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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
25/41

二十三.兄殺しの罪

 暗い地下牢に繋がれたまま、星燿と共に残された魁斗は、暗然とした気分に包まれ時を過ごしていた。

 眼前で星燿が、左右に裂けた口から大量の唾液を垂れ流している。再会した樹莉の変貌ぶりに激震が走り、暫くは茫然自失していたが、自我を奪われた妖獣に獲物を前にした鋭眼えいがんで見られていると、嫌でも頭がはっきりしてくる。

 星燿の殺気を浴びながら、魁斗は牢を脱して麗蘭を探す方法を真剣に考えていた。樹莉に断罪され命を失くそうとも、麗蘭は必ず聖安へ返さねばならない。大妃を死に至らしめ、豹王を贄に呪術を施したのが真に樹莉だとすると、麗蘭へ害を為す恐れも十分有り得る。

 考えるべきことは山程有るが、麗蘭の顔ばかりが頭に浮かぶ。一点の曇りすら無い、誰よりも尊い魂を持つ少女の、見惚れる程美しい顔だ。

 彼女に会えば、今突き落とされている闇の底から這い上がれる気がした。僅かでものぞみを見出せる期待が持てた。魁斗が犯した『兄殺し』の罪を知り、大切な彼女が離れて行くのではという懸念は、えて思考の外へ追いやっていた。

 両手を拘束している鎖は、腕力で破壊するのはおろか、神力を強めに掛け続けてみてもびくともしない。其れどころか、闍梛の森で働いていた力と同様に、ばくした者の神力や魔力を抑え込む効力も有るようだ。

 騎獣に掛けられている術を解こうにも、魁斗の手にも負えない力が働いているらしく、不可能だった。左様に莫大な力の正体も、気には為るが追っている余裕が無い。

 麗蘭と共に窮地に陥っていたのは、己の心の弱さが原因だと自覚していた。避けてきた魔界に戻り、何かと失敗続きなのが、其れを如実に表している。判断を誤り続けたのは、樹莉を含む一族への後ろめたさからであろう。

 もし、麗蘭ともう一度逢えたなら、全てを話そうと決めた。闍梛の森を抜ける間に打ち明けられなかった真実を、包み隠さず曝け出そうと決心した。此れ以上、燦然さんぜんと輝く彼女の前で、臆病かつ卑怯なままでいるのは耐えられない。

「受け入れてもらえたなら、其の時は……」

 消え入りそうな笑みを残して独言し、魁斗は目を閉じた。






 夜が終わり、地上は薄明はくめいに移りゆく頃。夢境むきょうに逃げ込んでいた魁斗は、冷酷な現実へと引き戻された。

 何処からか、水の滴が落ちる音が聴こえて来る。眠りを妨げたのは此れであろうか。其れとも、魁斗に投げ掛けられる樹莉の虚無的な視線であろうか。

「そろそろ懺悔ざんげは済んだ?」

 薄闇の奥、座っている星燿の向こうで、樹莉が壁に背中をもたれて立っていた。昨晩とは打って変わって声も表情も穏やかであるが、むしろ其れが恐ろしい。

「星燿相手にしてはみたが、許してもらえる気がしないな」

 苦々しく口元を緩め、再び樹莉から目を逸らした。

「懐かしい夢を見ていた。荐夕と豹貴兄と、おまえとの日々を」

 其の場凌ぎの出まかせではなかった。だが、口にしても詮無せんない報告であり、余計に胸をえぐられる返答を招いた。

「懐かしんだって、もう帰って来ないよ。人は変わるものだって、自分でも良く分かってるんでしょ?」

 喜も怒も表さず、樹莉は酷薄に言った。静かに歩み出て星燿の横まで来ると、白い喉や背を優しげに撫でた。

「やれよ。おまえが荐夕を想っていたのなら、俺は其の憎しみに抗えない」

 虚勢ではない。かつて想いを寄せた女を奪われたからこそ、魁斗には樹莉の憎悪が解せたのだ。

 どの道荐夕を手に掛けた罪は、何処かで償わねばならない。今もなお、魁斗にとり大事な妹である樹莉に裁かれるなら、然程さほど悪くはない。半ば諦めの心境に至り、顔を伏せつつも、閉じた瞼の裏にはあの少女の姿を描いていた。

 真なる形を映す魔鏡に示された、母に託されし願い。此処で命を失えば、母から継いだ使命を永遠に果たせなく為る。そして共に歩みたいと思い始めた少女――麗蘭を、憎き仇敵きゅうてきとの戦いに投げ出し置き去りにするのもまた、忸怩じくじたる思いだ。

 無抵抗でいるのが意外だったのか、樹莉は魁斗を見下ろして暫時ざんじ黙していた。

「私だって、こんなことしたくない。だけど、あんたが約束を破ったから。荐兄を助けてくれてさえいれば、私とのことも――あの夜の、一度の過ちで終わらせられたかもしれないのに」

 囁きの如く口にされた言葉には、感情がまるで込められていなかった。本心からの発言なのかどうか、魁斗には見極めが付かない。しかし、樹莉の言う『あの夜』に何が起きたのかは、何となく察しが付いた。

――此のままで、本当に良いのか?

 抗う気も失くし掛けていたが、ふとした疑問が魁斗の頭をもたげる。今、樹莉の復讐を受けるのが、果たして本当に正しいことなのか分からなく為ったのだ。

「樹莉。荐夕が何故あんなことをしたのか、おまえも知らないのか」

 観念し掛けていた魁斗が、顔を上げて一か八かで尋ねてみた。其の単純な問いこそ、彼が三年の間解を求めしものだった。

「『荐兄』は、あんな風に家族を殺せるような男じゃない。おまえを傷付けられる男でもない。絶対に何かわけがあるはずだ」

 物心ついた頃から兄として親しんでいた荐夕は、弟妹たちを可愛がり、敬われ愛される男だった。惨劇の直後、己で確かめても、剣を交えても尚信じられず、疑い続けて今日に至っている。

「俺は『真誠鏡』を覗いた所為ではないかと思っている。何でも良い。何か心当たりは無いのか」

 何も隠さず、飾ることも無く、魁斗は樹莉の顔を直視した。

「真誠鏡……荐兄……わけ……荐兄……」

 彼女は譫言うわごとのように繰り返し、星燿から手を離した。手の甲を自分の額に当て、うつむく。暫し沈思ちんしに落ちていたが、やがて何かを吹っ切った様子で頭を上げた。

「そんなこと、如何どうだって良い。とにかくあんたを殺さなきゃ」

 無邪気な喜色を浮かべ、樹莉は明るい声で言った。

「『巫女さま』には、あんたを殺してもあの人には愛してもらえないって言われたけど。やってみないと分からないよねえ?」

 突然嬉々とし出した樹莉は、魁斗から見て異様だった。もしかすると話が通じるかと思ったが、数瞬で裏切られた。

――巫女、だって?

 新たな人物の登場に、魁斗は眉をひそめた。樹莉の口振りからは、巫女と呼ばれる者が樹莉と共謀し、助言していると取れる。

 次の質問は許さずに、樹莉は傍で唸る星燿を横目で見た。

「魁斗の身体が引き千切られて真っ赤に為るの、ずっと見たかったんだ。綺麗な顔が痛みに歪んで、ばらばらに為った手足が散らばり、臓物が引きり出されて……噛み砕かれて残らず呑み込まれるの」

 湧き上がる興奮を抑え、艶めかしく笑みながら、樹莉は遂に命を下した。

「星燿、お待たせ――魁斗を食べて」

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