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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
23/41

二十一.妄執

※近親相姦の表現があります。

 地下牢を出て、荐夕の居る王の寝殿へ行った樹莉は、宵闇を一人静かに過ごしていた彼を誘いまたも身体を重ねた。

 妹の我がままを優しく聞き入れる荐夕は、彼女を蝕む灼熱を静めるためにどんなことでもしてくれた。樹莉好みの愛撫で恍惚とさせ、体位を変え何度も交わり悦ばせ、あらゆる愛の言霊ことだまを浴びせてくれた。

 器は豹貴の肉体だが、同じ母から産まれた兄弟のため、背格好も似ている。術が出来上がれば外見も荐夕と等しく為ると『聞いている』し、中身が荐夕であると『信じている』以上、抱かれる際には気にも為らなかった。というよりも、気にしている余裕が無かったという方が正しい。

 豹王の正妃・瓊林けいりんは、『寝る間も惜しんで夫を看ていたため身体を壊し』臥せっている。依って配慮する必要も無かった。そして、豹王が妹と二人きりで室に籠もっていても、怪しむ者はそう居ない。此の数年、樹莉王女について――特に愛人関係について――噂した者は、大抵ただでは済まないからだ。

 ねやの楽しみの限りを尽くし、疲れ切って自室へ帰った樹莉は、身体に残る香りや肌の感触、余韻に浸りつつ眠ろうとする。ところが次第に悶々としてきて耐えられず、眠るどころではなく為る。

 暗闇の中、寝台の上で膝立ちし、両の腕を掻きむしって下唇を噛む。満ち足りたはずの心は瞬く間に冷却されてゆき、代わりに身体が妖しい熱を帯びてくる。こういう時は、また男と目合まぐわうか自身で慰めるかして、忘我ぼうがの果てに意識を飛ばしてしまうのが一番早い。

 荐夕と死に別れる直前、彼に純潔を『捧げた』時から、自分でも浅ましいと思う程に情欲の虜に為ってしまった。魔族の若い青年たちは、美しく淫奔いんぽんな樹莉が誘惑すれば誰でも共寝ともねをしたし、妻や恋人が居る者とて結局は落ちた。もっとも、王女の誘いを断れる者など居なかったのだが。

 直近の数ヶ月は、人前で清らかな王妹として振る舞うのも困難に為っており、まるで何か呪いに掛けられているかのようだ。此れからはもう、兄以外の男と肌を合わせることも無いと思っていたが、此の分だと如何どうにも怪しい。

――愛しい人と共に居るのに、何故飢えるのだろう。

「朝に為れば魁斗を殺して、あの人が完璧に蘇る。懐かしい黄昏色の双眸で私を見詰め口付けて、触れてくれさえすれば、屹度きっと

 其れでも解決せねば、為すすべが無いのではないか。際限の無い渇望に苛まれ、人としての罪を重ねて穢れていくしか無いのだろうか。

「憐れな樹莉。そんなことでは報われぬ」

 気配も無く寝台の横に立ち話し掛けたのは、艶艶つやつやとした黒髪の美女。白い千早ちはやに黒い袴という、巫女らしい出で立ちをしている。

如何いかに激しく、如何に深く身体を繋げて肉の欲を満たしたとしても、其れだけで飢えは消えない。飢えて苦しいのは、おまえの想い人が真におまえを愛していないと気付いているからだ」

 正に、女の言う通りであった。生娘でなく為ってから、欠落感と渇求の余り様々な男と交わって極致を覚えたし、愛しい荐夕が帰って来てからはかつて無い程の悦楽を与えられている。だが、所詮は一時で過ぎ去る表層の悦びにしか為らない。

「昊天君を妖獣に喰わせ、兄君が真に生き返ったとしよう。おまえを女にした時と変わらぬ姿で、兄君がおまえを抱いたとして、結果は変わるまい」

 女は寝台に乗り樹莉の真前に座ると、彼女の両肩に手を置いて引き寄せ顔を覗き込む。情けを排除した現実を語り、樹莉自身も薄々勘付いていながら目を逸らしてきた真実を直視させる。

