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偽王の骸  作者: 亜薇
本編
17/41

十五.託された願い

 天界に、薺明神せいめいしんという名の女神が居た。

 先の天帝、創世の神・神王しんおうの御代より何万年も生きている古参の神で、天の序列でも上から数えた方が早い上位神である。

 外見は、人の齢で表せば二十代半ば頃。武を誇る闘神でありながら屈指の麗容を備えていた。一つに束ねた髪の黄金色は、雲間から大地に振り注ぐ夕陽の輝きにも、生ける者に恵みを与える稲穂の光にもたとえられた。また冴えた明眸めいぼうは、海色ともそら色とも取れる青色をしていた。一時は最強と謳われた武勇に加え、天界でも指折りの美神ぶりで、人界においても厚い尊崇の念を集めている。

 其の薺明神・耀蕎ようきょうが、一人天馬てんまを駆り虹色の空を渡って、天宮より数百里離れた天界の最果てへと向かっていた。妙案が閃き、居ても立っても居られず、鎧も付けず剣も持たぬ軽装で直ぐ様発ったのだった。

 未曾有みぞうの惨劇、『天宮のりく』より千五百年。殺戮を引き起こした黒神は、現天帝と薺明神が施した封印を破り現世へ舞い戻った。腕に覚えの有る闘神たちは様々な思惑から邪神討伐へ参じたものの、誰も帰って来なかった。

 黒神の粛清を主導する立場上、命を無駄にすると見えていても止められぬ天帝と薺明神は、勇壮な彼らが『行方知れず』に為ってゆくのを黙認するしか無かった。復活後に邪悪さを増した黒神の所業を、手をこまねいて見ているしか無かった。

 もどかしさに気が狂いそうに為る中で、薺明神はとある隠者の住まいにやって来た。至るところに薫る花々が咲き乱れ、青々とした草が茂り鳥が歌う天界で、此の土地は異質だった。生命の足跡は見当たらず、岩石ばかりで味気無い風景が続く。底の見えない崖の中程に空いた洞穴こそ、彼女の目的地であった。

 入口に天馬を乗り付けると、探し求めていた女占師せんしが出迎えた。赤い布を頭から被り、上級神である薺明の前でも顔を隠して見せようとしない。だが女の佇まいや神気の質、声からして、薺明には此の者だと瞬時に分かった。およそ一万年程前に天宮で処刑された此の女の母を、克明に覚えていたためだった。

 松明たいまつの炎に照らされた住処は、古惚ふるぼけた絨毯じゅうたんの上に粗末な調度が置かれ、穴の中とは思えぬ程整えられていた。女は薺明へ椅子を勧めたが、闘神は頭を振って座らなかった。

「薺明神さまともあろうお方が、何故斯様な辺境へお出でに」

 何か用が有って来たのは明らかなのに、闘神は問い掛けに黙したままだった。

「黒龍殿下、今は『黒神』でしたね。お一人で討ちに行かれるとか」

 天の都より遠遠とおどおしい地で隠棲する予言師が、此の数日中に広まった話を何故知り得たのか。薺明神は、左様な些事など気にも留めない。天人あめひとの世界では往々にして有ることだ。

「天帝陛下にお願いしたが、許可を頂けなかった。私では勝てぬとご存知なのだ。此の身が情けない限りよ」

 情けないというのは、薺明神の本心であった。かつて共に天界五闘神に数えられた他の四神は、黒神と妖王に挑み殺された。五神の筆頭たる己だけが、其の後ものうのうと生き永らえていたのだ。

「仕方有りませぬ。陛下も貴女さまを失いたくはないでしょう」

 薺明神は、天帝聖龍に剣を教えた師でもある。聖龍が師の力を超え、指南役を解かれてからも、副官として彼の非天討伐に随行した。彼女は天帝にとり、師であり母や姉でもあった。

「そなたの母は、天宮一の予言師と呼ばれていた。そなたも優れた力を持っているとか。天帝陛下の御代は、如何な道を辿るのかが知りたい」

 黒神討伐の許しが下りず、八方を塞がれた薺明神が此の地へ赴いたのは、其の予言を聞くためであった。途方に暮れているところに隠遁いんとんした予言師の噂を耳にして、藁にも縋る思いでやって来たのだ。

