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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
7/41

五.歓待

 聖安の公主たちが魔界に足を踏み入れた頃。森々たる樹林に沈む地下宮には、異邦人の訪れをいち早く察知した女が居た。

 此処は、選ばれた王の血族のみが足を踏み入れられる秘密の宮殿。長の住処であった王宮から抜け出た女は、最愛の者と共に此の地に閉じ籠もり、そそけ立つ蛮行に身を浸していた。

 百年以上生き、数十人もの子供を産んだにもかかわらず、女は若く臈長ろうたけている。人の数え方で表せば、未だ二十に満たない程の容姿だろう。されど落ち着かぬ様子であちこち見回し、身体を激しく震わせているのが、明らかに異様であった。

「誰か……来たわ」

 長い髪を結いもせず床に垂らし、純白の喪服を纏って昏く広い室内をふらつく姿は、冥界を漂う幽鬼さながら。数年前の、並々ならぬ威厳を持つ彼女を知る者からすれば、驚くべき変わり様だ。

「強く鋭い、焔のような光――おまえとわたくしの幸福を邪魔する者ね」

 女が恋しげに呼び掛けるのは、奥の祭壇に安置された一つの棺。光沢の有る黒漆で仕上げられた大きな木箱には、彼女の大切な者が眠っている。

 壇に上がり棺に摺り寄ると、自身の頬を冷たい板にぴたりと付ける。愛しき我が子に対するが如く、掌や指先で優しく撫でた。

「おまえは渡さない。此の世で一番愛おしいおまえを、手放しはしない」





 摩伽羅宮に入城した麗蘭一行は、想像していた以上の歓待を受けた。

 明るく華やかな城内には見たことの無い花々や草木に溢れ、噴水には清らな水が満ちている。居並ぶ王族、貴族たちだけではなく衛兵や女官たちも皆美しく、神話で語り継がれる天界を想起させた。

 正殿に通され、姉妹と蘢は高い穹窿式きゅうりゅうしき天井の広間に入った。両側の壁の高い位置には、丸みを帯びた弓形と四角を組み合わせた形状の窓が有り、其れもまた変わった作りだった。

 燈凰宮に在る翔龍しょうりゅうの間よりも広い室内には、奇妙なことに誰も居ない。奥の壇上には玉座が設えられていたが、其の主である魔王の姿は無い。

 麗蘭と蘭麗は、脚の長い卓を挟んで樹莉と太師に向かい合う形で席に着く。蘢は座らず横に立っていたが、樹莉に勧められ蘭麗の隣に座した。

「ごめんなさい。我が国ではたとえ皇族の方であっても、いらした其の日に魔王と謁見出来ないことに為っているの」

 申し訳なさそうに言う樹莉に、麗蘭は首を横に振った。

「気に為さらずとも良い。其れについては聞き及んでいる」

 魔族という種族が、儀礼や風習を重んじるのは広く知られている。王家は特に顕著で、生活の殆どを縛られていると表しても過言ではない。家を出て久しいとはいえ、魁斗がそうした育ちを感じさせないのは不思議としか言いようが無い。

 其処へ一人の侍女が、銀の盆に茶器を載せて入って来た。淑やかな所作で手際良く茶を淹れ、めいめいへ差し出した。

「豹王陛下の妹御ということは、魁斗の……昊天君こうてんくんの姉君か妹君であらせられるか」

「うん、魁斗は私の一つ上の兄だよ。母親は違うけどね」

 麗蘭の問いに答えた樹莉は、客人たちに茶を勧めた。

「魁斗の母は五闘神の一人である薺明せいめいしんで、豹王と私の母は前魔王の正妃である浮那うきな大妃だいひなんだ」

 知ってはいたものの改めて聞くと、麗蘭は魁斗の血筋の良さに驚嘆させられる。目の前に居る樹莉も魔王の直系だと聞き、自身の出自の尊さを忘れて我知らず萎縮しそうに為った。

 姉が茶を飲むのを見てから、蘭麗も茶碗に口を付けた。聖安の皇宮でも滅多に出ない魔国の紅色茶が、長旅で疲れた身体を癒やしてくれる。

「前王の烈王陛下と浮那さまの間には、たくさんのお子さまが居らっしゃるとか。子供の頃に、何人かの王子様を紫瑶にお迎えしたことが有ります」

 茗に捕らわれる前、遠い昔を思い出し、蘭麗は何処か懐かしそうにしている。しかしそうは言っても、彼女の心に強く残っているのは魁斗の記憶だけで、他の公子たちについて覚えているのは名前くらいだ。