「賢明なおまえには分かっていよう。おまえの恋人は、愛していなくても妹を犯し、愛を囁けるのだ」

 両手で顔を覆い、樹莉は声を立てずに泣いた。落涙らくるいなどするのは久方振りで、記憶違いでなければ、荐夕に初めて『凌辱』された時以来だ。

「おまえは恋人に乞われて母親を殺し、明日には異母兄あにまで殺そうとしている。だが知っているはずだ。彼の願いを全て叶えたとして、おまえが愛されることは無いであろう――可哀想に」

 愛する者に身も心も奪われたが、返って来るのは愛している振りだけ。兄に抱かれながら、虚無の眼差しを向けられる度、本当は相思相愛などではないと思い知らされている。

「巫女さま。其れでも私は、あの人が欲しい。如何すれば愛してもらえるの?」

 巫女と呼ばれた女は、首を横に振り教えてはくれなかった。

「おまえが導き出す答えを、私も心より知りたい。私もまた、其の答えを探し続けているゆえ」

 樹莉は、知らない。黒巫女・瑠璃が、己と似て非なる苦しみを主から刻み付けられ、嗚咽おえつ身悶みもだえていることを。

「私の、答え」

 やがて樹莉が手を除けると、涙の跡が残るいびつな笑顔が在った。憂いや嘆きすら払われて、何かを決めた者の顔が。








 魁斗とは別の室に連れて来られた麗蘭は、天陽と弓矢を奪われ、一人で独房に押し込められていた。煉瓦れんが造りの冷たい部屋だが、椅子や寝台、机などが有り、虜囚りょしゅうと為ったとはいえ縛られてもおらず、魁斗と比べれば未だましな処遇であった。

 外側から鍵が掛けられた石の扉は、見たところ魔力で封じられており易々とは破れそうにない。神力をぶつけて破れたとしても、外には大勢の『王の爪』が居て突破するのは難儀だろう。魂の一部と為っている天陽はいざと為れば喚び出せるが、魁斗の無事も分からぬうちは下手に動けない。

 もどかしさばかりが募る中、麗蘭は粗末な木製の寝台に腰掛けて時を待った。瞑目めいもくして魁斗の気を探るが、やはり感じない。こんな時位、隠神術を緩めてくれれば安堵出来るのにと、やや不満に思う。

 曲がりなりにも聖安の公主を投獄するなど、魔国側の対応は予想だにしないものだった。魁斗と離されて大分経ち、麗蘭の不安は徐々に大きく為ってゆく。不思議と空腹は覚えなかったが、疲れも有り幾度か眠りそうに為りつつ明け方まで過ごした。

 頭上で鳥の鳴声が聴こえ、麗蘭はふと顔を上げた。天井近くに開いた小窓で、大柄の鳩が羽を休めている。

 麗蘭の傍ら、寝台の上に下りて来た水浅葱色の鳩からは、微弱ながら魔の力が感じられ、普通の鳥でないことは直ぐに察せられた。

「やっと会えた。樹莉の監視が厳しくて、なかなか出て来られなかったんだ」

 少女とも少年とも取れる声で、鳥は麗蘭の頭の中へ話し掛けてきた。

「貴女は未だ、樹莉を信じているの? 危害は加えられないだろうなんて、甘く考えていたら後悔するよ」

 問い返す前に、鳩はもう一度鳴いた。

「会えば分かると思うけど。樹莉とはもう、まともな話し合いは出来ないよ。貴女たちが此処に来た頃には微かに残っていた理性を手放して、国同士の問題や魔国の未来なんて考えられなく為っているからね」

「おまえは、誰だ?」

「ぼくは貴女の味方だよ、麗蘭。真っ暗な世界に残された、光の一雫ひとしずくみたいなものかな」

 雪のように白い腹を見せ、心無しか得意げに言った。鳥が人の言語で自らの意思を伝えているのか、離れたところに居る誰かが鳥を使っているのか、麗蘭の見立てでは後者だった。

 誰の心積こころづもりにせよ、此の鳥は麗蘭が知りたがっていることについて伝えに来てくれたらしい。

「浮那大妃は、樹莉の計略で闍梛宮の蛇に食べられた。貴女が清めたから、大妃は死ぬことが出来たけれど、樹莉の掛けた呪術で荐夕が蘇ってしまった」

「まさか樹莉殿が、そんなことを」

 樹莉は大妃の実娘じつじょうのはず。娘が母を妖に捧げるなど、正気の沙汰ではない。

「呪いは豹貴だけでなく大妃にも掛けられていて、大妃が死んだ時豹貴の身体に荐夕の魂が降りるよう仕組まれていた。でも、術は未だ完成していない。生前大罪を犯した荐夕が蘇るには、大妃一人の犠牲じゃ足りなかったんだ」

