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セレニアの国の物語  作者: さなか
精霊使いミスサリア
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第1章 忘れられた存在 19

「あ、お兄ちゃんだ...。」

二階の窓から海を眺めていたイヴェットが桟橋を指差す。

「どれどれ?」

ユイが横から覗き込む。おでこに手を当てて、眼下の光景を睨みつけるように眺めた。

「釣りしてるよ。私もやりたいな!」

「イヴェットは海育ち?」

赤い瞳の大きな目が興味津々とイヴェットを見つめる。イヴェットと最も年齢の近い十三歳のユイが、一番話しやすかった。ユイも二年前にこの入江に連れてこられた、クルマーシュの十三人の妻の内の一人だ。イヴェットが十四人目、という事だった。

「港町には住んでたけど。...パパの休日に車で湖に行ったんだよ。」

そうは言ったものの、イヴェットの頭の中にパパの顔は思い浮かんで来なかった。

ユイは父親の引く荷車に乗っているイヴェットを想像した。

「ユイは?」

「あたしは島!」

「島?」

「ルワリ島って知ってる?」

「知らない...。」

「北オルミスの近くにある小さな島よ。」

「北オルミス?」

「この海のずーっと向こう。」

ユイは浅黒い色をした指先を窓の外遠くに向ける。茶色の髪が風に揺れた。

「南オルミスとは違う国なの?」

「元々は北オルミスが、オルミスっていう一つの国だったの。南オルミスの人もファムリアの人もみんなそこに住んでいたの。」

「ふーん...じゃあ南オルミスよりもずっと大きいんだね。」

「ううん。北オルミスは小さいの、島よりは大きいけどね。こちらの大陸を巨大大陸(サルト=カティス)って呼んでるの。」

「小さいところにみんなが住んでいたの?」

「そうなの。不思議よねー。」

ユイは眠たそうにあくびをして言った。イヴェットもつられてあくびが出てしまう。まだ昼前だというのに退屈で仕方がない。シェラーゼが言うには、この家にいる女たちは何をするのも自由なのだそうだ。イヴェットに言わせると、何もすることがない。



サビアナが十四人分の食事を運んで来る。この町ではみんなで同じものを食べる。町のどこかに調理場があって、とても大きい鍋で料理をするのだ。

イヴェットが配膳を手伝おうとすると、サビアナは言うのだった。

「あんたはこんな事しなくていい。」


サビアナは天気の良い日に家の掃除をする。埃をはらって十四人分の布団を干す。

イヴェットが布団を持って行こうとすると、サビアナは言うのだった。

「こんな重いもの持つんじゃない。」


サビアナはやはり天気の良い日には、十四人分の洗濯をする。この町では洗濯場があって、とても大きいタライで洗濯をするのだ。でもこの家の女たちの服だけは、サビアナが特別にやっている。

イヴェットが洗濯物をロープに干そうと背伸びをすると、サビアナは言うのだった。

「手が荒れるような水仕事はするな。」


女たちの世話は何でもサビアナがやってくれる。夜にクルマーシュが来て「不便は無いか?」と聞かれるので、イヴェットは答えるのだった。

「はい、何も...。」




(学校がお休みの時、何をしてたっけ。少しはママの手伝いもしたけど...。)

イヴェットがカッツォを見ていると、金髪の女性が近づいて行くのが見えた。

「あれ、シェラーゼさんだよね。」

「そうだね。」

「シェラーゼさんはいつも家にいないよね。」

「シェラーゼさんは特別なの。どこかの孤児院の先生だったのをクルマーシュ様が連れて来たんだって。」

「孤児院...。」

「一番最初にここへ来た人なんだって、アジャールカが言ったよ。だからかな、シェラーゼさんとクルマーシュ様の雰囲気って、他の皆や私とは違っていて...。あ、ごめんね!イヴェットが正妻なのに何だか...!」

と、ユイは慌てて左右の手を振った。イヴェットが正妻だという話はここへ来た最初の夜にクルマーシュから聞いた。サビアナもユイもアジャールカもシェラーゼも他のみんなも"イヴェットが王妃になる女"と言って特別扱いをするけれど、イヴェットはまだピンときていなかった。

(お兄ちゃんが無事なら何でも良い。)という気持ちだけだった。

シェラーゼの事を話すユイを見て、イヴェットは気付いた。

「ユイってクルマーシュさんの事がすっごく好きなんだね。」

「うん!大好きだよ。」

ユイははにかんで、自信たっぷりに言った。しかし、すぐに大きな目を伏せる。

「...私ね、九人兄弟の六番目なの。クルマーシュ様の船がたまたまルワリ島に来た時、両親に捨てられた私を助けてくれたんだ。」

「捨てられたって...何で?」

「ルワリ島は海賊によく襲われていたのよ。ここの人たちと違う海賊が北オルミスにはいるの。クルマーシュ様たちを見て襲われると思った私の家族は、私を差し出して命乞いをしたの。クルマーシュ様は、"言われるまでも無くこの娘は俺のものにする"って言ったのよ!」

