第1章 忘れられた存在 10
《やあドレ、元気か?
俺とミザリーは、キヌート港にいる。俺の家があるんだ。》
ピークが、書き上がるのが待ち切れないように机の上を飛び跳ねる。カッツォはハンドレッドに手紙を書いていた。彼の家は港町の外れの外れにあり、森の中にひっそりと隠れている。しばらくカッツォは家に帰っていなかったので、床も窓も埃を被っていた。
「ねえお兄ちゃん。」
「...ん?」
「掃除機無いかな?洗濯機とか。」
イヴェットはここに来てからずっと掃除をしてくれているが、大体わけのわからない事を言っている。港町でよく見る同じ年頃の女の子が普通着ているような服に着替えさせたからか、イヴェットの異質さはだいぶ紛れた。
「掃除機って言うからには掃除をする機械って事かい?...洗濯機も?」
「そうだよー。ガーガーって吸い込んでゴウンゴウンって洗ってくれるんだよ。あ!そっか。やっぱり、電気が通ってないって事なんだよね。」
ただの白布を三角巾にエプロンであるかのように身に付けたイヴェットは、文句を言ったり一人で納得したりと忙しく雑巾をかけていた。カッツォにしてみれば家中がもう十分に綺麗になっているのに、イヴェットにはまったく清潔とは言い難い状態らしく掃除を止めようとしない。
「はぁ...お腹空いたな。缶詰じゃない暖かいお料理ってすっごく美味しいよね。」
イヴェットはうっとりと頬を緩ませる。
「昼飯にしようか。ミザリーとシュロは終わったかなぁ。」
カッツォは椅子に座ったまま、背伸びをして言った。
《城下でイヴェットという女の子とシュロに出会った。シュロっていうのは犬だ。フサフサの毛並みをした足と首の短い小さな馬のような動物で、しかも喋るんだ。俺も犬は初めて見たが、喋る動物ってのも初めてだ。》
カッツォとイヴェットは森の中に入っていった。木がまばらに立つ明るい森の中の、湖の辺りに彼女と一匹はいた。そこがお気に入りの場所なのか、彼女たちはいつもそこにいる。
《ミザリーは訓練を受けてる。
ドレ、信じられるか?この世界には精霊という不思議な力があって、それが今は封印されているんだってシュロは言うんだ。オーネット領がああなったのは精霊の仕業らしい。
何とミザリーがその精霊の力を使えるんだ。ドレが彼女に渡した石、あれが精霊だったんだよ。だけど彼女は他を顧みない...城下でその力、魔法を使った時には、周りの人間がばたばた倒れて大変だった。力を使うのに生き物の生気ってのが必要で、足りない分を他人から吸収してしまったんだってさ。俺も十日ほど寝込んだんだよ。》
「もっと周囲の事にも意識を向けるんだ。願いを強く意識して。君は無意識に自分の身は守るけど、他人はおざなりになってる。
...そう、ほら!見なよ、そこの虫が落ちてきただろ。生気は借りるくらいにしておかなくちゃ、殺してしまったら増やす事は出来ないんだから。」
いつものようにシュロが口煩くミスサリアを教えていた。ミスサリアはケロっとした顔をして湖の水面を見つめている。
「やあ、シュロ。調子はどうだい。」
そう近づこうとしたカッツォの前に、シュロが立ちはだかる。
「まだ危険だよ。また倒れたくなければ離れておいでよ。」
「そろそろ飯にしないか?」
「...僕はいらないんだけどね。いいよ。これでやめる事にする。」
シュロは、湖の方を振り向いた。
ミスサリアの見る水面が盛り上がり、水の塊が丸く浮き上がる。
「確かにあの子は凄い才能だよ。あんな事がすんなり出来るんだからね。」
「ああ、すごいよ!何で水が宙に浮くんだ!?あれは、何をしてるんだい?」
「どうでも良いことをしているのさ。」
シュロは言った。
「生気を消費して結果を起こす、これはミザリーがやってるんじゃなく精霊の力である魔法なんだ。
でも精霊は、普通はね、何かをしたいなんて思っちゃいない。欲求は、生気を吸いたいってくらいかな。生気は精霊の食べ物だからね。それで他生物の願いを叶える事を自分たちの行動理由にしている。
例えば怪我をしている人間がいるとするだろ。「痛い」とか「何で」という思考もあるけど、そういうことは精霊はわからない。「治したい」、「元に戻したい」、そういう想いが伝われば精霊は叶えようとするよ。そういう時に魔法が起こるのさ。
自分の願いなら強く想うのは簡単だと思うけど、「でもそんな奇跡起こるわけ無い」...とか君たちは頭の中でごちゃごちゃ考えるから、精霊は何が願いなのかわからなくなる。だから魔法が起こることは滅多に無い。わかるかい?」
「何となく...。」
「それでだ。彼女は今、湖上に水の球を作りたいと思っているわけだけど、あれは僕に言われてやってるんだよね。
カッツォに出来るかい?何の意味もなく、どうでも良い事、何故やらされるのかもわからない事を疑問すら浮かべず、一心不乱に願えると思う?
