第1章 忘れられた存在 18
「ハンドレッド殿下、さっきは海賊かなんて言っちまいまして...おまけにあんな汚い寝所に、こんな粗末な食いもんをお出ししちまった!ああ、俺はもうだめだ!」
青ざめっぱなしの屋台の店主は、ベアトールと騎士たちが去ると地面に平伏して言った。ハンドレッドは呆れて、溜息を吐く。
「もう許すと言ったろう。オルミスの王族は民にどんな人間だと思われているんだ。」
「ドレ君ってハンドレッドの"ドレ"だったんだね!」
ミスサリアは何故か嬉しそうに言った。
「黙っていて悪かった。王子だと知れれば自由に行動できなくなると思ったんだ。」
「南オルミスってそうなんだね。大変だなぁ。」
ハンドレッドの落ち込みをよそに、ミスサリアは全く気にしていない様子でいた。
「殿下と親しい仲ってんじゃあ、ミザリーもミザリー様と呼ばなきゃならねぇですね。」
「あはは!ミザリーで良いよ!」
ミスサリアがファムリアの姫だという事をまだスライは知らないようだったので、もし何かの拍子で知った時この男はどうなってしまうんだろうとハンドレッドは思った。
「スライ、さっきは口から出まかせだったが、これからも協力を頼みたい。」
「もちろんです。どんな事でも協力致します、エスト・ハンドレッド!」
「...エストはやめてくれ。」
それは古語で"偉大なる我らの王"というような意味だ。昔、オルミスで王族に忠誠を誓っている意を表する為に使われていた言葉だった。男性の王族にエスト、女性の王族にはセアラを冠していた。今の時代では大袈裟に王族を褒めちぎるような、時として陰口にも使われている。
「何故スライが私を海賊かと聞いたのかを知りたいんだ。見覚えがあると言ったのは王子としての、私自身のことか?」
「...思い返せばアルフレッド殿下の面影です。私はハンドレッド殿下のお顔を見たのは初めてです。」
「なるほどな。」
「先日現れた海賊は、前日に俺の店にやって来た男と同じ奴でした。長い黒髪の男でした。"世界中のバナナをお前にやろう、一緒に来い。"と俺に言ったのです。」
「ああ...。」
ハンドレッドは先ほど自分が「国中のバナナをやっても良い。」と言った事を思い出した。
「それって、クロ君?」
ミスサリアは首を傾げた。
「えーと、クロ...クロ...クロムッシュ君だったかなー。」
「海賊クロムッシュか...。ミザリーも会ったのか?」
「うん。"明日も港に来い。お前たちは俺のものだ"って言ってたよ。」
「なっ...!?」
ハンドレッドは険しい表情になって叫んだ。
「ボクたち、クロ君に会いに港へ行ったんだ。」
「海賊に?」
「海賊とは言ってなかったよ。その日は船も無かったし。」
「...前日に船も無くどうやってこの町に来たんだ?」
思い返してみれば、火事も海とは反対側の家から起こっている。
「子どもたちが降ろされた浜辺じゃないかな?」
「先に何人か上陸していたのか。下調べまでされていたとは...。」
南オルミスの海はベアトールの手中、すべての港はベアトールを出迎え見送る為の門だ。ハンドレッドは兄への侮辱を自分の事のように憤った。
「イヴェットとシュロの特徴を教えてくれ。必ず助け出してくる。...私にはまだ力が足らずとも、ベアトール兄様に出来ない事はないんだ。」
「えー、ボクも行くよ!ドレ君の力になるって約束したじゃない!」
「相手にしている海賊は危険だ。ミザリーはカッツォの所に戻るんだ。この辺りに家があるんだろう?手紙に書いてあった。」
「それが、カッツォがいないんだよ。ドレ君が寝てる間に行ってみたんだけど。」
「なっ...カッツォも海賊に襲われた時、港にいたのか?」
「うん。途中まで一緒に居たよ。イヴェットとシュロも一緒に来てたんだ。」
「それでイヴェットとシュロは海賊船に乗っていたんだろう?」
「あ、もしかしてカッツォも海賊に?」
「だが牢の中にはいなかった...まさか...。」
ハンドレッドの顔が暗く曇るのを見て、スライが言った。
