二十六.重なる運命
魁斗と連れ立って地下牢を出た麗蘭は、彼に導かれ正殿へ走った。牢の在る塔から正殿までの道は迷路のように入り組んでおり、道案内がなければ早々に迷っていただろう。
髄太師の計らいなのか衛兵は居ないものの、何故か『王の爪』は警戒を解いていない。麗蘭たち同様、彼らも隠神術で神気を消していたため、避けて通ろうにも難しいものが有った。
武器を取り上げられていた魁斗は、牢の外で初めに相対した『王の爪』から剣を奪い応戦する。麗蘭も魁斗と背中合わせに為り天陽で戦うが、敵は強く中々に苦戦し、彼の助けも得て如何にか凌ぎ切れた。
正殿内に入り、長い渡り廊下に差し掛かった。辺りに敵手が見えないのを確かめると、魁斗は麗蘭の手を引いて柱で出来た死角に入る。息が上がっている彼女を隣に座らせ休ませる一方、自身は剣を置かず立て膝を付いたまま周囲を注視した。
「済まない、また足手纏いに」
「何言ってる。星燿に喰われそうに為っていた俺を助けてくれただろう。其れに、樹莉を救うのに相当の力を使ったはずだ」
目を伏せた麗蘭へ片腕を伸ばし肩を抱こうとしたが、躊躇って止めた。
「荐夕のことだが」
地下牢で制裁を待っていた時、次に機会が与えられたら必ず話すと決めていた。顔を上げた麗蘭の双瞳を見て逸らさずに、喉奥より絞り出した声を震わせた。
「黙っていて、悪かった。如何しても言い出せずに、おまえにまで嘘を吐いていた」
兄を絶命させた後、魁斗は暫く放心し動けなく為っていた。やがて大霊廟の大扉が開き入って来た太師たちに、『荐夕は自ら命を絶った』と偽りを告げていた。其れゆえに、魁斗の罪はより一層重みを増した。
「太師の言う通り、本意ではなかったのだろう?」
麗蘭は不用意に彼の傷を広げぬよう、気を付けて問い掛けた。
「殺す積もりなんか無かった。だが本気の荐兄は強くて、俺も手加減は出来なかった」
荐夕程の手練が殺気を宿し、全力で仕掛けてくれば、魁斗と雖も死力を尽くし対さねば命に関わる。同じく剣を振るう麗蘭にも、難無く解せる状況だ。
「だからといって、はずみでなんて言葉じゃあ片付けられない。異母兄弟の血に塗れた荐夕を見て、豹貴兄や樹莉をも殺すと脅されて、頭に血が上っていたのは否定出来ない」
結局のところ、魁斗が悩み煩う理由は其処に有った。兄を害する意図など一切無かったが、意に反した最悪の結果に終わって己が信用ならなく為ったのだ。
「皆に知られるのが恐ろしくて、俺自身でも認めるのが怖くて、咄嗟に嘘を吐いた。だから帰って来られなかった」
誰よりも強いはずの魁斗は、澄んだ瞳を濡らさずに嘆いていた。真っ直ぐ見据えた麗蘭に救いを求めるわけでも、釈明するわけでもなく、己の罪を毅然と告白した。
此れから赴く先には、魁斗が背を向けたものが待ち受けている。麗蘭の目に映ったのは、一見微動だにしていないように見えて、其の実怯えて居竦んでいる彼の姿だった。
「だが、おまえは帰って来た。そして決着を付けるために、もう一度戦おうとしている」
動かぬ事実を述べた麗蘭は、剣を握る魁斗の左手に触れた。彼の冷えた手を温めるように両手を載せ、身を寄せ合う。魁斗も麗蘭の背に右腕を回そうとしたが、またも逡巡して硬直した。
『あんた如きが、あんな佳い女を良く落とせたものだね』
樹莉の毒言を思い出し、全くだと頷きたく為る。こんな自分が相応しいはずが無いと、情けなく臆してしまう。
「俺はおまえが思う程の男じゃない。偉そうな口を叩いているが、現実から目を背けて皆を騙した卑怯者だ」
此処まで来て、魁斗は麗蘭から視線を外そうとした。ところが彼女の手指の力が急に強まったため、再び引き戻される。見慣れたはずの麗しい顔が、如何いうわけか初めて目にする女の顔に見えて、瞬時に魅了された。
