第1章 忘れられた存在 21
「どうしたの?イヴェット。」
彼女は一人、シュロに身を隠すように三人から遅れて歩いていたのでミスサリアが問いかけた。
「あの、王子様と会うなんてこと初めてで...。」
大きな船に立派な身なり、改まった雰囲気にイヴェットは緊張してしまっていた。ハンドレッドは後ろを振り向いた。何か言いたげに見られていると思ったが、イヴェットは何も言わなかった。
ハンドレッドが案内したのはベッドが二つだけある赤い絨毯の引かれた広い船室だった。ハンドレッドはカッツォとイヴェットを労って、ベッドに座らせた。イヴェットはカッツォに付いて同じベッドに座った。そこでミザリーはもう一つのベッドに腰を下ろし、足をぶらぶらさせていた。
「ゆっくり休むと良い。」
「ありがとう。」
本当は部屋を出るつもりだったが、話したい気持ちを抑えきれずハンドレッドは振り向いた。
「...やはり君は勇気ある素晴らしい人間だ、カッツォ。たった一人で海賊から少女を救出してしまうなんて!」
「ん?」
ハンドレッドは捕まって海に投げ捨てられた事を思い出し、自分を恥じた。
「私たちはこれからミザリーの友人を助けに向かうところだった。だが既に君に救出され、小舟で脱出していた。」
カッツォは少しの間、答えを考えて黙っていた。イヴェットが不安そうにカッツォを見上げる。その視線に気づいてカッツォは、口元が緩めた。
「いいや、俺じゃないよ。俺たちを助けたのは、シュロなんだ。」
「シュロ?そうだ、君の手紙にはシュロは犬だと書いてあった。姿が見えないようだが...。」
「え?そこにいるのに。」
ハンドレッドはミスサリアが指差す先に何もいないと思っていた。この部屋に入ったのは四人だけだったはずだ。
ミスサリアはまっすぐに指をさし続ける。ちらつく意識を集中させると、何もない空間に確かな違和感があった。一瞬、何かが見えたような気がして目を擦る。
「ふうん。素直な王子だね。」
生意気そうな子供の声がハンドレッドにも聞こえた。
「良いだろう。君には見せてあげるよ。」
目の前にはイヴェットと同じくらいの大きさで四つ足で立つ毛むくじゃらの動物が立っていた。円らな瞳がじっとハンドレッドを見つめている。
「シュロ、王子様に向かって失礼だよ!」
イヴェットが声を出さずに叫んだ。
ハンドレッドはぽかんと口を開けたまま瞬きを繰り返した後、シュロをじっくりと見て言った。
「これが犬という動物か。」
「シュロが魔法で俺たちを海賊のアジトから脱出させたんだ。」
「私もミザリーの魔法を体感した。すごいな、魔法というものは未知の力だ!」
きらきらと目を輝かせてハンドレッドはシュロに言った。
「海賊の目をかいくぐり逃げて来たんだな。私にもどうにか得られないものだろうか?その力があれば海賊を殲滅する事も容易いだろう。」
「せんめつ?」
「...一人も残さず...って事だよ。」
イヴェットが聞くのにカッツォが答える。すると、
「だめ!」
と、イヴェットはベッドから立ち上がった。
「あ...えっと、海賊って言っても...良い人たちなので...。」
だんだん声を小さくしてカッツォの隣に戻る。
「良い人たち?」
ハンドレッドは顔をしかめる。イヴェットに向かって、感情を露わにして言った。
「海賊は国家に刃向かい民を傷つける悪者だ。今回のキヌートでは九人ものオルミス国民が殺されたんだ!」
イヴェットはハンドレッドの剣幕に驚きながら再びカッツォを見た。その表情に苦々しく思いながらもカッツォは答えた。
「本当だよ。海賊たちも言ってたなぁ、七人殺したって。」
「そんな...。」
イヴェットはショックで俯いた。カッツォにしたように、命まで取りはしないと思っていたからだ。ユイの話のように、必要あれば人を助けるばかりだと思っていたからだった。
「俺が生きているのはイヴェットに言う事を聞かせる為に必要だと思われたからだよ。イヴェットのおかげで助かったんだ。ありがとな。」
「お兄ちゃん....。」
「俺は港でイヴェットと一緒に海賊に襲われて殺されずに捕らえられた後、海賊になれば生かしておくと言われ、その通りにしたんだ。」