「港の犠牲者の中にカッツォはいませんでしたよ。俺は奴をガキの頃から知ってます。次の日に葬儀がありましたが、引退した兵士や船乗りと、火をつけられた家の夫妻でした。」
「そうか。」
ハンドレッドはホッとするも、表情は浮かないままだった。南オルミスの民が犠牲となったのは変わらない。顔を知らない者も友人も等しく私たちの国の民なのよ、と言ったマリージアの教えを思い出していた。
カッツォは揺れる海面を見つめていた。
小さな木片が浮いたり沈んだりしている所に糸が垂れている。木片がピクリと動く度に竿を持ち上げてみるが、糸の先には何もついていなかった。
「だから、お前ぇは我慢が足らねぇんだ。もっとじーっと待って、ウキが沈むのを待つんだって。」
サアブは焦ったそうに言う。
「沈んだように見えたんだけどなぁ。釣りって難しいんだな。」
カッツォはもう一度竿を振った。サアブの向こうのエモーックのカゴには、もう何匹もの色とりどりの魚が入っている。
「凄いなぁ、エモーックは。」
「こいつは馬鹿だけど釣りは上手い。」
サアブのカゴは五匹だ。カッツォの空っぽのカゴはともかく、サアブにもエモーックは大差をつけている。
「静かにしろ、お前たち。」
エモーックはいつになく真剣な声で言った。
「魚にも考える頭があんだ。ここが人間が釣る所だってのはわかってる。食いもんぶら下げてりゃのこのこ食いにくると思っていたら大間違いだ。魚だって一度っきりの命を生きてる。自分の命の灯火を守るか消すかってぇ時だ。」
「こいつは難しく物を言う馬鹿なんだよ。」
サアブは「へっ」と吐き捨てた。 エモーックはしみじみと続ける。
「簡単に獲れる虫の命を犠牲に魚を捕ろうなんて、釣りを最初に思いついた人間は残忍で強欲な野郎だ。」
「エモーックこそ、釣りをしながらそんな事を考えるなんて面白いなぁ。虫や魚が可哀想だって思うのかい?こんなにたくさん釣りながら。」
エモーックはフサフサの毛の中の小さな目を丸くして、カッツォを見つめた。その中の小さな黒い瞳を上下左右に順に動かしながらエモーックは言った。
「...魚が捕れなきゃ食いもんがない...ずっと食いもんがなきゃ俺が死ぬ...。釣りは俺が生きるために必死んなってるって事か?」
「なに訳わかんねぇ事言ってんだ。」
「誰かが魚を餌に俺を釣ろうとするかも知んねぇな。」
「はぁ?」
「俺ぁカッツォに答えてんだ。邪魔すんなサアブの間抜け。」
「何だと!」
ここへ来てからカッツォの仕事は、畑仕事をしたり山で採った果実で酒を仕込んだりする事だった。今日はといえば釣りをしている。彼らが言うには、海賊行為ーー"仕事"は滅多にないらしい。さすがに人を殺せと命じられた時にはどうしようかと考えていたカッツォは一安心していた。
小さな入江でよくもこれだけの自給自足をしているものだ。カッツォは聞いてみた。
「なぁ、ここはいいところだ。何でわざわざ危険を冒して海賊をやってるんだい?」
まだ喧嘩を続けていたサアブとエモーックは顔を見合わせて、
「ここは海賊の入江だ。」
「そうだ。」
と、口々に言った。
「普通に暮らしているだけじゃないか。みんなよく働くし、秩序もある。口は悪いけど。」
「へぇ、へ、へ。そりゃお頭がそうしろって言ったからだ。」
「シェラーゼに教わったからな。」
「シェラーゼ?」
「お頭が最初に連れて来た女だ。」
「そうだな、親父は先代のお頭でだいぶ変わったって言ったぜ。昔は荒んだ町だった。南オルミスに行っちゃぁ、食いもんをたっぷりと略奪して来なきゃならなかった。」
「へえ...。」
「親父も爺さんも海賊だった。だから俺たちは海賊だ。そういうこった。」
「お頭が"仕事だ"と言ったら"仕事"が始まんだ。そんだけだ。」
エモーックはカッツォの横に移動して来て、釣り糸を垂らしては魚を釣り上げる。自分の所には魚がいないと思っていたカッツォは呆然とその様子を見ていた。
「カッツォはお頭に似てる。」
エモーックが言うのに、サアブは怒った顔をした。
