第1章 忘れられた存在 22
「大精霊アンズィルにかけていた封印と言うのはね、彼が幸せな犬のシュロだった頃の夢を見せ続けて眠らせる魔法だったんだ。その魔法に使っていたセレニアの記憶の一部、それがイヴェットという人間の性質が引き継がれていた部分だ。彼女はアルソリオが創られる直前に切り離されているから、この世界の事なんて知る由もないんだ。」
シュロの言っている事は到底想像の出来るものではなかった。ただ一人、ハンドレッドだけが話している事柄に理解が追いついていた。それはレイドン・ルディオーネットが精霊学第三巻で深く取り上げていた内容だった。だが本の中では、イヴェットという少女の存在も名前も一切触れられていない。
「それで、イヴェットがいなくなったならアンズィルの封印はどうなってるんだい?」
シュロに言われてハンドレッドが話した本の内容によると、アンズィルは封印されながらも、セレニアの創った世界を滅ぼそうと力を漏れ出させているという。カッツォは巨大な狼が山脈を飲み込む様を思い浮かべ、現実感の無い話だと思った。
「セレニアが抑えているから大丈夫さ。アンズィルの事はね。」
「 じゃあセレニアとイヴェットが入れ替わったんだね。」
「そういう事だね。」
カッツォは、今の話が、北オルミスの白い山に行くという彼らの目的の意味なのだろうかと思った。
(イヴェットはいずれ封印に戻る...?)
彼女はすやすやと眠っている。
ハンドレッドもその寝顔を見て言った。
「先程は声を荒げてすまなかった。精霊王に対する畏敬を思い出したわけでは無いが、無礼な振る舞いだったというならば許して欲しい。」
「ふうん...まったく、物分かりのいい王子だね。」
シュロがからかって言うのに、ハンドレッドは真剣な表情をして答える。
「私はそもそも、カッツォの手紙を読んでキヌートへ行ったんだ。君とイヴェットが不思議な存在だというのはわかっていた。オーネット領に赴く君たちに、私も同行させてもらいたいと思っている。」
「へえ。何故?」
「友人を救う為だ...。」
ハンドレッドはそう言って目を伏せた。
「!オーネットの人たち、見つかったのかい?」
カッツォは慎重に浮かれない声音で言った。ハンドレッドの様子からはそれが良い意味でない事は見て取れる。ハンドレッドの友人だけでも助かっていれば、と願う気持ちでいる。
ハンドレッドは俯いたまま答えた。
「...死者たちは骨だったのが、今や皮と髪、着ていた服まで再生されている。その中にソラミル・オーネットと家族の姿が確認されたんだ。」
「じゃあ救うってのは...?」
「アルフレッド兄様と騎士団が何度倒しても蘇る。未だ土に眠れず、恨めしそうに動き回る骸を囲いに閉じ込めてある。」
「...そうか。」
「ねえ、あの骸骨たちって魔法で動いているのかな。」
ミスサリアは部屋に漂う暗い空気を振り払うかのように、いつもの明るい声でシュロを見た。
「その地に行けばわかると思う。」
「じゃあボクは魔法を解けば良いんだよね。」
と、服の中から小さな布袋を取り出した。ガイタンとコールイは冷たくも暖かくもなくミスサリアの手の内に握られている。
「南オルミスの王子、ファムリアの姫君に精霊王...何だか尋常じゃあない組み合わせだなぁ。イヴェットはただの女の子なんだと思っていたんだけど。その中に俺がいて役に立つ事なんて、何かあるんだろうか。」
カッツォは頭を掻きながら困ったようにシュロを見る。「君だけが心配だ」と言われた意味をようやく理解していた。カッツォはどう逆立ちしても何の秘密も無い、トロプス鉱山生まれの孤児でしかなかった。城下にいる妹とは養女に出した時に縁が切れている。
ミスサリアとハンドレッドはお互いの顔を見合わせた。
「今更、何を言ってるんだ。君は話売りのカッツォだろう。役に立つ立たないの問題もあるものか。」
「何も気にする事なんて無いよ。」
「そうだな、もし君が柄にもなくつまらない事を気にして、自分の身分について何か考えなければならないというのなら、これからはこう名乗ると良い。コーディ=カッツォ・エサムと。」
まるで呆れ返ったようにハンドレッドは言った。
「それは良い考えだよ!」
と、ミスサリアは喜んだ。シュロは関係無い様子でそっぽを向いていて、カッツォは居た堪れない気持ちになった。
「えーっと...コーディって...?」
「古くは王の友人という意味だ。コーディの称号を与えられた者はいつでも城に招かれる事が出来る。」
「はあ!?そんな大変な名前、俺なんかには貰えないよ!」
城内で働く者以外は城下の騎士の家系でさえおいそれと王族に謁見する事は出来ないと、そのくらいの事はカッツォも知っている。
カッツォが首を横に振るのを見て王子と王女はまた顔を見合わせ、ハンドレッドは凛々しい眉尻を寂しそうに下げた。
「友人だと思っていたのは私だけだったんだな。」
「いやいや、そういうわけじゃないよ。」
「南オルミスって色々大変だね。友だちも作れないなんて。」
「二人とも友だちだと思ってるって!...思って良いならだけど。」
「ならばそんな卑屈な事を言わずに大人しく受け取れば良いんだ。...と言っても、私一人で授与する事も出来ないから正式には城に戻ってからになるが。」
