三十三.償い【2】
揺らめき燃ゆる蒼い焔に灼かれながら、白銀の王姫は黄昏色の昔日を追憶していた。
幼き日、花冠で遊んでくれた兄。初々しい恋心を教えてくれた兄。妻を娶り、近くに居ながら手の届かぬ場所へと離れてしまった兄――嫉心で姫の光を翳らせ、清き魂に己をも殺す程の情炎を灯した兄。
『俺がもし、おまえたちの思っているような兄じゃなかったら、如何する』
姫が愛したのは、愛されたのは、どの兄だったのか。本当の兄は何時まで生きていて、何時死んでしまったのか。今と為っては誰も知り得ぬ真実を求めて、自問と自答をせざるを得なかった。
真の答えが何処に在れ、姫は生命の残火を懸けて、犯した罪を償わねばならなかった。略奪し破壊し、害を及ぼしてきた者たちへの贖いのために。失くした自身を取り戻すために。
宮殿内の自室に軟禁され、処断を待つ身と為った樹莉は、寝台の上で上体を起こし魁斗を迎えた。
彼らが会うのは、樹莉が地下牢で自らを刺し死に掛けて以来、初めてであった。魁斗が見たところ、頬は痩せて顔色は優れないが、魔の気は落ち着いている。
異母兄と目が合った途端、樹莉は頭を下げた。瞳に溜まりゆく涙を見せまいと、さっと顔を隠すかのように。
疲れ果てながらも気丈に振る舞う少女を見た時、魁斗は憐憫の情を抱くと同時に、漸く真の樹莉と再会出来たのだと目頭が熱く為った。寝台近くに在る椅子に座り、彼女よりも更に深く首を垂れた。
「樹莉、心から謝る。悪かった」
三年前、荐夕を助けるという約束を守れず、事もあろうに死なせたこと。即位した豹貴を支える役目すら放棄して、樹莉一人に押し付けたこと。絶望の淵で苦しむ樹莉に気付けず、自分だけ魔国を出て行きのうのうと生きていたこと――謝罪せねばならぬことは多々有る。
一連の凶事を招いたのは黒神である。魁斗が己のものと考える罪の中には、客観的に見て彼の所為ではないものも含まれていた。しかし彼は、樹莉や豹貴の受難に関し一切の言い訳を許さなかった。黒神への怨恨は増したが、全てを背に負う心積もりであった。
そうした魁斗を前に、樹莉はおもむろに顔を上げた。
「霊廟で……荐兄を送った時、魁斗の痛みが解った……ううん、本当は目を背けていただけで……もっと前から解ってた」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ声は、老婆のものの如く嗄れていた。枯骸を燃やした際、酷く啼泣し多量の煙を吸い込んだため、喉を痛めたのだという。王医に依ると、傷は重く声が残っただけでも奇跡的で、快癒は見込めぬらしい。
「私の方こそ……謝っても許してもらえないことをたくさんしてきた。だけど……我が儘言っても良い?」
痛々しいか細い声で乞われ、魁斗も頭を上げた。驚くべきことに、目の前に居たのは妄念に囚われた樹莉とも、廉潔だったかつての樹莉とも異なる、別人とも呼べる少女だった。
「豹貴兄が王位に就いて……もう魔国には、魁斗を悪く言う人なんか居ないよ。だから時々で良いから……戻って来てくれると嬉しい……な」
白い頬へと流れそうに為る涙を堪え、樹莉は辿々しくも続けた。
「私はちゃんと……罪を償う積もり。其の上で為すべきことを見定めていく」
哀婉極まる樹莉の誓いを聞き、魁斗は抱き掛けた希みを手放さざるを得なく為った。彼や豹貴、荐夕が愛しんだ幼い妹は、もう何処にも居ないのだと思い知らされた。
豹貴や長老たちは極刑を避けようとしているが、樹莉にとっては生き永らえる方が酷なのではないか――そんな恐ろしい思いが、魁斗の中にふと浮かんだ。
