あっ……ど、どうしましたか」

 男の顔と口調に緊張が走るのがわかった。それで俺は察した。彼女はゼルバスの女なのだろう。しかし、宴では見なかった女だ。となると、彼女はあの場にはいなかった本命の――

「あの人はどこ?」

 俺達の前まで来た女は、とげとげしい声と表情でそう聞いてきた。俺はそんな姿を無意識に見つめていた。彼女も他の女同様、露出の多い青いドレスを着ていたが、何よりも目に付くのは、そのなめらかに光る褐色の肌だった。白い肌の俺達とは違うそれは、明らかに異国人だとわかる。もっと言えば、出身は南方の国だろう。そこに住む民は皆日に焼けたような浅黒い肌を持つ。本土ではちらほら見かけるものの、ここクローラ島では初めて見る南国人だ。

「ボ、ボスのことですか?」

「それ以外の誰だって言うのよ」

 くびれた腰に手を置き、左目にかかった長い黒髪をさらりとはねのける。そうしてよく見えるようになった顔立ちは、まさに異国的な美人と言えた。長いまつげに囲まれた大きな黒い瞳、細く真っすぐに伸びた鼻筋に、少し厚みのある小さな赤い唇。尖った顎、長い首は、優美な印象を与えると共に、どこかしなやかな白鳥の姿も思い起こさせる。……いや、彼女の場合は黒鳥だろうか。確かに、この容姿は他の四人の女とは比べ物にならない。一度見てしまうとなかなか目を離せなくなる魅力がある。ゼルバスの本命だというのもうなずけるな。

「どこにいるか知らない?」

 苛立った目で聞かれた男は、緊張したまま答える。

「この時間なら、多分、自室に戻ってるんじゃ……」

 そう聞くと、女は何も言わず通り過ぎ、二階への階段を上がっていってしまった。……何とも無愛想な女だ。いつもああなのか、それとも機嫌が悪かっただけなのか。

「いつものことだが、愛想のねえ女だ」

 俺と同じ感想を言った男は、小さな溜息を吐いた。

「普段からあんな感じで?」

「ああ。ボスに拾われた時から、笑いもしねえし、人と距離を置くような態度だったよ」

「拾われた? ボスの女達は皆そうなんですか?」

「皆じゃない。あの本命の女だけだ。他の女は街に帰れば家族や親戚がいるが、あの本命は文字通り拾われてきたんだよ。ええと、二年くらい前だったか。ぼろぼろの格好で、今の姿からは想像できないほど汚れてた。そんな物乞いみたいな女を連れ帰ってきた時は、さすがに俺達もボスを止めようとしたが、風呂から出てきた女を見て、連れ帰った理由がわかった。どんな格好をしてようと、ボスの目は美女を見逃さねえってことだ」

 男は感心した表情を浮かべる。……二年前か。南国人がこの島に何しに来たのだろうか。観光という感じではなさそうだし、仕事をしに来たなら汚れた格好になるのもおかしい。誰かに騙されて帰れなくなっていたとか?

「なのにだ、物乞い同然から助けてやって、ボスが愛情を注いでお世話してるってのに、あの女の態度は恩を仇で返してるみたいにひどい。ボスの誘いは平気で断るし、気に入らないことは大声で怒鳴る。ボスが肩や手に触れようものなら、牙をむいた犬みたいにあからさまに睨み付けたりする。俺なら、いくら美人だとしてもすぐに外へ放り出すところだが、ボスは未だに手放そうとはしない。惚れた弱みってやつなのかねえ。俺にはちょっと理解できないよ」

 男に不自由しない女のありがちなわがままだが、これはそれとは少し種類の違うわがままっぷりにも思える。助けられた恩に報いる気はなさそうで、ゼルバスに求められることを嫌がっているような様子だ。女は単にゼルバスのことが嫌いなのではないだろうか。俺はそんな印象だが……。

「話が過ぎたな……とにかく、ボスの女には用がない限り近付かないことだ。そうしていいことなんか一つもありゃしねえ。じゃあ掃除、頼んだぞ」

 俺の肩をぽんっと叩くと、男は廊下の先へ去っていった。掃除か……正直面倒だ。俺は身の周りを綺麗にすることはあまり得意ではないし、好きでもない。それが他人の家ならなおさらだ。しかもここは戦争のあった大昔、砦だったらしく、今は人が住めるよう館として改築されてはいるが、その広さは砦時代のものをしっかり残している。建物の端から端まで続く長い廊下。それが二階にもあるのだ。そこを水の入ったバケツを持って雑巾掛け――想像するだけで嫌になるが、俺の立場は新入りだ。やるしか選択肢はない。はあ、仕事とは言え、本当に面倒だが、仕方ない……。

 俺は進まない気持ちで男が示した物置へ向かった。中から雑巾とバケツを取り、次に館の外の井戸で水を汲む。そして再び廊下へ戻り、端から掃除するため階段の前を通り過ぎようとした時だった。二階から何かが聞こえた気がして、俺は足を止め、耳を澄ましてみた。怒鳴るような人の声が遠くから反響してくるが、言葉までは聞き取れない。だがその声は高く、女のものだとはわかった。ゼルバスの部屋は二階にある。あの本命の女エメリーが、また怒鳴っているのだろうか――そんなことを思いながら、俺は響いてくる声を後にして、廊下の掃除を始めた。

