第1章 忘れられた存在 15
「うるせぇぞ!静かにしろ!」
小舟を漕いでいる海賊は、鳴き声をあげる子どもたちを怒鳴りつけた。
ミスサリアとハンドレッドは、少し離れたところを泳いで後を追った。
「どうやって助けようかな?」
「...てっきり、途中で海に放り出すものかと。こんなに船から離れるとは思わなかった。もしかしたら本当に陸地に帰されるかもしれないな。」
「でも港からも随分離れているよ。この辺りには何があるの?」
「何もないんだ。グラスゴートヘ向かう街道が近くにはあるけど、海沿いは険しい山道になっているから迂回されている。」
「...じゃあ、もうすぐ夜になるのにこんなところに置いていかれたら子どもたちは大変だね。」
「そうだな。」
海賊は時折、小舟に立ち上がって旗のように棒についた汚れたボロ布を振り回している。
「またやってるね。」
「...合図をしているようだな。」
しかし、そろそろ陸に上がりたいとハンドレッドは思っていた。自由に泳げ呼吸を奪われることもないが、すっかり身体が冷たくなり全身が震えるようになってきていた。
「あの海賊を眠らせちゃおうか?」
「待ってくれ、あそこで何か...。」
ハンドレッドは浜辺でちらちらと動く物を指差した。夕日に影となりよく見えないが、小舟はそこへ向かっている。
距離を取ったまま先回りして浜辺に近づいて見ると、人が二人と馬が立っていた。鎧を着た男の横で、海賊が白い旗を振っている。
「兵士...?」
捕らえられたのか、とハンドレッドは思った。兵士は分厚い鎧に顔を覆い隠す大きな兜、背よりも長い槍を持っている。
(あれは堅牢の...?!)
ミスサリアが姿を見えなくする魔法をかけ、二人は浜辺に上がった。
「ハックショーォ!!」
大きなくしゃみに、馬が首を振るのでハンドレッドは気を揉んだ。くしゃみをしたのは、何故かびしょ濡れでいる海賊の男だった。
小舟が浜辺に滑るようにつき、子どもたちが降ろされる。うとうとしている子を起こして連れて来る少女や、まだ鼻をすすっている少女、浜辺にいる二人と馬を見て警戒している少女たちが兵士の前に並べられた。
「よくもまあ、集めたものだ。皆、港の子らか。」
「へえ。」
兵士は少女たちの前に屈みこんで、言った。
「もう大丈夫だ。私が捕らえた悪い海賊と引き換えに、君たちは救い出された。一緒にキヌートへ帰ろう。」
少女たちは安心した顔をして、或いはぱっと笑顔になって、隣の友人と手を取り合った。
「もう港で悪さをするんじゃあないぞ。さっさと行け。」
びしょ濡れの海賊が乗り込むと、小舟は浜辺を離れて行く。
「良かったね。城下にいた兵士でしょ?」
こちらも歩き出した集団を見ながら、ミスサリアが小声で囁いた。唇が触れそうな距離で息が耳にかかり、ハンドレッドは顔を赤くする。
「...っでも、何か変だ。」
上ずった声を咳払いで整える。
「変?」
「交渉があったにしても...。」
二人は街道を港町へと歩いて行く、兵士と少女たちを追った。ミスサリアは透明の魔法を解いて、自分とハンドレッドの服を乾かした。すっかり日が暮れた港の兵士たちの篝火が点在しているのが見えた。
「そういえば、ドレ君はどうして港にいたの?」
欠伸をひとつした後、ミスサリアが話しかける。
「君たちに合流しようと思っていたんだ。カッツォに手紙をもらって、オーネット領を何とかするつもりだということを知ったんだ。」
「そうなの?」
と、ミスサリアが驚くのでハンドレッドは困惑した。
「え?...そうじゃなかったのか?」
「んー、カッツォがそう書いたんならそうなんじゃないかな。ボクは聞いてなかったけど。」
「...と...とにかく、オーネット領に関しては私が任を負っているところなんだ。解決の糸口を掴めそうならば、私も同行したいと思ったので港へ来たんだよ。」
「ふうん。じゃあきっと一緒に旅が出来るって事だね!嬉しいなぁ。」
「あ、ああ。私ももう少しカッツォと、ミザリーの事を、知りたいと...思っていたんだ...。」
ハンドレッドは明後日の方向に視線を逃がし頬を掻く。