「海賊になった?」
「まあそう言う事なんだが、そうして逃げる機会を伺うつもりでいた。海賊たちは仲良く支え合って質素な生活をしていたよ。海賊たちは港を襲うことを"仕事"と呼んでたなぁ、まるで誰かにさせられている事のようじゃないかと俺は思ったんだ。」
「!」
「キヌートは五人殺す計画だったと言ってた。」
「カッツォ、私は港から攫われた子供たちの足取りを追っていた。いや...私も正直に話そう。港で私も海賊に襲われ、大勢の子どもたちと共に船に乗せられたんだ。海賊は子どもたちを港に帰そうとし、私は海に落とされたところをミザリーに救われた。」
「...!ドレ君って...ハンドレッド王子様...?!」
イヴェットは海賊船の牢での出来事を思い出し両手で顔を覆った。ハンドレッドが訝しげに自分を見ているのに気付き、話の邪魔をしてしまった事を謝る。
「私もあの時そこにいて...。」
「子どもたちの中に?」
「いえ、あの檻の外に...。」
ハンドレッドはあまり思い返したくない記憶を手繰る。牢は暗がりでよく見えなかったが、記憶の情景にイヴェットのシルエットが当てはまる。
「海賊の頭領の女!」
「...そうです...。」
イヴェットは気まずく俯く。
「なるほどな、あれが君だったのか。...話を続けよう、ミザリーに救われた後、私たちは子どもたちの乗せられた小舟を追い岸に辿り着いた。そこには海賊を捕らえた兵士がいたんだ。その兵士は港に子どもたちを送り届け、英雄となった。堅牢の騎士団マルメロ・ルペッサン配下の者だと名乗っていた。」
「マルメロ...。」
カッツォが呟く。単なる相槌と受け取ってハンドレッドは続けた。
「更に港ではその兵士と関係があると思われる男が倉庫に隠れ怪しげな話をしていた。全ては聞こえなかったが君の話を聞いて確信した。恐らく内容はこうだった、"殺す予定は五人だった。九人は殺しすぎだから報酬を減らす。"」
「おいおい、それじゃあまるで...。」
「待ってくれ。堅牢の騎士団と海賊の繋がりは私も考えていたのだが、逆の可能性もあるだろう?」
「逆?」
「海賊の関係者が騎士団の中に入り込んでいる。」
カッツォは腕組みをしてうーんと唸った。海賊たちの話を思い出し、考える。しかし彼の頭の中は別の心配事に邪魔をされ上手くまとまらなかった。
(ラナ...。関係が及ばないといいけど...。)
「でも海賊たちは"仕事"についてよくわかってなかった様子だったよ。多分、直接何かあるとしてもお頭と一人、二人だけだったんじゃないかな。」
サビアナも何か知っているだろうと目星をつけていたが、カッツォは名前を出さなかった。
「クロムッシュ...捕らえる必要があるな。」
「クロムッシュ?」
「頭領の名前だろう?」
「クロマーレ君じゃなかった?」
「え?ミザリーがクロムッシュだと言っていただろう。」
「そうだっけ?」
「いやいや、クロマーシュだよ。」
「あ、そうだよ、クロマーシュ君だった。」
「クルマーシュ!」
イヴェットが大きな声を出したので、三人はしんと黙った。シュロは退屈そうに大きな口で欠伸をした。
「そうだ、ク"ル"マーシュだったなぁ。」
カッツォは照れ臭そうに頭を搔く。物覚えはいいと自負しているがミスサリアにつられてしまった。注目を浴びたイヴェットも恥ずかしがって言った。
「クルマーシュ・ファルトーソーさんだよね。」
「「「ファルトーソー!?」」」
三人が一斉に反応したので、イヴェットはまた自分が何か悪い事を言ったのだと思い、涙が出てきた。カッツォは驚いて、ハンドレッドは怖い顔をしていた。ミスサリアでさえも眉を潜めている。
「そう名乗ったのかい?」
「う、うん...。」
「何が問題だって言うのさ。」
困っているイヴェットを見兼ねてシュロが口を挟む。ハンドレッドは厳しくシュロを睨みつけた。
「...君たちは一体何者なんだ?南オルミスは元よりファムリアも北オルミスでも、ファルトーソーとの争いの歴史を知らぬ者はいるまい。」
