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一話

 広間にはいくつもの長机が並び、その上には食べ散らかした料理や果物、酒の瓶が乱雑に広がっている。それらが硬い床に転がって、べちゃっと潰れたりゴンッと音を立てても、周りにいる大勢の男達に気にする素振りは一切なかった。皆、酒に酔い、歌い騒ぐことに忙しいのだ。もしくは、そんな些細な音は耳に入っていないのかもしれない。

 壁際の狭い空間では、街から呼ばれたと思われる四人の演奏者が太鼓や弦楽器で陽気な音楽を奏で続けている。広間の石壁にそれが反響し、ここは明るい音で溢れかえっていた。もちろん楽器の音だけではない。それに合わせて歌う声、踊る足音、上機嫌な笑い声など、酒と音楽の熱気に包まれた男達は好きなものを食べ、飲みながら楽しそうに騒ぎ続けている。

 若い者も、少々歳を食った者も、酒の席では同等に変わる。昼間は上下関係に厳しくても、こんな時だけは無礼講らしい。年上の肩をばんばんと叩いても、眠そうな者に酒を無理強いしても、皆笑顔を絶やさず受け入れる。でもそれは本意ではなく、酒を飲み過ぎてただ判断力が鈍っているだけなのだろう。広間中を見回してみても、酒に酔っていない者は見当たらない。千鳥足だったり、目が据わっている者ばかりだ。それほどここにいる男達は酒を飲んでいる。ふと窓の外に目をやると、ついさっき夕暮れだったと思ったが、すでに漆黒の闇に覆われていた。皆、何時間飲み続けているのだろうか。

 言われるままにここへ連れられてきた俺だが、広間の光景を眺めながら、ごく基本的な疑問が浮かび、隣の男に聞いてみた。

「なあ、これって何の宴なんだ」

 これに、コップの酒を飲み干そうとしていた俺より若い男は、その手を止めると赤ら顔をこっちに向けた。

「ああ? 何だって?」

 その目は俺をしっかり見ているが、口調は酒のせいで少し怪しい。

「この宴だよ。何かの祝いとかか?」

「はあ? 何言って……」

 そこまで言いかけると、男はまじまじと俺を見つめてきた。

「……何だ」

「お前、見ない顔だな。新入りか?」

「そうだ」

 答えると、男は納得したようにうなずいた。

「そうか。新入りか。なら知らないのも仕方ないな」

「教えてくれないか。何の宴だ」

「別に……何の宴でもない。ただの宴だ」

 俺は首をかしげた。

「でも、これはボスが開いているんだろう?」

「ボスはな、そういう人なんだよ。機嫌がいいと俺達部下を全員呼んで、こうして騒ぐのが大好きなんだ。だから宴を開くのに理由なんかないんだよ」

 そう言って男は広間の上座に目を向けた。そこには、多くの料理が並べられた席に座り、銀の杯を片手に、はべらせた女達と談笑する一人の男の姿がある。名前はヴァシリス・ゼルバス。四十一歳。自称実業家だが、真っ当な仕事でないことを俺はすでに知っている。

 ゼルバスは自分を取り囲む四人の女にねだられ、酒やら果物を自らの手で食べさせている。

「ブドウは美味いか」

「すごく甘い。ねえ、もっとちょうだい」

「駄目よ。次はあたしの番でしょ!」

「うるさいわね。今話してるのはあたしよ! どきなさいよ」

 怒鳴り始めた女にゼルバスは眉をしかめた。

「やめないか。楽しむ場だぞ。喧嘩するなら出ていけ」

 睨まれた女二人は途端に表情を引きつらせ、ゼルバスに猫撫で声ですり寄る。

「ち、違うの。思わず声が大きく出ちゃって……許して、ね?」

「皆あなたに甘えたいの。側にいさせて。お願い」

 女達はゼルバスに媚を売るように、手を握ったり肩にしなだれたりして機嫌をうかがっている。その服装はどれも肌の露出が多く、一見すると商売女にしか見えないが……。

「あの女達は全員ボスの女か?」

 隣の男に再び聞くと、男は机に頬杖を付き、どこか羨ましそうな眼差しになって言った。

「まあな。一応、女なんだろ」

「一応?」

「ボスは街で気に入った女がいると、ここに連れ帰って一緒に暮らすんだ。でも大体は遊びの関係で終わる。そんな女とは別に、いつも本命と言われる女がいるんだけど、それも二、三年ですぐに変わっちまう。まあ、あの女達もボスの女には違いないけど、その中にも格差があるってことだ」