「カッツォも喜ぶよ!港にいるかな、家に帰っているかな。イヴェットとシュロはまだ船かな。二人を紹介したいな!とっても可愛いんだよ。」
「楽しみだな。...だけど、あの兵士を少し調べたいんだ。ミザリーは先にカッツォのところへ戻ってくれ。」
「えー、ボクも行くよ。せっかくドレ君と会えたんだからね。」
港町がもうすぐそこに見えている。兵士に宥められていた親たちが、駆け出す少女たちの列を見つけ騒めいていた。
クルマーシュは小さな子どものようだ、と船長室にいるイヴェットは思った。船長室はおもちゃ箱のように何でもかんでもあった。熊の敷き皮に、大きな魚の牙。黄金の首飾りや宝石の数々、綺麗な布に様々な刀剣。飾られもせず絵画が何枚も立て掛けられていて、ずぼらなのか服の上着などがそれに掛けられている。部屋はワインに似た酒の香りがして、イヴェットは唯一空間が空いている柔らかいソファに座り、肌触りの良い布に身体を沈めていた。
「随分、散らかった部屋だ。」
シュロが言った。シュロはイヴェットの目に普通に映っている。割と大きい犬なのに、イヴェットの横にくっついていても誰も何も言わなかった。
それを聞いてみると、「意識をそらしているんだ。」と、シュロは説明する。「僕が見えてるのにみんな気づいていないんだよ。」
イヴェットには魔法の仕組みがさっぱりわからなかったが、シュロが魔法を使える事が嬉しく誇らしかった。
「お姉ちゃんはどこに行ったのかな?」
「...もう、この船にはいないよ。」
イヴェットは起き上がった。
「お兄ちゃんは?」
「...外に出てみなよ。」
シュロに促されて、イヴェットは船長室から出た。クルマーシュはイヴェットが船で自由に行動する事を許している。
海が輝いている。真っ暗な水面に反射する白い光の道だった。丸い月は船の進行方向の後ろにあった。前には大きな黒い闇の塊があったので、イヴェットは驚いた。山の海に面する岩壁の一箇所が洞窟になっている。
「イヴェット!」
月明かりに照らされている洞窟を不思議な気持ちで眺めていると、嬉しそうな声が聞こえた。
「お兄ちゃん!」
イヴェットはカッツォに駆け寄った。
「無事だったんだなぁ、良かった。」
「お兄ちゃんは?大丈夫だった?」
「まぁね。」
カッツォは鳩尾をさすりながら、苦笑いした。
「...あれ、服が。」
「ああ、海賊の仲間になれって言われてさ。」
「ええ!?」
「こうなったら仕方がないよ。俺はついでみたいだけど、お頭が何故イヴェットを連れてきたのか知ってるかい?」
「!」
思わずイヴェットは視線を逸らした。
(「俺の女になれ」ってなんて言えない...!)
やましい事ーー小さな頃に男の子が頬にキスをしてきたのを両親に言えなかった日のように、カッツォに知られてはいけないと感じた。
(そうだよ、それにクルマーシュさんはずっと歳上の人なのに!)
カッツォに怒られるんじゃないかとイヴェットは思っていた。それを期待するでもなく、予想して怯えるでもなく、絶対の当たり前の事のように。
(どうしてさ。カッツォは君の父親でも母親でもないのに。)
頭の中でシュロの声がした。
(そうだけど!.........そう、だよね...。)
イヴェットは、カッツォを見上げた。
「?」
「あの...、わかんない...。」
「そうか。でもあいつ...お頭は、イヴェットに危害を加える気はないみたいだ。無事に帰るためには、様子を見よう。ミザリーはシュロと一緒だったから大丈夫だろうし。」
「あ、シュロは...。」
そう言えばカッツォもシュロがいると分かっていない事にようやく気がついた。
(今は言わないでおこう。カッツォが迷わない方が良いと思うよ。)
「うん...。」
「見なよ、イヴェット...!」
カッツォは、洞窟にひらけた出口に気を取られていた。空が見える、四方を山に囲まれた入江だった。何艘か大きな船が停泊している、広くない陸地と海に浮かぶ建物に迎え火の灯る小さな町だった。
カッツォはエモーックに呼ばれて仕事に行った。どこからかクルマーシュがやって来て、イヴェットの隣に立った。カッツォとの会話を聞かれていたのだろうかとイヴェットは訝った。