他人の願いを正確に理解して淀みなく精霊に伝えて魔法を起こさせている、...これだけでもまあ十分なんだけどね。」
「何だかずいぶん難しい事をやってるんだなぁ...。」
カッツォの目にミスサリアは、思いつきで行動する、特に何も考えていないようないつものミスサリアに見えた。
「彼女には簡単なのさ。君には難しいだろうね。君の持つ願いのように条件が多い事柄は想いを複雑にして...。」
シュロはカッツォに言いながら突然、地面にどっかりと身体を伏せた。
「うーん、まあいいか。」
と、呟く。
「どうしたの?」
イヴェットが聞くと、シュロは大きく口を開けて欠伸をした。
「ミザリーが精霊に僕の生気を使わせたんだ。この場の何も犠牲に出来ないなら、手段の一つとしては良い判断ではあるかな。
ミザリーは魔法を簡単に使うけど、生気も簡単に消費してるんだよ。精霊自身が魔法を使う時はまず自分が蓄えた生気を使う。足りなければ周りの生気をその場で吸う。
精霊は一番近くに居るミザリーを使おうとするんだけど、彼女は自分の生気を消費する事を無意識に拒否してるんだ。魔法を使うと同時にね。これが出来なきゃ願いを叶えたって、自分が動けなくなって終わりさ。
だから周りの何かから生気を奪う必要がある。ミザリーの問題は、その"周りの何か"が何だって良いし、願いを叶えるために周りがどうなったって良いって事なんだ。だからこないだの町のようになる。だから簡単に精霊が使えるとも、言えるけど。」
「...ミザリーは他人の願いを叶えられるってさっき言ったよなぁ。なのに、他人がどうなっても良いと思ってるって?」
「そうだよ。まあ、彼女が困っている人を助けたいとかよくわからない性質を持っていて助かったよね。そういう信条が無かったら彼女の為に世界はとっくに滅んでいたかもしれないよ。"アレ"なんかよりよっぽど酷かったかもしれないね。」
「ねえ、私も魔法を使えるようになれるかな。そしたらお掃除も楽々だよね!」
イヴェットはシュロの毛並みを撫でながら言った。
「そうだね...。」
シュロは心地好さそうに、眼を閉じた。
家に戻って来て三人は料理を始めた。カッツォもミザリーも料理は得意で手際良くこなしていくのをイヴェットが手伝う。イヴェットも料理が出来ると言い張るのだが、この辺りの食材を全く知らないようで扱い方もわかっていなかった。「ポターティスとオーストがあれば何だって出来るのに!」と初めのうちは残念がっていたが、南オルミス料理も彼女の気に入ったようで、イヴェットは歌を口ずさみながらカッツォの横で野菜を切っている。
「言葉もわかるし料理も似てる
ここは私の国からそんなに遠くないはず
でも 南オルミス 聞いたことない
もっと勉強しておくんだった〜♪」
歌う調子が可愛らしく内容が可笑しくて、カッツォは笑ってしまいそうになる。
「もう食べ物が無いから後で買い物に行かなきゃなぁ。」
カッツォが言うと、イヴェットは目を輝かせた。
「市場!?私行きたい!」
「ボクも行きたい!イヴェット、二人で行こうよ。」
ミザリーとイヴェットがはしゃぐので、シュロとカッツォは苦い顔で唸った。
「大丈夫かなぁ。」
「君たちは目立つからやめときなよ。」
「大丈夫大丈夫!」
「シュロがいなければ目立たないよ。」
「...。」
「まあ...兵士はいるけど港の警備をしてるだけだから。」
「やった!楽しみだねイヴェット!」
二人は手を取り合って、歌い出した。喜びの表現にしても賑やかだなぁとカッツォは呆れる。ミスサリアは耳触りの良い綺麗な声をして、歌が上手かった。
「でもこんな事していて良いのか?ミザリーは国に帰ったほうがいいんじゃ...どうやって帰るかは、わからないけど。」
