4話 私と先輩と畦道
「かなで先輩、お待たせしました」
先輩はただ微笑んで先を歩いた。
私はその後をついていく。
(本当に綺麗な髪をしてるな...)
それは夕日の日差しと相まって煌めいていた。
「ありがとうね、鍵の返却してもらって」
先輩はこちらを向くことはなく、ただ前を見て言った。
顔色をうかがうことすら出来ない。
「いえいえ、後輩ですので」
それから沈黙が続いた。
耳に入るのは蝉時雨と砂利を踏みつける音だけだった。
その間色んな思考がめぐる。
これまであったことや、たったさっき起こったこと。
今は部活が終わって先輩と一緒に帰っているところだ。
正直あんなことをしておいて帰りを誘うだなんて何を考えているんだろうとは思った。
でも誘われれば行く以外の選択肢なんてないのは分かってる。
それはあなたに惚れているから......。
口元を触る。
あの時の情景を思い浮かべる。
あの時の感触を思い返す。
望んでたのはこれだったのか?
幼い頃から憧れていたロマンティックな恋。
恋...?
あれを恋と呼ぶのか?
かなで先輩のそばに居るだけでも幸せなのに、遂には口まで合わせたほどだ。
脳内は快楽で満ちるはずなんだ。
なのにずっと心に引っかかっていることがあるせいか、どうも素直に受け取ることはできなかった。
あれがかなで先輩?
少なくとも、あの時の先輩は私の知っている目をしてなかった。
まるで別人のような風貌をしていた。
つまり私が恋をしていたのは普段の先輩ということになる。
やっぱり...
「今日のかなで先輩、ちょっと変だ...」
急に先輩が立ち止まった。
それにつっかえた私は口を塞ぐ。
「あっ...」
無意識のうちに声に出してしまっていたのだ。
何たる失敗だ。
すぐさまなんでもないと誤魔化そうとしたが、唐突に先輩が振り返って私を見つめた。
「まりちゃん、さっきは本当にごめん!」
先輩は勢いよく頭を下げた。
「えっ...!?いや、えっと、とりあえず頭を上げてください!!」
先輩に頭を下げさせたらさすがに慌てふためく。
「まりちゃんに、その、キス...しちゃったこと、ずっと謝りたくて。だから一緒に帰ろうって誘ったの」
先輩は下を見つめもじもじとしていた。
「あぁ、だから...」
先輩の不可解な誘いも、やっと腑に落ちた。
きっとこの沈黙はお互い心の整理をつけていたんだろう。
「実は私もそのことをずっと考えてて、それで...」
なんでキスをしたの?
そう淡白に聞ければよかったものの、言い出せずじまいになる。
「なんでキスをしたかって...?」
先輩は私の聞きたかったことを汲み取ってくれた。
「えっと、はい...」
私も堪らず下を見つめた。
「僕、わからないんだ。なんで君にキスをしちゃったかなんて」
......え。
わからない...?
私の胸がざわつき始める。
「わからないのはこっちのほうですよ...!」
つい思ったままのことを吐き出してしまった。
すぐにでも訂正するべきだ。
そうするべきなんだ。
でも...。
「わからないであんなことをしたんですかっ...!?先輩は、理由もなくそういうことをするんですかっ...!?」
「まりちゃん、そうじゃなくて...あの時は魔が差しちゃったというか...」
「最悪です...。私はあなたをそんな人とは思ってなかったですっ...!」
私は耐えかねてその場を走り去ろうとした。
「待って、まりちゃん!」
先輩は私の手首を両手でぎゅっと強く握った。
「さっきはわからないだなんて言っちゃってごめん。魔が差したなんて言い訳も言ってごめん」
「...」
私は沈黙を決める。
「わからないって口では言ったけど、本当はこの気持ちに気づくことから怖くて逃げちゃってたんだ」
「...え」
「わからないだなんて、カッコつけて、誤魔化して。みっともないことしてごめん」
「...はい」
「言うよ。君のことが好きだ」
リアルでは聞きなれない言葉に脳が痺れる。
「好き...?」
私は何も考えられなくなる。頭は真っ白だ。
思っていたことも全て置いてけぼりにされた。
「好きだからって理由で許されるんですか...」
私は先輩の両手を振り払い、そう言い残してその場から走り去った。
ただ息苦しかった。呼吸がしたかった。
不甲斐なさや未熟さも全部放り投げ出したかった。
不安や未知に浸りたくなかった。
息も切れ立ち止まる。
そこでやっと冷静を取り戻しつつあった。
先輩は逃げなかったのに私は逃げた。
なんてことをしてしまったんだろう。
また取り戻せない失敗に後悔を重ねる。
あの時、キスをされて嬉しい気持ちがなかったわけではない。
好きだって言われて、満更でもない自分もいたことに気づいている。
私はただ、先輩に期待しすぎていただけなのかもしれない。
勝手に先輩に幻想を抱いて、
勝手にそうじゃなかったことに幻滅して。
先輩は悪意を持たないと勝手に決めつけていた。
そしてそれは間違いだと判明もした。
それでもその悪意に対して省みる心を持っていた。
非を認められるほど優れた人間などいないと分かっているはずなのに。
結局先輩は素直だったんだ。
実に人間らしい自分に正直な少女だった。
それなのに私は逃げた。
目の前の行く先に怖くて目を逸らした。
なり行きだなんて言って欲しくなかった。
そう素直に言えただけで結果は変わっていたかもしれない。
たった一つの意地でこうも話をこじらせて。
最悪だったのは私の方だった。
「情けないなぁ...」
泪がぼろぼろと零れ落ちる。