「海賊の入江にようこそ。」
船着場に人影が集まってくる。
「ここは...クルマーシュさんたちの町?」
「そうだ。」
船は錨を下ろし、ロープで桟橋に繋ぎとめられた。梯子ではなく板が渡され、クルマーシュはイヴェットの手を取って船から降ろした。
「...また小さいのを連れて来たねぇ!」
降りた先で出迎えた、海賊と同じ出で立ちをした人物が女性の声で叫んだので、イヴェットはびっくりしてしまった。
「クルマーシュ...そのうち赤ん坊まで連れて来やしないだろうね!」
細い目の海賊の女は、腰を折ってイヴェットの顔をじろじろと見た。
「見ない顔立ちで。一体どっから連れて来たのさ。」
「勿論、キヌート港だ。サビアナ、女たちの家に案内してやれ。どの女よりも丁重に。」
「なっ...じゃあこのガキが!?」
「騒々しくて悪いがイヴェット...この女はサビアナ・ザンビーザ、サアブの妹だ。」
彼女はジロリとクルマーシュを睨んだ。
「サビアナがお前の面倒を見る。これでも面倒見のいい奴だ。」
「はん...与えられた仕事をするだけさ。来な!」
速足で歩いて行くサビアナにイヴェットは追いつくのがやっとだった。
「名前何だっけ?」
小走りになっているイヴェットに、サビアナは言った。さっきとは声色が違い、優しそうにさえ感じる表情にイヴェットは驚いた。
「イヴェット...。」
「歳は?」
「九...十?」
「はーっ...あんたも災難だね。そんな頃から人生決められちまってさ。ま、悪い奴じゃないし悪いとこじゃないよ、ここは。他所を知ってりゃどうかわからないけど。」
「サビアナさんとクルマーシュさんは...?」
「二十年前にこの入江に生まれてごっちゃに育てられたのさ。生まれた時から海賊、ま、あいつは頭領だけど。」
イヴェットは大きな木の家に案内された。屋敷と言うほどではない、集合住宅というわけではない、ただただ周りよりも大きな家だ。船長室と似たように、様々な模様の敷布が敷かれ、絹が壁に掛けられていた。
「おかえりサビアナ。旦那様は?」
家の中にいたのは、とても美人の女性だった。女優のように綺麗だとイヴェットは見惚れてしまった。すらりと背が高く服装も大人っぽくて膨よかな唇をしていた。
「もうじき来るだろうさ。」
「特別な子を連れて来るって言っていたわ。」
「ああ。この子だよ、イヴェットだ。イヴェット、彼女はシェラーゼ。わからない事はシェラーゼに聞きな。」
「は、はい...。」
シェラーゼに見つめられると緊張してしまう。
「まあ。」
シェラーゼは、イヴェットを見て驚いていた。イヴェットは自分の何かが悪いだろうかと、不安になった。
「可愛いわ。そう、貴女がそう、彼に選ばれたのね。」
「え?」
奥の部屋から乱暴な足音がして、シェラーゼとは雰囲気の違う女性が現れた。
「クルマーシュ様!?」
「もう、ユイ、寝起きで暴れないでよ。」
また別の女性が顔を出す。
「何だ、いないじゃん。」
上から更に違う声が聞こえた。
「そうよ。サビアナでしょ。」
「ねえー、新しい子来た?」
「いるわよ、あそこ。」
「げ!子どもじゃん!」
「あんただって似たようなものよ、私にしてみれば。」
「早く帰って来ないかなぁ。」
金髪、赤毛、黒髪、鳶色、赤い目、青い目、緑の目、太ったのに細いの、背が高いの低いの、ぞろぞろと大勢の女性ばかりが集まって来る。その皆が皆、イヴェットの事を見ていた。
「あの...。」
「ん?」
イヴェットは後退り、サビアナの背後に隠れる様にした。
「この人たちは?」
「全部クルマーシュの妻だ。」
「ええ?」
(一夫多妻の国だったんだ...!)
イヴェットは顔を真っ赤にして俯いた。文化の違う国がある事を知っているつもりだが、何だか自分がクルマーシュの言った事をとても勘違いしていたように思えて恥ずかしくなった。
シェラーゼもにこにこと微笑んでいる。
「じゃあ、後はよろしく頼むぜ。何かあったら呼びなよ。」
「え、サビアナさんは?」
「あたしはあいつの女なんかじゃない。」
と、何故か怒った様に言って、サビアナは女たちの家を出て行った。




