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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
26/41

二十四.純なる涙

 偽の主に命ぜられ、星燿は咆哮した。両の眼を大きく開いた樹莉が見守る中、獣が魁斗に飛び掛かろうと脚に力を溜める。打つ手の無い魁斗は反射的に目をきつく閉じ、いよいよ絶念の一瞬を迎えた。

 頭から喰われるか腹から喰われるか、予想も出来ず身を強張らせて待ったが、星燿の牙が魁斗の身体に喰い込むことは無かった。水浅葱色をした鳥が、本能に濁った獣の双眼をくちばしで攻撃していたのだ。

「おまえは、あさぎ……」

 獣の目を突いて魁斗を救ったのは、他でもない、良く見知った鳩だった。一驚をきっしていると間も無くして、彼が最も会いたいと願っていた少女が現れた。

「魁斗!」

「麗蘭」

 彼女が入り口に立つと、黒闇こくあんの空間に灯りが齎された。太陽色の髪がなびいて広がり、魁斗の目を眩ませる。日の光も射さぬ地下室で不可思議にも、麗蘭の周りは白く輝耀こうようしていた。

 あさぎに憑いた何者かに導かれた麗蘭は、隠神術で気を消し身を隠してやって来た。途中、『王の爪』と数度避け切れずに出会でくわしたが、数名ずつとの対峙であり天陽も喚び寄せていたため、包囲網を破って到達出来た。

 片側の前足で両眼を押さえた星燿は、空いている足であさぎを振り払う。妨害されても尚、魁斗へと向き直る獣に危機感を覚えた麗蘭は、天陽を抜いて剣先を突き付けた。

「おまえは、星燿か?」

 此の獰猛な妖獣が魁斗の騎獣だと、麗蘭は正対して初めて認識した。殆ど持たぬはずの妖気をみなぎらせているのは、何らかの邪術で操られている所為だろう。余程強い力で以て呪縛されているらしく、闍梛の森より運んでくれた大人しい美獣からはっきりと様変わりしている。

「済まぬ、星燿」

 短く詫びて、麗蘭は星燿目掛けて天陽を振るい、空を切った。神気の刃が胴へと打ち込まれると、獣は身悶えしてえ無く横倒しに為った。

 只の一撃で星燿を気絶させ、魁斗のもとへ駆け寄る。顔に幾つか痣が出来ていたものの、目立った怪我は無いようだ。海青色の瞳は彼のものとは思えぬ程沈んでいたが、麗蘭と目が合い微かに明るさを取り戻した。

 一先ひとまず胸を撫で下ろした麗蘭が、彼の名を呼ぼうとした瞬間、背後から聴き知った声がした。

「ふふふふふ」

 麗蘭が振り返ると、手で口を隠して笑う樹莉が居た。せせら笑うのでも嘲笑うのでもなく、只愉しんでいるといった具合である。

「樹莉殿、魁斗を解放してもらう」

 此のに及んで、麗蘭は樹莉を敵視してはいない。星燿を制止するために使った天陽は鞘にしまい、極力争いたくないと思っていた。しかし魁斗の有様を見て、場合に依っては致し方無いと腹をくくってもいた。

『樹莉は狂っている』と、鳩の姿を借りた者に告げられたが、一見しただけでは分からない。だが魁斗を妖獣に襲わせていた辺り、否とも言い切れない。

「麗蘭。魁斗は私の恋人を殺した。だから、私を止めることは出来ないよ」

 突如告げられ、麗蘭は背筋を凍り付かせた。躊躇しつつ恐る恐る魁斗を見ると、彼は一切眼を逸らさず、何一つ申し開きせずに首を縦に振った。

「荐夕を殺したのは、俺だ」

 潔すぎる告白に、麗蘭は言葉には出ていない魁斗の真意を見た。彼は屹度きっとうの昔に罪を認めており、罰を受け入れる準備も出来ているのだろう――と。

『荐夕の命を奪ったのは昊天だ』

 地下宮で浮那大妃にそう言われてからずっと、気掛かりではあった。いずれ真偽が明らかと為った時、受容出来るか否か不安であった。されどこうして本人の口から聞かされてみると、かえって踏ん切りが付いた。

