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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
36/41

三十四.無垢なる恋

 豹王や髄太師に別れを言い、麗蘭と魁斗は星燿に乗って魔の王国を後にした。

 の地を踏んでいたのは数日に過ぎないが、麗蘭には数年経ったかのような重い感覚が有った。短い間に、多くの喜び悲しみを味わった所為せいであろうか。

 城門にて一旦魁斗と別れ、正殿へと帰って来た麗蘭は、気に入りの露台ろだいで蘭麗と再会を果たした。

 懐かしき阿宋山を通って夕陽が西の山脈へと沈み、空は残照に染まっている。混ざり合った青と緋にひたされた城下は、何度目にしても見飽きない。

「お帰りなさいませ、姉上」

「ああ。今帰った」

 妹と挨拶を交わしつつ、眼下に広がる美景を感慨深げに眺める。魔国に居る間、此の場所には戻れまいと覚悟した場面が何度も有ったのだ。

「豹王陛下を……樹莉さまを、無事に助けられたのですね」

 命は救えたとはいえ、樹莉たちの苦衷くちゅうを思えば、無事とは言い切れない。だがほっとして息を吐いている蘭麗に、麗蘭も頷くしか無かった。

「そなたと蘢が、私の強情を許してくれたお陰でな」

 其の点は、どれだけ感謝しても足りなかった。麗蘭が不在にしていた間、彼らは公務の代行のみならず重臣たちへの対応など、骨を折ってくれていたに違いない。

「事の顛末てんまつは話せば長く為る。済まぬが、先に此処数日の状況について聞かせてくれるか」

「畏まりました」

 魔国で起きたことの報告を後回しにしたのは、麗蘭の公主たる自覚ゆえ。魁斗の過去から始まる災いを如何いかに語るか、決めかねていたがゆえである。

 姉の望み通り、蘭麗は伝えるべき事柄を優先度の高い順に話していった。取り分け重要なのは、数週間後に控えた茗の燈雅との会談である。

 茗との戦の終結は、麗蘭がかねてより望んでいた願いだった。正式な休戦協定、上手くいけば平和条約まで漕ぎ着けることこそ、太平への大きな一歩であった。

「姉上のお許しを得ずに承諾してしまい、申し訳有りません」

「構わぬ。燈帝陛下との話し合いは、私も望んでいたことだ」

 亡き母や麗蘭の真意を知っていた蘭麗だからこそ、間を空けずに茗へ是と答えるのが正しいと知っていた。己の意図を解したうえで、立派に代わりを務めてくれる妹に、麗蘭は一層のありがたみを感じた。

「ところで、魁斗は一緒ではなかったのですか?」

 思い出したように訊いた蘭麗の声は、僅かに調子が変わっていたが、麗蘭が察せられる程の変化ではなかった。

「乗って来た騎獣を帰すと言って城門で別れた。じきに戻るだろう」

 樹莉から魁斗と蘭麗が許嫁同士だったと聞かされ、ほんの少し前まで揺らいでいたものの、今や殆ど忘れていた。竹を割ったような性格のためか、彼と想いを伝え合った今――蘭麗が自ら真情を吐露するなどしない限り――彼らの過去に留意する必要など無いと思っていたのだ。

 そうこうしている内に、女官が蘢の訪れを告げた。麗蘭たちの帰還を聞き付け、兵部から慌てて駆け付けたらしい。

 迎え入れると、彼の後ろには麗蘭の見知らぬ青磁色の髪をした少女が従っていた。

「お帰り、麗蘭」

「蘢。我がままを聞いてもらい、済まなかったな」

 謝意を伝えてから、麗蘭は蘢の後方に居る『少女』を見やった。禁軍の紅色の軍服を着た彼女は、低頭したまま片膝を付いている。

「そちらの少女は、見ない顔だが」

「紹介しようと思って連れてきたんだ」

 蘢に連れられ麗蘭の姿を初めて目にした友里は、其の玲瓏さに驚愕し身動き出来なく為っていた。妹である蘭麗の美貌から予想はしていたが、数瞬だけ見た実物は想像を遙かに超えていた。

 深紫の双眸は豊かなまつげに縁取られ、口唇は紅を差さずともくっきりと赤い。太陽色の長い髪を高く結い、姫君に似合わしき白肌を少年の如き縹色はなだいろの装いで包んでいる。公主が着るには質素な木綿を纏っていたが、きらやかさは不思議と損なわれていない。

