第1章 忘れられた存在 20
「お姉ちゃんが...!」
「お姉ちゃん?」
突然イヴェットが言ったので、サビアナは訝しげに聞き返した。
「......ユイお姉ちゃんが、...に、用があったんだった〜。じゃあねサビアナ!」
イヴェットはその場から逃げるように駆け出した。家の中で独り言を言うわけにも行かないので、サビアナから見えない木の裏側にうずくまる。
(またやっちゃった...!)
(何を恥ずかしがっているのさ。もうお別れなんだから別に良いじゃないか。)
(もう!シュロが急に話しかけるから!...どこにいるの?シュロ。)
頭の中の考え事に割り込んで来るシュロを、イヴェットはきょろきょろと探した。
(ここにおいで。)
と、海に小舟が浮いているひと気のない場所の映像をイヴェットに与える。
(お姉ちゃんがそこにいるの?)
(まだいないよ。コールイに意識を繋いだら、船に乗るところだとわかったんだ。)
コールイはミスサリアが持っている赤い石で、封印されている精霊だとシュロは言っていた。
(わかった。じゃあお別れを言って来るね。)
(君は一応、海賊に捕まってここにいるんだよ?さようなら、なんて言ってくれるはずが無いよ。)
(でもみんな良い人なのに。)
(君がクルマーシュの強引さに惹かれているのはわかるけどね、カッツォが兵士に捕まったり人を殺すことになっても良いのかい?彼は君に巻き込まれて海賊になっているんだよ。)
「!」
イヴェットは膝に埋めていた顔を上げた。
(それに、今行かなければこの入江の町は無くなるかも知れないよ?)
イヴェットの頭の中に何隻もの船が入江にやって来て、火の海で争いが起こっている映像が思い浮かんでいた。
(どうして...?)
(ミザリーが連れて来るものは、海賊の敵だからさ。ミザリーが探しているのは僕たちだ。僕たちがここにいれば、ミザリーは必ずこのアジトを暴き出すよ。どんなに無理って言ったって、彼女には出来るのさ。)
(魔法を使えば...。)
(そうだよ。)
(わかった、行くよ、シュロ。)
イヴェットは立ち上がり、海に続く坂を走り下りて行った。
「...イヴェット?」
彼女を探していたユイが窓の外を見て呟いた。
町中を歩くのは、夜にこの入江に着き家に連れて行かれて以来初めての事だった。窓から見ていた景色だけでは、シュロの示した場所が何処にあるのかわかったわけでは無い。しかしイヴェットの目はそこへの行き方を知っているかのように、道のどちらへ行けば良いかがわかるのだった。
海に出ると多くの海賊たちがうろうろしている。建物の陰に隠れて息を整えていると、
「イヴェット!」
声をかけられ、イヴェットの身体が飛び上がった。振り返ったイヴェットはすぐに笑顔になった。
「お兄ちゃん!」
「イヴェット、久しぶりだなぁ。」
肌は焼けて、手には包帯、薄汚れた顔をしたカッツォを見てイヴェットはとても驚いた。何不自由ない生活をしていたのは自分だけだったのだと気付き、生活に慣れ始めていたことを反省する。
「あのね、お姉ちゃんが...。」
「シュロに聞いたよ。気づかれる前に急ごう。その格好が目立つから...。」
カッツォは自分の頭からバンダナを取り、イヴェットの頭に巻こうとした。
「...良いかな?」
イヴェットが自分と違い、とても綺麗な髪をしているのでカッツォは躊躇して言った。服もきちんとしていて大切に扱われていたのがわかる。カッツォの家なんかよりも、イヴェットはここにいる方が良いのではないかと思われた。
「お兄ちゃん、早く!」
イヴェットはつま先で跳ねるようにして言った。
