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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
8/41

六.異変

 賓客として最も格式高い客室を与えられた麗蘭と蘭麗は、それぞれが快適に一夜を過ごした。朝に為ると樹莉が迎えに来て、付き添いの蘢も入れて宮殿内を案内してくれた。

 魔宮で麗蘭が目にするものは、全てが新しく心惹かれるものばかりであった。魔界に関しては書物や風友の経験を元に孤校でも教わったが、実際に見聞すると驚きと関心が深まる。

 普段は政務に掛かり切りで、息つく暇も無い麗蘭にとっては、新鮮な異界の風が心地良く感じられた。そして魁斗に所縁の有りそうなものを見付けると、途端に彼の顔を思い出して想像を巡らせてしまうのだった。

 皇女という身分を考慮してか、麗蘭と蘭麗の接遇は樹莉に任されていた。姉妹が不自由の無いよう些細なところまで気を配ってくれるだけでなく、蘢や兵、女官たちへの対応も行き届いていた。

 樹莉は非常に大人びていて、麗蘭たち姉妹と歳が近いというのが信じ難い。物事を達観しており、百年生きていると言われても違和感無い程超然としている。魁斗にも似た面が有るが、生まれてから魔界を一歩も出ていないという彼女の方がより世俗を超越していた。

 一通り城内を見回った後、昨日も通された広間の前室に入り、同じ並びで席に着く。樹莉は麗蘭たちに魔国の王族について様々な話をしてくれ、皆で熱心に耳を傾けた。

 人界同様此の魔国においても、王子、王女の立ち位置は母親が誰かに依って大きく左右される。正妃であった浮那大妃の子である豹貴と樹莉が最上位であり、三人居た側室の子が年齢順に並ぶ。

 但し、天界でも高位の闘神を母に持つ魁斗だけは例外だった。薺明神は側室ですらなかったが、其の子である魁斗は浮那大妃の子らと同等の扱いを受け、魔王候補にも選ばれた。其れゆえ自身の息子を王にと願った大妃は、魁斗に厳しく当たることが多かったという。

「薺明神さまが『行方知れず』に為ってからは後見も居なくて、魁斗兄は辛い思いをしたと思うよ。母上に睨まれるのは、宮中で一番恐ろしいことだから」

 こうした樹莉の口振りは、実母である大妃よりも魁斗の方に同情的だった。彼女が言うには、魁斗は大妃のみならず他の異母兄弟からも嫉妬を浴びせられ、耐え忍ぶ日々を送ったらしい。

「孤独、だったのだな」

 魁斗の意外な生い立ちを知り、麗蘭は我知らず独りちた。幼くして母を亡くした彼の辛苦は予想出来たが、もっと明るいものを描いていた。

――恵まれた、華やかな暮らしをしていたのかと思っていた。

 寂しい幼少期を過ごした麗蘭は、魁斗に一段と親しみを覚える。彼に思わぬ面が有ると知れば知る程、彼のことをもっと知りたく為ってしまう。そして其れは、蘭麗も同様に感じていた。

 何時いつしか豹王への謁見の時間と為り、樹莉がおもむろに立ち上がった。ほぼ同時に室へ入って来た髄太師が、麗蘭たちの前まで来て一礼し厳かに告げる。

仕来しきたり通り、魔王は先ず麗蘭公主とお会いに為ります。蘭麗公主と蒼稀少将は、私と共に此方でお待ちを」

「承知した」

 答えつつ、麗蘭は蘢へと目配せした。彼が頷いたのを見た後、席を立って樹莉に従う。

 扉のあちら側に、魔王が――魁斗の異母兄が待っているかと思うと、緊張で口の中が乾いてくる。他国の王と相対するのは茗の珠玉以来二度目と為るが、豹王は敵ではない。聖安の公主として良い印象を与えねばならないという気負いが大きく、其の分余計に身構えてしまう。

 聖安を出る前、魁斗が豹王の人柄を褒め、人界にも好意的だと言っていたのを思い出し、自身に大丈夫だと言い聞かせた。彼と同様、寛容で人情に厚い男ならば、未熟であっても誠意は伝わるだろうと、自らを安心させようとする。