「今の本命はあの四人の内の誰だ」

「あそこにはいないよ」

「じゃあ、どこに……」

 辺りを見回そうとした俺に男が言った。

「ここにはいない。本命はあんまり社交的じゃなくて、ちょっと気難しいんだよな。こういう宴が嫌いなのか知らないけど、独りでいるほうが好きなんだと。話す時はかなり気を遣う女だよ。でも、その顔はさすがボスが見初めただけあって、すごい美人だ。あそこの四人とは比べ物にならないくらいにな。はあ……一度でいいから俺もあんな美人と一晩過ごしてみたいよ」

 へえ、と相槌を打ちながら俺はボスに群がる女達を眺めた。皆気に入られようと必死に甘えへつらっている。そんな様子には品も清さも皆無だが、見た目だけを見れば四人とも美人の類に入る容姿をしている。共通しているのは、すらっとした体形に、少し気の強そうな顔立ちをしているところだろうか。ゼルバスはこういう見た目の女が好みなのだろう。しかし、あの四人よりも美人だと言われたら、本命の女を一度は見てみたいものだが……。

「おい、エメリーはどこだ」

 急に席を立ったゼルバスは広間中に響く声で誰ともなしに聞いた。

「あの子はどうせ部屋にでも閉じこもってるのよ。それよりもっとお酒を――」

 後ろから腕を引いた女をゼルバスは振り払うと、再び聞いた。

「邪魔だ。……エメリー、どこだエメリー」

 ゼルバスはどうやら酒に酔っているらしい。ふらふら歩き出すと、女達はその後を追っていく。

「おい、エメリーの居場所を知ってるやつは言え」

 ゼルバスが目の前の部下達をじろりと睨み回すと、その内の一人が口を開いた。

「ボス、彼女は部屋に……ヒック、いる、はずですう」

 ひどく酔っ払った部下の言葉に、ゼルバスは歩み寄ってその胸ぐらをつかんだ。

「エメリーを、気安く彼女と呼ぶな!」

 直後、バンッと鈍い音が上がり、広間は一瞬で静まり返った。部下の男は横っ面を思い切りはたかれ、床に倒れ込み動かなくなった。それをいちべつし、ゼルバスは広間の扉へ向かう。

「ま、待って。あたし達も――」

「来るんじゃねえ。お前達に用はない。俺はエメリーと酒を飲むんだ」

「そんなあ。あんな無愛想な子と飲んでも、きっとつまらないわよ」

「あたし達と楽しみましょうよ。だから行かないで」

 後ろから女達が言葉で引き留めようとするが、酔ったゼルバスの耳にはまったく届いていないらしく、広間の扉を開け放つと、そのままどこかへ消えていってしまった。

「あーあ、行っちゃったわ」

「夜はこれからだっていうのに……もう!」

「つまんないわね。ここにいる意味ないわ」

「あの人がいないんなら、さっさと帰りましょ」

 愛想を振りまいていた顔が途端に不満そうに変わると、女達はぶうぶう言いながら足早に広間を出ていった。この宴で唯一の華だった四人の姿がなくなると、景色は急にむさくるしいだけの場になった。食べかけの料理に机にこぼれた酒、その周りで酔い潰れた男達――確かに、俺もここにいる意味はないように思える。さっきまで陽気な音楽を奏でていた演奏者達は、もう仕事は終わったとばかりに帰り支度を始めていた。

