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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
39/41

三十七.糸紡ぎの神

 魔の国に、黄昏たそがれの君と呼ばれた公子が居た。王座に近い器と称され、赫赫かくかくたる道を歩んでいたが、血のしがらみから逃れられぬまま現世から去った。

 彼、荐夕が眠るのは、彼が生まれ育った宮殿より離れた辺塞へんそくの地。埋葬した魁斗と髄太師、そして豹王を除き誰も知らないはずの、果ての果てだった。

 紅紫色の海に臨む岬に、彼のささやかなる墓標は在った。小さな墓石には名も刻まれず、王の息子が葬られているのすら示されていない。寄せては返す波の静音と、水気を含んだ冷たい風が過ぎ行くだけで、天も地も寂然じゃくぜんとしている。

 斯様な終わりを迎えるべき男ではなかったかもしれぬ。王に為る資格は持たなかったものの、妻子や兄弟姉妹を愛し愛され、多幸に恵まれ逝くべきだったかもしれぬ。されど彼が達したのは正反対の、陰惨な終幕だった。

 此の終焉を不運と見るか自業自得と見るかは、人にり様々であろう。しかし唯一、そうした人々とは違った見方をする者が居た。

「やっぱり、黒いのじゃないか」

 墓所の前に立っている黒髪の男――禍事まがごとの黒幕たる一柱ひとはしらの邪神に、美しい少年の姿をした力有る何かが声を掛けた。

 銀色がかった白い長髪に、生気を感じさせぬ透明な白い肌。右眼は黄金、左眼は若葉色に色付いている。人の表し方で言えば十二、十三という歳の頃だが、見る目を持たぬ只人ただびとでも人ならざる者と判る異様さがそんしていた。

 故有って、気が遠く為る程長く幼い姿で居る所為せいか、彼の拵える笑みは実に少年らしかった。無邪気で時に人を困らせるような、賢くませた子を完璧に演じている。本来の彼は少年ではないし、対照的な性質であるにもかかわらず、である。

「三百年振りか? 千年振りか? 今日は子供の姿じゃないんだな」

 わざとらしく目をしばたたかせ、大人の形を取っている黒神を見上げる。気安い物言いだが、左右で違う色の目に親しみの類いは無く、かと言って嫌忌けんきの念なども無い。

 前回彼らが会った際、黒神は少年に合わせて同じ歳頃に見える姿形をしていた。だが時期については全くの認識違いで、ほんの十年程前の出来事だ。

「こんなところで何をしている。其の墓の男から、自分への恨み言でも聴いてやっているのか」

 荐夕が埋められた理由を、白い少年は誰から聞いた訳でもなく知っていた。そして意企いきした黒き神の思惑も、少年だけが悟っていた。

 墓下の青年から眼前の少年へ目をやると、黒神は口の端を緩めた。

「君こそ何しに来たの。此処に眠る哀れな男に、穏やかな来世を与えてやるため?」

 戯れではない問いだった。左様な御業みわざを行えるのは、黒神でも天帝でもなく――此の少年のみだからこそ尋ねたのだ。

「あいにくおれは、そんな慈悲を持ち合わせていない。黒いのらしき影を見つけて、話をしに来ただけだ」

 嘘か真か、分からぬ黒神ではない。少年の内側を十二分に解しているがために、心を読めずとも見通せる。

薺明神せいめいしんの息子は、なかなかしぶといじゃあないか」

「僕は死んでも良いと思っていたんだけどねえ」

 対した者の息の根を止めかねない、凄みの有る冷笑だった。滅多に情感を滲ませない邪神の只ならぬ一言に、少年は同情めいた顔をしてみせた。

「真誠鏡を息子に見せたのも、黒いのの計らいなんだろう?」

「まあね」

「何処までも酷なことをする。あの息子にとっても、『おまえ自身にとっても』」

 黒神は無言で返し語らなかったが、少年は得心したらしかった。

「其れよりおまえの巫女の反抗で、光龍が余計なことを思い出したみたいだな」

 指摘した時、にわかに風が走った。結われていない黒神の髪が揺れ、静かに流されてゆく。

「開光した光龍には、おまえといえど直接手出しは出来ない。此のままずるずると記憶が漏れ出したら、千五百年越しの涙ぐましい努力も台無しに為るぞ」

「そうだね。あれは失策だった――認めよう」

 手落ちと言っている割に、黒神の表情は柔和に為った。不快げどころか、嬉しげとも取れる。

「巫女を罰しないのか」

「あの子も無自覚でやったことで、抗いではないよ。耀蕎ようきょうの息子を殺させようとして、樹莉に剣を渡したのは僕だし」

 彼らが話しているのは、錯乱し始めていた樹莉が瑠璃の助言で答えを出し、麗蘭の前で自決を試みたことだ。

「死にゆく命を持つ下界の女たちが、如何に愚かで恐ろしい選択をするか……すっかり忘れていた」

 諦観ていかんする一方で、微かではあるが、畏れの念も混じった言い方だった。

「へえ。『今の』黒いのにも、恐いものが有るんだな」

 大袈裟に驚く少年に、黒神が苦笑する。

「『今の』僕だからこそ、恐いんだよ」

 目立たぬよう嘆息し、少年へ話を投げた。

「君は本当に見ているだけなんだね。たまには暇潰しでもしてみれば。兄上にはもう、君を見張る余力は無いし、君を縛るものは其の『かせ』くらいだろう」

「おれは人間どもに何の興も覚えない。下手におまえを刺激して、へそを曲げさせるのも本意ではないからな」

 自分に遠慮しているという少年に、黒神は声を発さず笑った。

「君が僕のご機嫌を気にする必要は無いよ。最終的に、僕の願いを叶えられるのは君だけなんだから。君に自由をあげられるのもまた、僕だけだけれど」

 つまり、彼らは不可欠と為る存在同士であり、相互に牽制する関係にある。

「そんな時が、一体何時いつ来るのやら」

「そう遠くないさ。人間を相手取っているから、時も迫っているし」

 急ぐ積もりだと仄めかし、黒神は会話を終わらせた。

「いずれまた。『此処で』君と会えて良かったよ、ゆい

 終いまで含みを持たせたまま、姿を掻き消す。残った少年――糸紡神しぼうしん・結は小さく舌打ちしたが、愉快そうに呟いた。

「結局其れか。回りくどい奴だ」

 改めて、石の下に沈んだ青年と向かい合う。海と同じ、紫に近い赤に染色された空を仰ぎ見て、此の世で彼にしか行えぬ仕事に取り掛かったのだった。

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