シュロは、しばらくじっとハンドレッドを見つめたままだった。時折瞬きしながら、何秒かしてまた、長い舌を見せて「くわあぁ〜」と欠伸をした。
カッツォの腕にことんとイヴェットの頭がもたれかかった。緊張と疲れで眠ったのだろうかとカッツォは思い、抱き上げた身体をベッドに横たわらせる。
その様子を見届けた後、シュロは言った。
「何者かって?何者か、良いだろう。教えてあげるよ。でも僕は寛容にオルミスの王子、君が先に名乗る事を許すよ。」
「何?」
「記憶が戻った時に君が恥をかかなくてすむようにね。」
ハンドレッドは一層険しい顔をしたが、ふっと眉間に寄せた力を緩ませた。
「良いだろう、ミザリーとカッツォにも改めて名乗ろう。私は南オルミスの第三王子ハンドレッド・オルミスだ。」
ハンドレッドがシュロ、カッツォを見回し、最後にミスサリアを見て言った。
「それならボクもちゃんとしようかな。ボクはファムリアのエッカーナ・カフェトー。エッカーナ四世が正式な名前だけど、誰もそう呼ぶ人はいないよ。ミスサリアも本当の名前なんだよ!でもミザリーって呼ばれるのが一番好きなんだ。」
ミスサリアも同じようにして、カッツォを見て微笑んだ。カッツォは頭を掻きながら下を向いて、言った。
「俺はカッツォ・エサム。それ以上の何者でもないよ。」
カッツォはシュロを見た。シュロは満足そうに顔を斜め左上に伸ばしている。得体の知れぬ緊張感が漂っていた。
シュロは散々に勿体ぶった後で言った。
「僕は名乗れない。今、持っている名前はシュロ。犬のシュロだ。」
「何だよそれ、わざわざ改まる事無いじゃないか。」
カッツォが言うのに、シュロはため息をついた。
「まあ最後まで聞きなよ。僕は今、封印されている状態なんだ。"アンズィルの瞳"のおかげで僕は自分の性質を失っている。僕は精霊なんだ。魔法を使っていたから知っていただろうけど。」
ミスサリアとカッツォはお互いに顔を見合わせて、首を横に振った。
「...まあそれも仕方ないよ。精霊の名前は性質を表しているんだ。名前を失った僕をイヴェットが"シュロ"と呼んだ。自分自身を"イヴェット"と認識し、その為に"シュロ"を必要とした。だから僕は犬の姿に固定されてしまったのさ。」
「では彼女は一体...?」
ハンドレッドはすやすやと眠っているイヴェットを見る。彼女の疲れを労わる気持ちの他で、こんな時に眠っていられるなんて子どもは気苦労がなくて良いと羨ましくも思った。
「イヴェットが眠っているのは僕の魔法のせいさ。彼女の正体を彼女自身が知るのはまだ早い。」
「記憶喪失と言ってたよな。正体って...?」
「精霊王セレニアだよ。」
「セレ...ニア?」
ミスサリアの頭の中で、ずっと記憶を隠すように張られていた膜がガラスの割れたようにひび割れる音がした。
「イヴェットなんて少女は存在しないよ。仮の姿なんだ。」
「...しかしその姿は、レイドンの残した書にある精霊王の姿とはかけ離れている。」
(母の庭園の像とも...。)
驚きながらもハンドレッドがあっさりそれを受け入れたのはシュロにとって意外だったので、「へえ。」と感心して言った。
「君に封印魔法が効いていないとは思えないけど。」
「精霊については、数日前に調べていたんだ。」
シュロはハンドレッドが思い浮かべた彼の数日間の出来事について、読んだ。
「なるほど、文字ってやつを人間が書き残す事に努めた理由がわかったよ。封印後に知り直したと言うわけだね。
君の質問に答えると、"イヴェット"は正確に言えばセレニアの一部でしかない、切り離された一つの記憶なんだ。」
「記憶?」
「セレニアが人間だった頃の記憶さ。」
「え?精霊って、人間だったの!?」
ミスサリアが驚いて胸の精霊石に手を当てる。
「違うよ。精霊はともかく大精霊が何かって言うんなら、まあ、かいつまんで説明しようか。シュロの説明も出来るしね。
それには、"ひとつめの記憶"と"ふたつめの記憶"を話す必要がある、簡単にね。後は大精霊たちの戦いの話でもしてやっておくれよ。そのレイドンの書というやつの"序章"のはじまりに載っていたんだろう、ハンドレッド王子。」