「お頭は立派な人だ。」
「そうとも。ガキの頃から"それは何故か、考える頭を持て"ってよく言ってたよなぁ。俺ぁそれを聞いてから物を考えるようになったんだぁ。」
「へっ。お前が馬鹿んなったのはお頭のせいだってのか!?」
エモーックはサアブを無視する。
「カッツォと話すのは楽しい。俺が生きている事に何でか、どうしてかって理由を尋ねてくる。俺が自分に聞き忘れてる事を掘り起こされてるみてぇだ。」
「俺もエモーックの話を聞くのは面白いよ。」
カッツォが言うと、ちぇ、とサアブは不貞腐れて釣りに戻った。ふと見るとカッツォのウキがぴょこぴょこと動いている。
「ほら、引いてるぜカッツォ。」
「ん?」
「竿だ竿!持ち上げろ!」
サアブとエモーックに言われてカッツォは慌てて立ち上がるが、しなる竿は重く言う事を聞かない。
「こりゃぁデカイだな。」
「デカイ!?」
「とにかく海から引きずり出せ!」
これがエモーックの言う魚の命乞いか、とカッツォが釣り竿を握り直して踏ん張ると、魚が海面に出た途端に重さはなくなりカッツォは尻もちをついた。空中を飛んで手元にやって来たのは手のひらよりも小さなほんの小魚だった。
「あれ?」
こんな小魚では食べても一口で終わり、空腹は満たせそうにない。
「こいつは小さいなりして泳ぐ力が強いんだ。横のヒレがデカイだろ。」
「へー。」
エモーックがナイフを取り出して、カッツォの手の上で苦しそうに口を開けている小魚のエラを切った。
「釣れた?」
カッツォの背後から覗き込むようにして、女性の声が言った。懐かしいような暖かいような香りがして、カッツォは驚いてナイフを手に刺してしまった。
「うわっ、痛...。」
反射的にナイフを落とす。
「あら、ごめんなさい!」
女性は屈みこむと、カッツォの手の平を両手に取って広げた。血は出たものの傷は浅く、痛みが続くようなものでは無かった。
「魚を切っていたナイフね。雑菌が入ると危険だわ。少し待っていて!」
と、白のスカートの裾を持ち上げて走って行ってしまった。カッツォは彼女のまとめた美しい金髪だけが印象に残り、顔はまともに見られなかった。
「俺も怪我をしよう。」
エモーックが言った。
「この馬鹿、たまには良いことを思いつくじゃねぇか。」
と、サアブも言った。二人はお互いの左手の指先をつかみ合って、「せーの」とナイフを突き刺した。
「!!!」
「馬鹿、やり過ぎだ!」
「そっちがだこの間抜けが!」
血を流しながら二人が殴り合っていると、シェラーゼが戻って来た。真水の入ったバケツをカッツォの横に置くと、布を濡らして絞り、呆然としているカッツォの傷を優しく水で拭いた。
「シェラーゼ、俺も怪我をした。」
「俺もだ。見てくれ。」
二人は横に並んで左手を差し出す。
「サアブ、エモーック。また自分で、わざと怪我をしたんでしょう。」
シェラーゼの厚い唇がきゅっと引き締まる。怒っているのだろうが、それがまた見惚れるほどに愛らしかった。
「まただったか?」
「覚えてねぇ。」
「いつもいつも、でしょう。」
雰囲気はエルレチカに似ているところがあるとカッツォは思った。シェラーゼと呼ばれた彼女は、エルレチカよりも歳上のようだった。
彼女はカッツォの手の平に包帯を巻いて、「これで良し。」と立ち上がる。真っ白なスカートの膝をついていた部分が汚れてしまっていた。
「あなたたちは自分でなさい。ちゃんと清潔にね。」
シェラーゼはバケツを置いて立ち去った。
「この、お前ぇが馬鹿な事言うから痛い目見損じゃねぇか。」
サアブがエモーックの頭を殴りながら言った。
「今の人がシェラーゼ...。」
後ろ姿が見えなくなるまで、カッツォの目は彼女の姿を追い続けていた。
「先生だ。」
「先生?」
「俺たちに文字や言葉を教えたんだ。俺たちの馬鹿をなんとかする為にお頭が連れて来た。」
「へえ、へ、へ、おかげで俺たちはみーんな馬鹿になっちまったなぁ!」
「そうだ、シェラーゼのせいだ!」
エモーックとサアブはゲラゲラと笑った。