「きょ、きょきょ、きょう友里と、申します。ここ、公主殿下には、御機嫌うう、麗しく……」

 瑛睡上将軍や蘭麗との初対面以上に緊張し、友里は己の名すらまともに名乗れていなかった。同僚の禁軍兵から教わった貴人への挨拶も、途中で飛んで口籠もる。

「おまえが友里か。来てくれるのを待っていたぞ」

「あ、あああ、あありがたき幸せ! で、ございます!」

 天人あめひと同然の麗蘭から温かい言葉を掛けられ、友里は石床に両膝を付いて額をめり込ませた。

「蘭麗の侍衛じえいに為ってくれるとか。宜しく頼む」

 腰を落とし、友里の右肩に手を載せた麗蘭は、真っ直ぐな神力の持ち主である少女に期待を込めて晴れやかに笑んだ。友里は不躾ぶしつけにもつい、公主の尊顔を見てしまったが、また直ぐに頭を沈めて頓狂とんきょうな声を上げた。

「はははははい! ぜぜ、全身全霊でお仕えいたします!」

 姉が年端もいかぬ少女を苛めているとしか見えぬ光景に、蘭麗があきれて溜息を吐いた。

「姉上、友里が震えておりますよ」

「あ、相済あいすまぬ。怯えさせる積もりは無かったのだが」

 慌てて詫びると、麗蘭は友里の両肩を優しく叩いて立たせようとした。麗蘭の厚情に触れ、歓喜に打ち震えている友里には逆効果で、ますます身を硬直させてびくともしない。

「怯えているのとは違うみたいだけどね」

 真剣な友里には多少悪いと思いながらも、蘢は笑いをこらえて言った。和やかな空気の流れる中、魁斗も遅れて合流して来た。

「何だか賑やかだな」

 うれい無き爽やかな表情の魁斗は、あれだけ悲壮な一件の直後とは信じられぬ程、平然としている。蘢から友里のことを聞かされると、恐れ入って礼をる彼女にも普段通りの気安い微笑を送った。

 友里を退室させ、残った四人は黄花梨おうかりん方卓ほうたくを囲って座る。魔国に赴く前の何時ぞやと同じく、麗蘭の横に魁斗、蘭麗の横に蘢という席順だ。

「星燿は、魔国へ帰ったのか」

「ああ。帰す前に飯をやっていたら遅く為った」

 麗蘭の問いに答えてから、蘭麗や蘢と向かい合う。

「さっき、偶々瑛睡上将軍と会ったんだ。茗の燈雅と丞相が会談に来ると聞いたが」

 魁斗の眼が、一転して鋭さを帯びる。麗蘭が受けたのと同様の説明を蘭麗から聞かされ、難しそうに腕を組んだ。

「いよいよ、茗との戦を終わらせる時が来た。此度こたびの会談は何としても成功させねばならぬ」

 仲間たちの前で、麗蘭は誓いを立てるように言い放つ。されど実のところ、聖安の主として茗の国主と戦う重責を一身に負う恐怖が有った。半年前、茗との会談の場で喪ってはならぬ人を死なせた悔恨が有った。

「蘢、護衛でも何でも良い。俺も会談に出られるか」

 麗蘭を見ていた魁斗が突として言い出し、蘢は少々考えて首肯しゅこうした。

「うん、翠峡殿に相談してみるよ」

 対決の場に魁斗が立ち会ってくれるというだけで、心が相当軽く為った。麗蘭は嬉しさに溢れた目を彼へと向けたがいらえは無く、一人で舞い上がったのを反省した。

「日取りや会場は決まったのですか、蘢」

「はい。麗蘭も帰って来ましたので、最終決定を待つのみと為っています」

 蘢が懐から書付を取り出し、蘭麗に示している隙に、魁斗が卓の下で隠れるようにして麗蘭の右手を握った。驚く彼女を横目で見る眼差しは、会談では自分が付いているから心配するな、とでも言いたげだ。

 はにかむ無垢な麗蘭は、魁斗と慕い合うのが罪だとはまるで考えなかった。初恋に惑う麗蘭は、愛しき此の手を握り返すことが、己が最も大切にしたい少女をいたく傷付けるとは夢にも思わなかったのだ。

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