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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
19/41

十七.謎の呪言

「魁斗、無事か」

「ああ。助かった」

 血振りし、刀と脇差を納刀していた魁斗を見て、麗蘭は胸を撫で下ろした。呼吸を整えつつ自分も天陽を鞘に納めると、やや離れたところに居る女の横顔を見やった。

「あれは……」

「大妃だろう」

 魁斗の声は苦しげだった。妖に喰われ、異形と化した継母けいぼの姿を目の当たりにしたのはこたえたに違い無い。

 今直ぐに駆け寄り、治癒術を施せば助かるのではないかという望みが、麗蘭の頭にぎった。だが、遠目でも見れば分かる。もはや、大妃は生きてはいまい。

 ふと、麗蘭が魁斗の方へ目を遣った時、彼の左腕が切られて流血しているのに気付く。滴りそうな程の血が袖に滲んでおり、彼女の息が止まった。

「腕が」

 相当大きな切傷なのに、本人は顔色一つ変えていない。麗蘭に指摘され初めて知ったらしく驚いていたが、反応は小さかった。

「敵を押さえようとした時、大妃の顔が散らついて油断した。怪我なんてしたのは久し振りだな」

 苦笑を漏らした魁斗の足元に、麗蘭が突然跪いた。彼の左手を取ると、諸手で包んで自分の顔へと近付けた。

 祈るが如く瞑目めいもくして神力を送り、大蛇の牙で付けられた傷を癒やす。蛇の毒で痛覚すら麻痺していた魁斗の腕は、白い光に覆われ立ち所に治っていく。

――怪我だけでなく、心も癒やせたなら……どんなに良かっただろう。

 神術を成している間、麗蘭は心の内で必死に考えていた。神巫女としての力を得ても、人として未熟で弱い自分に、魁斗のために何が出来るのだろう、と。

 母、恵帝が亡くなった後も、魁斗は麗蘭と蘭麗を励ましてくれた。彼も早くに母を亡くしているためか、姉妹の気持ちを汲み良く支えてくれた。

――魁斗から受け取ったものを、私も返せるのだろうか。

 ゆっくり目を開けて、傷が綺麗に塞がったのを確認する。未だ暫し、彼の手を握っていたいとも思ったが、気恥ずかしげに放してしまう。

 立ち上がって魁斗を見ると、何やら複雑そうな顔で目を逸らしていた。如何してなのか、麗蘭は己が謝らねばならぬ気がしてならなかった。

「済まない。最初からおまえの言う通りに動いていれば、こんなことには」

 言い終わらぬうちに、魁斗は麗蘭を右腕で抱き寄せた。

「か、魁斗?」

 彼の胸に頭を軽く押し付けられ、麗蘭はびっくりして面を上げようともがいた。

「其のままで聞いてくれ」

 背に回された魁斗の手に、一層の力が込められる。

「おまえは気を遣ってくれたんだろう。大妃を失えば俺が悲しむかもしれないと。俺があの人を恨んでないって、分かってくれていたんだな」

 道中、大妃について語る時、魁斗は逐一彼女をかばっていた。受けた仕打ちは酷烈なものでも、存在感の有る継母を嫌えなかった――麗蘭はそう受け取っていた。

何時いつか解り合える日が来るかもしれない。大妃がこう為った以上、有り得もしない希望に縋って自分で手を下せずに、おまえに押し付けた」

 麗蘭自身、押し付けられたなどとは全く思わなかった。大妃の魂だけでも救済するには、光龍が天陽で妖ごと清める必要が有った。

 そう言おうとしたが、こう強く抱き締められては言葉に出せなかった。図らずも鼻に入って来る魁斗の香りや、直接感じる肌の熱に、激しく胸を掻き乱されている所為せいだ。

「謝るのは俺の方だ。済まなかった」

――こんな魁斗は見たことが無い。

 やはり、魔界での魁斗は何かがおかしい。彼が苦しんでいるのは分かっているが、麗蘭は不謹慎にも少しだけ嬉しいと感じていた。仲間たちは誰も知らないであろう彼の一面を、間近で見られたからだ。

 秘めやかな喜びの中に居られるのも束の間、何処からともなく湿った女の声が聴こえて来た。

「聖安の姫よ……其の男に騙されるな。荐夕の命を奪ったのは昊天だ」

 其れは、先刻まで此の廟内で耳にしていた大妃の声に他ならなかった。

「荐夕も兄弟姉妹を殺したが、其奴そやつも兄殺しの身。わたくしは冥府へ参ろうとも、其の男を許しはせぬ」

 発している者の正体を確かめるため、麗蘭は周囲を見回そうと首を動かした。膝で立つ浮那は硬直したままで、声は其れ切り途絶えてしまった。

 声が聴こえたか否か、魁斗に訊く間も無く、大妃の骸が変わり始めた。足下から下肢、上肢と固まり、幽冥ゆうめいの女王の肉体が石と化す。室内を彩る青と紫の炎光に照らされ、一つの彫刻のように仕上がり魂の去った抜け殻と為った。

「あの人がこんな末路を迎えるとは……思いもしなかった」

 哀惜あいせきや悔恨を滲出しんしゅつさせ呟き、魁斗はやっと麗蘭を解放した。彼には大妃のものらしき声が聴こえていなかったようだ。麗蘭は伝えるかどうか迷った末、止めておいた。