「そうだとしても――そんなおまえでも、私は隣に居たい」
言い終える前に、魁斗は麗蘭の顎を親指の先で引いていた。
「魁……」
突然魁斗の顔が近付いて来たかと思えば、麗蘭の唇には魁斗の其れが重ねられていた。触れるだけの穏やかなもので、初心な彼女が接吻だと認識するのに少しの時を要した。
互いの唇が離れた後も、麗蘭は身体が浮遊する余韻に浸っていた。高揚感の正体に戸惑っていると、魁斗の右手が麗蘭の頭の後ろに添えられ、愛しげに撫でられる。
失意に落ちていた魁斗は、総てを知った麗蘭に望まれ遂に意を決した。たとえ今の自分が彼女に似合わしくないとしても、己の心に従おうと腹を据えた。
――麗蘭なら、正しい道を選ぶはずだ。
そう思うのは、麗蘭が神に仕える巫女だからではない。魁斗が恋した麗蘭という少女が、暗雲の中でも光の道を切り開く力を秘めているからだ。
かつて荐夕や紅燐に裏切られ、人と人との繋がりに変わらぬものなどないと諦めていた魁斗が、もう一度不変を信じたく為っていた。知らず知らずのうちに揺るがぬ絆を希求していた彼は、麗蘭と運命を重ねるべく、遂に想いを口にする。
「俺にはおまえが必要だ。此れから先もずっと、共に戦ってくれるか」
惚けていた麗蘭は、魁斗の真剣な眼差しに我に返る。『おまえが必要』という言葉は、かつて魁斗が麗蘭の心を開いてくれた時にも用いられたが、あの時とは包含されるものが違う。口付けの後に熱を籠めて告げられたため、鈍感な彼女にも相違を感じ取れたのだが、だからこそ次の応えが難しく為る。
小さく開いた花弁のような唇や、薄紅の差した白桃の頬に魅せられ、魁斗は麗蘭を正面から抱き締めた。右頬にも口付けを落としてゆくと、耳元で返答を促した。
「答えてくれないのか」
麗蘭は幾度か瞬きし、今一度魁斗と向き合った後、漸く深々と頷いた。
「戦う。魁斗と共に」
他の答えなど無い。魁斗と並び立ち、手を取り合って宿に挑むことこそ、麗蘭の切望するもの。補い合い助け合い、共に歩みたいという願いこそ、麗蘭と魁斗の想いの発露だった。
二人はどちらからともなく口元を緩め、微笑み合う。事態は深刻化する一方なのに、彼らの胸には力が湧き出している。
此のままこうして居たかったが、魁斗は直ぐ後ろに迫る敵の気配に勘付いた。
「多いな。魔力の大きさから見て『王の爪』だろうが、気や足音を隠す積もりも無いらしい」
「敢えて数を知らせ、私たちの戦意を削ぐ気だろうか」
「そんなところだろう」
舌打ちして立ち上がった魁斗は、麗蘭に手を差し伸べて立たせると、険しげに目を細めて刀を掴み直した。身体の向きを変え、前方に見える壁の隙間を鞘先で指し示す。
「麗蘭。あの細い道を直進して、三本の分かれ道で一番左へ進め。豹貴兄の寝殿に続く道で、結界が張られているが、おまえなら破れる」
彼が単独で一戦交えようとしているのに気付き、麗蘭はやや不満そうに眉根を寄せた。
「たった今、共に戦うと言ったばかりではないか」
魁斗が単身で迎え撃とうとしているのは、神力を減らした麗蘭の負担を考えてのことだった。しかし、相手があの時のままの荐夕だとすると、麗蘭を先に行かせるのも危険だと思い直す。三年前に異母兄と戦った魁斗は、彼の凄まじい強さを知っているからだ。
「分かった。一緒に居てくれ」
言うや否や、麗蘭は華やかに笑んだ。天陽を抜き、魁斗の横に立って構える。疲れていようが負ける気がしなかったし、負けられない。豹貴の命を救い、荐夕の真実に辿り着くために――そして、過去と対決する魁斗を支えるために。