カッツォは急いでバンダナを巻くと、着ていた上着をイヴェットに羽織らせる。両肩が露わになったカッツォはほんの少し逞しくなったとイヴェットは思った。
海賊たちが船周りの仕事をしている中を駆け抜けて行く。二人を気に留めて声をかける者もあったが、見向きもせずにとにかく走った。
ここまで来た二人には、シュロの見せた場所は入江の一番端にある山の裏側の所だとわかった。
「おい、退け!」
「馬鹿!あっちだ、捕まえろ!」
後ろから乱暴な怒声が聞こえる。その声がサアブとエモーックのものだと、カッツォにはわかった。
この入江に来た者をおいそれと逃すはずが無い。七日前にここに来た時、海から洞窟を抜ける間にカッツォは悟っていた。南オルミスの領土の中、城からさほど離れない山の中に隠された海。誰かが口を割ればこの入江は終わりだ。女以外は連れて来ないのか、連れて来られた者が既にいなくなったのか、カッツォ以外の海賊はみんな入江で育ったらしかった。
「どこ行った!」
「カッツォ!」
カッツォは思わず振り返った。他の海賊たちを突き飛ばし、押しのけて追って来るサアブとエモーックの姿が見えた。
"大丈夫さ。そのまま走っておいで。"
シュロの声が聞こえる。
サアブとエモーックは大分近づいて来たように思ったが、言われるままにカッツォは走った。不安げに後ろを気にするイヴェットに手を差し出す。
「シュロ!」
頭の中で見た景色と同じ景色がそこにあった。誰もおらずシュロだけがいた。繋がれた小舟が一隻、波に軋んでいる。
「さあ、早く乗りなよ。」
シュロは息もつかせずに二人を舟に促した。揺れる足場によろけながら二人が舟に乗り込むとさっさとロープを外し、岩場から離れた舟にふわりと飛び乗った。シュロの重みで舟が傾く事も無かった。
「馬鹿め!今は満潮だ、洞窟は通れねえぞ!」
追いついて来たサアブが叫ぶ。
確かに海の向こうには壁のように山があり、水位が高く洞窟がどこにあるのかわからなかった。
反対側からは海賊たちが乗った小舟が追って出ていた。
「素人が舟で逃げられると思ったか!」
「イヴェット、カッツォ!諦めな!」
エモーックとサビアナの声が波と共に届く。誰も漕いでいないのに小舟は進んでいた。
「ごめんなさいサビアナ!」
イヴェットは舟から身を乗り出して叫んだ。
「私、何かしなきゃいけないんだって!それに、しまっておかれるのは嫌だから!ありがとう、サビアナ!」
シュロは円らな目を閉じた。シュロの意識は海の中に飛び込み、潜って行く。碧深い水中に、暗い洞窟の入り口を見つけた。
突然、水面がぐんぐんと下がって行く。
「何だ!?」
海賊たちは舟が落ちて行くような感覚に戸惑った。決められた日の干潮時にしか姿を見せない洞窟の入り口が、引き上げられた門のように現れて来る。
「今日は満潮じゃぁ...。」
「どうなってる!?」
カッツォとイヴェットたちの乗った舟は吸い込まれるように洞窟に入って行った。海賊たちが慌てて舟を漕ごうとするが、海中から水が湧いて出るように大きな波が上に上にと持ち上がり、いつの間にか元の水位に戻っていた。
「くそっ...!」
サビアナはわけがわからないまま、拳で舟を叩く。桟橋にシェラーゼとクルマーシュが立っているのが見えた。
「...俺の目は間違っていなかった。」
逃亡者たちの小舟がが消えた入江の海を見ながら、クルマーシュの口元に笑いがこみ上げた。
「船の準備をしろ!必ず連れ戻す!」
「お頭、見張りから信号が!」
「何?」
山の上でチカチカと不規則に光が点滅している。
「ふん、ベアトールか。随分タイミングの良い不思議だな。」
舟は追い出されるように洞窟から吐き出された。すぐに海面が上昇し、洞窟をすっかり覆い隠してしまう。大海からはただの山にしか見えない。