カッツォは、王家から与えられる最高の称号はどれ程欲しがっても手に入れるのは難しい物だとわかってはいたが、与えられるとなれば断るのも同様に難しいのだと知った。
(コーディになんてなったら目立つよなぁ...。マルメロ・ルペッサンに知れたらどう思うか...。)
もう否定の言葉を発しないカッツォにハンドレッドは満足したのか、上機嫌でベッドに腰を下ろした。「良かったね!」とミスサリアが微笑みかける。
その時、部屋のドアをノックする音がした。近くに立っていたカッツォがドアを開けると、体躯の良いベアトール王子が屈みながら部屋に入って来る。
「楽しそうな笑い声がしているな。おや、レディは眠ってしまったのか。ハンドレッド、友人との再会を邪魔してすまないが彼らに海賊の聞き取りをしても良いかな?」
「勿論です。つい長居してしまいました、私は退室します。」
「そうか?一緒にいたって良いのだぞ。」
ベアトールは残念そうに言う。
「いえ、私もまだ大人になりきれておらず、真面目なお話に水を差してしまうのが心配なので。」
「何だ、随分こまっしゃくれた事を言うようになったじゃないか。俺はお前が、いつまでも素直で純粋な弟でいて欲しいと願っているのに。」
「...そういうわけにもいかないんです!」
「あ!ボクも行くよー。」
ミスサリアは、ベアトールとすれ違って部屋を出ようとするハンドレッドの後を追いかけていった。
ベアトールは二人が出て行った部屋のドアが閉まるのを見ながら、重々しいため息をつく。
「恋人が出来ると格好つけたくなる。あいつも男らしくなってきたという事だな。」
どうやらベアトールにシュロは見えておらず、イヴェットは眠っていて答えるのが自分しかいないと気付き、カッツォは困惑した。
狭く細い階段を上って行きながらハンドレッドはため息を吐いた。
「どうしたの?」
後ろにいるミスサリアが首を傾げる。
「私はベアトール兄様が苦手なんだ。」
「そうなの?仲良さそうなのに。」
「勿論、兄王子として敬愛している。でもいつまでたっても子ども扱いをするし何より、」
ハンドレッドは一度大きく深呼吸をした。
「どんな遠くからでも変装をしていても私を見つけるので怖い。」
階段を上りきり外のデッキに出ると、もう日が暮れていて紫色の曇り空が見えた。
「おや、ハンドレッド様。」
「俺はお目にかかるのが半年ぶりだよ。多分、身長は1.3ほど伸びられたと思う。体重は2キロ程減っておられる。城の給仕係は一体何をしているんだ!」
デッキにいた水兵たちがハンドレッドを見付けると色めき立つ婦人達のように、口々に言った。
「...兄様の騎士団も何だか気持ち悪いし...。」
彼らに聞こえないようにボソリと呟く。
「皆んなドレ君が大好きなんだね!」
ベアトールは昔から何かとハンドレッドの世話をー過剰にー焼いていて、幼い頃は優しい兄が大好きだったが、最近は鬱陶しく思っていた。ベアトールが始終ハンドレッドの話ばかりをするので、彼の所有の騎士団はハンドレッドの事を知り過ぎるくらいに知っている。
ハンドレッドは水兵のいない場所を選んで立ち止まると、それでも警戒したままに小さな声で言った。
「...その、兄様が...君に変な事を言っていないだろうか...?」
ハンドレッドは空を見ていた。どんよりと沈む雲の合間、一箇所だけ晴れ間に明々と光っている場所があった。
「変な事?」
ミスサリアはキョトンとしている。
「何も無ければ良いんだ、忘れてくれ!」
「えー?ふふふ、変なの!」
彼女が笑うのを見て、自分の頬が熱くなるのがわかる。ちらりと彼女の方を伺いながら、暗くなっていて良かったとハンドレッドは思った。
「君はエッカーナ王妃の名を継いでいるんだな。」
「うん、一応ね。即位したらそうなるんだって。名前と言えばね、さっき思い出したんだけど、ミスサリアって精霊っていう意味なんだよ。精霊の、ミスサリア。」
「へえ...もしかして君が、魔法を使える事と関係があるのか?」
「そんな気がするよね。なんか...忘れちゃったんだけど。これが封印って事なのかな?精霊に関係する事皆んなが忘れちゃうなんて、不思議だね。」
「精霊王の敵...アンズィル。そんなものが本当にいるなんて、本当だとしたら...恐ろしいな。世界がオーネット領のように...!」
ハンドレッドはハッと気が付いて、
「オーネット領はアンズィルに...?」
と眉間に皺を寄せて言った。
「そうなのかな、アンズィルはセレニアが封印してるって言ってなかった?」
「ああ、そうか。」
「でもそうかもしれないね。あとでシュロに聞いてみよう。」
「...もしそうだとしたら、そんな事が起こっているのだったら、本当にファムリアと南オルミスで諍いを起こしている場合では無いな。」
自国の体質を憂いて手摺にもたれかかったハンドレッドの脳裏に、ある考えが思いついた。最初は慌ててかき消していた考えだったが、やがてこれ以上ないくらいの名案なのでは無いかとまで思われ、暗雲垂れ込める胸中に月の光の如く輝いた。
ハンドレッドは恐る恐るミスサリアを見た。いつどんな時でも、彼女は笑顔を讃えてハンドレッドを見つめているのだった。