 気の利いた言葉を掛けようと、真面目に考えてみるが浮かばない。人としての至らなさに、自分が嫌に為る。苦肉の策として、別の話題を振ってみることにした。

「ところで、さっき上で別れてから何処へ行っていたのだ」

「何かに『引っ張られた』んだ。恐らくだが、地下宮の試練を強制的に受けさせられた」

「試練とは、魔王に為るための……か?」

 頷くと、魁斗は腕を組んで考え込む顔に為った。何処から話すべきか悩んでいるらしい。

「連れて行かれた先に、魔界に伝わる『真誠鏡』という宝具が有った。覗いた者の生まれや育ちの他、秘められた心奥などを容赦無く映して見せる鏡だ」

「其の鏡を覗くことが、試練というわけか」

 もう一度首肯した魁斗は、其れ切りまた口を閉ざしてしまったので、麗蘭は彼の顔を見て恐る恐る訊いた。

「何を見たのだ?」

「此の件に片が付いたら、ゆっくり話す」

 教えてもらえると思っていなかったため、先延ばしにされたとはいえ其の返事は嬉しいものだった。

「荐夕がああ為った原因も、多分『真誠鏡』に在る。何か秘められた真実を見てしまって、たがが外れたんだろう」

 身を以て到達した推測に、魁斗は感覚的な確信を抱いていた。

「しかし、試練を受けて大丈夫ということは、やはりおまえには――」

――魔王に為る資格が有るのではないか。

 麗蘭は口に出し掛けて、呑み込んだ。如何してなのか、言ってはいけない気がした。伝えてしまえば、彼がより遠くへ発ってしまう気がして恐ろしかったのだ。

「大妃が斃れたということは、豹王の術も解けたのだろうか」

 大妃の成れの果てに視線を戻し、麗蘭は改めて気を探った。此処を訪れた際に存していた魔の気は消え、今は何も感じない。

「摩伽羅宮で、術に倒れた豹貴に近付いたと言ってたな。其の時に大妃の気も有ったのか」

 そう問われ、麗蘭は記憶を呼び戻した。

「ああ。大妃の気と近いものが有ったし、樹莉殿も豹王の魂魄こんぱくを縛しているのは大妃だと言っていた」

 答えてみて、麗蘭は自信が持てないのに気付いた。魔王の命を脅かしている者と、実際に対峙した浮那大妃が同一人物だという確証が示せなかったのだ。

「本当に大妃の仕業だったのか……おまえでもはっきりしないなら、怪しいな」

 魁斗が首を捻ったのが、麗蘭には意外だった。魔宮を出てから――というより、此度こたびの依頼を引き受けてからというもの、彼女は樹莉を疑わなかったからだ。

「魁斗は、樹莉殿が怪しいと?」

 果たして、彼は否定しなかった。

「大妃が妖に喰われていたのといい、何か腑に落ちない。あの大妃に限って、本来なら有り得ないことだ」

 其の点には、麗蘭も引っ掛かっていた。此れまで耳にした情報を纏めると、先代魔王の正妃にして豹王の生母である大妃に、魔界に棲む妖が牙を剥くはずが無い。

「摩伽羅宮へ行こう。樹莉から直接話を聞きたい。追い出されるかもしれないが」

 現状、魁斗の言う通りにするのが良いのだろう。麗蘭も納得はしたが、共に宮殿へ戻るのは躊躇が有った。樹莉が彼を歓迎出来ないと分かっていたし、何より彼自身が辛いであろう。

 加えて、大妃が最期に残した呪言が気に為る。彼女自身の意思で発せられたものなのか、取り込まれていた妖異に言わされていたのかは不明だが、麗蘭の予想では前者だった。

 継母を救いたいと願っていた魁斗とは違い、大妃は絶息ぜっそくする瞬間まで彼への怨嗟をぶつけていた。何の心算が有ってか、態態わざわざ麗蘭だけに忠告めいたものを吹き込んで行った。

――荐夕王子は魁斗に敗れて自決したと聞いていたが。

 何かの間違いだろうとは思ったが、本人に尋ねるわけにもいかない。出会いから時を経て大分立ち入ったことも訊ける間柄に為っているものの、此ればかりは魁斗自身が話してくれるのを待つ他有るまい。

「麗蘭、急いで出るぞ」

「え?」

 血相を変えて麗蘭の手首を掴んだ魁斗が、大股で歩き出した。わけが分からず彼と共に出口へ向かうと、地面が揺れ始めて足を取られそうに為る。

「急げ! 崩れて閉じ込められるぞ!」

 上下左右の震動が強く為り、地下宮の天井を剥がし始めた。早く脱出せねば、閉じ込められるどころか生き埋めに為るかもしれない。

 扉を開け、来た道を戻る。先を行く魁斗は時折降って来る落石と、後方の麗蘭を気にしつつ階段を駆け上がった。

 続く麗蘭も、足の速い魁斗を夢中で追い掛けた。階下の壁へ目線を流したところ、久遠に燃え続けるはずの燭火しょっかが下から順に消えてゆくのが見えた。

 初めに入った円形の広間に戻ると、此処にも異変が及んでいた。灯籠が今にも倒れそうに為り、床や壁にも亀裂が走っている。

「未だ走れるか?」

 気遣わしげに問うた魁斗は、石段を上る際離していた麗蘭の片手を取った。

 魁斗はもちろんのこと、麗蘭も此れしきでは息も乱していない。力強く頷き、彼の手を握り返した。

「もちろんだ」

 地上へ向け、二人はまた走り出した。後にした場所から、彼らを追い立てるようにして灯籠の火が消えてゆく。

 もう、後戻りは出来なかった。

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