 其れを信じるとすれば、麗蘭は樹莉に騙され、反魂の邪術を為す片棒をかつがされたことに為る。大妃を蛇ごと消滅させ、呪いを成就させるために、闍梛へ向かわされたのだ。

「魁斗は、魁斗は何処へ? 樹莉殿に悪意が有ったのなら、危ない目に遭っているのではないか」

 卑怯な樹莉に腹を立てるでもなく、真っ先に魁斗を案ずる麗蘭に、小さな使者は意外そうな反応を示した。

「麗蘭、魁斗のことが心底気掛かりなんだね」

「当たり前だ! 私は魁斗が……」

 言い掛けたが途中で口をつぐみ、溜息を吐いた。

「少しでも、魁斗の力に為りたいのだ。もしも彼が闇の中を歩いているなら、私が連れ出したい」

 そう言った麗蘭の瞳には、彼女の純真さが映っていた。

「羨ましいな、そういうの。本当に羨ましい」

 鳥を通して話す者は、失ってしまったものを尊ぶように、羨望を込めて言った。

「教えてくれ。おまえは魁斗や樹莉殿の事情を何処まで知っている? 何故樹莉殿は、左様な行いに走ったのだ?」

「ぼく、樹莉のことなら話せるよ。樹莉のことをずっと見てきたから」

 快く引き受けた鳥は、数度羽ばたいてから近くの机に飛び移った。何処から話すか考えていたのか、暫し間を空けてから静かに切り出した。

「麗蘭が魁斗のことを好きなように、樹莉は荐夕が好きだったんだ」

 秘められた樹莉の想いを知り驚くと同時に、思い掛けず自身の恋心についても触れられ、麗蘭は恥じらい目を逸らした。

「でも兄妹だし、荐夕には綺麗な奥方も居たから、当然諦めてた。頭の良い樹莉は、此の気持ちは一時の気の迷いだろうって思ってた」

 同じ父母から生まれた兄弟を好きに為るというのは、確かに珍しいことかもしれない――年頃の娘にしては、そういった話題に疎い麗蘭にも、兄への恋慕は険しき恋に思えた。

「闍梛宮に入った荐夕の火が消えてから、樹莉はずっと泣いていた。眠らず食事も摂らず、自分の命をあげるから、荐夕を返して欲しいと天に願って泣いた」

 其処まで話すと、鳩は一旦言葉を切って、暫時ざんじ哀しげな声で啼いていた。

「泣いて泣いて、泣き疲れてたら、急に荐夕が帰って来た。でも其れはもう、荐夕じゃなかった。荐夕の顔をした何かは、樹莉に愛してるって言いながら――犯した」

 流石の麗蘭も、其の言葉には凍り付いた。女が男に無理矢理犯されるとは、身体をじ開けられ、自尊心を踏み付けられ、大切なものを奪い取られることだと、漠然と理解していたのだ。

「確かに荐夕が好きだったけど、樹莉はそんなこと望んでなかった。だから必死に止めてって叫んだ。なのに、荐夕は止めてくれなかったし、樹莉も本気では抗えなかった」

 鳥が運ぶ声は、酷く怯えていた。自分が体験したことのように、樹莉というか弱い少女の受難を生々しく語った。

「何故だ。そんな目に遭わされ、何故本気で拒否出来ぬのだ」

 女が男に力で敵わない、という意味なら解せる。しかし彼の者の口振りからは、そうは聞こえない面も有った。

「妹としてじゃなく、女として好きな部分が少しでも在ったからだよ」

 得られた答えは、麗蘭にとって納得出来るような、出来ないようなものだった。

「身体を裂かれる痛みと初めて覚えた快楽がごちゃ混ぜに為って、泣いて喘いで、声が出なく為った頃。樹莉は自分が荐夕の恋人に為ったんだって思い込み始めていた。実際荐夕は、愛する人にするみたいに愛を囁いたし、そう信じないと気がれそうだったから」