ユイは両頰に手を当てて、はあ、と溜息をついた。

「もう私の身も心もクルマーシュ様の物なのに、まだ私の所へは来てくれないの。」

「?一昨日、ユイと話していなかった?」

「そうじゃないの、夜の事よ。他のみんなは順番に...。」

「まだ早いわ、ユイ。」

くすくすと上品な笑い声が聞こえ、イヴェットが振り返るとシェラーゼが帰って来ていた。ユイは顔を真っ赤にして気まずそうに俯く。

「あなたの順番も、イヴェットにその話をするのも。」

「でも!もう十三人になったのだし...。」

「あなたたちは彼の未来。」

シェラーゼは優しくユイの頭を撫でた。

「私は、彼の過去。」

「過去...?」

「彼は欲しがりで、欲しいものは絶対に手に入れる。...未来の自分のものまでも、今出会っていると知ればすぐに手中に収めてしまう。とても才能のある人ね。そして手に入れたものは捨てようとしないわ。だから、どんどん彼の荷物は増えて行くのよ。」

イヴェットとユイは黙ってシェラーゼの話を聞いていた。

「でも、彼にはそれが必要なのよ。だって王様というのは南オルミスもファムリアも、たくさんの人と物を持っているものでしょう?あなたたちは未来の分の彼の荷物なの。その時が来るまで、大切にしまっておかれなければならないのよ。」

「シェラーゼさんも、クルマーシュさんの事が好きなんですね。」

イヴェットが言うとシェラーゼはとても美しい表情をして微笑んだ。

「ええ。彼は私に約束をしてくれたのよ。」

「約束?」

「そうよ。"俺の国に暮らせ"って、ね。」


シェラーゼが部屋に行ってしまった後、ユイは「はあ〜あ...」と大きく肩を落とした。

「未来...未来っていつなの...?」

ユイが落ち込んでいるのをどう慰めたら良いか、イヴェットにはわからなかった。

「シェラーゼさんはクルマーシュ様の事を何でもわかっているみたいでしょ。嫉妬しちゃうな。」

「でも、大切にしてるんだって言ってたよ。」

「そうね。その言葉を信じる事にする。」

ユイはそう言って頷いた。

しかしイヴェットは考えていた。

(しまっておく...クルマーシュさんが王様になる時まで、私はこの家で...何もせずにいるのかな...。十三歳のユイがまだ待っているんだったら、私が必要とされる日はいつになるんだろう...。)




気分の浮かないユイとごろごろしているとサビアナが家に戻って来て、家の裏手にまわって行った。洗濯した服を取り込みに行ったのだ。

しばらく経った後、イヴェットは立ち上がった。「どこ行くのー?」とユイが寝転がったまま言った。「サビアナのところ。」と、イヴェットは答えた。

「サビアナ!」

「何だ?」

「私も手伝う!手伝わせて!」

サビアナは小さく溜息をつく。

「言ったろ?あんたはこんな事しなくて良いって。」

そういう反応をされるのはわかっていた。イヴェットは今日は引き下がらないと、心に決めていた。

「何にもしないのなんて退屈だもん。」

「アジャールカのように体を磨いていたらどうだ。メリダみたいに髪を梳いたり。」

「でもこの町の奥さんだって、普通は働くものでしょ?」

「クルマーシュはただの男じゃない。今は海賊のお頭だが、いずれ世界の王になる。あんたはお妃だ、王妃ってのはこんな炊事洗濯をするもんじゃ無いんだろ?」

「クルマーシュさんも言ってたよね。世界の王ってどういう事なの?」

「南オルミスもファムリアも要らないんだ。何もかもぶっ壊してあいつが新しい世界を作んのさ。その為にあんたたちが要る。賢い女の子どもたちを賢く育ててあっちこっちの王様にする。あたしたち...この町の奴らは生まれついての馬鹿だから、国なんてとても支えきれない。」

「そんな事、出来るの?」

「あいつは頭が良い。力もある。クルマーシュが出来ると言った事が出来なかった事は無い。」

そう言うサビアナの表情は、とても誇らしげに見えた。

「...サビアナはクルマーシュさんの事が好きなんだね。」

「はぁ?」

「だってクルマーシュさんの夢を実現させるために、私たちの面倒を見てくれてるって事でしょ?十四人分のお洗濯なんてすごく大変なのに。」

サビアナは歯をむき出しにして捻くれた子どものような顔をした。

「はん、あたしらは頭に従うのは当たり前なんだ。あいつの女になるなんてクソくらえさ。」

「サビアナも言われたんだ!」

イヴェットは何だか嬉しかった。サビアナもこの家の女たちの仲間だったのだとわかり、ほっとしたような気持ちだった。

「っ...ち...!」

「どうして?サビアナもクルマーシュさんが好きなのに?」

サビアナは細い目でイヴェットを睨んでいるが、照れているのが隠しきれていなかった。観念したのか、サビアナは言った。

「あたしがあいつをどうだとかいう話はとにかくだな。...あたしはあいつの重い荷物を、持つ役目でいたいんだ。こんな馬鹿じゃ、あたしなんかじゃいずれ抱えきれなくなるのかも知れないけど。」

サビアナは馬鹿なんかじゃない、素敵な人だとイヴェットは思った。

(イヴェット、)

その時、今日はどこかへ行っていたはずのシュロの声がどこからともなく聞こえた。

(イヴェット、ミザリーが船に乗って来る。ここを出よう。)




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