「今日はお開きが早かったなあ……」

 隣の男がぼそりと言った。

「宴はこれで終わりなのか? ボスは何も言っていなかったが」

「いちいち終わりだなんて言わないよ。ボスは本命に会いに行くと帰ってこないから、それがお開きの合図になってんだ」

「じゃあ、ボスが呼んでいたエメリーっていうのが、その本命?」

「ああ。でも、会いに行ったって、どうせ邪険にあしらわれるってわかってるのにな……ボスも物好きだよ」

 男は呆れたように言った。恋人なのに邪険にされるって、一体どういう関係なんだか。

「まだ飲み足りない……お前はどうだ」

 男は俺のコップの中を横からのぞき込んだ。

「……何だ、全然飲んでなさそうだな」

 コップには薄茶色の酒がまだ半分ほど残っている。別にまずいとか酒が飲めないわけではない。飲もうと思えば一気に飲めるが、この場で酔いたくなかった俺はあえて量を抑えていた。

「いっぱい食べたせいで、酒が入らなくてね」

 俺の適当な嘘に、男は笑った。

「おいおい、酒なんていくらでも飲めるだろ。お前の胃袋はガキの小指程度の大きさしかないのか? まあいい。お前が飲めないってんなら、俺が代わりに飲んでやるよ。だから酒持って来い。ここのは全部空っぽだ」

 目の前にある三本の酒瓶は確かにすべて空いていた。全部この男が飲んだのだろうか。

「新しい酒はどこにあるんだ」

「どこって……ああ、お前、新入りだったっけ?」

 二回目の質問に俺は黙ってうなずく。

「そうだったか……えっと、酒はな、あのバルコニーから階段を下りて、すぐ下にある扉の地下だ。迷うようなところじゃない。早く取ってきてくれ」

 バシッと背中を叩かれ、俺はバルコニーに向かった。うろつく酔っ払いを避けながら大きな窓を開けると、目の前には広いバルコニーがあり、さらにその先には真っ暗な海が広がっている。夜では暗すぎて何の景色も見えないが、心地いい波音と、それを運ぶ海風が、潮の香りと共に酒臭さを洗い流してくれる。俺は一度深呼吸して新鮮な空気を取り入れてから、バルコニーの端にある階段を下りた。

 下りたところはこの館の裏側に当たり、低い石塀に囲まれた狭い庭が左右に続いている。足下には芝が敷かれていたが、ところどころ剥げて土の地面が見えているところもある。あまり手入れはされていないようだ。まあ、あの男達が芝の状態を気にするわけはないだろう。

 辺りを一通り見回して、俺はバルコニーのすぐ下にある扉に近付いた。木製の簡素な扉だが、それはわずかに開いていた。誰かが閉め忘れたのかもしれない。ギイと音を立てて開けた扉の先には、地下への階段があった。薄暗い中、足を踏み外さないよう俺は慎重に下りていく。

 三十段ほどの階段を下りきると、そこにはこぢんまりとした空間があり、壁にかけられた一本のろうそくの明かりがほのかにそこを照らしていた。

「扉が開いていたのは、こいつのせいか」

 俺は床に座り込む姿勢で眠りこける男を見下ろす。口の端からよだれを垂らしながら、規則正しい寝息を立てている。その胸には酒瓶が抱えられていた。新しい酒を取りに来て睡魔に襲われたといったところか。誰かに見つけてもらわないと、明日の朝までここで熟睡するはめになりそうだ。俺の知ったことではないが。

 眠る男から、俺はその奥へ目を移した。いくつもの木箱が積まれ、置かれている。その中にはろうそくの明かりを反射する酒瓶が大量に入っていた。その一番上の木箱から酒瓶を一本取り上げる。青白いガラス瓶には、緑を基調とした四角いラベルが貼られ、そこには『高級蒸留酒アガトピアン』と書かれていた。……高級ねえ。

 そんなラベルはすべての酒瓶に貼られている。つまり木箱に入った酒は全部同じ酒ということだ。広間で飲んでいた酒も、この高級酒。それを部下達に惜しげもなく飲ませるゼルバスは太っ腹だ……と思いそうだが、そうではない。出来が悪かったり余分に残った酒を部下に処理させているだけだ。ただで酒が飲めるから部下達は喜ぶが、所詮えせ高級酒だ。どんな材料を使い、どんな不純物が混ざっているともわからない。その証拠にゼルバス本人はこの酒を飲まず、本物の高級酒を飲むのだ。つまり、木箱に詰まっている酒は、すべて密造酒というわけだ。

