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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
24/41

二十二.哀しき啓示

 貴方を恋う心は、何故止まらないのだろう。貴方と会えない時間、特にそう思う。

 瞳を閉じて、眩い笑顔を浮かべる。聴き心地の良い声を、落ち着かせてくれる香りを思い出す。『思い出す』だけで良い。緩やかに浮かび漂う幸福を味わえる。

 腕を広げ、凍えた此の身を包まれたなら、どんなに安らかに為れるだろう。抱き締めてもらえたなら、どんなに満たされるだろう。分不相応かもしれないけれど。

 優しく微笑み、名を呼ばれたなら、父母からもらった此の名がより尊く感じられるだろう。大きな手で頭を撫でてもらえたなら、自分の欠点すらも愛おしく思えるだろう。此の位なら、願っても許されるだろうか。

 口付けなどされようものなら、如何どう為ってしまうか分からない。想像も付かない。恐らく、自分ではない何かに変わってしまうだろう。其の境地へ踏み入るのは勇気が要るが、入ってみたい気もする。

 会えぬ間、想いを募らせている間に、終わりの見えない不安に捉われる。決して取り払えない、恋の闇だ。

 もし、貴方が私を忘れてしまったら――他の女の子と結ばれたなら。胸から裂けて身体がばらばらに為り、血が枯れ果てて生きた屍に為ってしまうだろう。貴方が恋した人を羨み、如何して私でなかったのかと、声に出さず問い詰めるだろう。屹度きっと答えは見出せず、只、貴方と貴方の想い人の世界からひっそりと去りたく為るだろう。






――蘭麗は、久方振りに啓示のような夢を見た。


 長年憧れ続けた青年が、姉と恋に落ちる。蘭麗の入る隙など無い。同じ使命を果たすべく生を受けた二人が想いを一つにするのは、必定ひつじょうの運命であろう。

 彼らは手を取り合い、巨大な敵に戦いを挑む。蘭麗が立ち入れぬところへ向かい、二度と会えなく為る。

 其れは、淡い恋が破れる悲しい夢。多くを望まぬ蘭麗が抱いた、儚い希望が潰える夢。犠牲を払って再び会えた大切な者たちが離れて行く、恐ろしい夢。


 目覚めた時、蘭麗の頬は涙に濡れていた。だが、動く気には為れなかった。母を喪う前兆の悪夢と同様、現実と為る夢だと直感している。されど此の夢は、恐らく回避してはならぬ夢なのだ。

 只、現実に為るのを待つのが、蘭麗に課された試練である。そう解していたからこそ、誠実さと使命感のために受容出来た。

 しかし、彼らが遠くへ行くのは怖く、寂しかった。ゆえに涙が流れるのだろう。彼らが愛を交わして自身の恋が終わった時、祝福出来るだろうか。何時か真の別れが訪れた時、泣かずに見送れるだろうか。

「公主さま。蒼稀少将の部下の方が」

 未だ午前だが、日の出頃に起床し公務に勤しんでいたため、椅子の上で転寝うたたねしていたらしい。間の悪い時に女官から声を掛けられ、絹の手巾しゅきんを取り出し目元を拭った。

「参ります」

 応えると、軽く身形みなりを整えて前室へ移った。室の隅に立っていたのは蘭麗よりも歳下に見える少年で、青磁せいじ色の短い髪が目を引いた。

「は、は、初めまして。きょう友里ゆうりと申します。本日より蘭麗公主さまにお仕えすることに為りました」

 覚えの有る名と、紛れもない『少女』の声色で、蘭麗は蘢から話を聞いていたのを思い出した。

「良く来てくださいました。どうぞ宜しく」

 微笑して椅子に腰掛け、友里にも正面に掛けるよう勧めた。友里はぺこりと頭を下げて座ったが、相当緊張しているらしく全身が強張っている。

「茗の燈帝陛下と共に金竜と戦ったそうですね。瑛睡殿がとても褒めておられました」

「い、いいえっ。あた……私は、陛下に助けていただいただけなのです」

 半年前。圭惺平原に出現した金竜をいち早く見付け、聖安軍に伝えたのは友里だった。駆け付けた燈雅に危ないところを助けられ生還したものの、まさか彼が茗の次期皇帝だとは思いも寄らなかった。