「私も兄たちから聞いていたよ。聖安には、月白色の瞳をした可憐なお姫さまが居るって」

 其れとはなしに蘭麗を褒め、一呼吸置いた樹莉は、思い掛けない発言をした。

「あの頃は未だ、良かった。あれから浮那大妃を母に持つ兄弟姉妹たちは、豹貴兄――現魔王以外みんな死んだの。三年前、ある裏切り者に皆殺しにされて……ね」

「裏切り者?」

 急に顔色を変えた樹莉に、麗蘭は思わず聞き返した。

「姫さま。其のお話は……」

「良いじゃない、爺。魁斗兄がお世話に為っているんだから、知っててもらった方が良いよ」

 太師が制止するのも聞かず、樹莉は先を話す。

「兄の荐夕ぜんゆうが、摩伽羅宮に居た王子、王女を一夜にして惨殺したの」

 淡々と語られた衝撃的な内容に、皆が口を噤む。『荐夕』という名は、麗蘭にとっては初めて聞く名であり、蘭麗にとっては覚えの有る名だ。

「荐夕殿下とは、昊天君と並び、次期魔王に最も近いと目されていた方のことですね」

 沈黙を破ったのは、蘢だった。博識の彼は、荐夕の存在を知ってはいたが、事件については初耳だった。

「先代魔王の力を最も濃く受け継ぎ、姿も極めて美しく人徳も申し分無し。魁斗兄が居なければ、確実に王に選ばれていたでしょうね」

 そう言いながら、樹莉は己の下唇を噛んだ。

「烈王の王子には珍しい御髪おぐしと瞳の色から、『黄昏君おうこんくん』と呼ばれておりました」

 髄太師の無機質な枯れ声には、惜しむような諦めも含まれていた。

「自身が魔王に為れないと知り、自分以外の兄弟を殺戮した。唯一互角以上に戦える魁斗兄が止めに入って――」

 両手の指をきつく組み、怒りとも恐れとも取れる秘めた激情をちらつかせ、樹莉は言葉を詰まらせた。俯いた彼女に代わり、深い溜息を吐いた太師が続けた。

「魁斗さまに敗れた荐夕さまは、其の場で自決なさいました。ご兄弟を救えなかった自責の念と、荐夕さまを狂気に走らせた一族を疎んじた魁斗さまは、魔界を出奔されたのです」

 此の時麗蘭は、魁斗が過去を明かしたがらない理由を悟った。斯様な悲劇を味わい、其れを人に語りたいはずが無い。たとえ故郷であろうと、戻って来たいわけが無い。光り輝く彼が纏う悲壮の正体を知り、彼の深みに近付き押し返された気がした。

「魁斗兄が居なければ、私も豹貴兄も死んでいたかもしれない。悪いのは全部荐兄なのに、魁斗兄は出て行って戻って来ない」

 樹莉の顔には、肉親を失った悲哀が痛々しい程表れていた。長い間、家族と理不尽に引き離されていた麗蘭と蘭麗も、彼女の気持ちは良く分かる。しかし、兄の手で他の兄弟たちを永遠に失った樹莉や魁斗の苦悶は、察するに余り有る。

 誰もが次の言葉を見付けられぬまま、時が過ぎてゆく。麗蘭も何か思い付いては止め、結局樹莉が再び話し出すまで静寂が流れた。

「ごめんなさいね。気が滅入る話をしちゃった」

 話を打ち切り席を立ち、樹莉は手を叩いて室の隅で控えている女官を呼んだ。

「お疲れでしょうし、部屋に案内するよ。晩餐まで時間も有るし、寛いでね」

 明るい樹莉の頬笑みからは、暗い影がすっかり消え失せていた。麗蘭に蘭麗、蘢さえも、数瞬の変わり様に驚きはしなかった。王の血を引く少女の強さだと、誇り高き王女の気丈さだと信じ、同情こそすれ疑いはしなかった。





 其の夜。姉妹と蘢は、樹莉が主催する晩餐に招かれた。会は昼間通された玉座の間で開かれ、王族や貴族の上位層の者数十名が列席した。

 出席者たちは樹莉と太師が選んだ親しい者であり、聖安の公主に好意的な者ばかりだった。出立前の魁斗の話に依ると、魔族の上流階級には人間に偏見を持つ者も少なくないという。麗蘭たちが心穏やかに過ごせるよう、樹莉たちが配意してくれたのだろう。

 母国である聖安でも公式な宴に慣れていない麗蘭だったが、迎える側の心遣いや蘭麗と蘢の手助けにより、問題無く過ごせた。むしろ居心地が良く、宴席の終わりが名残惜しいと思った程だ。

 集った面々の中には浮那大妃が居らず、麗蘭は幾らか気落ちした。聞くところに依ると、彼の王母は魁斗と特別な因縁が有るらしい。世間的には良くない噂の多い人物だが、麗蘭としては是非ともお目に掛かっておきたかった。

 こうして、魔国訪問の初日を無事に勤め上げた。明日はいよいよ、現魔王豹貴との謁見が待っている。

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