 あれこれと考えているうちに鉄扉が開かれ、麗蘭は王の間へと通された。背筋を伸ばして肩掛けを直し、顔を上げて堂々と歩き出す――樹莉と麗蘭が出て行った後、前触れも無く異変は起きた。

 何の断りも無く入口が開き、桔梗色をした揃いの甲冑を纏いし男たちが入ってきた。皆、抜いてはいないものの剣を携えて武装しており、国賓を前にしているとは思えぬ乱暴な足取りで次々侵入してくる。

 蘭麗と蘢を見る間に取り囲んだ彼らは、両踵を合わせて整列した。少なく見積もっても三十名は居り、広くない前室には入り切らない。

 斯様な状況でなければ、魔族特有の眉目秀麗さと研ぎ澄まされた強さを備えた戦士たちに、蘭麗も見惚れていたであろう。蘢の方は、一糸乱れぬ彼らの動きに感嘆の声を上げた。

「流石、魔王の近衛隊。良く訓練されている」

 されど、蘢は己の職務を忘れてはいない。直ちに蘭麗の前に出て守り、傍らの髄大師を見やった。

「髄太師。此れは何事ですか」

 蘢は蘭麗を怯えさせぬよう、穏和な表情を崩さなかったが、決して笑んではいない鋭利な眼差しで太師を見据えていた。

「ご無礼をお許しください。暫し此のままお待ちいただければ何も起こりませぬ。貴方がたの神巫女さまに、助けを乞いたいのです」

「助け……ですか。失礼ながら、助けを求めておられるようには見えないのだが」

 武器を持った兵に囲まれながら、蘢は怯む素振りを少しも示さなかった。かと言って、冷静さを欠き抜剣することも無い。王の御座おわす城の中、向こうの剣が鞘に納まっている以上、先に抜けば正当防衛も成り立たない。分かっているからこそ、柄に手を掛けようともしなかった。

「公主殿下。どうかお掛けになり、此のままお待ちください」

 蘢の煽りにも応えず一切の顔色を変えずに、老爺は蘭麗へと低頭する。だが蘭麗とて、為すがままには為らない。

「分かりました。けれど、事情を聞かせていただけないでしょうか。此の先無用なわだかまりを残さぬ為にも」

 蘭麗も蘢も、今の太師や兵たちには敵意や害意の類が無いと見抜いている。太師の言に偽りは無く、麗蘭に何らかの条件を呑ませようというのだろう。

「――御意」

 隠す気は無いらしく、太師は求めに応じて話し出した。其の内容は、魔の一族が直面している災いは、驚くべき脅威だった。


 広間では、同じく麗蘭も異常に気付いていた。魔王の王座には誰も居らず、蘭麗たちの待つ前室には突として何十人分もの魔力が満ちた。

「此れは、一体如何どういうことなのだ」

 不審げな麗蘭の追及に、樹莉は入って来た扉を僅かだけ開ける。すると鎧を着た男たちの背中で、控えの間が埋められているのが見えた。麗蘭は直ぐ様樹莉の横を摺り抜け戻ろうとしたが、何故か彼女に制止され、いよいよ様子がおかしいと確信した。

「蘭麗姫と蒼稀少将には、何もさせないよ。貴女が此方のお願いを聞いてくれればの話だけど」

 酷く落ち着いた樹莉が、言い放つ。

「お願い……だと?」

 控えの間に居る二人の姿は見えないが、樹莉の一言で、おおよその見当は付いた。彼らを人質として、麗蘭に何らかの要求をする積もりなのだろう。

 扉を閉め、麗蘭へ向き直った樹莉は、室奥の玉座へと視線を投げて話を再開した。

「魔王は――豹貴兄は死に掛けている。浮那大妃が邪術を使い、豹貴兄を生贄にして荐夕を蘇らせようとしているの」

 はじめ麗蘭は、其の意味を解せなかった。生者を捧げて死者を呼び戻す邪な術は、確かに存在を耳にしたことが有る。されど、術者が大妃で生贄が豹王だというのが俄かには信じられなかった。

