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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
40/41

三十八.耀う瞳、其の先に

 星々が一際燃ゆる、朔の晩。幾日か振りに雲が掛からぬ夜空には、無限の光がちりばめられている。

 亡き恵帝の第一公主麗蘭は、即位の儀を翌日に控えていた。早朝より支度に追われ、阿宋山から駆け付けた風友や優花と少しだけ話せた他は、休む間も無い程だった。

 大勢の臣下たちが関わり、長い時間を掛けてきたため、安心して本番を迎えられるはずだった。其れでも気は張り詰めたままで、夜が更けても寝付けない。

 胸の高鳴りを抑えようと、自分の宮の露台に出て星の空を眺め始める。人生で一度きりであろう夜を共に過ごすのに選んだのは、蘭麗でも優花でもなく、魁斗であった。

 椅子に座し、魁斗の肩に頭を預けたまま、星満ちる天を仰ぐ。茗との講和を成した後、今日に至るまでは登極の準備に忙殺されてきた。こうしてゆっくりと二人だけに為れたのも、何時いつ振りだろうか。

 魁斗は星になど目もくれず、麗蘭を見下ろし彼女の髪や頬を撫でている。視線が合う度顔を逸らそうとするのが愛らしくて、わざと見詰めたままでいた。

 特別な間柄と為って数ヶ月経ち、魁斗が愛情ゆえに軽い悪戯心を起こすのは、麗蘭も承知の上。近頃は斯様な感覚も心地良く感じられてきた。

「あの時、真誠鏡で何を見た」

 時を見計らい、麗蘭がさり気無く尋ねる。浮那大妃を呑んだ大蛇と戦った後、二人で闍梛宮を脱出した辺りから気に為っていた。魔国での一件より三月が経ち、尋ねても良い頃合いだろうと判断したのだ。

 いきなり切り出されて驚きはしたが、魁斗も折を見て話そうとしていたようで、直ぐに口を開いた。

「俺の生まれた訳。薺明神せいめいしんが魔界に降り、魔王と子を作った経緯を見せられた」

 其処は魁斗自身のみならず麗蘭もまた、疑問に思っていた。相手が魔王とはいえ、天の神が下界の者と子を成すなど他に例が無い。薺明神程の上位神だからこそ罰せられはしないものの、そしりを受けることは有ったであろう。

「黒神は、天帝と光龍以外には斃せぬ不滅の神。薺明神すら、奴に傷を付けることさえ出来なかった。だが聖魔の力を備えた俺なら、一矢報いることが出来る」

 真誠鏡は、身を映した者の真なる姿を見せる。魁斗は、母の過去が語ったものこそ己が生きる意義なのだと解釈していた。

「奴が俺に近しい者を苦しめるのは、元より俺を敵視していたからだろう。俺本人を狙えば良いものを、えてそうしないのが奴らしい」

 黒神が弄び、穢し、命を摘んだのは、魁斗の親族だけではない。かつて彼を癒やし、恋心を抱かせた紅燐もまた――実際には、彼が認知する事実とは違う方法ではあるが――目の前で奪われた。

「豹貴兄に降りた黒神と対した時、はっきりと分かった。こうしている間にも、奴は新たな戯れを始めているかもしれない」

 邪神と初めて言葉を交わした際、魁斗が感じ取ったのは、おおよそ解せぬ悪心のみ。残ったのは、一段と増した怒りと憎しみだけだった。

 の神に母の命火を消され、魁斗が苦しむ様を見せられる麗蘭も、宿敵への思いは同じである。ところが一つだけ、此れまでの戦いを経て気に掛かる点が生じていた。

「瑠璃と対した時、黒龍は何故非道な行いをするのか訊いたが、答えは得られなかった。黙しているだけというよりも、瑠璃も知らぬのではないかと……」

「どんな事情だろうと、奴を斃さねばならない。俺には理由が有るが、おまえは如何どうだ」

 他意は無く、考えたままを口にしただけだが、麗蘭は大いに後悔した。魁斗には、自分の発言が黒神の悪逆を正当化するものに聞こえたであろうからだ。

「無論、私にも有る」

 言い切ると、魁斗を真っ直ぐに見据える。些細な過ちで、彼に一欠片の疑念も抱かせたくはなかった。

「私とおまえは、黒龍を滅するために出会ったのだろうか。其のために、私たちは天に依って引き合わされたのだろうか」

 頭上に瞬く星にも似た、耀かがよう瞳を向けられ、魁斗は引き結んでいた口元を綻ばせた。

「だとすれば、天に感謝しなければならないな」

 耳元でそっと言われ、麗蘭の心臓が止まり掛けた。こう為ると分かっていてする魁斗に悔しさが募るも、彼の機嫌を直せたようで安堵する。

「魁斗。蘭麗に、おまえとのことを話したいのだが、良いか」

 いち早く勘付かれた優花には、昼間再会した際もただされて答えたばかりだが、蘭麗とは其の類の話をしたことすら無い。

 そもそも色恋に関し、周囲に話すべきか否かも、麗蘭には分からなかった。人目を忍ぶような格好と為っている魁斗との関係を、打ち明けてしまいたい気持ちは有る。しかしそうすることで、皆との繋がりが一変してしまうのではないかと、懸念の方が大きい。