 そんな苦しい胸の内も、薺明の美しいかおには欠片も表れていない。占師は闘神の切実さを知ってか知らでか、短く丸い形に整えた眉を寄せた。

「私の母は、黒神が先帝を弑すると予見した罪で先帝に殺された。そして其の先帝は、予言の通り黒神に殺されました」

 神王に双子が生まれること、そして双神のうちの黒き天子に弑逆されること――此れら二つは、天上のみならず下界でも知られる実現した予言である。しかし、神王が此の予言を恐れて数々の愚行を為したのは、知る者ぞ知る事実だった。

「母と同様、私も予言師ではありますが、命は惜しい。ゆえに命を失くす原因に為り得る予言はしませぬ」

 当然の言い分とも、自分本位で無責任とも取れる応えだが、薺明には腹を立てるどころか気を悪くする様子すら無い。女占者が天宮を出て僻地へきちに引き籠もっている理由を推測すれば、こうした反応も十分考えられたからであろう。

「ならば、私の未来は如何どうだ」

 代わりの質問にも、予言者は首を横に振った。

「薺明神さま。黒の邪神が放たれた今、貴女様は天上の希望を背負って立つ御方。貴女さまの未来についてなど、おいそれと口には出来ませぬ」

「私如きが、希望だと申すか」

 薺明の冷ややかな面に、微かな自嘲の色が差した。

「慎ましく、賢い占師よ。母譲りの力が本物ならば、真の光を見通してみよ。双神が争い、天地が紅く染まる絶望の世を照らす、望みと成り得るものは何か」

 命令でも、してや脅しでもない。されど薺明の穏やかな声には、海青うみあおの双眸には、有無を言わさぬ力が込められていた。

「私は『の方』を救いたい。だからこそ、何時か必ず戦いに赴く。だが、私が為せぬのは分かっている」

 拒めぬ占師は、彼女特有の細い目で薺明を見詰めていた。暫く経つと大きく嘆息し、其の場で両膝を地に付け顔の前で手と手を組んだ。

「魔の血族と契りを交わし、聖でも魔でもある子を成すが良い。其の子が貴女の仰る、真の光明と為るでしょう」

 其れは紛れもなく、薺明神へ宛てた占者の予言。彼女程の女神に下界の者と交われなどと言うは、即刻斬り捨てられても何らおかしくはない非礼である。

 ところが、薺明は少しも動じない。常軌を逸した予言を続けさせ、厳かな面持ちで耳を傾けていた。

「天帝陛下と神巫女だけが、黒の邪神を滅せられる。他の者は、たとえ貴女さまであろうと、血の一滴も流させることあたいませぬ」

 此の部分は新しい予言ではない。黒神が邪神に堕ちる前から信じられていた話だ。

「されど、巨大な聖魔の力を宿した者もまた、黒神に血を流させられる。神巫女と手を組み向かえば、勝機を見出せまする」

 核心に至り、薺明は得心したように深く首肯した。

「先の神巫女が死して、丁度五百年近く経つな。私の子と共に光明を成す――か。有り得ぬ話ではなかろう」

 彼女はもう、疑念を抱いていなかった。今直ぐにでも魔界へ降り、相応ふさわしい誰かと契る積もりでいるのだろう。闘神として君臨すること数万年、戦いに専心し子を作るなど思いも寄らなかったと言うのに。

 気持ちが急いていた薺明は、跪礼した予言者に踵を返す。地に頭を付けている彼女を肩越しに見て、最後に優しく笑い掛けた。

「感謝する。『の方』をお助けするため、魔の王と息子を作ろう。千五百年、無様に生きてきた私の役目は、其れで漸く終わるであろう」

 此処を訪れたばかりの時、魂が抜けたような表情をしていた薺明は、清清すがすがしく満ち足りた微笑を残して去ってゆく。己が手で叶えられぬ悲しき願いを、未だ見ぬ子らに託すという一筋の光を見出したのだ。


――此れが、試練の鏡が魁斗に見せた真実であった。

薺明神がどうなったかは、下記のお話に書いてあります。

「荒国に蘭」 第一章七話「紅の静寂」

http://ncode.syosetu.com/n8636de/8/

「金色の螺旋」 第七章三話「敵地潜入」

http://ncode.syosetu.com/n5508bf/77/

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