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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
34/41

三十二.償い【1】

 愛しい君。貴方の純なる御心を、直ぐ近くに感じている。


 柔らかな木漏れ日のような、闇夜を照らす月明かりのような貴方の優しさが、私に降り注いでいる。

 澄み切った少年の目。安息をくれる穏やかな男性の瞳。見詰められているだけで誰よりも幸せに為れる――貴方は私の宝物。


 暗く、悲しい日々だった。たった一人きりの、寂しく険しい道程だった。

 でも、今は。

 私の隣には貴方が居る。

 貴方は私に愛をくれた。誇りをくれた。此処で生きて良いのだと……もう、何かを恐れなくて良いのだと教えてくれた。


 恋しい君、美しき君よ。私は何時いつも、貴方と共に在る。

 貴方と並び立ち、寄り添い、貴方と貴方の慈しむ世界のために此の命を燃やしたい。

 宿に従い、別の少女に生まれ変わっても。何度螺旋を巡り巡っても。

 私は幾度となく貴方と出会い、其の度貴方を愛するでしょう。

 たとえ、貴方がどんな姿に為っていたとしても。たとえ、貴方が其のまばゆい微笑みを失くしていたとしても。たとえ、貴方が私を愛さなく為ったとしても。


 今度こそ、屹度きっと、お救いする。

 だからどうか、独りで苦しまないで。


――また、お会いしましょう。次の世で。








 瞼を上げて視界に浮かんできたのは、見慣れぬ造りをした天井と、光輝こうきを纏った青年の顔だった。

「魁斗」

 名を呼ぶと、横に下ろしていた右手に温もりを感じる。頭を動かして見たところ、彼の諸手もろてに優しく包み込まれていた。

 荐夕との――黒神との戦いを終えた後、麗蘭は魁斗と共に樹莉の居る霊廟へと駆け付けた。力を使い果たして気を失った樹莉の傍らには、彼女の魔炎で燃やし尽くされた荐夕の遺灰が残っていた。

 魁斗は髄太師と連れ立って、人知れず荐夕を葬りに行った。罪人である彼を弔うには、人目を避けて動かざるを得なかったのだ。其の足で浮那大妃の眠る闍梛宮にも赴いたため、丸一日摩伽羅宮を留守にしていた。

 夜半に帰城し、先に休んでいた麗蘭の客室へ来て、眠る彼女に添っていた。埋没させたはずの罪咎つみとがを掘り返し、其の上に新たな哀しみを積み重ねた魁斗は、僅かな時すらも麗蘭と共にしたく為っていた。