「今のはシュロがやったのかい?」
左右交互に傾く舟にしがみつきながらカッツォは感心してしまった。
「水をほんのちょっと動かしただけだよ。」
「海を動かすなんてすごい事じゃないか。ミザリーが苦労してる生気はどこから使ってるんだい?」
「どこって、普通は自分の生気を使うのさ。」
「あ!船が来た!本当に船が来たよ!」
気が付けば大きな赤い船体が小舟のすぐ近くまで来ていた。その船は城のように大きく、ぶつかれば大海に落ち葉のように漂う小舟など、ばらばらに壊れてしまうだろう。イヴェットは船が大きな口を開けてイヴェットたちをまるごと飲み込むのではないかと思った。
船体の中腹に扉が開いて、デッキに人が出て来る。そこから縄ばしごが降ろされ男が一人降りて来た。
「生きているか?...随分元気だな。君たちはイヴェットとシュロか?」
と、イヴェットとカッツォを見て言った。
「シュロはこっちで、俺はカッツォだ。」
「?」
男はカッツォの指差す足元を見ておかしな顔をした。男にはシュロの姿が目に留まっていなかった。海での経験から、恐らくシュロには事故があったのだろうと男は察し深く追求しなかった。
「自力で登れるか?そうだ、ゆっくり上がればいい。」
男は兵装をしていなかったが、首のスカーフに馬の紋章が付いていた。大きな船は噂に聞く南オルミスの誇り、ベアトール王子の"波駆馬号"であるとカッツォは気付いた。
船内に入ると、走り寄って来たのはミザリーだった。彼女はいつもの笑顔でカッツォの手を掴んだ。
「良かった!カッツォも無事で!」
「ああ、ミザリーも...。」
カッツォはミスサリアの顔を直視するのを避けた。どうやって南オルミスの船にミスサリアが乗ったのだろうと現実的な事を考えるのに努めた。非常用デッキに続く狭い階段の下に大柄の男たちがやたらと集まっている。すると、奥にいた小さな少年と目があった。
「ド...!」
言いかけて、知り合いだとバレるとまずいのではないかと咄嗟に思う。
「お姉ちゃん!」
「イヴェット、遅くなってごめんね!」
と二人が喜び合っているのをよそに、カッツォから目を逸らさずにいたハンドレッドが口を開いた。
「兄様、彼が私の友人の、カッツォ・エサムです。」
そう言って見上げる隣には背が高く体格の良い栗毛の髪をした男がいた。
「そうか。無事で良かったな。」
「はい!」
力強く答えると、ハンドレッドはカッツォの前にやって来た。カッツォは目の前に立った、どこからどう見ても南オルミスの王子と知れる装いをしたハンドレッドに目を見張る。
「心配したんだ、カッツォ。」
「そんな、俺なんかに恐れ多いです、ハンドレッド殿下。」
するとハンドレッドはひそひそ声をして、
「そう固くなるな。大丈夫だ、ベアトール兄様はアルフレッド兄様のように恐い厳しさは無いから。」
と言った。
その様子を見ていたベアトールも前に出て嬉しそうにカッツォに言った。
「フラネールで弟が世話になったそうだな。」
「いえ、まあ...。」
「良き友人を得てハンドレッドが喜んでいる。君の家はキヌートだろう。すぐに着いてしまうが、この船に乗る機会はそうそう無い。どうか船旅を楽しんでくれ。」
とベアトールは愛想良く微笑んだ。
「悪いが、少し休んだら海賊の話を聞かせて欲しい。」
「良いですよ。」
「では、後で部屋に伺おう。ハンドレッド、早く船室に案内してやれ。」
「はい!」
水兵たちはハンドレッドたちを残し、ベアトールに付いてぞろぞろと解散して行った。
カッツォはほっと気が抜けた。ハンドレッドはカッツォとイヴェットの格好を見て七日のうちに大層苦労したに違いないと、彼らを哀れんだ。