「平気だよ!心配しないで。」
ミスサリアにつられてイヴェットが本当に楽しそうな顔をしているのを、シュロはじっと見ていた。
《あの黒い太陽が"アンズィルの瞳"といって精霊を封印している原因なんだ。》
食事の後、イヴェットとミザリーは港の市場へと出かけて行った。
カッツォは途中まで書いた手紙をグシャグシャに丸めて屑かごに入れた。
「こんな話、誰も信じねぇよなぁ。」
ピークはちょんちょん飛び跳ねて、紙くずを嘴に咥えた。
「書き直すよ。ちょっと待っていてくれ。」
カッツォはまた机に向かった。
この数日にカッツォに起こった不思議の事を書かないで一体何を王子に伝える事があるだろう。
(...もう十四歳になる頃だ。きっと九歳のイヴェットよりももっと...。)
物思いをしていると頭の中は手紙と関係のない考え事が浮かぶ。ピークが丸めた紙を机の上に運んで来た。カッツォは溜息をついて紙を広げ、内容を読み返した。
(...ドレはきっと全部信じるだろうな。でも誰かに話したりしたら...。)
カッツォが手紙の皺を丁寧に伸ばすのを見て、ピークは満足そうに頷く。
「カッツォ。」
振り向くと、部屋の入り口にシュロが立っていた。
「どうしたんだいシュロ。」
シュロは生意気な犬だった。目つき、顔つきからしてそうだし、物言いも、「カッツォに言ったってどうせわからないけど」という言葉が必ず前頭についていた。その言葉を発しなくても態度がそう告げている。声はいつも悪戯好きの子どものように自信に溢れている。
それでも憎めないのはこの毛並みの可愛さか、瞳の円さか、近くに寄って来たシュロの頭をカッツォは撫で回した。ピークとは全く違う手触りだった。シュロは迷惑そうな顔をして言った。
「ミザリーが魔法を使えるようになったら腕試しに行くよ。君はどうする?」
「どうするって?」
「僕らの目的は白い山に行く事だ。」
「白い山?」
「アルソリオの北、封印の山さ。」
アルソリオの名前は聞き覚えがあった。カッツォが孤児院にいた頃に習ったのだと、思い出した。
「始まりの国...北オルミス?」
「そうだよ。君はこの地にいる事に意味があるようだったから、一応聞いてみたのさ。僕としては君にも一緒に来て欲しいところだ。必要なのはミスサリアの力だけど、彼女は危険物だからね。」
「危険物って...。」
「迂闊に目的も話せないよ。彼女が願いを叶えようとすれば何の準備もせずに、次の瞬間には白い山に立っているかもしない。面倒でも順序を追う事が必要なんだよ。」
カッツォはしばらく考えた。北オルミスに行くとなれば海を越える旅になる。何か起きればもう戻って来られないかもしれない。
(...心配で...近くにいたけど...。いる意味なんかないんだ、本当は...。もうとっくに...、「お兄ちゃん」と言って泣く歳でも無いんだから。...病気も治ってる。ルペッサンの養女として立派になってるはずだ。俺が吹っ切れなかっただけなんだ。)
「俺も行くよ。」
カッツォは言った。
「旅は好きだ。」
「良かった。魔法を使うんだって、そういう思考の過程が大事だ。」
「?」
「じゃあまず初めにオーネット領とやらに行くよ。ミザリーの魔法が安定したらね。"アレ"に対抗し得る力かどうか、確かめに行くんだ。」
《俺たちはまたオーネット領に行く事になった。ミザリーの力であの骸骨の化け物たちを倒そうって事らしい。出発にはまだもうしばらくかかるみたいだけど...アルフレッド王子の手柄を取って怒られないかな?》
手紙をピークの脚に縛り付けると、待ちに待ったと言うようにピィ、と勇んで鳴いた。
「ドレによろしくな!」
窓から力強く羽ばたいて、ピークは青空に飛び立って行った。