 海青色の双眸が、まじろぎもせず麗蘭へと向いている。寝覚ねざめて間もない彼女は、覚醒してくるにつれて気恥ずかしく為るが、魁斗の心境を察して目を逸らさずにいた。

「終わったのか」

 短く問うた麗蘭に、魁斗は頷いた。

「今回は、おまえに助けられてばかりだったな」

 彼は麗蘭の右手から手を離し、束ねられていない太陽色の髪に触れた。大切なものを扱うが如く、愛おしげに触れられたので、麗蘭の肩が跳ねそうに為る。

「私こそ。今回も、おまえのお陰で踏み出せた。おまえが居てくれるから、私は私であれるのだ」

 浮那や樹莉、荐夕との虚しき対峙において、麗蘭は魁斗の助力を得て戦い抜いた。彼が居なければ光龍として存分に力を発揮出来なかったというのは、彼女も痛感していた。

「そして蘭麗や蘢が居てくれたからこそ――私のもう一つの使命を任せ、此方こちらで自由に動けた。開光したとて、皆の助けが要るのは以前と変わらぬ」

 謙虚な笑みを漏らす麗蘭に、魁斗も口元を緩めた。

「聖安に帰らないといけないな。身体は大事無いか」

「ああ。一日ゆっくり休ませてもらった。おまえこそ、少しも休んでいないだろう」

 魔国に来てからというもの、魁斗は殆ど休息を取っていない。彼が疲れ知らずなのは麗蘭も承知しているが、表層に出て来ないからこそ精神的な面が気に掛かる。

「いや、俺も十分休んだぞ。今だって、こうして安らいでいる」

 何のことだか解らぬ麗蘭が、怪訝に首を傾げた。魁斗は悪戯めいた笑いをこぼし、彼女の前髪を上げて額へと接吻した。

 ようやく悟った麗蘭が頬を赤らめると、目線を外させる隙すら与えず彼女の瞳を覗き込んだ。

「か、魁斗。未だ寝起きで……その、余り見ないでくれ」

 うつむいて恥じらう麗蘭に、魁斗は笑んだまま息を吐く。

「寝起きが何だ。自分の美しさを知らないな、おまえは」

 囁くや否や、魁斗は室の外より近付く気を感じ取った。麗蘭も同様で、ややほっとして戸の方を見やる。

「麗蘭公主、魁斗さま。豹王陛下がお見えでございます」

 麗蘭の世話をしている女官が、外側から二人を呼んだ。

「豹貴兄が?」

 予想外な人物の訪れに、魁斗が思わず声を上げた。彼と顔を見合わせた麗蘭は、慌てて寝台から下りて自らの両頬を叩く。着ていた着物を整え髪を一つに結い、居住まいを正して来訪者を迎えた。

「どうぞ、お入りください」

 室に入って来たのは、二日前に王の寝殿で相見あいまみえた銀髪の青年だった。大妃の喪に服し、丈の長い白の礼服を纏った彼は、端麗なおもてに快活さを惜しげも無く表していた。

「挨拶が遅れて済まない、麗蘭公主。魁斗の異母兄あにの豹貴だ」

 見た所、豹貴には気の乱れも無く異常と言えるものは見受けられない。呪いに倒れて一月近くも伏せっており、挙句あげく黒神に憑かれていたとは思えなかった。類稀な魔力の持ち主ゆえに、回復も早いのだろう。

 荐夕が降りていた時とはまるで異なる彼の姿に、麗蘭はいたく驚きながらも恭しくこうべを垂れた。

「お初にお目に掛かります。魔王陛下」

「畏まらないでくれ。散々迷惑を掛けたしな」

 爽やかに笑う豹貴は、面食らっている魁斗へと身体を向けた。

「久し振り、魁斗」

 気安く声を掛けてきた異母兄は、三年前と変わらぬ親しみやすさを有していた。父烈王との間に在った距離感も、同じ魔王である彼との間には全く無い。

「豹貴兄、こんなところに来て良いのか」

じじいどもに言ってやったんだよ。仕来しきた云云うんぬんは程ほどにしないと、見えるものも見えなく為るってな」

 そう言った時の豹貴には、痛切なる悔悟かいごそんしていた。室に在る椅子に卓で隔てて麗蘭たちと真向かい、優雅な身のこなしで腰を下ろす。

「即位したとはいえ、試練を受けていないがゆえに負い目が在った。くだらん戒めで縛り付けられ安堵して、樹莉や大妃を助けてやれなかった」

 異母兄が語ったのは、魁斗も初めて聞く胸中だった。豹貴は元来、自らが王と為ったからには規律など容易く跳ねけそうな気質である。其処を後ろめたさから、樹莉とも会わなく為る程魔王らしく振る舞おうとしていたらしい。

「樹莉の様子がおかしいと気付いて、問いただそうと呼び出したら呪術を掛けられたってのが、実際のところなんだがな。其れから何も覚えていない」

「豹貴兄らしいよ」

 しゅんとする異母兄に、魁斗は思いも寄らず和まされ口角を上げた。

「樹莉殿は、如何いかがですか」

 霊廟で別れてから、麗蘭は樹莉の身をずっと気にしていた。此の摩伽羅宮の中で彼女の存在は感じられていたが、限界まで追い詰められているに違い無い。黒神から離れ、善心を取り戻した今ならなおのこと。

「麗蘭公主が助けてくれて、命に別状は無い。処分については俺と長老たちとで話し合っている」

「やはり、相応の刑罰は免れないのか」

 豹貴や魁斗の口から処分、刑罰と聞いて、麗蘭は眼を見開いた。

「黒の邪神が元凶とは分かっているが――起きてしまったことは元に戻せぬ」

 妹を思ってか、豹貴は心苦しそうに表現を選んでいた。されど、樹莉が実母や荐夕の妻を死なせたのは動かせぬ事実。豹王を呪って魔国を危機に陥れた罪人であるのは、変えようの無い現実である。