「おまえが許してくれるなら、また会いに来る。おまえが如何に生きているか見るため――俺が如何生きているか、おまえに見てもらうために」
答えを聞くと、樹莉はやっと顔を綻ばせた。だが喉が辛いのか、一旦其処で話を止めた。少し経ち深呼吸をしてから、見かねた魁斗が制止するのを聞かずに先を口にする。
「ずっと……魁斗兄に訊きたかったことが有るの。ひょっとしたら……気を悪くするかもしれないけど」
会話を短くして彼女の負担を減らすため、魁斗は遠慮がちな前置きに構わず促した。
「大丈夫だ。言ってみろ」
おずおずと魁斗の右手に触れた樹莉は、力の入らぬ両の手で握った後、彼を直視して尋ねた。
「荐兄は……苦しまずに逝けた?」
愛を捧げた荐夕が、静穏な死を迎えたか否か。先立たれた樹莉にとり気に為るのは、死の際の様相であった。彼女が問うているのは二度目の死ではなく、魁斗に依って齎された一度目の死だ。二度目の方は訊かずとも、己が目で見知っていたのだから。
「ああ」
力強く頷いたが、魁斗も其の応えしか持っていなかった。三年の間、彼もまた、是と信じることで耐え抜いてきたがゆえに。樹莉の方も、異母兄の左様な心痛を知っていたものの、先へ進むために問い掛けずにはいられなかった。
「そう……良かった」
樹莉はもう一度大きく息を吸い吐き出して、目尻に溜まった涙の雫を指先で拭いた。
「荐兄は、ね……自分が父上の子供じゃないって気付いてからも、私たちのことを想ってくれていたよ。蝋燭の火が消える其の瞬間まで……優しい荐兄だったんだよ」
其れは、兄を喪った魁斗と豹貴が何より望んでいた答えだった。
「一番に森に入ろうとしてたのは……もし自分が烈王の子で魔王に為れれば、他の兄弟を……守れるから。もし資格が無くて死ぬことに為っても……皆が苦しむのを見ずに済むでしょ?」
寝殿で、豹貴に降りた荐夕と相対した時から、魁斗は其の理由を『確実に真誠鏡を見るため』ではないかと考えていた。万一自分より先に、他の兄弟が試練を越えてしまっては、真誠鏡を覗く機会を失くしてしまう。
掠れた哀音とはいえ、樹莉の言には自信が滲んでいた。彼女は今なお荐夕を信じているのだと、魁斗は得心した。
「おまえが言うなら、屹度其れが正しいんだろうな」
彼が首肯すると、樹莉は嬉しげに笑んだ。そして暫し逡巡したかと思えば、最後に一つ付け加えた。
「魁斗兄。貴方はあの素晴らしい麗蘭に相応しい人だと思う。だけど、貴方があの人を一人の女性として愛するのは……とても難しい。そう思うの」
出し抜けに言われ、魁斗は絶句した。麗蘭に恋をし、気持ちを確かめ合い、共に生を歩んでいこうと想いを通じ合わせたばかりだからだ。
如何して樹莉が斯様な憂慮を持つのか、魁斗には解せなかった。異母妹が生来有する強い魔力の為せる業なのか。彼女を覆っていた黒神の力の仕業なのか。其れとも、麗蘭が注いだ神巫女の神気が視せた徴なのか。
悲観的な見方の根拠について、樹莉は示さなかった。確たるものが有るのか無いのか分からぬが、有ったとしても、魁斗には質せなかった。深刻な表情の樹莉が進んで言わぬことからしても、何か訊きにくい。
「でも魁斗なら出来るって……信じてる。貴方たちの宿を果たし、二人で幸せに為れるって……信じてるよ」
樹莉の忠告とも取れる発言には、もはや何の悪意も無い。偏に魁斗と麗蘭の幸福を願い、告げているだけだ。だからこそ、魁斗の胸には一握の惧れが生まれ来る。
遠くない日の再訪を約し、魁斗は樹莉の室を後にした。哀嘆を重ねてきた異母妹の、真の幸いを切切と祈りながら。