 行き来する男達に邪魔扱いされながらも、黙々と雑巾掛けをする。バケツで汚れをゆすぎ、拭き、またゆすぎ、拭き、と繰り返す。真冬なら赤くなった手がかじかむところだが、クローラ島は本土と違い、一年を通じて温暖な気候なので、その部分は助かっているが、膝を付いた姿勢は長時間続けるものではない。首や肩が固まってなかなかの辛さだ。この姿勢で廊下の先まで拭かなければならないと思うと、心底うんざりしてくる。

 何度も溜息を吐いて、それでもどうにか一階の廊下を拭き終えたのは正午頃だった。喉の渇きを覚えていたが、先に階段だけ拭き終えておこうと、バケツの濁った水を替え、固まった肩を回しながら、俺は階段の掃除を始めた。段数は多いが、幅は狭い階段だ。そんなに時間はかからないだろう。

 すると、二階から突然、バンッと何かが叩き付けられたような大きな音が聞こえてきて、俺は思わず手を止めて視線を上げた。階段の一番下から上を見ても、館の石壁しか見えないのだが、その派手な音に視線を向けさせずにはいられなかった。何だ? と思うのと同時に、次は誰かの足音が聞こえ、そして続けて怒鳴り声が響いてきた。

「やっぱり来るんじゃなかった。もう戻るわ」

「そんなつれないこと言わないでくれ。もっと俺と酒を味わ――」

「だから、あたしはそんな気分じゃないって言ってるでしょ! 他の女と飲めばいいじゃない」

「エメリーでないと駄目なんだ。その絹のような手触りの肌を――」

「最初に触れないって約束したの、憶えてる? この酔っ払い」

「もちろんだとも。だから守ったろ?」

「どこがよ。あたしの髪に鼻を押し付けてきたくせに」

「肌には触れてない」

「あたしは、あたしに触れないでって言ったの。酔っ払いには理解できなかったみたいね」

「俺は酔ってないぞ」

「じゃあ真っすぐ歩いてあたしを捕まえてみたら?」

「エメリー、俺はお前が――」

 バンッと再び大きな音が鳴り、ゼルバスの声はさえぎられた。どうやらこれは部屋の扉の音だったらしい。二人の会話からすると、ゼルバスはエメリーと一緒に酒を飲みたいようだが、そのエメリーは触れようとしてくるゼルバスに嫌気が差し、部屋を飛び出した、という状況のようだ。本当にエメリーという女は気難しいらしい。他の女のようにゼルバスに媚びるということはしないのだろうか。そのほうがもっといい目を見られるだろうに。それだけ自尊心が高いということか?

 すると、エメリーと思われる足音が階段のほうへ近付いてくるのがわかり、俺は何となく身構えた。機嫌を悪くした彼女に関われば面倒しかない。嵐に備えるようにバケツを壁際に寄せると、俺はその横に立って神妙な態度で待ち受けた。コツコツと石の階段を下りてくる音が迫る。そして、黒髪のなびく姿が目の前を通り過ぎるかと思った時、足音はなぜかそこで止まった。

「……?」

 きょとんとした俺だったが、止まったエメリーはじっと俺の顔を見ていた。

「あなた……新入り?」

 くりっとした黒い瞳が同様に聞いてくる。そこに見下すような気配はなく、ただ気になったから聞いているという感じに見えた。

「そうです」

「見ない顔だと思った。新入りにしては老けてるわね」

 二十七で部下に採用されるのは、ここではあまり例がないらしい。こう言われるのは二度目だ。俺は作り笑顔で返した。

「掃除、ご苦労様」

 口紅を塗った艶やかな唇の端がわずかに上がり、その顔に薄くだが笑みが浮かんだ。その瞬間、俺は「あれ?」っと思った。愛想がなく、気難しい女だと聞いていたが、大勢いる部下の一人、しかも新入り相手に、ご苦労様などという気遣いの言葉をかける気持ちはあるのかと意外に感じた。ゼルバスの元から逃げ出して機嫌は悪いはずだが、他人に八つ当たりするほど分別がないわけではなさそうだ。

 だが俺が感じたのはそれだけではない。エメリーが薄く笑った顔を見た時、俺の脳裏には何かの輪郭が浮かびかけた。どこかで、見たことがある――それは間違いなかった。初めて見た時は何も感じず、笑った顔でそう思えたということは、おそらく彼女の笑顔が印象に強く残っているのだろう。俺はその記憶を懸命に手繰り寄せようとしたが、脳裏に浮かんだ輪郭は風に吹かれた水面のように歪み、あっという間に散り散りに消えていってしまった。思い出せない。だが彼女の笑顔を、いつだか確かに見たことがある気がする……。廊下を歩き去っていくエメリーの後ろ姿を眺めながら、俺はしばらく立ち尽くしていた。

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