「豹王陛下。樹莉殿の凶行は黒神の所業に依るもの。王女を救う手立てと為れるのなら、私がしかるべき場で証言いたしましょう」

 聖安の公主であり、光龍でもある麗蘭ならば、黒神の干渉を訴える証人としては適任であろう。しかし豹貴は、其れには及ばぬとかぶりを振った。

「何年かの幽閉として、極刑は回避する積もりだ。あいつ自身のためにも、暫くは表から隠れる必要が有る。此の数年、樹莉は悪い噂を作り過ぎた」

 樹莉の犯した過ちが、時と共に皆の記憶から消え去るのを待つ。彼女が魔界で生きてゆくには其れしか無いというのが、豹貴の考えだった。麗蘭もほぼ同意ではあるが、樹莉の孤独を思えば同情と不安を抱かざるを得ない。

「案ずるな、今度こそ俺が目を離さないようにする積もりだ。爺どもには何も言わせん」

 妹への愛憐あいれんに満ちた豹貴の瞳に、麗蘭は幾分か安心した。そしての姫君が二度と黒神の手に落ちぬよう、自分も聖安より見守ろうと心に決めた。

 一方魁斗は、樹莉を気にしながらもう一つ問い掛けた。

「豹貴兄は、荐兄が親父の子供じゃないって知ってたのか?」

 一呼吸置いてから、豹貴は静かに頷いた。

「おまえが人界に出てから、荐兄に関し此の立場を利用して調べたんだ。すると親父の遺した書き物やら、昔母上の侍女をしていた女の日記やらが見つかってな。知ったところで、今更如何どうしようも無いが」

 当の荐夕ですら、命をなげうち真誠鏡を覗くという手段でしか知り得なかった真実である。浮那大妃から聞き出すか、魔王だからこそ入手出来る情報が無ければ到底辿り着けなかったであろう。

「親父の息子でないというのが、あの荐兄が己を失くす程の衝撃を生んだとは。あいつは俺たちが思っていた以上に脆弱で、出自に捉われていたのかもしれん」

 正妃浮那を母に持つ荐夕と豹貴は、魔王候補として恵まれた待遇を受けていたが、母の期待という尋常ならざる圧力に潰されまいと生きて来た。其の苦悩は、母をことにする魁斗には想像し難いものが在る。

「最期は、俺たちを憎んで逝ったのか――だとしたら、り切れないな」

 肩を落とした豹貴の嘆息に、魁斗は首を傾げたく為った。異母兄を敬愛し黒神を嫌悪する余り、荐夕が自ら敵対していたと信じたくなかったのだ。

 やがて麗蘭を見やると、豹貴は恐縮した顔で尋ねた。

「せっかく蘭麗公主と一緒に来てくれたのに、申し訳ない。未だ暫く滞在するか?」

「ありがたいのですが、一旦国へ帰らねばなりません。また次の機会に、改めてご挨拶に参ります」

 髄太師の計らいで、紫瑶へは一先ひとまず遣いを送り状況を伝えてある。彼方あちらからの反応は未だ届いていないが、茗との協定締結交渉も終盤に突入している中、早く戻るに越したことは無い。

 すると突然、卓の上に載せていた麗蘭の右手に、魁斗が己の手を重ねてきた。驚く彼女をよそに、豹貴にも見える位置で握り締める。

「近いうちにまた、麗蘭と来ることに為ると思う」

 魁斗の真意は解せなかったが、麗蘭は赤面して目を伏せてしまった。

「やっぱり隅に置けない奴だな、おまえは」

 察した豹貴は感心すると、邪魔をしては悪いとばかりにいそいそと席を立つ。異母兄に合わせ、魁斗も麗蘭と共に立ち上がった。

「豹貴兄、帰る前に樹莉と話がしたい。会えそうか?」

 そう尋ねた時の魁斗の声は、麗蘭には心なしか弱々しく聴こえた。

「ああ、会ってやれ。あいつもおまえのことを気にしていたぞ」

 豹貴は躊躇無く賛同したが、麗蘭にはいささか気掛かりが残っていた。樹莉の邪心が消えたとはいえ、彼女と魁斗とのわだかまりを拭うのは簡単ではないだろう。

 再び魁斗と二人きりに為ると、麗蘭は彼の袖を掴んで心配げに見上げた。

「樹莉殿と会いに行くのなら、私も……」

 私も行く、と言い掛けたところで、魁斗が微笑して頭を横に振った。

「ありがとうな。だが、俺だけで行かなければならないんだ。此のままでは樹莉も俺も、屹度擦れ違ったままだ――今度こそ、逃げるわけにはいかない」

 彼の心が定まっているのを知って、麗蘭は何も言うまいと決めた。共に戦うために、信じて待つことを学んだのだ。

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