「本当か? ご自分の息子を生贄にするなど考えられぬ」

 漸く口から出たのが此の問いだったが、樹莉は難無く一蹴してしまう。

「大妃の考えは、私たちでさえ解せないことが多いよ」

 脅迫紛いの発言をしているとあっても、樹莉の沈着さは保たれていたが、抑えた声には諦めが覗いている。

「豹王を呪った後、浮那さまは行方知れずなの。探し出して、止めさせて欲しい。光の神巫女である貴女なら、あの方の暴走を屹度止められる」

 本気だ――と、麗蘭は悟った。樹莉は切実に頼んできている。友好国の王族同士とはいえ、出会ったばかりの麗蘭が引き受けてくれるか否か分からず、こんな強行に出たのだと推測出来る。其れだけ、樹莉のひとみは真剣だった。何としてでも麗蘭に首を縦に振らせねばならぬという恐れと必死さが滲出しんしゅつしている。

「樹莉殿。流石に強引過ぎるのではあるまいか。此れは『お願い』とは言わぬぞ」

 厳しく言いつつも、麗蘭の中で答えは決まっていた。頼られたら頷く元来の性格も有るが、神巫女として求められると尚更意気込んでしまう。

「引き受ける。但し、蘭麗と蘢は人界へ帰してもらう。あの二人には、聖安でやってもらわねばならぬことが山程有るのだ」

 邪悪な行いを見過ごせぬ使命感も、形振なりふり構わぬところまで追い詰められた樹莉への憐れみも在る。だが、蘭麗は帰さねばならない。国主不在の聖安で、帝位継承権を有する二人の公主の両方に何か起きれば、国を揺るがす大事に為る。

 張り詰めていた糸が切れたのか、樹莉は麗蘭の返答を聞くなり其の場に崩れ落ちた。

「ありがとう、麗蘭公主。ありがとう」

 跪き、声を上擦らせて礼を繰り返す樹莉の姿は、麗蘭の胸を強く打った。

「そなたらの窮状は理解した。出来得る限り力に為ろう」

 麗蘭は目元と口端を緩め、顔を伏せたままの樹莉に手を差し伸べる。つい先刻まで感じていた憤りも薄れ、思い掛けず訪れた新たなる使命感に燃えていた。




 樹莉の依頼を受けたことで、蘭麗と蘢は即刻解放された。麗蘭が二人の許へ戻ると、彼らも髄太師から事情を説明されていた。

 詰め掛けていた近衛兵たちも去って行き、静謐せいひつを取り戻した控えの間は、樹莉の配慮から麗蘭たち三人だけが残された。

「浮那大妃を見付け、魔王に掛けられた呪いを解く。私が行かねば魔王が危ないと言うのなら、行くしかあるまい」

「姉上、ですが」

 危険過ぎる、と言い掛けた蘭麗は、途中で口を閉じた。姉の緊迫した声から葛藤は十分に伝わって来たし、此の場を乗り切るための代替案が有るわけでも無かった。

「行くな――と言っても、君は行くと決めているのでしょう」

 麗蘭の固い意志を見た蘢が、精一杯の異を唱える。彼の顔は、明らかに賛同していなかった。

「分かってくれ、蘢。全ては私の一存だ」

 立場上、公主の行動を牽制せねばならない蘢には、麗蘭も一層の罪悪感を抱いていた。

「皆に、私は暫く此方に滞在すると伝えてくれ。暫くと言っても、数日有れば戻れるだろう」

 大妃が行っているという術の実体も分からぬ今、如何程の冒険に為るのか皆目分からない。しかし即位の儀を控えた麗蘭は、一月も二月も紫瑤を留守にするわけにはいかなかった。宣言通り数日で片を付け、何としてでも帰国する積もりだった。

「蘢、蘭麗を頼む。蘭麗は、私の独断で蘢に迷惑が掛からぬよう、証人と為って欲しい」

 二人が頷いたのを確認して、麗蘭は妹へ向け更に付け加える。

「私が居ない間、国政のことは任せた」

 互いの無事を祈り合うと、麗蘭は彼らと別れて樹莉を追い掛けた。此の時は皆、未だ知る由も無かった――母親の歪んだ愛情の奥に、如何なる陰謀が潜んでいるか。

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