「何と、卑劣な」

 麗蘭は、荐夕に対し今まで感じたことの無い憤りを覚えた。同じ女として、樹莉への仕打ちは許し難かったのだ。

「夜が終わり朝が終わり、太陽が高く昇って、荐夕は朦朧とする樹莉を解放した。そして直ぐに魁斗のところへ行くよう言った。此れから宮殿で、兄弟たちを殺すからって……」

 其れから後については、此れまで麗蘭が話に聞いてきた通りなのだろう。

「荐夕が死んで、樹莉はいよいよ壊れてしまった。荐夕の恋人である自分が彼を蘇らせ、また一つに為るんだという考えに取りかれた」

 真相を聞かされ、麗蘭は鳥の入って来た窓を仰いだ。暁方あかつきがたの空に見入ったまま、樹莉に同情して潤んだ両眼を袖で拭った。

「今の樹莉は、妄執と色欲に支配された怪物さ。残された荐夕の妻を、身重のまま残虐に処刑させるよう仕向け、実の母にさえ嫉妬して妖に食べさせてしまった。もう、死んで罪を償うしか無いよ」

「死んで償う? 本当に其れしか無いのか?」

 断言したの者に、麗蘭は率直な問いで返した。闍梛の森へ赴く前の、恐らく元の樹莉に近い彼女しか知らぬ所為せいも有ろうが、救済の道が死しか無いとは思い難かった。

「神巫女の麗蘭にだって、あそこまで堕ちたらもう救えないよ。今の樹莉に会えば、貴女も諦めるに決まっている」

「そうだろうか。樹莉殿は確かに罪を犯したが、荐夕殿に原因が有るのは明らかだ」

 樹莉が常軌を逸するまでの経緯を聞き、麗蘭は荐夕が糸を引いていると睨んだ。だが、彼自身についても謎が残っている。

「そもそも荐夕殿が変わったのは、何故なのだろうか。樹莉殿を責めるなら、先ずは其処を突き止めねばなるまい」

 腕を組み難しい顔で述べながら、麗蘭は神剣天陽を継ぐ際魁斗に言われたことを思い出していた。

『人は、変わるものだ。そして人はいずれ、自分のもとから離れてゆくもの』

 今にしてみれば、彼は荐夕と対峙した辛い経験から口にしたのやもしれぬ。そう思うと、一層悲哀の情が込み上げてきた。

「優しいんだね、麗蘭。でも其れでいて厳しい。術が仕上がる前に、人の道を踏み外した樹莉を神巫女として裁けば良いだけなのに」

 鳩に憑いた彼の者は、樹莉に死を与えよと告げるべくやって来たものの、拒まれ感謝しているのではないだろうか――此れは麗蘭の想像に過ぎないが。

「急いで。荐夕が元通りの姿で此の世に蘇るためには、魁斗の命が要る。彼を殺して今度こそ『恋人』を取り戻す積もりだよ」

 聞き終わらぬうちに、麗蘭は立ち上がった。異母妹いもうとが敵とは思わず、用心深い魁斗も油断しているかもしれない。現にこうして閉じ込められているのは、そうした気の緩みの所為なのだ。

 何処から取ってきたのか、何処に持っていたのか。鳩は、一本の細い鍵を足趾そくしで差し出した。

「魁斗は地下牢に居る。寝台の下に在る、地下に続く抜け道を通って行って」

 言われた通り、麗蘭が重い寝台を押して動かすと、床に取っ手付きの戸が現れた。

 ほこりを払い、施錠された戸を開けたところ、人ひとりが入れる程の穴が空いており、地下へ潜る階段が続いていた。机上に置かれた燭台を手に取り手燭とし、早速数段下りてみる。

「ところで、おまえは一体何者なのだ?」

 穴から顔を出した麗蘭は、寝台の上に留まっている使いに尋ねた。

「ぼくは、樹莉の――」

 答え掛けたが、突として其の者の声は失われた。数度鳴いた後に飛び上がり、麗蘭の右肩に止まる。今は明かす気がないのか、明かせぬのかは判然としないが、麗蘭を導く積もりらしい。

 拳を握り顎を引き、一段一段踏み締めて下りて行く。恋しい人と再会し、今一度共に戦うために。

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