 俺は念のため、床や壁を調べて隠し扉がないか探したが、どこにもありそうな気配はなかった。ここは単なる貯蔵庫でしかないらしい。密造場所はまた別か……。

 酒を一本持って俺は地下室を後にした。広間へ戻ると、待ちかねたように男から呼ばれ、俺が持ってきた酒をすぐさま飲み始めた。それに無理矢理付き合わされ、一時間ほどが経つと、周りで酔っていた男達が少しずつ我を取り戻し、三々五々帰り始めた。さらに一時間が経った頃には、酔い潰れた者を見兼ねた仲間が起こしに来て、赤い顔でだらしなく眠る者を引っ張っていった。おかげで広間から耳障りないびきは一掃され、宴の場には静寂が戻っていた。残ったのは酒を飲み続ける、数えるほどの男達だけだった。そんな状況になって、隣で飲む男はようやく満足したのか、充血した目で帰るぞと言うと椅子から立ち上がった。ふらつく男を支えながら館を出たところで、俺はやっと解放され、帰路につくことができた。帰り道に人影はない。当たり前だ。とっくに寝静まる時間帯だ。新入りゆえに付き合いを断れないというのも、なかなか辛いものだ。

 ここクローラ島は小さな島だ。東端にある館から二時間も歩けば、西端にある俺の借家に着いてしまう。島は縦長の形をしているので、南北に歩いた場合はもっとかかるが。当初の予定では館の見える範囲の家を選びたかったのだが、探しても見つからず、仕方なく西端のこの古い家で妥協したのだ。

 海に面した崖際に建つ、いかにも年数の経った木造の家――いや、潮風のせいで傷みが早まり、もしかしたらそんなに古い家でもないのかもしれない。しかし、一階部分は扉も壁もない物置場として使われているようで、その地面は背の高い雑草に覆われ、もはや何が置かれているのかも見えない。その様子からは、やはり大分年月が経っているようにも思えた。

 きしむ階段を上がり、二階の扉の鍵を開けて中に入る。今夜は月も星もなく、一つしかない部屋の中は真っ暗だ。俺は手探りで机の上のマッチを取り、側にあるろうそくに火を付けた。ふわっと視界が広がり、俺の狭い拠点内を照らす。朝起きた状態のベッドと、筆記用具が置かれた引き出し付きの机と椅子。ここにはそれだけしかないが、俺には十分な環境だ。

 少し眠気を感じ始めた体を椅子に座らせた俺は、引き出しから小さく細長い紙を取り出す。そしてインク瓶にペンを付け、あらかじめあった頭の中の文章を書いた。

『籠が開いた 鳥を入れる』

 それだけ書いて紙を丸めると、俺は窓に向かう。少し立て付けの悪い窓を力尽くで開けると、そこから申し訳程度に作られたベランダに出た。崖際に建つここからは、どこまでも続く大海原の景色が見放題で、晴れた日は太陽で輝く青い海の美景を独り占めすることもできる。だが強風や嵐の日は、その風をもろに受けるので、家全体が悲鳴を上げ、いつ屋根が剥がされるかもわからない恐怖の中で過ごさなければならない。そんな夜は間違いなく寝不足になる。まあ、何事も長所があれば短所もあるということだ。

 ベランダに出てすぐ右を見れば、そこには壁に備え付けられた正方形の鳩小屋がある。ちなみに、この家を借りた時に俺が自らの手で作ったものだ。別に寂しいとか鳩好きだから作ったわけでなく、中にいる五、六羽の鳩はすべて伝書鳩だ。俺の仕事には欠かせないものなのだ。

 俺は並んで休んでいる鳩の様子を見てから、その内の一羽を捕まえ、出した。そしてその片足に先ほど丸めた紙を専用の金具でくくり付け、漆黒の空へ掲げた。

「頼むぞ……行ってこい」

 両手でつかんだ鳩を上空へ放り投げるように放すと、自由になった鳩はその翼を素早くはばたかせ、あっという間に夜空の彼方へと遠ざかっていった。向こうに着くのは早くても一日後。俺もしっかり仕事をしないとな――部屋に戻ると、俺はあくびを噛み殺しながら机に向かってペンを握った。睡魔に負けてベッドに入ったのは、水平線が赤く染まり始めた頃だった。

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