 暫し思案した後、魁斗は頷いた。

「任せる。だが、屹度きっともう察しているだろう。おまえはとても分かり易い」

「そ、そうなのか。気恥ずかしくて表に出さぬようしている積もりなのだが」

 狼狽うろたえる麗蘭に、魁斗が真顔で追い打ちを掛ける。

「随分前から、俺のことを好きだというのが見え見えだったぞ」

「そんなはずは……」

 両の眼をぱちぱちとさせた麗蘭が、納得出来ないと上目を使うと、魁斗はたまらず彼女を抱き締めた。

「余り可愛い眼で見るな。我慢する俺の身にも為れ」

「我慢?」

「色々とな」

 麗蘭の心身が、じんわりとした幸福に満たされてゆく。魁斗の腕の中で力が抜け落ち、何の話をしていたのかさえ頭から消えてしまった。

「即位式が終わって落ち着いたら、おまえの婿選びの話が出るだろう」

「ああ。翠峡からも、其れらしきことを言われた」

 突然の問いに麗蘭が一先ひとまず答えると、魁斗は彼女の両肩に手を置いた。

「俺と、一緒に為ってくれないか」

「――え?」

「夫には、俺を選んでくれないか。麗蘭」

 星明かりと松明に照らされた決然たる双眸に、淡く映る自信の無さが、魁斗の誠意を語っている。数瞬思考を止められた麗蘭は、やがて戻り来て逆に問い返す。

「良いのか、私で」

 恋人として魁斗を意識してからというもの、いずれはそう為りたいと夢見たことは有った。されど、彼も望んでいるなどと自惚れてはいなかったし、第一夫婦めおとの契り自体も未だ良くは分からなかった。

「おまえは天帝のもので、明日からは聖安の民のものに為る。しかし夫に為れば、誰にも咎められず側に居られるだろう」

 魁斗からすれば、麗蘭は侵し難い至上の少女。独占するためには、婚姻という結び付きが無二の方法だと結論付けたのだった。

 何時もの余裕は見当たらないが、只管ひたすら優しい眼差しを麗蘭へと注ぎ、偽り無き恋を謳う。

「如何しようも無く、おまえが愛おしい。天や民にならともかく、他の男に渡したくない」

 告げられた刹那、麗蘭は喜びが駆け抜けるよりも先に、覚めてはならぬものが弾けて揺り起こされたのを感じた。胸の奥深く、底の底で、閉ざされていた扉が叩かれ、鈍い音を立てて開かれてゆく気がした。

 我に返り、魁斗の顔をしっかり見ると、此方側へと引き戻される。彼に求められる己が何者であり何を成すべきか、彼と結ばれる未来が如何程に幸運であるかを考え、感激に包まれてゆく。

「済まぬ……夢を見ているようで」

 視界が霞み、涙がこぼれ出したのに気付いて指で拭う。普段なら、酷い顔を見せまいと隠すところを、感情の赴くままに笑み掛けた。

「私も、魁斗が好きだ。誰かと添うならば、他の者など考えられぬ」

 聞き届けるや、魁斗は今一度麗蘭を抱き竦めた。麗蘭も彼の背に両腕を回して応え、決して離れぬように力を込める。

 魁斗と想いを確かめ合う麗蘭には、共に居ること以外に望みなど無かった。従うべき宿命も、守るべきものをも忘れ、此の一時に身を委ねた。



    ◇     ◇     ◇



 天に紡がれた螺旋を巡り、神巫女は永劫の転生を繰り返す。

 地に降りては非天と戦い、戦っては死に、死んではまた地に生まれて戦う。其れが、光龍に下された不変の定め。

 彼女の魂は流れ流れて、四度目に聖安の公主に生まれついた。そして誰に導かれたのか、宿を共にする男と出逢って恋に落ちた。


 明日には大国を継ぐ麗蘭にとって、此れが最初で最後の一夜。一人の少女としての幸せを、何の憂いも無く享受出来る、一度限りの夜陰であった。





第二部「偽王の骸」 完

第三部へ続く

これにて物語はおしまいです。

続編は第三部になりますが、投稿時期は全く未定です。気長にお待ちいただければ幸いです。


よろしければ、次話の後書きもどうぞ。お読みいただきありがとうございました。

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