十二.報復
茗の帝都洛永に在る皇宮、利洛城。半年前まで焔の女傑を主としていた此の宮城は、今は其の後継である燈帝――燈雅のものだった。
帝位を継いでいない麗蘭とは異なり、燈雅は皇帝として国内外で認められていた。聖安とは即位までの形式や流れが違うのも有るが、珠帝存命時より皇太子として準備を進めていたというのも、円滑に事を進められた要因であった。
公務を終えて夜も更けた時分。燈雅は正殿朱鸞宮へ戻り、真っ直ぐ寝所へ入った。今日も早朝から働き通しで、ろくに休息を取っていない。しかし極度に多忙なのは皇太子時代から変わらず、既に大した負担ではない。特に今晩は、月に一度の格別な愉しみが控えている。
彼には未だ正妃が居らず、十三人の側室と二人の子が居た。気が進まないという理由で、妃と閨に入っても子は作らぬよう努めていたが、帝位を継いだため今後は嫌でも増やさねばならない。思うところ有って定めていない正妃も、いよいよ決めねばならなかった。
自らの地位固めのために婚姻した者、単に気に入ったため娶った者、意図せず孕ませたため妻にした者、様々居た。皆をそつなく扱い、夜伽も含め偏りの無いよう接している。中には心を失くした元・四神、紅燐も居り、他の妃同様月に数度会いに行く。反応の無い彼女に一方的に話し掛けるだけで、共寝はしなかったが。
専ら享楽のため、妃でない女を抱く時は、自分の宮の寝室に呼び寄せた。娼妓や旅芸人が主であり、如何な美女であっても、同じ娘を二度以上は呼ばなかった。加えて、生娘とは遊ばないとも決めていた。後腐れするのを好まないのと、極端な移り気だからである。
彼に呼ばれた女は一夜の夢を見られるが、大半が朝に為れば手切れの金銀を持たされて帰された。船上で玄武に弄ばれた大勢の女が、戯れと口封じのため残虐に殺されたのと比べれば、燈雅はかなりまともだった。
今宵彼を待っている女は、数少ない例外であった。二度目の壁を越え、四度目、五度目であろうか。此の先何度同衾しても飽きそうにない。かつて玄武を骨抜きにしたというのも、己で抱いて直ぐに頷けた。とにかく、普通の人間の女とは違うのだ。
無欠なる美貌に魅惑され、妖姿媚態を見せ付けられれば、犯さずにはいられない。そして淫らな肉体を貪る快楽を知ってしまえば、並の男であれば正気ではいられまい。好色な女殺しで知られた燈雅もまた、最初こそ呑まれそうに為ったものの、二度目からは自分というものを保てるように為った。こうした女を狂わされずに楽しめるのは、彼のような若者にとっては至上の幸運だった。
満月の日は、燈雅が後宮に赴かぬ日である。魔性を放つ彼の女は、教えてもいないのに其の日を狙ってやって来た。彼を籠絡せんとしているのは明らかだが、底意は見通せない。玲瓏なる女が宿す情欲は驚くべきもので、閨房の術に長じた燈雅の身体で欲望を満たしているだけにも見えた。
ところが日を置いて房事を繰り返すうちに、氷に包まれた女の内が露わに為り始めた気がした。閨においては常に女性を虜にする燈雅にしては手間取っているが、成果が無いというわけではなさそうだ。
今日も女と夜通し目合い、数え切れぬ程気を遣らせて嬌声を上げさせた。女神か妖魔かと疑う艶冶な肢体を征する恍惚に酔いながら、彼女が纏う蟲毒に抗い続けた。負ければ最後、深い闇に囚われ、凡てを失うであろう危険を冒し、夜明けまで持ち堪えた。
日が昇ると女の濡れた細身を腕の中に収め、激しい媾合の余熱を感じつつ厚い唇を吸う。褥の上でのみ従順な女が可愛く為り、つい優しげに髪に指を絡めて頭を撫でてやる。肉の欲が滲む甘い掠れ声が燈雅を誘うが、彼は此処で何時も耐える。耐えられるからこそ、心を奪われずに済んでいる。
「未だ、出来るでしょう? 女子の私がもっとと強請っているのに」