「樹莉殿。そなたは私の心を知っているはず。ならば、私が魁斗を死なせたくない理由も解せるであろう? 魁斗が何を背負っていようとも、だ。私もそなたと同じなのだ」

 麗蘭が断言した途端、樹莉は酷く不快げに息を吐いて、片手で髪を掻き上げた。

「麗蘭が、私と同じ?」

 二人の絆に亀裂を入れ損ねたことではなく、己と同じと言われたことの方に怒りを覚えたようだ。

「同じわけ、ないじゃない。貴女の身体は眩しい位に綺麗で、好きな人にも想われて……何処が同じなの」

 苛立ちと羨望とが入り混じった否定にも、麗蘭は揺さ振られない。

「いや、同じだ。だから私は、そなたに此れ以上罪を犯して欲しくない」

 其の一言で、樹莉は麗蘭が妙に同情的なわけを察した。

「ふふ、ふふふ、ふふふ」

 小気味悪く笑った樹莉は、何時の間に魁斗の肩に止まっていたあさぎを見やる。

「私のこと、其の鳩に全部聞いたんだね。貴女みたいに素直で真っ直ぐな人、嫌いじゃないよ。私も、昔は……」

 樹莉は言葉を切り、あさぎや麗蘭、そして魁斗を順に見詰めた。暫し黙って考え事をした後、唐突に笑い声を上げた。

「あはは、ははははは!」

 平生へいぜいの彼女からは発せられない甲高い哄笑こうしょうが鳴り、麗蘭たちの顔から血の気が引いた。胸に手を当て、其処らを歩き回り壊れた笑いを続けていた。

「ふふ、ふふふ。気付いちゃった。生贄は、魁斗じゃなくても良いんだ」

 高笑いするのを止め、たかぶりを抑えて呟いたが、紫苑しおんの瞳は狂気の色を帯びている。

「あの人には魁斗を殺せって頼まれたけど。懲らしめる方法なら他にも有る」

 魁斗に一瞥いちべつを投げてから、樹莉は呆気に取られる麗蘭の方へ身体を向けた。

「あの人が居なく為ってから、憎らしくて妬ましくて何人もの女を死なせた。満たされなくて、此の渇きを一寸ちょっとでも潤したくて、王女の誇りも捨てて男たちと情交を結んだ――だから私も、兄殺しの魁斗と同じ位罪深い」

 平然と行われた披瀝ひれきに、麗蘭は樹莉が沈められた闇の深さを目の当たりにした。樹莉は自分の犯した罪悪を激しく悔いている。悔いているのに自制出来ず、底へ底へと転がり堕ちたのだ。

「あの人の心が欲しい。たとえ、私自身を殺しても」

 澄み通った紫色の瞳からは、きらきらしい涙が流れて頬を伝っていた。其れは、魂も肉体も穢れたと嘆く今の樹莉が、唯一生み出せる純なるもの。愛しき者のまやかしに、持てるすべてを捧げた後に、只一つ奪われなかった真の想い。

「まさか、樹莉」

 初めに勘付いたのは、魁斗だった。縛されているのも忘れて立ち上がろうとするが、もがくことしか出来ない。

 そうしている間に、樹莉は両腕を肩幅に広げて何かを呟いた。麗蘭と魁斗が眩過ぎる白光に瞑目めいもくし、次に開けた時には、樹莉の手元に驚くべきものが出現していた。

「樹莉殿!」

 麗蘭が止めようと地を蹴った時、樹莉は黒い大剣の刃を下にして持ち、自身の胸に剣尖けんせんを向けていた。疑う余地も無く、其のまま貫こうとしている。

 樹莉の剣を神術で弾き飛ばそうと、麗蘭は咄嗟に一手をかざした。ところがしゅを唱えようとした刹那、にわかに抗い難い力を全身に打ち付けられ、動きを封じられてしまう。

――此れは、何だ?

 感覚としては、茗の青竜と最初に対した際――今生こんじょうで初めて金竜とまみえた際や、天陽を継承した際に受けた衝撃と似ていた。麗蘭に受け継がれる光龍の魂が、彼女に過去の記憶を見せようと働き掛けているのだ。

 愛する者を想い、己が胸に刃を突き刺そうとする樹莉が、転瞬てんしゅんする間に姿を変える。麗蘭の視界に入ったのは、同じく大剣で自らを刺し貫こうとしている、薄群青の髪をした見知らぬ美女であった。

『お別れです。また、お会いしましょう――次の世で』

 聞き覚えの有る声で告げると、女は心の臓に剣を突き立てた。すると遠く離れた何処かより、女の名を呼ぶ男の声が聴こえて来る。

 振り絞られる声からは、名状めいじょうの出来ぬ悲憤が溢れていた。恐らく、男は女の恋人であろう。彼の声にも覚えが有ったが、黒い霧に包まれ如何しても誰だか思い出せなかった。

「樹莉!」

 頭に響く魁斗の声で、麗蘭は漸く我に返った。目の前に倒れていたのはあの女ではなく、血の海に身を横たえた樹莉だった。

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