「姉上も貴女と会いたがっていましたよ。戻られたら紹介しますから、ご挨拶してね」

 蘭麗は深い意味も無く言ったのだが、友里は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてけ反った。

「れ、れれれ麗蘭さまが。ははははは、はいっ! ああ、ありがとうございます!」

 此の国の民にとって、麗蘭公主といえば、伝説の光龍だとされるありがたい姫である。友里ら戦う神人にとっては憧れの的でもあった。

 素直過ぎる友里を見て、沈んでいた蘭麗の気分は僅かだけ浮上した。自分に対し、斯様に飾り気の無い反応を示す者はなかなか居ない。

 そして、姉以外に歳の近い少女と話せたのも嬉しかった。見た目は少年に近く、『女の子』という感じは其れ程しなかったのだが。

 貴人に対し不敬だと知らないため、友里は蘭麗の顔を暫し見詰めていた。初めは美しさに見惚れていたのだが、あることに気付いた途端、迷いもせずに尋ねた。

「あ、あの、蘭麗さま。何かお困りのことが有りますか?」

 不意を突かれて固まった蘭麗に、友里はおずおずして続けた。

「えっと、あの……お目が。泣いておられたのかと」

 邪念無き大きな瞳に気遣わしげに覗かれて、蘭麗は再び頬を緩めた。

「ありがとう。貴女は剣が強いだけじゃなく、とても優しいのね」

 思い掛けなく礼を言われ、友里は首を横に振った。其処へ、外に控えている女官が声を掛けてきた。

「公主さま。蒼稀少将がお見えです」

「わわっ」

 上官の名を耳にした途端、友里は慌てた声を出し竦み上がった。

 入室して来た蘢は、蘭麗に深く礼をしてから友里の横に腰を下ろす。やや困り顔で友里を見ると、浅く溜息を吐いた。

「友里。陽彩楼の前で待つように言ったんだけどな」

「もも、申し訳有りません。お城に夢中に為って、どんどん中へ入ってしまいました」

 此処、正殿陽彩楼に立ち入れる軍人は、将官以上の者と特別に許された者だけと決められている。公主の護衛を命じられた友里は、蘭麗と会い直接出入りの許可を受けることに為っており、今日は蘢に付き従って来る必要が有った。

「君が此処に入れるということは、警備を見直さなければならないね」

 冗談抜きで肩を落としている蘢を見て、蘭麗は口元を押さえて軽く笑んだ。彼ともあろう者が、此の友里にはいささか手を焼いているのだろう。

 明日からの警護に備えて正殿内を見て回るため、友里は一足先に退席した。別の蘢の部下と落ち合い、案内される手筈てはずと為っていたのだ。

 控えていた女官なども下がらせると、蘭麗は硬い面持ちで今最大の懸案と為っている話題を切り出した。

「魔国から連絡は」

「依然、有りません。友好国とはいえ普段は人の行き来が無く、諜者ちょうじゃを送るわけにも参りません。あちらに其の気が無ければ一切情報が入ってこないのが、痛いところです」

 手立てが無いと答えながら、蘢は悔しさを前面に出していた。蘭麗と共に留守を任され、茗との重大な局面に備えて職務を果たしているが、歯痒さは拭えない。

「姉上と魁斗には、より大きな使命が有ります。だから、大丈夫だと信じています」

 蘢は、蘭麗がことほか落ち着いているのに驚いていた。彼女が九年もの間味わってきた苦渋を思えば、此れくらいで動じないのは当然かもしれないが。

――魁斗が麗蘭と二人だけで行動しているかもしれないけど、其処は如何思っているのだろうか。

 察しが良く、蘭麗の気持ちを誰よりも気に掛けている蘢からすると、いっそ尋ねてしまいたかった。だが彼女が気丈に振る舞っているだけだとしたら。問うことで彼女を傷付けてしまうとしたら――そう思うととても訊けそうにない。

 結局頷いて、蘭麗の言葉に同意しただけだった。つい横に逸れ掛けたが、重要なのは、麗蘭と魁斗の安否。そして、茗との和平交渉である。

「蘢。良い子を側に置いてくれてありがとう」

 友里について礼を言われたのも、蘢には意外だった。

「瑛睡閣下が、白林軍より引き抜いて来られたのです。突然の宮仕えで、失礼をしないか心配なのですが」

 瑛睡より友里を任されたが、天才的な神力と若さゆえに、配置場所に困っていた。実力が有り、良い人間であるのは間違い無いため、置き場を誤れば宝の持ち腐れに為る。友里本人はもちろん、聖安軍にとっても損失に繋がりかねない。

 思い付いたのが正殿の警備、並びに蘭麗の護衛だった。蘢が近くで見守ることも出来るし、清純さが何かと気苦労の絶えない蘭麗の癒やしに為るかもしれない。

 但しかなりの天然ぶりと間抜けぶりから、蘭麗の前で失態を演じ嫌われはしないかと、案じてもいた。

「些細なことは気にしません。あんな子なら、側に居てくれるだけで良いのです」

 本心から喜んでいる蘭麗を見て、蘢も嬉しく為り微笑を零した。今の彼にとって、彼女の心の安らぎこそが最も尊いものだ。

「あの子の神気は何の混じり気も有りませんね。姉上のものに似ています。私も見倣みならって、強く在らねば」

 席を立った蘭麗は、室の東側に在る大窓の方へと歩いて行く。澄んだ青空を眺める彼女の横顔に、蘢は何時までも見入っていた。

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