先に寝台から出た燈雅を見上げ、身を横たえたままの女が艶笑を浮かべて恨めしそうに言う。屹度、此れまで寝た男は皆思い通りに操り、精が果てるまで抱かせていたのだろう。
「私が此の立場でなく、通わねばならぬ側妃を抱えていなければ、疾うに耽溺していたでしょう。毎晩どころか昼夜問わずそなたを抱いて、片時も離さなかったでしょうね」
燈雅は水瓶の水を飲み干すと、女を見下ろして正直に述べた。此の女とは肌を合わせた具合も異常に良く、淫楽も申し分無い。冷静さを保っている己の我慢強さを褒めてもらいたく為る。
「圭惺で初めてお会いした時、私には手を付けないと仰っていたのに、何故抱く気に為られたのですか」
数ヶ月前より幾度も交わっているにも拘らず、女は今更斯様な質問をした。燈雅は衣服を身に付けながら、態とらしく首を捻った。
「ああそういえば、そんなことを言いましたね。そなたの美しさに負けたという答えでは、納得出来ませんか」
女が初めて此の室に来たのは、珠帝が崩御した一月程後だった。丁度仮の即位式を終え、陛下と呼ばれ始めた頃だ。圭惺で誘惑された際は警戒心より跳ね除けたが、此処で再会した時にはすっかり気が変わっていた。
「珠帝より此の座を継ぎ、己を試してみたく為った――其れだけです。彼の大女帝をも滅ぼした存在に、私が勝てるのかどうか」
口にはしないが他意も有った。敬愛していた珠帝や玄武を破滅させた女への、ささやかな報復である。
「貴方さまには、もはや怖いものなど無いとお見受けいたします」
「御機嫌を損ねてしまいましたか? そなたこそ私に身を差し出すことで、自ら壊して二度と手に出来なく為ったものを埋めているのではないですか。私は玄武を尊敬こそすれ、あの様な末路を辿りたいとは思わぬ」
そう指摘した時、暗がりで女が一瞬だけ眉を顰めたのを、燈雅は見逃さなかった。身体を重ねる度に暴き出した女の渇きや飢えは確かなもので、見間違いではないのだろう。
玄武の死については、不審に思い調べさせたが真相は分からなかった。此の女が関わっていると推量し、死に際を知っているかのような口振りで試してみたのだ。
やがて何事も無かったかの如く笑んだ女は、急に話を変えた。
「聖安に出向かれるとか」
此の女の耳の早さには舌を巻く。一部の重臣にしか伝えていない話を、一体何処で聞き付けて来るのだろうか。
「麗蘭という娘に興が湧きました。彼の国と戦を続けるか否か、彼女と会って決めることにします」
思えば、麗蘭について関心を抱く切っ掛けと為ったのは此の女だった。結局は言う通りに為っているようなのが、燈雅には気に食わない。
「そなたの主は、殺戮や混沌、無秩序を好むと聞きます。茗と聖安の和平が成れば、さぞやお怒りに為るでしょうね」
黒神の黒巫女・瑠璃――其れが、女の正体。深入りするのは命取りと心得ていても、危うい魅力に惹かれてしまう。
「ご案じ召されますな。我が君が厭うのは退屈でございまする」
真偽の分からぬ瑠璃の言は、全く信用ならない。されど、如何してなのか惑わされてしまう。
「一月後だそうですね。次の望月には叶わぬでしょうけれど、またいずれ抱いてくださいませ」
漸く起き上がり、寝台から出た瑠璃は、椅子の背に打ち掛けていた着物を羽織った。
「貴方さまとの会談までに、麗蘭が戻って来られれば良いのですが」
意味深な発言を残すと、燈雅が問い重ねる前に姿を消した。麗蘭公主らは魔国へ赴いていると聞いたが、何か良からぬ策謀にでも巻き込まれているのだろうか。
「人間の男ではなく、神に身も心も捧げた巫女とは、実に儘ならぬものだ」
一人と為った寝室で、彼は忌々しげに独り言ちた。
――麗蘭公主は、如何に楽しませてくれるだろうか。
遠い敵国へ態態出向いてまで、燈雅は彼の少女と会い見えたかった。あの時目の当たりにした燦然たる耀きは、彼を魅して離さず、捉えていたのだった。




